- タイトル
- Deep Purple
- アーティスト
- Screamin' Jay Hawkins
- ライター
- Mitchell Parish, Peter De Rose
- 収録アルバム
- At Home with Screamin' Jay Hawkins
- リリース年
- 1958年
- 他のヴァージョン
- Nino Tempo & April Stevens, Billy Strange, the Ventures, Santo & Johnny, the Shadows, Bea Wain, the Hi-Lo's, Andre Kostelanetz, the Hi-Lo's, Norrie Paramor, Percy Faith, Mantovani & His Orchestra, the Beach Boys, the King Sisters, the Singers Unlimited, Earl Grant
昨日は眠くて眠くて、途中でなにを書いているのかわからなくなったのですが、案の定、あとからチョンボに気づきました。昨日のDeep Purple その2 by the Shadowsでご紹介したビリー・ストレンジ盤Deep Purpleは、右のリンクからいけるAdd More Musicの「Rare Inst. LPs」ページで、MP3ファイルをダウンロードできます。No.11がアルバムMr. Guitarです。
さて、ほんとうに好きなDeep Purpleのヴァージョンは、一昨日と昨日に分けて取り上げた、ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ、シャドウズ、ビリー・ストレンジの3種で、それ以外には、とくにこだわりのあるヴァージョンはありません。今日は落ち穂拾いです。
◆ 怪奇シンガーのストレート・ヴァージョン ◆◆
今日の看板には、ほかに適当なものもなく、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズを立てました。
スクリーミン・ジェイ・ホーキンズというと、わたしはどうしてもConstipation Blues、すなわち「便秘のブルース」の馬鹿馬鹿しさを思いだしてしまいます。関東だけの番組だったのかもしれませんが、昔、福田一郎が国内未リリースの新着盤ばかりをかける番組があって(日本の局で最初に、ゼップのGood Times Bad Timesを、ヤードバーズの連中がつくった新しいバンドのデビュー作として紹介した。つまり、放送していたのは1968年ごろということ)、そこで紹介されていました。これまた一聴三嘆、というか一聴爆笑、忘れがたい曲です。
この曲には、前付けのヴァースならぬ、シンガー自身による紹介があります。「たいていの人は、愛や失恋や孤独についての歌を覚えているものだ。しかし、真の苦痛に関する歌を録音した人間はこれまでにいない」とかなんとか、しょーもないことをいってから、おもむろに苦痛にのたうつブルーズをうたう、という趣向です。なかなか役者なんですねえ、これが。
ホーキンズはいつもそんなひょうきんな歌ばかりうたっているかというと、そうでもあり、そうでもなし、というところでしょうか。カヴァー写真を見ていただければおわかりになるでしょうが、主として怪奇ものをうたっています。恐怖と笑いは隣接した情動なので、怪奇ものというのはたいていがコメディーでもあるのです。
では、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズのDeep Purpleはどうかというと、彼のつもりとしては、たぶん、シャレだったのでしょう。その意味で、一昨日の歌詞のところでくどくど書いたように、落語の「反魂香」につながるヴァージョンです。
いや、べつに怪奇ものらしい味つけをしているわけではありません。ふつうに、クラブ・シンガーのように(というほど愚直に正直正太夫をしているわけでもないが)うたっています。しかし、聴くほうは、ホーキンズがどういうシンガーであるかという先入観をもっているので、ここではコンテクストが逆転し、ホーキンズがまともな歌をまともにうたうと、なんだか奇妙に聞こえるのです。
歌詞のところで、この曲は反魂香だなんていったときは、シャレと受け取られたかもしれませんが、冗談でもなんでもなく、死者の魂を呼び出す、霊降ろし、魂寄せの歌だと思います。ということは、本来なら、昨秋のEvil Moonの歌特集で取り上げるべきだったのかもしれません。まあ、いろいろミスはあるものです。
◆ ヴェンチャーズとサント&ジョニー ◆◆
