Who Put the Bomp (in the Bomp Bomp Bomp) by Barry Mann
タイトル
Who Put the Bomp (in the Bomp Bomp Bomp)
アーティスト
Barry Mann
ライター
Barry Mann, Gerry Goffin
収録アルバム
Who Put the Bomp in the Bomp Bomp Bomp
リリース年
1961年
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昨日の「ちょいといけます」に引きつづき、タイトルはおろか、歌詞にも、fool, silly, dumb, ridiculousといった言葉はいっさい出てこない馬鹿ソングを取り上げます。

では、サウンドが馬鹿っぽいのかというと、かならずしもそうとはいえず、どこかに明々白々たる馬鹿っぽさがあるとしたら、バリー・マンの歌い方だけでしょう。

しかし、これはある意味で究極の馬鹿ソングであり、あまたある馬鹿ソング仲間のみならず、仕事にあくせくする作者たち自身も含め、複雑なポップ・ミュージック複合体全体を、永遠に高みから睥睨する、メタ馬鹿ソングでもあるのです。

◆ 世にもブガティーブガティーな歌詞 ◆◆
まずは、歌がはじまるまえの前付けヴァース。

I'd like to thank the guy
Who wrote the song
That made my baby
Fall in love with me

「あの娘をぼくに惚れさせた歌を書いてくれた男に、ぜひとも礼がいいたいものだ」

と、ソングライター自身が書いたのだから、大笑いしたくなりますが、まだ若く、ストラグルの毎日を送っていた彼らとしては、すこし泣きの入った前付けだったのかもしれません。あるいは、若い鵜の群をみごとにあやつり、あがりの大部分を自分の懐に収めていた稀代の鵜飼い、ドン・カーシュナーの不誠実な伝票処理を、すでに直感的に嗅ぎ当てていたのか?

こういう話は、いつも歌詞が終わったあとに書くのですが、なんせポップ・ソングそのものを題材としたメタ・ポップ・ソングなので、ちょっとお先走りをしてしまいました。

それでは歌に移ります。コーラスから入る構成です。

Who put the bomp
In the bomp bah bomp bah bomp?
Who put the ram
In the rama lama ding dong?
Who put the bop
In the bop shoo bop shoo bop?
Who put the dip
In the dip di dip di dip?
Who was that man?
I'd like to shake his hand
He made my baby
Fall in love with me

「バンバババンバンにバンをプットしたのはだれなんだ? ラマラマディンドンにラムをプットしたのだれなんだ? バッシュバッシュバーにバップをプットしたのはだれなんだ? ディッディッディディップにディップをプットしたのはだれなんだ? いったいだれなんだ、その男に握手したいよ、彼のおかげで彼女はぼくのものになったんだから」

書いていて馬鹿馬鹿しくならないかって? そりゃなりますよ。こういうナンセンス・シラブルをカタカナに変換すると、ATOKの辞書も汚れますしね。いやまあ、そんなことはいいのですが。でも、つまるところ、これは馬鹿ソング特集なので、歌詞が馬鹿だからといって、作詞家を責めるわけにはいかないのです。それこそ、こんな馬鹿な歌詞を書いてくれた男に握手しなければいけない立場に、わたしもあるのですよ。

で、このヴァースがバンバババッパするところは、見たとおり、ディッパディッパドゥーなのですが、そんなラマラマディンドンばかりいっていては、ブロガーの役目はブガティブガティーシューになってしまうので、ちょっとだけシュルンドゥビドゥーしておきます。

後年、60年代を代表する名作詞家といわれることになるジェリー・ゴーフィンのことですから、ただ馬鹿げたナンセンス・シラブルを書いて、仕事を早く切り上げようとしたわけではないことは、あとにいけばわかりますので、ひとまずここはラーマラマブガティーしてください。

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◆ なんたるディップディディディップディ! ◆◆
やっとたどりついたファースト・ヴァース。

