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The Breeze and I by the Shadows その2
タイトル
The Breeze and I
アーティスト
The Shadows
ライター
Ernesto Lecuona, Al Stillman
収録アルバム
With Strings Attached
リリース年
1963年
他のヴァージョン
The 50 Guitars, Santo & Johnny, the Tornados, Jim Messina & His Jesters, The Three Suns, Bert Kaempfert, Esquivel, Henry Mancini, Les Baxter, Stanley Black & His Concert Orchestra, the Explosion Rockets, the Flamingos, the Four Freshmen
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「その1」と「その2」のあいだをこんなにあいて、まるで引っぱってしまったようになり、失礼いたしました。更新していないのに、アクセス数が減らなかった(どころか、じつは休んでいるあいだのほうがふだんより多かった!)ことから考えて、どうも、毎日、更新したかどうか確認にいらしている方も相当数いらっしゃる気配で、恐縮しております。

人間、生きているといろいろな目に遭うものです。三日に、うちから遠くない海辺の公園で、ラスクを食べながらお茶を飲んでいました。で、囓り残した小さなラスクのかけらをもって、ぼんやりと海を眺めていたのですな。そこへ、うしろからだれかがドンと突きあたったと思ったとたん、右手の人差し指をなにかがかすめ、するどい痛みが走りました。トビに襲われたのです。

自慢じゃありませんが、わたしはトビには襲われ馴れています。したがって、連中の飛行技術については、あなたがたのような素人ではなく、経験と長年の観察にもとづく、ヴェテランとしての一家言をもっています。つらつら勘定するに、おおよそ2・5年に1回の割合で襲われているのですからね。

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最初にやられたのは、山上の公園でのこと。このときは半分食べたサンドウィッチを手にもっていたら、みごとにもっていかれました。しかも、あのサンドウィッチは、真珠湾に停泊する戦艦アリゾナみたいにむずかしい攻撃目標だったはずなのです。背後に立木があるので進入路はひとつ、脱出路も崖際の手すりと突き出た桜の枝のあわい、数十センチの帯状の空間のみ。そこを通り抜けながら、わたしにはまったく接触せず、サンドウィッチだけをさらっていきました。ただただ、その飛行技術の卓越性に感心しちゃいましたよ。

つぎは海でいなり寿司を食べていて、膝においていた折箱をひっくり返されました。このときは肩にトビがぶつかりました。最初のトビの技に感銘を受けたので、ドジなトビがいるものだとムッとなりました。

今回は、ラスクの小さなかけらという微少なターゲットを選択した度胸には感心します。でも、肝心のターゲットはつかみそこない、しかもわたしの背中に思いきり衝突し、挙げ句の果てに、嘴でわたしの人差し指に長いキズをふたつもつくるという、マヌケなミッション・インコンプリート。近ごろ、ダメなトビが増えているのかもしれません。

最初のトビがハル・ブレインかジム・ゴードンだとすると、五月三日のトビはラス・カンケルかジョン・グェランあたりですな。トビの世界でも、ドラマーと同じように、素晴らしい技術を持つのはごく一握りなのだということがよくわかりました。

いや、そういう話をしたかったのではないのです。人差し指にバンドエイドを巻くと、タイピングしづらい、つまり、更新をサボった理由のひとつは、ラス・カンケルやジョン・グェランと同類の、技術をもたないドジなトビにケガをさせられたためだった、といいたいのです。

◆ シャドウズ盤 ◆◆
かつてインスト・バンドというのは教育機関のようなものでした。「機関」が大げさなら、音楽史の教科書といいかえてもかまいません。しかし、音楽の基本的な構造も教えてくれるという意味で、わたしとしてはやはり、学校か塾のようなものだといいたくなります。

ヴェンチャーズにもずいぶんたくさん古典を教えてもらいましたが、Breeze and Iは「もうひとつの塾」であるシャドウズで知りました。ややパセティックな曲調からいって、これは当然のことで、ヴェンチャーズ向きではなく、シャドウズ向きの曲なのです。

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ハンク・マーヴィンはいつものとおりのプレイぶりです。低音部でのプレイからスタートして、ひとまわりすると1オクターヴ上げ、あとは下がったり、上がったり、ミュートを使ったり、というあのスタイルです。たいしたサウンドだと思います。こういうギターを聴けば、自動的に、あっ、シャドウズだ、と思うのですから。フェンダーを弾いても、バーンズを弾いても、基本的には同じ色彩を保っているのも、ハンク・マーヴィンのサウンドとスタイルが強固につくられたものだったことを証明しています。

