- タイトル
- Pity the Fool
- アーティスト
- The Butterfield Blues Band
- ライター
- Deadric Malone
- 収録アルバム
- The Resurrection of Pigboy Crabshaw
- リリース年
- 1967年
- 他のヴァージョン
- Bobby Bland, Stevie Wonder, Ann Peebles
今日は時間がなかったので、できるだけ簡単な曲をやろうとあれこれ選ぶのにエラい時間を食ってしまい、本末転倒と相成り候。こういうときはインストがあるといいのですが、こはいかに、純粋なインストは一曲、ジェリー・ゴールドスミスのサントラものだけ。あとは、歌詞のある曲のインスト・カヴァーばかりで、この方針は挫折。
じゃあ、バックグラウンドについてなにも調べたり書いたりする必要がないものを、と思ったのですが、なかなか適当なものがなく、一曲、これだ、と思ったのは大河小説みたいな歌詞でへこたれてしまい、またも挫折。
230曲も載せてあるプレイヤーの表示をずーっと見ていき、バターフィールド・ブルーズ・バンドの名前が目に入って、これだ! ブルーズなら大丈夫だ、となったのでありおりはべりけり。つまり、あってもなくてもかまわないような歌詞だということです!
どういうわけか、昔の国内盤LPでも、最近のCDでも、The Resurrection of Pigboy Crabshawでは、Pity the Foolと、Iが抜けているのですが、この曲の正式なタイトルというか、他のヴァージョンはI Pity the Foolとなっています。
◆ 二種類のフール ◆◆
ブルーズというのは、ヴァースがあって、コーラスがあって、セカンド・ヴァースのあとにブリッジ、なんていうノーマルな構成でははじめからないのですが、この曲は、途中、ワン・コードになってぐるぐるまわる袋小路まであるアブノーマルな構成なので、適当に切っていきます。どうせ短いのです。
I pity the fool that falls in love with you
And expects you to be true, I pity the fool
「おれは馬鹿者を憐れむね、おまえに惚れたあげく、おまえが裏切らないなんて期待するような馬鹿者を憐れむよ」
まあ、よくあるパターンということで、つぎへ。F7のみのワン・コードの箇所。
I know you wonder what they're doing
They're just standing there
Watching you make a fool out of me
「あの連中を見ろよ、なにをやっているのか不思議だろう? あいつらはあそこに立って、おまえがどうやってオレを騙すかと見守っているのさ」
やや意外なところにいきました。衆人環視だということは、酒場かなにかという設定でしょうか。
もう一回、以上のワン・コードのパートを繰り返し(なぜだ、なんてきかれても、答えようがありません。たぶん、歌詞が短すぎるからでしょう!)、最後のパートへ。
I pity the fool
I pity the fool who falls in love with you
You'll break his heart one day
Then you'll laugh and walk away
「おまえに惚れる愚か者は可哀想だな、いずれ、おまえはそいつをふって、高笑いしながら去っていくことだろうよ」
これで歌詞はすべてで、あとは適当に繰り返したり、あれこれソロ廻しなどして引き延ばします。
この歌詞にいくぶんか興味深いところがあるとしたら、「ふたつのfool」でしょう。愚か者という意味のfoolと、to make a fool (out) of ~という成句での「騙す」という意味のふたつです。後者の意味ではto play the fool with ~という成句もあります。この意味でfoolを使った馬鹿ソングにも有名なものがいくつかありますが、それはいずれその曲が登場したときに。
◆ ドラスティックな方向転換 ◆◆
看板にはポール・バターフィールド・ブルーズ・バンドを立てました。いや、このアルバムからポールがとれて、ただのバターフィールド・ブルーズ・バンドになったのですが、名前だけでなく、編成もガラッと一新し、その結果として、サウンドとスタイルまで、まったくべつのバンドのように大きく変わりました。
マイケル・ブルームフィールドが抜けて、ギターがエルヴィン・ビショップひとりになり、これではいかになんでも弱いと思ったのか、シカゴやBS&Tや、あるいはマイケル・ブルームフィールドのイレクトリック・フラッグの影響か、ホーン・セクションが加わったのです。
前作までのPBBBは、そういってはなんですが、マイケル・ブルームフィールドのバックバンドという雰囲気で、わたしなんぞは、ブルームフィールドのギターしか聴いていませんでした。ああいう人ですから、ほかの音はどうしたって霞んでしまうのです。
ブルームフィールドが抜けたことはわかっていたので、わたしも相当慎重になり(なんせまだ中学生なので、盤一枚買うのにも悩んで悩んで悩み抜いた)、めったにしない試聴までしました。アルバム・オープナーのOne More Heartacheは、意外にも、じつに好みのサウンドでした。でも、オープナーだけはどんなアルバムでもそこそこはいけることになっているので、裏を返して(って、遊郭かよ)、B面の頭も聴きました。このRun Out of Timeがまたカッコよくてねえ、ブルームフィールドはいないけれど、これはこれでいいや、買っちゃえとなったしだいです。