When my baby heard
"Bomp bah bah bomp bah bomp bah bomp bah bomp bomp"
Every word went right into her heart
And when she heard them singin'
"Rama lama lama lama rama ding dong"
She said we'd never have to part
So

「彼女があの『バンバーバーバン、バーバンバーバンバーバンバン』を聴いたとき、言葉のひとつひとつが心に染みこんだ、そして、彼らがあの『ラーマラーマラマラマディンドン』をうたったところで、彼女はいった。『わたしたちはずっといっしょにいなきゃいけないのよ』。だから……」

といって、コーラスにつづくという構成です。

文字にすると、どうってことはないのですが、音だとなんとも可笑しくて、あまりの可笑しさに、人間てえのは哀しい動物だなあ、ラーマラーマラマラマディンドンで一生の大事が決まっちゃうんだから、なんて、襟元が涼しくなったような、うら悲しい気分になることすらあります。つまり、みごとに一場のコメディーを演出したヴァースだということです。

コーラスは最初のものと同じなので飛ばして、セカンド・ヴァースへ。

Each time that we're alone
Boogity boogity boogity
Boogity boogity boogity shoo
Sets my baby's heart all aglow
And everytime we dance to
Dip di dip di dip
Dip di dip di dip
She always says she loves me so
So

「二人きりになるたびに、あのブガティーブガティーブガティーブガティーブガティーブガティーブガティーシューで彼女のハートは燃え上がる、そして、ディッパディッパディップディッパディッパディップに合わせて踊るたびに、彼女はいつも『あなたのことがメチャクチャに好き』というんだ、だから……」

最後のSoは、またコーラスにつながっています。

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左からドン・カーシュナー、バリー・マン、ジェリー・ゴーフィン、アル・ネヴィンズ

◆ 永遠にラマラマディンドン ◆◆
サード・ヴァースのかわりに、セリフが入ります。

Darling, Bomp bah bah bomp bah bomp bah bomp ba bomp bomp. And my honey, lama lama ding dong forever. And when I say, dip di dip di dip, you know I mean it. From the bottom of my heart Boogity boogity boogity shoo.

「ダーリン、バンパバンボパンボバン、ぼくのハニー、永遠にラマラマディンドンするよ、それに、ぼくがディップディディップディディップディといったら、ただの言葉じゃなくて、本気なんだ、心の底からブガティーブガティーブガティーシューするよ」

このセリフがポイントで、ジェリー・ゴーフィンがこの曲でいいたかったことはここに凝縮され、また、作詞意図の説明にもなっていると思います。このセリフのナンセンス・シラブルは、いずれもI love youで置き換えると、すっきり意味がわかるようになっています。

結局のところ、ポップ・ソングの歌詞はI love youの言い換えにすぎず、いくらがんばっても、I love you以外の歌詞を書くことはできない、リスナーが望んでいるのはただ一言、I love you foreverだけなのだから、といったあたりの受け取り方でよろしいのではないでしょうか。

◆ オールドンのクリーンアップ・トリオ ◆◆
ジェリー・ゴーフィンとバリー・マンという組み合わせでは、やはりオールドン・ミュージックという音楽出版社の話にならざるをえませんな。もう時間がないので、駆け足で。

オールドン・ミュージックというのは、アル・ネヴィンズ(スリー・サンズのギタリスト。ヴィニー・ベルはネヴィンズの後任だった)とドン・カーシュナーなる人物が設立した会社で、ニール・セダカとハワード・グリーンフィールド、ジェリー・ゴーフィンとキャロル・キング、バリー・マンとシンシア・ワイルといった、すぐれたソングライター・チームを擁し、60年代前半のアメリカ音楽産業をハリケーンのごとく席巻しました。

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オールドン一家記念写真。だれがだれなのかよくわからないが、後列左から3人目がルー・アドラー、その隣がアル・ネヴィンズ、その隣がドン・カーシュナー夫妻。