うちにはシャドウズのThe Breeze and Iは3種類あります。編集盤のLPヴァージョン(オリジナルはシングルのみのリリースだったらしい)ではモノーラルですが、Complete Singles A's and B'sとWith Strings Attachedという2種類のCDでは、ステレオになっています。

LP時代にはモノ・ミックスだった理由は、CDを聴くとよくわかります。ひとつのチャンネルにドラム、ベース、アコースティック・ギター、カスタネット、フルートがかたまり、もういっぽうはハンク・マーヴィンのリードだけ、というむちゃくちゃなバランシングだからです。つまり、もともとステレオ・ミックスは想定していないのです。

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オランダ盤"Dance with the Shadows" LP. ジョン・ロスティルがいないトリオのシャドウズの写真。70年代以降のシャドウズのことをさっぱり知らないのだが、こんな時期があったのかもしれない。

しかし、わたしのもっているLPがいい加減なマスタリングのものだったのかもしれませんが、音の表情がいいのは、Complete Singlesのものです。CDどうしを比較してもそう感じます。バランシングはいただけませんが、ハンク・マーヴィンのギターを聴くには、Complete Singles A's and B's収録のステレオ・ミックスThe Breeze and Iがいちばんいいのではないでしょうか。

◆ シャドウズのそのまたシャドウ ◆◆
Guitar Maniaというオムニバスに入っていただけなのですが、エクスプロージョン・ロケッツというギター・バンドのThe Breeze and Iもあります。

The Breeze and I by the Shadows その2_f0147840_1948824.jpg他の作業をしながら流していて、「あれ? シャドウズのThe Breeze and Iにはオルタネート・テイクがあったんだっけ?」と思ったくらいで、エクスプロージョン・ロケッツのThe Breeze and Iは、恥も外聞もあらばこそ、シャドウズ盤の臆面のないコピー、正真正銘の盗品です。アレンジとサウンドとギターのプレイ・スタイルに著作権があれば、告訴されるでしょう。

しかし、こういうバンドは、アマチュアなら世界中にたくさんあるはずです。日本にはいまでも、そこらじゅうにヴェンチャーズ・コピー・バンドがあるように、オランダではシャドウズのコピー・バンドが必要とされたというだけのことでしょう。コピーものとしては健闘しています。非常によくできたニセモノですが、それだけに罪は重いといえます。

The Breeze and I by the Shadows その2_f0147840_19501052.jpg同じようにリヴァーブをきかせたギター・サウンドでも、ジム・メシーナ&ヒズ・ジェスターズのほうがずっと楽しめます。まあ、わたしという人間が、こういうリヴァーブ・ドレンチト・サーフ・サウンドを聴いた瞬間、精神年齢があの時代にもどってしまうというだけでしょうけれど、この手のものとしても、メシーナのThe Breeze and Iはよくできたほうだと思います。

しかし、これ、ちょっと微妙な出来です。ドラムがうまくないので、考えこんでしまうのですが、スタジオ・ミュージシャンの仕事であった可能性も否定できません。リードもがんばっていますし(ポコのときのメシーナを考えると、これほど弾けたはずがないと感じる)、セカンド・ギターとベースもなかなかです。どうであれ、こういうサウンドはいつでも歓迎です。

The Breeze and I by the Shadows その2_f0147840_1957644.jpg同じギターものでも、「同じ」というわけにはいかないのが、50ギターズ・ヴァージョン。「国境の南サウンド」で売った50ギターズなので、The Breeze and Iは取り上げて当然の曲です。アルバムMaria Elena収録なので、リードはトミー・テデスコですが、残念ながら、この曲では活躍しません。

とはいえ、もともと50ギターズはチーム・プレイを本分とし、リードのあざやかなプレイはボーナスにすぎません。50ギターズのThe Breeze and Iは、どうも、アレンジャーが困惑したか、ほかの曲で時間を使い果たしたかしてしまったかのようなレンディションなのが、ちょっと困りもので、アレンジによって、曲の流れに変化を生むにはいたっていません。そういうときは、トミーに目の覚めるようなパッセージを弾いてもらえばいいはずなのですが……。

スリー・サンズ盤The Breeze and Iは1961年のもので、50年代の彼らの盤とはちがい、比較的スムーズなつくりになっています。アコーディオン、べつのアコーディオン(低音域)、オルガン、ギター、そしてアコーディオンにもどるというリード廻しですが、遅滞なく、きれいに廻しています。いつもこうなら、BGMとしておおいに利用できるでしょうが、50年代はこうではないんですよねえ、残念ながら。このときはギターはもうヴィニー・ベルなのだろうと思います。

