- タイトル
- Lonely Too Long
- アーティスト
- The Young Rascals
- ライター
- Felix Cavariere, Eddie Brigatti
- 収録アルバム
- Collections
- リリース年
- 1967年
- 他のヴァージョン
- David Cassidy
今日は長丁場になりそうなので、枕は短めに。昨日は、こんな記事は公開しないでおこうかと思ったのですが、前半を公開してしまった以上、後半も公開しないわけにはいきませんでした。右側のメニューには載せず、検索しないかぎり見えないようにする、という妥協案で、自分のなかの反対意見を抑え込んだしだい。
今日は正反対の曲、アッパー系のサウンドで、昨日の鬱を相殺しようと思います。しかし、歌詞がどうこうなんて曲ではないので、今日も歌詞の検討はしません。ただ、風の歌特集にこのLonely Too Longを持ち込むには、多少の手続きが必要なので、そのことだけは書いておかないと、当ブログの規則に抵触してしまいます。
本日の曲、Lonely Too Longのサード・ヴァースの冒頭は以下のようになっています。
滑空するように、というのだから、風がなければできない、というこじつけです。これで手続きは踏んだので、本題に入ります。
◆ コーラスのプレイ ◆◆
わたしのドラミングにたいする基本的な考え方、趣味嗜好の基礎をつくった人はふたりいます。デイヴ・クラークとディノ・ダネリです。この二人をご存知の方なら、これだけで十全にご了解いただけ、今日の記事はここで終了してもいいくらいです。ディノ・ダネリのドラミングといえば、Lonely Too Longで決まりなのです。
まあ、それではあまりにも愛想がなさすぎるので、つづけますが、降るとなったらどしゃ降り、書くとなったら徹底的に書くので、ドラミングにご興味のない方は、ここらで切り上げていただきたいと思います。今日はドラミングの話だけで終わる予定です。デイヴィッド・キャシディーのカヴァーも、たぶんふれる余裕はないでしょう。
ではいきます。Lonely Too Longには、アルバム収録のステレオ・ミックス・フル・ヴァージョンと、モノ・ミックスの短縮シングル・ヴァージョンがあります。ここではアルバム・ヴァージョンにしかふれません。モノではドラムがよく聞こえないからです。
構成を確認しておきます。Lonely Too Longはコーラスから入り、そのあとにヴァースが出てきます。I've been lonely too long以下がコーラス、As I look back以下がファースト・ヴァースです。
この曲でもっとも印象に残るのは、このコーラスとヴァースの対比です。いえ、ドラミングがちがうということで、楽曲の譜面上の話ではありません。
コーラスは比較的ノーマルなパターンで叩いています。左手は2&4、ただし、右手は、ライドやハイハットではなく、スネアを8分で刻んでいます。スネアだということがノーマルでないだけで、これがライドやハイハットなら、いたってノーマルです。
キックは8分2打、8分休符、8分1打、2分休符というパターンです。小節の前半だけ叩き、後半は休み、というやや変則的なパターンですが、だからといって、異様なパターンというほどでもありません。まあ、子どものときは、へえ、こういうのもあるんだ、と思いましたが。
ときおり、シンバルが邪魔だと感じることがあります。Lonely Too Longも、スネアで8分を刻もうという積極的な策ではなく、シンバルを入れるのはやめよう、という基本方針から出てきた、たんなる結果としてのスネアによる8分ではないかと思います。
そう感じるのは理由があります。右手を遊ばせたまま、左手だけでバックビートを叩いてみればわかります。タイムが不安定になるほど叩きにくく感じます。投手のフォームでだいじなのはグラヴを持った手の使い方だといいますが、それと同じです。グラヴを持った手を躰に縛りつけられたら、まともなピッチングはできません。ドラマーは右手のリードによって、左手で安定したバックビートを叩いているのです。だからディノ・ダネリは右手を遊ばせておくことができず、シンバルより目立たないスネアで軽く8分を刻み、バックビートを安定させたのだと考えます。
スタジオのプロというのはおそろしいものです。いま具体的な曲を例示できないのですが、ハル・ブレインは、右手は完全に遊ばせたまま、左だけはバックビートを叩くというプレイを何度かやっています。ふつうの人が聴いても、シンバルが鳴っていないだけと思うかもしれませんが、わたしは、よくそんなおっかないことを平気でやるなあ、プロフェッショナルはすごいもんだ、と心底感心してしまいます。
つまり、ディノ・ダネリはあくまでもバンドのドラマーであって、スタジオのプロのような、どんなパターンにもその場で対応できる卓越した技術はもっていない、ということです。ダネリの美点はそういうところにはないのです。なによりも元気のよさが身上です。いや、元気がよくてタイムが悪いと、最悪のパターンになってしまいますが、タイムがよくて元気があるのです。このふたつの条件を満たしていれば、バンドのドラマーは十分に務まります。しかし、ダネリはそれだけのドラマーにすぎないというわけではありません。