オールドンのウェストコースト・オフィスをあずかっていたルー・アドラーがいっています。NYから届いた曲を、たとえば、ボビー・ヴィーとそのプロデューサーのスナッフ・ギャレットのところにもっていく、ギャレットが「オーケイ、これを録音しよう」といったら、「それはけっこうだけれど、うちとしてはB面もいただきたい」といい、ギャレットが「それは困る」といったら、「では、その曲はよそへもっていかせてもらいます」といえる立場にあったのだそうです。

シングルのA面とB面は、印税配分では平等です。A面がヒットして盤が売れれば、たとえB面が魚雷がどうしたとかいうアホ馬鹿インストでも、同じ配分で印税が支払われます。だからオールドンは、かならずB面にも自社の曲を使えと強制したと、ルー・アドラーはいっているのです。プロデューサーとしては、これは拒否したいのです。自分が書いた曲をすべりこませれば、たっぷり儲けられるわけで、制作者側の既得権だったのですが、オールドンはそれすらも奪ってしまう力をもつにいたったというしだい。

f0147840_0145850.jpgで、その会社の3番打者チームの作曲家がバリー・マン、4番打者チームの作詞家がジェリー・ゴーフィンです。まだ夫婦単位のチームが固定化していなかったのか、はたまた鵜飼いの気まぐれか、この組み合わせは稀で、ほかにあと1、2曲しか共作を確認できないと、マン=ワイル研究家の某氏がAdd More MusicのBBSに書いていました。でも、このWho Put the Bompを残せば、このチームはあとはなにもつくらなくてもオーケイです。よくぞ書いたり、よくぞうたったり、よくぞリリースしたり、です。

でも、二人がなにを思って、Who Put the Bompを書いたのか、ちょっときいてみたい気はします。ソングライターのことも忘れないでくれ、という願いなのか、俺たちはなんてくだらない仕事をしているのだろうか、というボヤキなのか、所詮、リスナーが聴きたいのはI Love Youだけだ、俺たちは毎日そういうものを書いてメシを食っているのさ、という自嘲なのか。

もちろん彼らは、この曲が自分たち自身を標的にしていることを自覚していたでしょう。でも、あの1961年という時点までさかのぼって考えると、この曲には「仮想敵」があったような気もします。それは旧世代のソングライターたち、現在、スタンダードといわれている楽曲群を書いた、いわゆる「ティンパン・アリー」の人びとです。

このあと、バリー・マンは夫人のシンシア・ワイルの作詞により、We've Gotta Get Out of This PlaceやMagic Townといった、一群のソーシャル・コンシャスな曲で、いわゆるブリルビル系ライターのなかでは異彩を放つことになります。ジェリー・ゴーフィンのほうは、60年代後半にあのGoin' Backを書きます。いろいろな技は弄しても、結局、目的地はI Love Youでしかない、ティンパン・アリー流のポピュラー・ソングに違和を感じていなければ、Who Put the Bompのような曲は書かなかったのではないでしょうか。

◆ どうせ馬鹿なら ◆◆
この曲については、かつてAdd More MusicのBBSで、二度にわたって大熱弁をふるってしまい、またそれを繰り返す気力がないのですが、多少は盤としての出来にもふれておかねばならないでしょう。

バリー・マンといえば、ソングライターということになっていますが、わたしは、シンガーとしても好きです。ただし、また、おおいなる異論があることを承知で書かざるをえませんが、いわゆるシンガー・ソングライター的なノリでつくられた後年のアルバムは、わたしには退屈で、好きなのはこのWho Put the Bompの時期、お気楽なティーンポップをうたっていたころだけです。

なんせ、この時期は、時代の気分なのでしょうが、むやみに元気なんです。シンガーとしてのバリー・マンの代表作は、もちろんこのWho Put the Bompですが、同じLPに入っている、War PaintやFind Another Foolなんかもじつに楽しい曲で、思わず、ゴミもホコリもチリもすべて詰め込んだ3枚組CDまで買ってしまったほどです。

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ドン・カーシュナー、シンシア・ワイル、バリー・マン。伝説に反し、このようにオールドンのオフィスで曲を書いたのはごく初期だけで、すぐに自宅で書くようになったという。そりゃそうでしょう。フロアじゅうにピアノが溢れていて、お互いの音が入り混じり、なにを弾いているかわからなかったというのだから!