どこが気に入ったかというと、アップテンポで、ホーンが入り、そして、びしびし攻める音になっていたことです。さらにいうと、シカゴやBS&Tは「ブラス・ロック」などと日本では呼ばれていて、その名のとおり、金管が目立ちました。金管は嫌いなんです。それに対して、PBBBはあくまでも「ホーン・セクション」、木管が勝ったサウンドなのが、好みに合っていました。
何度か書きましたが、わたしは基本的にはブルーズは聴かない人間です。マイケル・ブルームフィールドは、ブルーズとかなんとか、そういう些事とはまったく無関係に、ただただすごかったから聴いただけです。しかし、お立ち会い、ホーンが入ると、これが大逆転を起こし、ブルーズが大好きになってしまうのです。
そのそもそもの淵源はどこにあるかというと、たぶん、ラスカルズのOnce Upon a Dreamに入っていた、Singing the Blues Too Longのホーン入りアレンジメントだと思います。これに惚れこんで、それからは、ホーンの入ったブルーズだけは聴くようになったのです。いや、ホーン入りブルーズの経験は、このPBBBのサード・アルバムが、ラスカルズにつぐ二度目だったはずですが、これですっかり「定着」しました。PBBBの4枚目もホーン入りブルーズで、これまたいまでも大好きなアルバムです。
◆ サウンドとスタイルの変化 ◆◆
このThe Resurrection of Pigboy Crabshawから、サウンドを変えたのを契機に、ポール・バターフィールドは、すこしうしろに退くことに決めたように思えます。他のシンガーがリードをとることが多くのなるのです。
I Pity the Foolのヴォーカルは、バターフィールドではなく、どっちがどっちなのか区別がついていないのですが、ベースのバグジー・モーフか、ドラムのフィリップ・ウィルソンです。たぶん、バグジーのほうでしょう。
歌のうまい下手はともかくとして、すくなくとも不快な声ではありません。つぎのアルバムに収録されたMine to Loveなんか、なかなかの歌いっぷりだったと思います。わたしは、この時期のバターフィールドのヴォーカルより、バグジー・モーフの歌のほうが好きです(ポール・バターフィールドの歌は、ソロになってからのほうがはるかにいい。ベアズヴィルのソロ・デビューを聴いてビックリ仰天した)。
1967年はサイケデリックの年です。この時期から、低音を強調したサウンドが目立つようになり、その結果として、キック・ドラムとベースのタイミングをきれいにそろえることが流行しました。そういうタイミングの取り方が最初に耳についたのは、サム&デイヴのHold on I'm Comin'か、このPBBBのアルバムThe Resurrection of Pigboy Crabshawでした。記憶を掘り下げてみましたが、どうもほぼ同時期に買ったらしくて、どちらが先だったのか、どうしても思いだせませんでした。
I Pity the Foolは、そうした、この時代からはじまったタイミングの取り方にはなっていませんが、低音部の重さには、いかにもこの時代らしいムードが出ています。フィリップ・ウィルソンというのは、それほどうまいドラマーではないし、ときおり困ったミスもやらかすのですが、タイムはまずまずなので、あまり気を散らされることもありません。
マイケル・ブルームフィールドがいなくなってみて、はじめてエルヴィン・ビショップというギタリストの存在に気づいたのも、このアルバムの収穫でした。いや、好きか嫌いかというなら、「好きではない」ギタリストですが、とにかく特徴的で、ブルームフィールドとは正反対の意味で、どこにいてもすぐにわかるサウンドとプレイです。
ブルームフィールドは、だれにも真似できない、ハイパー・スリックな、よく「うたう」軽快かつ豪快なランを特長としていますが、エルヴィン・ビショップはまさにその正反対、蹴つまずき蹴つまずき、なんとか倒れないようによろめき歩くのが精いっぱいで、ぜったいに疾走しないタイプのギタリストです。「ラン」と呼べるようなものはいっさいしません。
もって生まれた資質というのもあるでしょうが、たぶん、ブルームフィールドの隣で弾いていたために、こういうスタイルを「否応なく」発展させなければならないハメに追い込まれたのだろうと思います。ランをやったら、天下無敵のマイケル・ブルームフィールドの土俵に引っ張り込まれてしまい、ぜったいに勝てるはずがありません。
わたしは、もちろん、マイケル・ブルームフィールドの大ファンなので、エルヴィン・ビショップのソロ・アルバムを買おうなんて気を起こしたことはただの一度もありませんが、それでも、バンドのなかにこういう拗ね者のギタリストがいて、なんのつもりだよ、そのむちゃくちゃなリックは、と呆れるようなプレイをすることは、非常に面白いと感じます。
マイケル・ブルームフィールドに似たプレイをする人もいませんが、エルヴィン・ビショップに似たプレイをする人もいないでしょう。お互いに正反対の意味で、真似手のいないギタリストが二人もいたPBBBというバンドは、じつに興味深い存在です。