◆ ヴァースのプレイ ◆◆
中学生だったわたしは、冒頭のスネアのロールだけで完全に乗りました。それにつづくコーラスのプレイも力強く、やっぱりギターはやめて、ドラムをやろうと思ったほどです。カッコいいなあ、と惚れ惚れしました。
しかし、何度か聴いているうちに、ヴァースのプレイに引っかかるものを感じ、注意深く聴いてみました。キックが変だったのです。コーラスのキックはちょっと変わったパターンにすぎませんでしたが、ヴァースのキックはアブノーマルでした。
ヴァースは8小節で成っています。最初の5小節はたぶんキックはまったく使っていません(一カ所、軽く入れているかもしれない)。最初にキックが聞こえるのは、6小節目の最後の拍のシンコペートした裏拍です。
いまだから、シンコペートしたのとなんのと理屈付けて納得していますが、子どものときは、ん? なにこれは? でしたよ。真似しようとして、「シャドウ・ドラミング」しても、なかなかキックを入れるタイミングがつかめませんでした。むずかしいのです。高度なプレイなのです。
スネアをシンコペートさせるのはむずかしくありませんが、キックをシンコペートさせるには、それなりの訓練が必要です。ブラスバンドでは両手の使い方は教えてくれますが、足の訓練はいっさいしません。使わないのだから当然です。子どものわたしは、ここではじめてキック・ドラムのむずかしさ、パターンに収まらない使い方というのを学びました。まあ、子どもだから、七面倒なことは考えず、ただ「カッコいいなあ」とむちゃくちゃに興奮しただけですが。
もうひとつ注意を促しておきたいのは、ヴァースでキックが出てくるのはこのシンコペートした4拍目だけだということです(正確には、コーラスへのつなぎ目のフィルインを補強するためにキックを何打かしている)。たったの1打。これはもうアブノーマルという以外にいいようがありません。
◆ ニューオーリンズの下半身不随ドラマー ◆◆
ずっと後年、20年まえぐらいのことですが、ディノ・ダネリのインタヴューを読みました。いま読み返している余裕がないので、記憶で書きますが、ダネリは、若いころにニューオーリンズにいて、そのときの見聞について語っています。
ニューオーリンズで、ダネリはお年寄りの変わったドラマーと親しくなったのだそうです。そのドラマーは下半身不随でした。それでもキックを叩いていたというのです。彼はセットの脇にスタンドを置き、そこからゴムバンドを垂らして、右の太ももを吊り上げていました。まるで事故で入院中の患者です。
で、キックのアクセントを入れたいときには、右肘で、この吊り上げた右膝をぐいと押し下げる。すると、その動きが足に伝わり、キック・ペダルを押し下げる。ペダルの先端のマレットがキックのヘッドを叩く。ゴムバンドの張力で太ももはふたたび吊り上げられ、ペダルも元にもどり、つぎの一打の準備が整う、とこういうメカニズムでキックを叩いていたというのです。肘でコントロールするのだから、当然、高速でキックを叩くことはできません。たまに、雨垂れのように入れるだけなのです。
これを読んでわたしは「そうだったのか!」と叫びましたよ。ダネリはこのドラマーから学んだことを、Lonely Too Longのヴァースに応用したにちがいありません。ふつう、ああいうキックの使い方は思いつくものじゃないですからね。
◆ 「パターン」の呪縛 ◆◆
そのときは、それで納得しましたが、いまになると、もうひとつ思うことがあります。ロックンロール時代以前は、「キックのパターン」などというものはなかった、ということです。ロックンロール・ドラミングでは、フィルのない「空の小節」では、キックを一定のパターンで叩くのがパラダイムです。
しかし、スウィング時代のドラミングもそうですし、モダン・ジャズでもそうですが、キックはあくまでもアクセントとして、「ときおり」叩くものです。キックはグルーヴの担い手ではなかったのです。スウィングでも、モダン・ジャズでも、グルーヴはベースが中心になってつくります。だからこそ、ジャズ・ドラマーはタイムが悪くてもなんとか務まったのです。結果的に、タイムの悪いドラマーを大量生産する悪弊を生みましたが、ロック・ドラマーがそれを修正してバランスをとったので、まあ、結果オーライです。
話が脇に逸れました。つまり、雨垂れキックでも、ジャズの場合はなんの違和感もなかったのであり、ダネリが親しくしていたニューオーリンズの下半身不随ドラマーは、たぶん、非常にノーマルなドラミングをしていたにすぎないのです。
ジャズ・ドラミングとロック・ドラミングは決定的に異なる性質をもっています。ジャズではドラムはたんなる飾り、アクセントにすぎません(もちろん例外は山ほどあるが、いまは原則の話をしている)。極論するなら、あったほうがいいけれど、なくてもなんとかなる程度の楽器にすぎないのです。だから、ライドを刻むだけで、スネアはほとんど使わないなんてことも、平気でやれるのです。