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◆ 異質なペダル・スティール・サウンド ◆◆
これをギターものといっていいかどうかわかりませんが、Sleep Walkで知られるサント&ジョニーのヴァージョンもあります。彼らのペダル・スティールは、なにがどうしてそうなったかはわかりませんが、ふつうのペダル・スティールの音はしていなくて、それが大きな特長となっています。

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キンクスのデイヴ・デイヴィス、プロコール・ハルムのロビン・トロワーという、ふたりのギタリストの話を読んでいて、同じだなあ、と思ったことがあります。どちらも、手作り的な工夫でディストーション・サウンドを得たのです。

デイヴィスは、「ほんものの」アンプとギターのあいだに、子どものころに使っていた、安物の小さなモニター・アンプをはさんだのだそうです。このモニター・アンプに過負荷をかける(要するにヴォリュームを最大にする)と音が割れ、それを本チャンのアンプで増幅して、You Really Got Meのあの独特のディストーション・ギターを生みだしたというのです。

トロワーの場合も、やはり「ほんものの」アンプとギターのあいだに、べつの小さなアンプをはさみ、この小型アンプのケーブルの一部をショートさせ、なかば壊れたアンプをつくり、その歪んだ音を「ほんものの」アンプで増幅したそうです。自分で工夫したことによって、それぞれが独自のサウンドを得たという点も重要でしょう。

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サント&ジョニーのペダル・スティールも、わたしはこのたぐいの細工をしているのではないかと考えています。ストレートなサウンドではなく、微妙にディストーションがかかっているような、独特の音になっています。

サント&ジョニーのThe Breeze and Iは、The Best Of The Restという盤に収録されたものですが、これはデータがまったくなく、そのくせ、値段は一枚物なのに3800円という法外さで(あんまり高くて目をむいたので忘れられない)、かなり怪しげな代物です。したがって録音時期が不明なのですが、いいアレンジでもなければ、バックのプレイも見るべきものがなく、初期の録音ではないかと感じます。いま、泥縄でディスコグラフィーを探したところ、彼らのThe Breeze and Iは1960年のシングルだと書いているところがありました。いかにもそのあたりのサウンドに聞こえます。

ペダル・スティールの音自体がノーマルではないので、このギター・デュオのサウンドは、カントリーにもハワイアンにも聞こえないのですが、The Breeze and Iはアレンジのせいで、パンクなハワイアンとでもいうムードになっています。「国境の南」から西の海にズレたような音です。アレンジとサウンドはいただけませんが、十数種類のThe Breeze and Iと並べてみると、変わり種として面白く感じられます。自分の土俵に持ち込むのはものすごくだいじなことでしょう。

そういう意味では、もうひとつのギターものThe Breeze and I、トーネイドーズ盤は、ジョー・ミークのプロデュースなのだから、当然、ミークの土俵で勝負しています。例によってよくわからない音が鳴っています。ヴァースのリード楽器はプリペアード・ピアノにイフェクトをかけたもののような気もしますが、あるいは、わたしの知らないキーボード楽器かもしれません。強固なサウンドを作り上げた人は、やはり強いと痛感するヴァージョンです。他人の物真似しかできない人もいますが、物真似だけはぜったいにしたくない、他人に似てしまうことを屈辱と感じる人もいるのです。

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VOX社のキーボード、Univox Concert Grand。トーネイドーズの不可解なサウンドの根源はこれ?

◆ ヘンリー・マンシーニ盤 ◆◆
昔のハリウッドのオーケストラというのはすごいものだなあ、とThe Breeze and Iでもため息が出ます。

The Breeze and I by the Shadows その2_f0147840_21391461.jpgやはり筆頭はヘンリー・マンシーニ盤でしょう。フルートとパーカッションだけではじまり、そこにベース、アコースティックおよびエレクトリックのギター、ウッドブロックなどが加わってくるときのサウンドの奥行きからしてもう、これはいい、と感じます。こういう小さなところでムムッと思わせる根源はなにかといえば、それはその土地のもつ音楽インフラストラクチャーの厚みなのです。

ポップ・オーケストラの場合、リード楽器の選択は重要です。フルートを引き継ぐのはストリングスですが、これが左右両チャンネルに、べつのラインを弾くふたつのグループに分けてあり、いつものように手を抜かない仕事ぶりです。途中から、ホルンを中心とした中低音域のブラスをストリングスに重ねる技も、基本に忠実。