◆ スカウトマン、ポール・バターフィールド ◆◆
ポール・バターフィールドという人は、なかなかの伯楽でした(いつも思うのだが、「名伯楽」というのは、非明示的なトートロジーではないか。名人だから「伯楽」というのであって、そこに名人を重ねるのはよぶんだろう)。
そもそも、マイケル・ブルームフィールドからして、バターフィールドがPBBBに引き入れたわけですし、このThe Resurrection of Pigboy Crabshawというアルバムでは、デイヴ・サンボーンを見つけだしていますし、さらに、エルヴィン・ビショップが抜けたあとは、まだ十代だったバジー・フェイトンを起用します。耳がいいからでしょうが、惚れやすくもあるのでしょう。
わたしはフュージョンというものは金輪際聴きませんが、あちらの方面ではデイヴ・サンボーンは非常に有名らしいので、付言しておきます。このルーキーとしての仕事でも、サンボーンは耳に立つプレイをしています。
しかし、ルーキー時代のサンボーンの代表的プレイは、PBBBのつぎのアルバム、In My Own Dreamのタイトル・カットにおける長いソプラノ・ソロでしょう。駆け出しのころ、サンボーンがどのようなプレイをしていたのか知りたいのなら、そちらをお聴きになるようにお奨めします。サックス・ソロの大嫌いなわたしが(いや、うまい下手の判断はできる。たんに単体のサックスの下品なトーンが嫌いなだけ。サックスは複数がいい)、当時、周囲の友人たちに、このソロを聴け、といって大騒ぎしたプレイです。栴檀は双葉より芳しというべきでしょう。
よぶんな話ですが、わたしは実証主義を旨としています。鎌倉の若宮大路に生えている栴檀の大木の葉に鼻に近づけてみましたが、どこが芳しなんだよ、とクウェスチョン・マークを数十個ばかりまき散らしました。双葉のとき「だけ」芳しなのでしょうか? 花のほうもやはり香らず、謎のことわざです。しいて想像すると、葉を揉んでみるといいのかもしれません。樹木も公共物も傷つけられない人間なので、そこまではしませんでした。余談おしまい。
◆ 他のヴァージョン ◆◆
ほかに数種類のI Pity the Foolをもっていますが、とくに面白いものはありません。この曲はいちおう、ボビー・ブランドの持ち歌ということに世間ではなっているようで、たとえば、ライノのLP時代のオムニバス・シリーズ、Soul Shots Vol.7 Urban Bluesという盤は、ブランド盤I Pity the Foolを選んでいます。まあ、悪くはない出来ですが、サウンドに面白味はありません。ただのブルーズ・シンガーがうたう、よくあるブルーズです。
もっとも、注目すべきことがひとつだけあります。ブランド盤のホーン・ラインが、そのままPBBBに受け継がれているのです。この時期のPBBBのホーン・アレンジはなかなか面白くて、わたしはいまでもホーン・ラインをいっしょに歌えるほどです。でも、The Resurrection of Pigboy CrabshawやIn My Own Dreamの他のトラックにくらべると、I Pity the Foolのアレンジはシンプルすぎて、退屈だと思っていましたが、ブランド盤を聴いて、この疑問は氷解しました。
こういうことのために、好きでもないアーティストの盤を買わねばならないわけで、ヘンリー・ミラーがかつていったように、「読書とは愚作の大海にどっぷり浸かることである」なのです。いや、リスニングとは、愚作の海に溺れながら、海底から小さな貝を拾い出すに等しいことなのです。ボビー・ブランドは、スティーヴ・ウィンウッドがトラフィック時代にカヴァーした、Blind Manもやっているので、好きも嫌いもなく、どちらにせよ、買うしかなかったのですが。
スティーヴィー・ワンダーのものは、アルバムI Was Made to Love Herに収録されたもので、彼の絶頂期のものですが(えーと、67年録音でしたっけ?)、モータウンの文脈においてみると、ブルーズっていうのは浮くなあ、と思う出来です。モータウンというのは、R&Bですらなく、ブラック・ポップだったので、そういうサウンドでこういう地味な曲をやると、なんだか尻がむずむずします。
アン・ピーブルズというと、I Can't Stand the Rainしか知らないので、HDDの検索結果を見て、いったい、どこからこんなものが湧いて出てきたのかと首を傾げたら、ハイ・レコードの3枚組に入っていました。I Can't Stand the Rainはちょっとパセティックすぎる歌い方で、好みではないのですが、この71年録音(プロデューサーはウィリー・ミッチェル)のI Pity the Foolは、それほど気になる歌い方ではありません。いや、だからといって、好きになるほどでもありませんが。
しかし、70年代のハイのサウンドは概して好きなので(だから、3枚組なんか買ったわけでして)、アン・ピーブルズとは関係なく、これはこれで悪くないか、と思います。南部らしいナスティーなところのあるサウンドですが、それがいきすぎではなく、ほどのよいところに収まっているのが好ましく、グルーヴも安定していますし、ホーンも好みのアレンジです。
これでヴォーカルさえなければなあ……なんて、いつもの罰当たりが口をつきそうになります。結局、I Pity the Foolは、バターフィールド・ブルーズ・バンド盤だけあれば、わたしには十分です。