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ダイナマイトが百五十屯 by 小林旭
タイトル
ダイナマイトが百五十屯
アーティスト
小林旭
ライター
関沢新一, 船村徹
収録アルバム
アキラ3
リリース年
1958年
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ロックンロール時代になると、月はロマンティックなものではなくなっていく、なんてことを書きましたが、そのとき頭にあったのは、たとえば、アル・クーパーのThe Landing on the Moonや、グレイトフル・デッドのPiccasso Moonでした(どちらもそれほど面白い曲ではないので、この特集では取り上げない)。

特集を進めていくうちに、途中で、タイトルにはキーワードが含まれていないけれど、歌詞のなかにあるというものを、いろいろ思いだすものです。今回は二曲、あれがあったじゃないか、というのを思いだしました。

その一曲が、本日の「ダイナマイトが百五十屯」です。ここに出てくる月たるや、ロマンティックなものではないどころか、そもそも、どういう属性をもった月なのかということすらわからない、じつにもって尖鋭的な月なのです。ここまでくると、六月もハチの頭もないのですが、まあ、そろそろ強引なのが出るころだから、ということで……。

◆ カックン、ショックだ!? ◆◆
タイピングをの手間を省くために、またしても歌詞カードのJPEGですませることにします。

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パンクがなんぼのもんじゃい、てな破壊的ヴァースですな。昔はこういうことをいってもシャレになったのですが、近ごろは気のふれた犯罪者予備軍がうようよいるので、シャレにならないような気もします。失恋のたびに発破をやられちゃ、まわりが迷惑します。

当家のコメントでは、O旦那のハンドルでときおりツッコミを入れてくださる大嶽画伯のサイト、Wall of Houndで、昔、この曲のことが話題になりました。そのとき、O旦那が、150屯といえば、1屯トラックで150台分、とんでもない量だ、とおっしゃっていたのを覚えています。

ゼロ戦が積んでいたのは、たしか250キロ爆弾をふたつです。合わせて500キロ。ゼロ戦で150屯を運ぶとなると、300機の大編隊になってしまいます。真珠湾攻撃だって、投入された戦闘機の数はもっとはるかに少ないでしょう。150屯のダイナマイトがあれば、アメリカ太平洋艦隊に壊滅的打撃を与えられるのとちがいますかね。

セカンド・ヴァース。

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「スカッと」は戦後に生まれた流行語なのでしょうが、わりに長命だったようで、いくぶん古くさい響きを帯びてしまったとはいえ、まだ「通じない」という段階まではたどり着いていないでしょう。流行語だったことが忘れられる時代まで生き延びる可能性すらあると思います。

それに対して「器用」という言葉は、現在も使われてはいるものの、用途は昔にくらべて限定的になったと感じます。なんて、わかったようなことをいって、いま辞書を引き、あらら、となってしまいました。一部の用例を略して、以下に引用します。

1 役に立つ大切な器物。
2 容貌。人柄。器量。*伽・猿源氏草紙「きよう骨柄(こつがら)、尋常なる人かなと感じけり」
3 (形動)役に立つ才能があること。才知がすぐれているさま。また、そのような人。有用な人材。*本朝文粋‐六「既非器用。自漏明時之禄」
4 (形動)いさぎよいこと。潔白であること。上品で優雅なさま。
5 (形動)わざがすぐれてじょうずなこと。また、そのさま。*浄・国性爺合戦‐四「誰に習ふて此兵法。きようなことやとの給へば」
6 (形動)うまいぐあいに物事を処理すること。また、そのさま。*伎・三題噺魚屋茶碗‐三幕「それぞれ酒でも呑まし、器用にするが破落戸(ごろつき)附合」
7 (形動)手先のわざや、本職ではない芸事などをうまくこなすさま。「手先の器用な人」
8 (形動)(普通、悪い意味に用いて)要領よく立ちまわるさま。万事うまく処理していくさま。「世の中を器用に泳ぐ」
9 (形動)万事をのみ込んで、理屈や文句を言わないさま。*伎・黒手組曲輪達引‐三幕「そんな野暮を言はねえで、器用に受けてくんなせえ」