Who Put the Bompを聴いて思うのは、バリー・マンは献身的シンガーだということです。あの馬鹿馬鹿しいセリフは、馬鹿馬鹿しいがゆえに、投げやりに、または、控えめにやったら、面白くもなんともなくなってしまいます。そういう芸事の原則をよく承知していたのでしょう、バリー・マンは大オーヴァーの熱演で、ブガティーブガティーシューだの、ラマラマディンドン・フォレヴァーだのといって、恋人に迫っています。

こういうときに、「おまえだって木の股から生まれてきたわけじゃあるまい、父もいれば母もいるだろう、恥を知れ、恥を」なんていっちゃいけないのです。照れて、フテて、投げやりにやってもしかたありません。やるなら、本気の熱演あるのみ。馬鹿をやるなら、どこまでも馬鹿に徹すること。そうじゃなければ、馬鹿をやる甲斐がありません。

もうひとついっておきたいのは、バックのサウンドです。ビートも重く、ドラムとギター・カッティングが生みだすグルーヴも軽快で、じつによくできたトラックです。ベース・ラインをサックスでなぞるサウンドも、60年代初期のものでたまに見かけるだけのスタイルですが、わたしは大好きです。じつにいいサウンドだと思うのですがねえ。

勢いのあるグルーヴに乗って、バリー・マンのヴォーカルも気持ちよさそうだし、バック・コーラスもまじめに馬鹿をやっていて、ティーン・ポップ特有のふやけた甘さのいっさいない、じつに好ましいプロダクションです。まじめにつくっておけば、半世紀たっても腐らないものだなあ、と感じ入ります。

◆ ソングライター長屋物語 ◆◆
便利なので、つい、わたしも「ブリル・ビル」という言葉を使ってしまいましたが、それはとんでもない見当違いなのだと、ブリル・ビル系の代表と名指しされるライターのひとり、ドク・ポーマス(Save the Last Dance for Me)がいっているそうです。

f0147840_044046.jpg「ブリル・ビルはロックンロールの故郷だとかいう話をしょっちゅう耳にする。まったくそんなことはない! ブリル・ビルは、あの古くさくて野暮なブロードウェイ・ミュージカルのライターたちの住み処だ。それに、連中はわれわれのことが大嫌いだったのさ」

古くさいティンパン・アリー系のポップ・ミュージックと、60年代のロックンロール・ソングを区別する言葉として、「ブリル・ブル」が持ち出されるのですが、ドク・ポーマスは、じっさいには、ブリル・ビルはティンパン・アリーが高層ビルになっただけの場所だといっているのです。

これには、あちゃあ、でした。ブリル・ビルって、考えてみると、典型的なアール・デコ様式の建物なんですよね。アール・デコといえば、1930年代の様式です。なるほど、ファサードの写真を見ただけで、ここはロックンロールが生まれる場所ではない、と直覚しなければいけなかったのでした。

いつも思うのですが、だれかがなにかをいったからといって、それを検証せずに踏襲してはいけないのです。こういう実体と乖離した言葉というのは、そこらにゴロゴロしているわけでしてね。ほら、「バーバンク・サウンド」なんてありもしない絵空事だと、以前、いったでしょ。あれと同じです。まあ、音楽のことなら罪は軽いのですが、政治だの行政だのはこればかりですから、お互い、眉だけはつねに濡らしておきましょう。

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モート・シューマン(左)とドク・ポーマス。この人は妙に気になる。伝記があるなら読んでみたい。モート・シューマンも、後年、フランスに渡り、シャンソン歌手モルト・シューマンに変身するという、わけのわからない一生を送った。

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by songsf4s | 2008-04-17 23:55 | 愚者の船