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The Japanese Sandman by Axel Stordahl
タイトル
The Japanese Sandman
アーティスト
Axel Stordahl
ライター
Raymond B. Egan, Richard A. Whiting
収録アルバム
Jasmine and Jade
リリース年
1960年
他のヴァージョン
Paul Whiteman Orchestra, the Andrews Sisters
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タク・シンドーのSkylarkで、エキゾティカ方面に一歩足を踏み入れたので、その付近の曲をつづけてみようと思います。

看板に掲げたアクスル・ストーダールのアルバム、Jasmine and Jade(すでにTropical Sleeves GalleryMoon of Manakoora by Dorothy Lamourで取り上げているので、今回が3度目の登場)は、明らかにエキゾティカに分類できるのですが、The Japanese Sandmanという曲自体は、1920(大正9)年につくられたものです。したがって、エキゾティカであると同時に、「プリ・エキゾティカ」の側面ももっています。エキゾティカの時間的広がりを考えてみようという趣向なのですが、そのへんのことはのちほど。

◆ 時間の下取り ◆◆
ポール・ホワイトマンとアクスル・ストーダールのヴァージョンはインストゥルメンタルですが、アンドルーズ・シスターズ盤には(残念ながら!)歌詞があるので、まず、そちらから検討します。

構成に疑問があるのですが、最初に出てくる部分をヴァースと考え、途中、マイナーに転調するところをブリッジとみなすことにします。感覚的には、コーラスから入り、そのあとでヴァースが出てくるように感じるのですが、1920年のポール・ホワイトマン楽団盤では、そういうつくりにはなっていないので、依然として疑問は残るものの、最初にうたわれるメイジャーの部分をファースト・ヴァースとします。

Here's the Japanese Sandman
Sneaking on with the dew
Just an old second hand man
He'll buy your old day from you
He will take every sorrow
Of the day that is through
And he'll give you tomorrow
Just to start a life anew

「ジャパニーズ・サンドマンが露をまとわりつかせて忍び足で歩いてくる、あなたの古い日を買い、すぎにし日の悲しみをみな引き取り、新しく人生をやり直せるように、明日をわたしてくれる、ただの年老いたクズ屋」

sandmanは「眠りの精」などと訳されますが、なんとかララバイなんていう曲には、かならずといっていいほど登場するキャラクターです。このJapanese Sandmanも、子守唄仕立てなのだと考えられます。サンドマンがやってくる、というのは、つまり、「ほうら、もうまぶたが重くなってきた」ということを意味します。

secondhandは、近ごろはあまり使わない「セコハン」という日本語のもとになった単語で、それを取り引きする人間だから、古物商ということになります。しかし、second handと二語の場合には、「秒針」という意味になり、時間を扱うこのヴァースの文脈では、old dayやtomorrowの「縁語」とみることもできます。

「クズ屋」としたことについては、落語好きの方には説明の要がないでしょう。このsecondhand manは、骨董価値のあるものを取り引きする人物としては描かれていないので、ゴミクズすれすれのもの(反古など)をわずかな銭と交換に引き取ってくれる、「井戸の茶碗」のクズ屋の甚兵衛さんを思いだしたというしだい。いや、死人にかんかんのうを踊らせてしまう「らくだ」の無名クズ屋さんのほうが、ずっと有名でしょうけれど。

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◆ 金と銀のレートは? ◆◆
以下はセカンド・ヴァースと思われるもの。

Then you'll be a bit older
In the dawn when you wake
And you'll be a bit bolder
With the new day you make
Here's the Japanese Sandman
Trade him silver for gold
Just an old second hand man
Trading new days for old

「夜明けに目覚めると、あなたはほんのすこしだけ大きくなっている、そして、新しい日をすごすとすこしだけ大胆になる、ジャパニーズ・サンドマンがやってきた、銀を売って金を手に入れ、新しい日を売って古い日を手に入れる」

うーん、なんのことか、というヴァースです。子守唄だとするなら、子どもにうたって聞かせているということで、前半はオーケイでしょう。しかし、後半の銀を売って金を手に入れるとはなんのことやら。マルコ・ポーロのタワゴトとか、江戸時代から明治にかけて、日本から金銀が海外に流出したことを反映しているのか(戦国末期から江戸初期にかけて、日本は世界有数の金銀産出国で、江戸から明治にかけて、その金銀が貿易代金として海外に流出したのだとか)、はてさて、なんのことやら。たんなるお伽噺的装置にすぎないのかもしれません。