第一義が名詞だっていうので、いきなりコケました。たしかに、江戸や明治の分類百科辞典的な本(『古事類苑』や喜多村節信の『嬉遊笑覧』など)を見ると、「器用部」というのは、器物をあつかっています。

現在も生きているのは、第七義の「手先の技」をうまくこなすさま、だけではないでしょうか。わたしが子どものころは、第八義の「要領よく立ちまわるさま」というのも、かろうじて生きていましたが、最近の使用例は記憶がありません。

ダイナマイトが百五十屯 by 小林旭_f0147840_2044295.jpgこのニュアンスの「器用」は、昔の日活映画でも登場しました。ヤクザが素人衆に向かって「おう、兄さん、器用なマネしてくれるじゃないか」とすごんだりするのです。アメリカでも、あちらの世界は映画の影響を強く受けるそうなので(だから、ジョージ・ラフトはその方面では絶大な人気があり、ラフトのスタイルはその後の現実のギャングのスタイルの基礎になったという話があるほどだし、本邦ではもちろん高倉健の影響は絶大)、その後、日活映画のセリフは現実世界に継承されたのかもしれません。て、あなた、冗談半分なんだから、真に受けちゃいけません。

最後のヴァース。

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これを忘れていたなんてどうかしていると思うような、なんとも忘れがたいラインです。カックン、ショックだ、という流行語連打まではいいのですが、そのあとが「ダムの月」というのだから、一瞬、見当識喪失に陥ります。

どのような論理の流れによって、このラインの前半と後半は接続されているのだろうか、なんて、まともに考えると、長く暗い混迷の地下道から脱出できなくなるので、こりゃたまげた、などといって思考停止しておくにかぎります。映画の挿入歌というのならわかりますが、この曲の出自はそういうものではありません。独立した盤として生まれたものです。

◆ オリジナル音頭ロック ◆◆
歌詞もアナーキーですが、楽曲、アレンジ、サウンド、そして、アキラのヴォーカル・レンディションもちょっとしたものです。

管によるイントロの裏で効果音が鳴っています。まず、シューという、サファリーズのWipe Out!の冒頭に出てくるようなノイズがするのですが、いままで、この意味がわかっていませんでした。書かなければならないので、まじめに考え、論理をたぐっていき、ああ、導火線が燃える音か、とやっとわかりました。

なぜわかったかといえば、その直後にドカーンというSEが入っているからです。これはダイナマイトが爆発する音にちがいない、そして、そのまえにシューという音がするのだから、そちらは導火線だ、という、漫才のようにもってまわった思考でした。

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しょっちゅう小林旭をとりあげているので、そろそろ写真の材料が尽きてきた。今日は曲に関係なく、映画のスティルを適当に。これは鈴木清順の『俺たちの血が許さない』より、アキラとその弟役の高橋英樹。いったいアキラは何発の弾丸を喰らったことか。忘れがたい一作。

イントロのSEは、制作側が意図したほどストレートな「ショック」を喚起するものにはならず(マレットでピアノを叩いたという効果音はそれなりに派手だが)、どちらかというと「カックン」(この言葉を見ると由利徹の顔が浮かぶ。由利が流行らせたのだっただろうか?)のほうかもしれませんが、その直後のギターと管のリックには、うーむ、と唸ります。

ロックンロールのニュアンスのあるアレンジなのですが、ここのコード進行はEm-Amなのです。表拍を使っていること、つまり、シンコペーションは使っていないことをはっきりさせるために、ほんとうは譜面にしたほうがいいのですが、E-E-E、G-G-E-D-Eというフレーズをギターが弾きます。これを3度あげてAmで弾き、またEmに戻る、というようなイントロです。

なんだかよく知っているような音だなと思い、頭のなかでこの部分のビートを変え、すこしだけテンポを落としてみると、なんだ、音頭かよ、となります。映画のなかで、祭のシーンに変わった音頭がほしくなったら、この曲のヴァリアントをつかえばよかっただろうと思います。