ヴェンチャーズ盤は、In The Vaults Vol.2という初期アウトテイク集に収録されているものです。この盤のライナーでは、めずらしくも、セッション・プレイヤーの関与に言及されているのですが、これがじつになんとも奇怪な記述の連続で、わたしは、ヴェンチャーズはスタジオにはいなかったという説を、部分的に認めることによって、肝心の部分を誤魔化すための、ヴェンチャーズ・マニアによる悪質なプロパガンダではないかと考えています。簡単にいえば、なにを世迷い言いってるんだ、このタワケが、というライナーです。
よって、ライナーは無視して書くと、Deep Purpleも、例によって、いつものメンバーで録音されたと思われます。すなわち、ギターがビリー・ストレンジとキャロル・ケイ、ベースがレイ・ポールマン、ドラムがハル・ブレインです。これがデビューから1963年ごろまでの、スタジオにおける「ヴェンチャーズ」の中核メンバーです。
リードがビリー・ストレンジなのだから、どういうプレイかは説明の要もないでしょう。昨日も書いたように、ヴェンチャーズ名義のDeep Purpleでも、ビリー・ザ・ボスは「球もちのよい」プレイをしています。キャロル・ケイのプレイと考えられるリズム・ギターが、ちょっと妙な動きをするところも、ヴェンチャーズ盤Deep Purpleのお楽しみのひとつです。
ギターものとしてはもうひとつ、サント&ジョニー盤があります。彼らの代表曲であるSleepwalkもマイナー・コードの使い方に特徴のある奇妙な構造の曲で、わたしはこの曲とDeep Purpleのあいだに、いくぶんかの近縁性を感じます。サント&ジョニーに似つかわしい曲調といえるでしょう。ただ、プレイとしてはわりにストレートかつノーマルで、とくに見せ場はありません。オーケストラのオーヴァーダブを必要とした、それが理由でしょう。オーケストラのおかげで、ちょっと魅力的なヴァージョンになったと感じます。
ギターものではないのですが、コンボによるインストということでは、あとはアール・グラント盤があります。グラントは、ここではオルガンとピアノの両方をプレイしているようです。べつに悪いところはどこにもありませんが、どこからどう見てもたんなるラウンジ・ミュージック、というより、昔の言葉で「ムード・ミュージック」といったほうがより正確にこのヴァージョンのありようを表せるように感じます。
◆ オーケストラもの ◆◆
曲調からいって当然だと思うのですが、オーケストラものもかなりあります。最近聴くようになったので、まだ飽きていないだけかもしれませんが、オーケストラものDeep Purpleのなかでは、アンドレ・コステラネッツがもっともいいと感じます。
コステラネッツは、系統としては、ゴードン・ジェンキンズと同じように、アイディアが豊富で、それをどんどん放り込んで、変化に富んだアレンジをするタイプです。ジェンキンズほどすごいとは思いませんが、なかなかカラフルなアレンジで、なおかつ、それが良くも悪くも行きすぎにならず、ほどよくまとめているので、つねにリラックスして聴けます。
その正反対の場所に位置するのがアルチューロ・マントヴァーニでしょう。マントヴァーニのアレンジは、ダイナミック・レンジが広いというか、基本的には、どこかでドーンとおどかすことを前提にしているので(その意味でワーグナー的といえる)、それを引き立たせるために、他のパートはゆるやかなアレンジになっています。
昨日、Deep Purpleは半音進行が特徴だと書きましたが、半音進行といえば、元祖(かどうかは知らないが!)はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」でしょう。マントヴァーニのアレンジにはワーグナーを感じるので、いっそ、現代版「トリスタンとイゾルデ」にするつもりで、ドカーンとやって、オーケストラによる半音進行のエロティックな味わいを前面に押し立てればよかったのに、と思いますが、残念ながらそこまで徹底したものではなく、一カ所でドカーンとストリングスとティンパニーをぶちかましているだけです。
結局、こういう曲をオーケストラでやるとなると、ストリングスの扱いが勝負になると思います。1959年のパーシー・フェイス盤も、前半はそういうアレンジで、なかなかいい弦だと感じます。中間での、左右にひとりずつ、ふたりのヴァイオリニストがちらっと活躍するところもけっこうです。しかし、このあたりから活躍しだすピアノがどうも気に入らなくて、満足とはいきません。