◆ アメリカ的地理感覚 ◆◆
以下はブリッジとみなせるパート。しかし、内容的には前付けのヴァースか、ファースト・ヴァースなのではないかと感じます。

Won't you stretch imagination
For the moment and come with me
Let us hasten to a nation
Lying over the western sea
Hide behind the cherry blossoms
Here's a sight that will please your eyes
There's a baby with a lady of Japan singing lullabies

「しばらくのあいだ、想像をたくましくして、わたしについていらっしゃい、西の海にある国へと急ぎましょう、桜の花に隠れて麗しい光景が見える、日本の女性が赤ん坊に子守唄をうたっている」

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西の海ではまるで西方浄土で、「品川心中」になってしまいますが、ここが「東の海」となっていないところに、アメリカらしさがあらわれています。「東洋」「西洋」の分け方はヨーロッパ由来であり、とりわけ、太平洋をはさんで日本と向き合っている、アメリカ西海岸の人びとの感覚には合わないのでしょう。

やはり、日本といえば桜ということのようで、季節をあらわす語というより、ここでは日本の枕詞として出てきた気配が濃厚です。

アンドルーズ・シスターズ盤では、このパートはブリッジのような位置に置かれていますが、1920年代のヴォーカルものをいくつか聴いてみたところ、もとはこのパートを冒頭におく構成だったようです。内容を見ても、この連のファースト・ラインはいかにも曲の冒頭というおもむきが濃厚です。

◆ ポール・ホワイトマン楽団 ◆◆
The Japanese Sandman by Axel Stordahl_f0147840_033910.jpgこの曲を最初にヒットさせたのはポール・ホワイトマン楽団で、曲が書かれたのと同じ1920年リリース。かのWhisperingとのカップリングだったようで、したがって、ほんとうに両面ヒットだったのか、Whisperingのヒットにお相伴しただけなのか、よくわかりません。いずれにしろ、この盤でポール・ホワイトマンは一躍スターになったと記録されています(そして、日本にまでその名はとどろき、昭和初期のわが国のミュージシャンにも大きな影響をあたえることになる)。

このヴァージョンでは、歌詞の検討で「ブリッジ」とした部分は、ブリッジらしい位置に置かれています。短いイントロの直後に、アンドルーズと同じようにHere's Japanese sandmanの部分(ポール・ホワイトマン楽団盤はインストですが)がはじまるので、この点から、アンドルーズはこのヴァージョンをもとにしたと推測できます。

今回、いくつか試聴してみた20年代の他のヴァージョンまで含め、ポール・ホワイトマン楽団盤がもっともテンポが速く、これがヒットの理由ではないかと思います。ダンサブルなところが、いかにもThe Roaring 20'sの開幕を告げるにふさわしいのです。

楽曲そのものには東洋的ムードはあまりないのですが、ポール・ホワイトマンは、それをイントロで補っています。といっても、われわれ日本人の耳には、ラーメンのコマーシャルがはじまるのかと思うような、中国的なリックに感じられますが、アメリカ人にはこれで十分に日本的に聞こえるのでしょう。そもそも、日本と中国の区別がついていたかどうかも怪しいですしね。

さらにもうひとつそもそも、われわれが中国的と感じるこの種の短いフレーズが、ほんとうに中国由来のものかどうなのか、わたしには判断できません。アメリカ経由で入ってきたこのたぐいのスケール(6thの音を強調する)を、われわれは中国的とみなしているだけなのかもしれず、中国人が聴いたら、べつの印象をもつ(たとえば「日本的」とか!)可能性すらあるように思います。

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◆ アクスル・ストーダール ◆◆
アクスル・ストーダールは、トミー・ドーシー楽団の「座付き」アレンジャーになったことがきっかけで、一流への道を歩みはじめたそうです。当時のトミー・ドーシー楽団にはアレンジャーが二人いて、もうひとりはポール・ウェストン。じつに贅沢なラインアップで、この二人の有能なアレンジャーが、トミー・ドーシーの名声を支えたといっていいのではないでしょうか。

