- タイトル
- Adventures in Paradise
- アーティスト
- The Atlantics
- ライター
- Dorcas Cochran, Lionel Newman
- 収録アルバム
- Bombora
- リリース年
- 1963年
- 他のヴァージョン
- Henry Mancini, Johnny Gibbs & Orchestra, Arthur Lyman, The Gene Rains Group, the Paradise Island Trio, Werner Muller
二十数年前、マーティン・デニーのQuiet Villageを聴いたときにはなにも思わなかったのですが、あとになって、すでに小学校のときにエキゾティカに遭遇していたことに気づきました。それが本日の曲、アトランティックスのAdventures in Paradiseです。もっとも、小学生だったわたしがほしかったのは、この曲ではなく、A面に入っていたBomboraのほうでした。
アトランティックスはオーストラリアのバンドです。じゃあ、パシフィックスだろうが、といいたくなりますが、大英帝国意識なのでしょう。じっさい、インスト・バンドといっても、アメリカ的ではなく、ヨーロッパ的で、シャドウズやスプートニクスを思わせるところはあっても、ヴェンチャーズのムードはありません。ビルボード・チャート上は存在しないも同然のバンドなのですが、サーフ・ミュージック・ファンの多くは、Bomboraをご存知でしょう。本国では大ヒットし、アメリカ以外の数カ国でもヒットしたようです。
ご存知の方には話が簡単に通じると思うのですが、Bomboraという曲はむやみにスピードが速く、その疾走感だけが魅力です。わたしはスティックなんかさわったこともないときから、すでにドラム・クレイジーだったので、幼いわたしの心中を忖度するに、おそらく、この叩きっぱなしのパアでんねんなドラミングが気に入って、このシングルを買ったのだろうと思います。いや、いまとなっては面白くもなんともなくて、なんだってこんな曲を買ったのか、動機なんかさっぱり思いだせないので、なんとか想像をめぐらしてみただけのことですがね。でも、まあ、子どもが好みそうな曲だと、年寄りのわたしも思います。
当時のことをちゃんと思いだせないくらいで、Bomboraという曲は、すぐに聴かなくなってしまい、それきりで、記憶の井戸の深いところに落ち込んでしまいました。
◆ マルセル・プルースト的盤漁り ◆◆
ずっと後年、80年代の終わりか、90年代のはじめ、どこぞのCDショップの店頭でアトランティックスを見かけたときには、Bomboraはタイトルだけの曲にまで退化し、どんなものだったか、さっぱり思いだせませんでした。しかし、B面の曲が面白かった、という記憶がボンヤリとよみがえりました。でも、こちらはタイトルを思いだせませんでした。トラック・リスティングを全部読んでみても、なにも記憶を刺激されませんでした。
あのころは、ビルボード・トップ40ヒットを集めていたので、ビルボード・チャートをプリントアウトした(ドットマトリクス・プリンターで!)ものをつねにバッグに入れていました。ちゃんとリレーショナル・データベースを使って、買い物のあとはデータをアップデートしていました。ダブり買い防止のために、入手済みの曲にはフラグを立て、以後、「未入手曲」サーチの際に検索されないようにしたのです。新たに検索しなおしたリストをプリントアウトすれば、つねに未入手の曲だけのリストを携帯することができる、という仕組みです。
その結果、わたしが買い物する姿は奇妙なものに見えたようです。三度ばかり、店員とまちがえられました。リストをもって在庫チェックでもしているように見えたのだと思います。気になる盤のトラック・リスティングと、自分のデータを比較して、買うか買わないかを決めていただけなんですがね。
だから、ビルボード・チャートに登場した曲については、20年前でも、出先でデータを確認することができたのですが(ケータイ用植物検索サイトというのは知っているが、ケータイ用ビルボード・チャート・サイトというのはまだないのでは? もっとも、いまは、わたしのような買い方をするなら、ウェブでトラックを確認して注文すればいいだけのことだが)、それ以外は記憶と勘に頼るしかなかったのです。
たとえば、アメリカではヒットしなかった、Days of Pearly Spencer「パーリー・スペンサーの日々」なんて曲は、アーティスト名を忘れてしまったので、探すに探せなくて困ったものです(その後、Add More Musicの木村さんに、デイヴィッド・マクウィリアムズという名前だと教えていただいた)。あるいは、Stop the Musicなんていう曲も、長いあいだ謎でした(こちらはWall of HoundのO旦那こと大嶽さんに教えていただいたが、また忘れてしまった。レニー&ザ・リー・キングスといったと思うのだが……)。
脱線してばかりですが、話をアトランティックスに戻します。いまなら「疑わしきは買わず」ルールを適用しますが、あのころは「疑わしきは購入」ルールだったので、あのB面曲が入っているかどうかはわからなかったものの、エイやで買ってしまいました。Now It's Stompin' TimeというCDです。
結論を言えば、この丁半バクチは当たりでした。ちゃんと、あのB面曲が入っていたのです。
◆ またもバードコール、またも半音進行 ◆◆
BomboraのB面は面白かった、と記憶していただけで、どんな曲だったかという記憶はありませんでした。だから、たとえその曲が入っていても、それを聴いて記憶がよみがえるかどうか、やや不安だったのですが、イントロが流れた瞬間、これだ、と即座に思いだしました。バードコールで記憶がよみがえったのです。
書物とちがってウェブは不便で、当ブログのお客さんのことだけを考えるわけにはいかず、検索エンジン経由でいらして、この記事だけをご覧になる方への配慮もしなければいけません。定期的にいらっしゃるお客さんはすでにご存知ですが、「バードコール」とは、鳥の啼き声の物真似だということは、つい先日、Quiet Village その3 by Martin Dennyのときに書きました。