ノリー・パラマー盤は、ストリング・アレンジと全体のサウンドという意味ではいちばんいい出来かもしれません。これはステレオになっているのですが(しかも、なかなかすばらしい音像)、録音デイトがわかりません。1956年リリースとしているところがありましたが、56年にはまだステレオ盤の商用化ははじまっていないでしょう。56年リリースが正しいとすると、これは後年のリプロセスト・ステレオということになりますが、そうは聞こえないほど、いい音像です。
ジャッキー・“ミネソタ・ファッツ”・グリーソン盤は、これでもか、という徹底したラウンジ・ミュージック・アレンジで、そういうものが嫌いでなければ楽しめます。クリシェに頼っていうなら、典型的な「ソフト&メロウ」なのですが、そこはハリウッド、なかなかどうして、しっかりしたプレイをし、しっかりした録音をしているので、ちょっとやそっとの年月では腐らないようにできています。Blue Velvetとのメドレーになっていますが、スムーズにつないでいます。いわれてみると、Blue VelvetもDeep Purpleにいくぶんかの近縁性があるようです。
◆ 謎のヴァージョン ◆◆
ウェブで1939年のビー・ウェイン盤と称するものを聴きましたが、おかしなことに、ビー・ウェインはシンガーであるにもかかわらず、これはインスト盤でした。調べてみると、ビー・ウェインは1930年代終わりには、ラリー・クリントン&ヒズ・オーケストラの専属シンガーだったそうです。
そして、またべつの方向から、ラリー・クリントンとDeep Purpleの結びつきを調べると、1939年にラリー・クリントン盤Deep Purpleがチャートトッパーになったという記述が見つかり、どうやら、ビー・ウェイン盤Deep Purpleと称するファイルは、じつはラリー・クリントン盤らしいという結論になりました。ただし、ラリー・クリントン盤Deep Purpleといっても複数あり、そのなかにはヴォーカル入りのものがあって、ヒットしたのはこちらで、わたしが聴いたものは、べつのヴァージョンだったのかもしれません。
じっさいに音を聴くと、これがナンバーワンになるかなあ、という出来です。たいていの人が、ガーシュウィンのRhapsody in Blueを連想するのじゃないでしょうか。ピアノを中心としたシンフォニックなアレンジなのです。悪くはないものの、チャートトッパーになるほどの一般性があるとは思えません。妙な謎が残ってしまったものです。
◆ その他のヴァージョン ◆◆
スタンダード系女性シンガーのものは、鬱の「原因菌」になるので、ジュリー・ロンドンなど一握りをのぞいて、先日、大部分を外付けHDDに追い出し、検索からはずしましたが、コーラス・グループのフォルダーはまだ検索対象にしています。
大の贔屓であるキング・シスターズをはじめ、シンガーズ・アンリミティッド、そして、ハイロウズという3種があります。キング・シスターズ盤はがっかりするようなつまらない出来、シンガーズ・アンリミティッドもどうということなし。唯一、ハイロウズ盤がかなりいけます。いや、ハーモニーがいいというより、ストリング・アレンジが好みだというだけなのですが。アレンジとコンダクトはフランク・カムストック。
ダニー&マリー・オズモンドは正真正銘の盗品。ニーノ・テンポ&エイプリル・スティーヴンズ盤のアレンジをそのままコピーしただけのものです。こういう「カヴァー」とは名ばかり、ただの頂き物が跡を絶たないのは、じつにもってけしからんというか、嘆かわしいというか、言葉を失います。法律に触れなければなにをしてもいいというものではないでしょう。
ビーチボーイズのLandlockedというブートにもDeep Purpleが入っています。盤にはビーチボーイズと書いてありますが、じっさいには、オーケストラをバックにしたブライアン・ウィルソンのソロです。わたしはビーチボーイズ・フリークではないので、このへんのお蔵入りしたトラックに関する知識がないのですが、70年代後半以降の、声が死んでからのブライアンであることははっきりわかります。残念ながら、とくに聴くべきところはないと感じます。
あまり好みでない女性シンガーのファイルは根絶したつもりだったのですが、メイナード・ファーガソンとの共演盤だったために、ジャズのフォルダーにおいてあり、ジェノサイドを生き延びたダイアン・シューアのヴァージョンがあります。まあ、お笑いじみたところがあるので、ちょっと聴いてみました。
できそこないのオペラ歌手とイマ・スマック(まあ、あの超絶悶絶唱法をご存知ない方にはわからないだろうが、テレミンと人間のあいだに生まれた合いの子を想像してもらえれば、それほど遠くないだろう)を掛け合わせたみたいな、じつになんとも奇っ怪な歌い方で、笑えるといえば笑えるし、笑いがこわばるといえばこわばります。怪奇音楽というなら、スクリーミン・ジェイ・ホーキンズより、ダイアン・シューアのほうが上かもしれません。