トミー・ドーシー楽団のヴォーカルとしてよく知られているのは、パイド・パイパーズとフランク・シナトラです。ポール・ウェストンは、独立してからパイド・パイパーズがらみの仕事をたくさんしていますが、アクスル・ストーダールのほうは、フランク・シナトラのアレンジャーとして名声を得ます。コロンビア時代のシナトラの曲はほぼすべてストーダールのアレンジで、わたしも、シナトラのアレンジャーとして、ストーダールの名前を覚えました。

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Frank Sinatra with Axel Stordahl レコーディング中のフランク・シナトラとアクスル・ストーダール

キャピトル移籍後、会社側の提案で、シナトラのアレンジャーは、若いネルソン・リドルに交代します。流行というのはきびしいもので、流れには棹さしがたし、アクスル・ストーダールを押しのけたネルソン・リドルもまた、60年代なかばになると時代遅れとみなされることになります。シナトラの再生を命じられたジミー・ボーウェンは、リドルを退け、アーニー・フリーマンを起用して、Strangers in the Nightの大成功を収めるわけで、世の中は順繰り順繰り、祇園精舎の鐘の音が聞こえてくるのでした。

シナトラのアレンジャーでなくなったあと、ストーダールは、ビング・クロスビーをはじめ、さまざまなシンガーのアレンジをしつつ、テレビや映画の仕事もするという、アレンジャーとして当然のキャリアをたどり、これまた当然ですが、いくつか自己名義のアルバムをリリースしています。当時の流行を反映して、エキゾティカ方面のものが多いそうですが、わたしはJasmine and Jadeしかもっていないので、よくわかりません。

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Frank Sinatra with Axel Stordahl フランク・シナトラとアクスル・ストーダールその2

昨秋取り上げたMoon of Manakooraでは、編成も大きく、派手で凝ったアレンジをしていますが、The Japanese Sandmanでは、編成は大きいものの、一度に鳴らす音の数は控えめで、ドンドン楽器を替えていくことで、変化をつけるアレンジをしています。ストーダールの音にはつねに品があります。エキゾティカ的味つけもあっさりしたもので、この曲では、マリンバやわたしには判断のつかない他の低音旋律打楽器や、さまざまなパーカッションを動員することのみによって、エキゾティカらしさを演出しています。

わたしの耳には日本的ではなく、アフリカかインドネシアのようなムードに聞こえるのですが、われわれはみな等し並みに他国のことは知らないということはすでに述べました。したがって、アメリカ人がこういう非日本的旋律打楽器を日本的と見ることに特段の異議はありません。最後にお約束の銅鑼が鳴ることについても、それじゃあ中国だろうに、という言葉が出かかりますが、中国人がこの意見に賛成してくれるかどうかも保証のかぎりではありません。エキゾティカとは、あくまでも「架空の」東洋の音楽なのです。

わたしはストーダールのセンスが好きなので、この曲でのアプローチも、なるほどと納得します。Moon of Manakooraほど圧倒的なサウンドではありませんが、アレンジは楽曲との相対的関係の上に成立するものなので、単純な比較はできません。

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Frank Sinatra with Axel Stordahl フランク・シナトラとアクスル・ストーダールその3。アクスル・ストーダールが当ブログに登場するのはこれで最後かもしれないので、うちにある写真を片端からスキャンしてみた。まだ残っているのは、再度の登場の兆しか?

◆ 黄昏のアンドルーズ ◆◆
自分が生まれる前に活躍したシンガー(ズ)でもっとも好きなのは、アンドルーズ・シスターズです。スウィング時代のいいところは、ダンサブルであることが優先し、歌手が纏綿たる情緒をうたいあげたりしないことです。なにが苦手といって、情緒纏綿ほど気味の悪いものありません。それでスタンダード・アレルギーになってしまったくらいでして。

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アンドルーズはつねに陽気かつ軽快で、人生を笑い飛ばすようなトーンをもっていましたが、それが情緒纏綿の50年代前半には合わなかったのでしょう(50年代のスタンダード・ヴォーカルを大量に聴くと、その全面的否定形として、エルヴィス・プレスリーやリトル・リチャードがなにがなんでも登場しなければならなかったことを、その場に生きているかのように生々しく実感できる。ロックンロールの歴史は、ロックンロールを聴いているだけではわからないのですぜ>ご同輩諸兄)。正直にいって、50年代のアンドルーズを聴くと、黄昏れているなあ、と溜め息が出ます。