それに対して、ロックンロールでは、ドラムはもっとも重要な楽器です。ロックンロールはグルーヴの音楽であり、そのグルーヴのもっとも重要な担い手は、ベースではなく、ドラムなのです。ドラムが乱れたら、全体が崩壊します。つねに安定したビートを提供しなければならないのです。ロックンロールをロックンロールたらしめている根源的要素は、ドラムの安定した力強いビートが生みだすグルーヴなのです。これがなければ、ロックンロールとはいえません。
これが、いわば「呪い」となって、ロックンロール・ドラマーを呪縛します。イントロの冒頭、イントロからヴァースへの移行、ヴァースからコーラスへの移行、そうした繋ぎ目だけは変わった動きをしてもオーケイ、それ以外はじっとメトロノームの役割を果たそうとするのが、ほとんど本能になります。だから、スネア、シンバル、キックの「パターン」というものが必要になるのです。
Lonely Too Longのヴァースで、ディノ・ダネリがやったことの本質は、このパラダイムに対する疑問の提示です。たまには(強調しておくが、あくまでも「たまには」)パターンから自由になってもいいではないか、という提案です。子どもだったわたしは、これに強く反応したのです。「そういうやり方もあるのか!」という感動です。
◆ 「ドラム小僧」の魅力 ◆◆
分析なんてものは、下手な考え休むに似たりでしかありません。いまでは、あの「Lonely Too Longショック」の正体をきれいに分析することができます。でも、それでは本質から遠ざかるばかりです。
では、どこに本質があるのか。「技術と精度に裏打ちされた力強さ」というあたりじゃないでしょうかねえ。Lonely Too Longがへたれドラミングだったら、興味をもたなかったに決まっています。まず最初に受け取ったのはエネルギーです。その力強さに惹かれて、繰り返し聴いているうちに、細部に耳が行くようになって、やがて隠れた工夫に気づき、ビックリした、といったあたりでしょう。
ディノ・ダネリはほんとうにいいドラマーでした。バンドのドラマーとしては、プロコール・ハルムのBJ、デッドのビル・クルーズマン、ホリーズのボビー・エリオットらと並んで、子どものころ、もっとも好きだったプレイヤーです。
ダネリのいい時代は、ラスカルズの全盛期と重なります。デビュー盤はまだビートに不安定なところがありました。すばらしいプレイがしばしば聴けるようになるのは、Lonely Too Longが収録されたセカンド・アルバム、Collectionsからです。
3枚目のアルバムGroovin'では、A Girl Like Youでの、「ちょっと大人になった」(微妙にタイムが遅い)ドラミングが印象的でした。つぎのOnce Upon a Dreamでは、シングルで聴いたIt's Wonderfulの、最初はなにをやっているのか分析できなかったフィルインに目を丸くしました。Singin' the Blues Too Longでは、クラッシュ・シンバルのミュートという伝統的手法を教えてもらいました。
5枚目のFreedom Suiteは、当時はべつに違和感なく聴きました。Any Dance'll Doなんか、すごくカッコいいなあと思いました。しかし、いまになると、ここが分岐点だったのかもしれないと思います。
初期のダネリは微妙にタイムの早いドラマーでした。目立つほど突っ込んだりすることはなく、まして、走ったりすることはありませんでしたが、でも、ほんのかすかに早いのです。この微妙に早いタイムがダネリのエネルギーの正体だと思います。しかし、すでにA Girl Like Youでその片鱗を見せていますが、ディノ・ダネリは急速に「大人に」なっていったドラマーで、やがてタイムが後ろに移動し、ほぼ理想的なところに落ち着きます。
それが端的にあらわれたのが、Freedom Suiteからシングル・カットされ、彼らにとって2曲目のビルボード・チャートトッパーになったPeople Got to Be Freeです。この曲では、ダネリはいつものエネルギーの奔出は抑え、「テイストフル」なスネアワークをしています。大人のプレイです。あの時点では、これはこれで、ダネリらしい、立派なプレイだと思っていました。
でもねえ、あとになって、CBS移籍後のアルバム、The Island Of Realを聴いて、あれえ、どうしちゃったんだ、と首を傾げました。ぜんぜん面白味のないドラミングをしているのです。しばし考えて、原因がわかりました。どうしたもこうしたも、ただ年をとっただけなのです。あの元気いっぱいのドラム小僧はいなくなり、「大人のドラマー」が大人のプレイをしていたのです。
で、さかのぼって考えると、もうPeople Got to Be Freeのときから、そういう方向へのシフトがはじまっていたことに気づきます。人間だから、年をとります。不可抗力だから、ダネリを責める気は毛頭ありません。でも、あの元気いっぱいのドラミングで子どもを感動させたドラマーがいなくなってしまったのは、やっぱり、ちょっと残念なのです。