しかし、ストリングスはあっという間に背後に退き、あの風変わりなオルガンがリードを引き継ぎます。Moon Riverで印象的なリード楽器として使われたオルガンのトーンです。そして、これまた左右両チャンネルに分配された複数のアコースティック・ギター(左チャンネルは12弦)がリードとなり、ストリングス、ブラスも加わって盛り上げたあと、イントロの小編成にもどってフェイドアウトします。まったく間然とするところのない、山あり谷ありの変化に富んだ、三分間のあざやかなドラマです。

盤にはパーソネルがついているので、スキャンしておきました。

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The credits for "The Latin Sound of Henry Mancini" 2月8日のメンバーを基本にし、その他の日は部分的に入れ替えて読む。The Breeze and Iはトラック8なので、2月23日のメンバーによる録音。したがって、ドラムはシェリー・マン、ベースはレッド・ミッチェル。このウェストコースト・ジャズ生き残りのベース・プレイヤーは、ポップ系セッション・ワークもかなりしたようで、キャロル・ケイによると、ボビー・ジェントリーのOde to Billie Joeのベースはミッチェルだという。

◆ その他のオーケストラもの ◆◆
The Breeze and I by the Shadows その2_f0147840_21544484.jpgレス・バクスターのThe Breeze and Iは、ヘンリー・マンシーニ盤より十年ほど前にあたる1956年に録音されていますが、やはりハリウッドという土地の強さを感じさせてくれるサウンドです。ハリウッドのオーケストラ音楽がみなステレオ録音になる、ブームの時代の直前に録音されているのは残念ですが、残念だと感じるのは、もとがいいので、もっといい音になる可能性をもっていたからにほかなりません。

とくにイントロのストリングスはいいアレンジなので、広がりのある音で聴いてみたかったと思いますし、冒頭のピアノ・ソロのあとでストリングスが入ってくる瞬間もなかなか魅力的です。1:30というランニング・タイムなので、はじまったと思ったらもう終わっているようなヴァージョンですが、それはそれで、さっと風が吹き抜けたようなさわやかさがあります。

The Breeze and I by the Shadows その2_f0147840_21562913.jpgエスクィヴァル盤は、この人の珍なところがいいほうの目を出した仕上がりです。今回並べたヴァージョンのなかではテンポの速い部類で、冒頭のピアノのせわしないオブリガートからしてもう、いかにもエスクィヴァルだなあ、という味があります。途中でラテンになったり、なんの脈絡もなくペダル・スティールが飛び込んできたりするところも、エスクィヴァルならではです。NYのオーケストラも、それほどレベルが低かったわけではないことは、エスクィヴァルとイノック・ライトの盤を聴くとわかります。たんに、ハリウッドがすごすぎただけなのです。

The Breeze and I by the Shadows その2_f0147840_22142081.jpgベルト・ケンプフェルト盤は1964年のものなので、深いリヴァーブのかかったフラット・ピッキングのフェンダー・ベースが印象的です。録音自体は悪くありませんが、どの楽器も同じような強度で、サウンドに奥行きが感じられないところは、やはり、ハリウッドとは比較にならないと感じます。

1950年代後半から60年代にかけての、ハリウッドのポップ・オーケストラはひとつの文化というべきもので、他の国はいうまでもなく、ニューヨークやナッシュヴィルといったアメリカの他の音楽センターでも、とうてい太刀打ちできるものではありません。オーケストラというのはいわば「総合力」の勝負なので、インフラストラクチャーの厚みがもっとも端的にあらわれるのです。

ヘンリー・マンシーニ盤The Breeze and Iが録音された、ハリウッドのRCAのスタジオは、RCA Victor's Music Center of the World、すなわち、RCAヴィクター世界音楽中心スタジオと名乗っています。なにを口幅ったいと思う方もいらっしゃるでしょうが、これは正真正銘、掛け値なしのスタジオ名です。オーケストラを鳴らすなら、ハリウッドのRCAのスタジオA(「クラシックのRCA」を支えたスタジオ)しかない、臨時のオーケストラを編成するならハリウッドしか考えられない、そういう時代が厳然としてあったのです。

スタジオの設計、最新最良の機材、質的に最良にして量的に世界最大のミュージシャン・プール、上は作曲家、アレンジャーから、末端は、パート譜を起こすコピーイスト会社、一日のあいだに、スタジオからスタジオへと移動するミュージシャンの楽器運搬を代行する搬送会社、楽器や機材の販売と補修・改造をするプロショップにいたるまで、すべてが隙なく、そして分厚い層を成して整っていた土地は、ハリウッドしかなかったのです。それが、ほかのどんな形式よりも、ポップ・オーケストラのサウンドとして表現されたのだから、他の都市でつくられた音楽を圧倒して当然なのでした。
by songsf4s | 2008-05-07 22:30 | 風の歌