骨格は音頭、肉付けはロックンロール、この絶妙の融合というか、いや、むしろ、絶妙の乖離というべきか、なんともつかない、わけのわからないところがこの曲の魅力であり、そこのところで、一瞬、考えこみそうになるこちらの首根っこを押さえて、アキラがあの脳天に突き抜ける高音で、よけいなことを考えるヤツはダイナマイトでぶっ飛ばしてやる、といわんばかりに、アナーキーにうたうところが、このトラックのすごさです。

だから、正確には、サウンドにおいてロックンロール的というより、スピリットにおいてすぐれてロックンロール的である、というべきだろうと思います。あれこれゴチャゴチャ考えるひまをあたえないところは、まさしく、映画において看板役者が果たす役割でもあり、アキラのスター街道驀進は、この曲からはじまったといっていいかもしれない、とすら思うほどです(この時点では、まだ映画のほうでは大ヒットはなかった)。

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藤竜也「兄貴、ダイナマイトですぜ」ジョー「これで1キロというところか。くそー、アキラの野郎、まだ149.999屯ももっているのか」なんてセリフではなかった。長谷部安春『皆殺しの拳銃』より。大げさな言葉は使いたくないが、『拳銃は俺のパスポート』とならぶ、日活アクション末期の、やはり傑作といえるであろう一本。

◆ ときにはプルーストのように ◆◆
この曲は、盤を買う前から知っていたので、当然、映画で記憶したのだろうと思いました。『小林旭読本』所載の大瀧詠一の記事では、『二連銃の鉄』でうたわれているというので、渡辺武信の『日活アクションの華麗な世界 上』で、この映画のプロットを読んでみました(二連銃とは、ダブル・バレルのショットガンのことだろう)。

プロットから、映画のことはボンヤリと思いだしたのですが、どんな場面で「ダイナマイトが百五十屯」がうたわれたかまでは思いだせませんでした。『日活アクションの華麗な世界』はすばらしい研究書ですが、珠に瑕が音楽にやや冷淡なことで、「ダイナマイトが百五十屯」そのものに、まったく言及していないのです。

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思わず、それはないでしょう、アキラの数々の歌のなかでも、もっとも尖鋭的な曲じゃないですか、といいそうになりましたが、考えてみると、わたしだって、なにかの映画でうたっているのを見た、とボンヤリ記憶しているだけで、よそさんを責められる立場にはありませんでした。

この曲が鮮明な記憶を残していないというのは、じつに不思議です。「自動車ショー歌」なんて、どの映画かは忘れてしまいましたが、キャバレーでうたうシーンがいまでもはっきりとまぶたに浮かぶんですからねえ。

「ダイナマイトが百五十屯」がリリースされた翌年に、アキラは『爆薬[ダイナマイト]に火をつけろ』(蔵原惟繕監督)という映画に主演しています。『南国土佐をあとにして』と同じころです。わたしは、この映画に「ダイナマイトが百五十屯」が使われたのだと思っていました。プロットすら思いだせないのですが(渡辺武信の前掲書でも、内容にはふれず、蔵原の低迷期の作品としているのみ)、アキラがトンネル工事かなんかの現場で働く映画を見た記憶があり、それに該当するのはこの作品しかなさそうなのです。

タイトルから考えても、時期から考えても、いかにも映画と歌がマッチしているように思えるのですが、調べがおよんだかぎりでは、この映画に「ダイナマイトが百五十屯」が使われた形跡はありませんでした。人間の記憶というのはじつにいい加減で、ときには、まちがった記憶のほうに強いリアリティーを感じ、現実が突きつける証拠を見ても、首をひねるばかりで、まったく納得できないこともあるのですねえ。どうにかしてもう一度『爆薬に火をつけろ』を見て、納得したいものです。

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『南国土佐をあとにして』 左から二本柳寛、西村晃、小林旭。このシークェンスはワンショットで撮影された。2テイク目で四つのダイスが立ったという。

by songsf4s | 2008-06-22 22:13 | Moons & Junes