で、うん、そうだそうだ、この曲だ、Bomboraにはすぐに飽きて、あのころはこのAdventures in Paradiseのほうばかり聴いていたっけと、うれしくなりました。そして、曲が進むうちに、なんだよ、そうだったか、と納得しました。これは明らかにギターインスト版エキゾティカとしてつくられたことがわかったのです。
小学校のときには、マーティン・デニーのQuiet Villageなんか知りませんでしたからねえ。たんに、鳥の啼き声までふくめて、なかなか楽しい曲だと思って聴いていただけです。でも、マーティン・デニーのQuiet Villageを聴いたあとでは、どこからどう見ても、このAdventures in Paradiseという曲は、Quiet Villagをギターインストに翻案しようという意図で選択されたものだということは、疑いようがありませんでした。
曲調としても、どことなくQuiet Villageに通じるものがあります。ヴァースのコードはG(ないしはEm7)-Dm7-G-Dといった単純なものですが、Gのところのメロディーが、low D-high D-D-D-B-C-Eb-D-C-B-Bですからね。C-Eb-D-Cのパッセージが奇妙な響きで、Misirloo的というか、国境の南的というか、なんであれ、西洋音楽的響きではないのです。本来、GのメイジャースケールにはないEbの音が、きわめてエキゾティカ的なのです。
コードがDm7(ないしはF)にいっても、やはりややイレギュラーなメロディーで、G-F#-F-Eなんていう半音進行(おなじところを、B-Bb-A-Gと弾いたりもする)があり、エキゾティカ的色合いで統一された曲です。
◆ 怪しいドラム ◆◆
アトランティックスというのは、大束な言い方をすると、シャドウズの素行不良の弟が学校をサボってサーフィンに出かけたようなバンドです。どこが「素行不良」かというと、もちろん、シャドウズほど端正なプレイはしていないという点です。
いや、明らかにシャドウズのハンク・マーヴィンをロール・モデルとしたリードギターはまずまずのレベルで、ボケッと聴いていると、アトランティックスをかけていたということを忘れ、シャドウズだと思いこんでいたりします。
問題はドラムです。これが微妙なんです。Cherry Pink and Apple Blossom White その1 by the 50 Guitars of Tommy Garrettのときにふれたように、信じられないほどひどいプレイがあるのです。では、すべてメチャメチャかというと、これが、そんなことはないのです。うまいといってもいいぐらいのプレイもあるのです。
この矛盾に対する唯一の論理的な解は、いうまでもないでしょう。バンドのドラマーは下手だから、スタジオで叩くことはめったになかった、大部分はスタジオ・プレイヤーの仕事である、です。オーストラリアでも、アメリカやイギリスのような影武者方式を採用していたかどうかは知りません。でも、日本でもそのたぐいのことはたくさんあったと漏れ聞くくらいで、60年代には、どこの国の音楽界/芸能界でも、「顔と手の分離」の必要性があったのだろうと想像します。
わざわざ買って聴くほどのものではないかもしれませんが、60年代初期のLAのお子様サーフ・グループ(プロフェッショナルなプレイヤーによるスタジオ・プロジェクトも多かったが、それ以上に、ホンモノの連中がやり散らかした非音楽的ゴミの山のほうが圧倒的に多い)なんかよりは、よほどマシなプレイをしています。パンクなサーフ・グループを好む方は、音楽よりノイズというかエネルギーというか、そういうものを好んでいるのだろうから、関係ないかもしれませんが、わたしだったら、LAのサーフ・レアリティーズなんかにうつつを抜かさず、アトランティックスのほうを聴きます。いや、それよりもシャドウズのほうを聴きますがね。
◆ ギミックもまたサウンドなり ◆◆
Quiet Village その3 by Martin Dennyで書いたことを、自分で肯定しちゃいますが、Adventures in Paradiseの場合も、バードコール(マーティン・デニーとは異なり、こちらはバードコールではなく、じっさいの鳥の啼き声のライブラリー音源を使ったのかもしれないが)がきわめて重要だと感じます。バードコールがなかったら魅力半減です。
バードコールなんていうのは、たんなるギミックにすぎないはずなのですが、ギミックがその曲の重要な一部になってしまうのは、それほどめずらしいことではありません。たとえば、あの電子音のイントロ/アウトロなしのトーネイドーズのTelstarなんて考えられません。昔、MIDIでコピーしたときも、さまざまなインストゥルメントをかき集め、あれこれと加工して、ジョー・ミークの足もとににじり寄るぐらいの「アヴァンギャルド・イントロ」を自分でもつくりました。
そういうことをやってみてわかったのは、音楽より、このSEのほうがよほど手間がかかるということです。そして、ミークがTelstarを録音したときも、わたしの場合と同じだったのではないか、という洞察にいたったわけですわ。SEは簡単ではないのです。
つくるのがむずかしかったから、あるいは手間がかかったから、それで面白いものができるのかといえば、そんなことはありません。ただ、たんなるSEだ、ただのギミックだと、まるで添え物のように足蹴にするのはおかしい、ということはいっていいと思います。音楽とはサウンドです。SEだって音なのだから、音楽の一部であり、メロディーやリズムやハーモニーと同等の役割を負っています。Telstarをコピーしてみて、そう思うようになりました。
まあ、半分は、バードコールが大好き、という自分の子どもっぽさを正当化したいだけなのですが、でも、半分はまじめに、SEに正当な評価をあたえようではないか、と思っています。