アンドルーズのThe Japanese Sandmanは1958年リリースですから、もう黄昏も黄昏、まさに西の空に没しなんとする時期です。The Japanese Sandmanが収録されたアルバムは、The Andrews Sisters Sing the Dancing 20'sというタイトルで、その名のとおり、20年代の曲をとりあげていますが、こういう企画盤をつくるようになると、もうそのアーティストは古きよき時代のスーヴェニアになったということです。ジョン・レノンですら、Rock'n'Rollは無惨だったくらいで、他は推して知るべし。例外、つまり、古典に還ることで、腐敗ではなく、「前進」してみせたのは、A Touch of Schmilsson in the Nightのニルソンただひとりでしょう。あとはみな退行現象か、せいぜいよくいって道楽にすぎません。

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The Andrews Sisters Sing the Dancing 20'sのジャケット。どうも違和感のある設定と衣裳。読めないだろうが、with orchestra conducted by Billy Mayと小さく書かれている。ビリー・メイがスター・アレンジャーだった証左。

でもまあ、あのアンドルーズだと思わずに、だれとも知らないアーティストのものだと思えば、このThe Japanese Sandmanはそれほど悪い出来でもありません。彼女たちの場合、われわれのもとめる基準がものすごく高いので、そこそこのものでは満足できないだけです(もうひとつ、録音技術の進歩で声の分離がよくなったことが、かえって彼女たちのハーモニーの魅力を殺いだとも感じる)。

このアルバムのアレンジャーはビリー・メイなので、そこに期待がかかるのですが、うーん、どうでしょうねえ。すくなくとも、彼の代表作とはいえないことははっきりしています。ビリー・メイがもっとも得意とした華麗なホーン・アレンジメントも、彼らしい音の奥行きもありません。20年代の曲というのが十字架になって、平板なサウンドになってしまったという印象です。

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Cha Cha!のジャケットでダンサーに扮し、The Girls and Boys on Broadwayのジャケットで焼き栗売りのおっさんに扮したビリー・メイ。このオッサンのこういう軽さ、出たがりぶりはじつに好ましく、それがサウンドにも反映していると感じる。

アクスル・ストーダール盤では最後に銅鑼が入っていましたが、アンドルーズ盤では、冒頭で銅鑼が鳴ります。いまさら腹を立てたりはしませんが、これほどまでに深く、アメリカ人の頭のなかで、銅鑼と日本が結びついたのはなぜなのか、その淵源を知りたくなってきます。まあ、たぶん、日本と中国の区別をつけられなかっただけでしょうけれど。

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やっぱり、アンドルーズ・シスターズはこういうムードであってほしい。

◆ ドラ! ドラ! ドラ! ◆◆
残念ながら、今日、あわててクモの巣を這いまわってかき集めた(といっても、わずか3種)1920年代の他のヴァージョンにふれる余裕が、ほとんどなくなってしまいました。

当然ながら、1920年代のものには、1950年代のエキゾティカ的な雰囲気はありません。それどころか、銅鑼以外に東洋を表現する方法を知らなかったのではないかと思うほどで、銅鑼を取り去れば、ふつうのアメリカの曲に聞こえます。

そもそも、ノラ・ベイズ盤(当ブログでは、Shine on, Harvest Moonの作者として彼女に言及済み)もオリーヴ・クライン盤も、銅鑼ですらなく、径の大きなシンバルをマレットで叩いているだけに聞こえます。いやまったく、日本といえば桜という固着は理解できますが、日本といえば銅鑼という妄想には、あんた、医者に診てもらったほうがいいよ、といいたくなります。まあ、それをいうと、あちらも、われわれの西洋に対するなんらかの奇妙な固着を指摘し返すでしょうけれど!

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オリーヴ・クライン

ともあれ、「プリ・エキゾティカ」時代のアメリカ音楽においては、日本は銅鑼によって表現されるということだけはよくわかりました。次回は時の流れを下って、「ポスト・エキゾティカ」を取り上げてみようと思います。

19世紀終わりから20世紀はじめというのは、欧米各国からいわゆる「黄禍論」が澎湃としてわきおこった時期で、1924年にはアメリカで排日移民法が成立するという、大きな国際政治の流れがあります(これが最終的に、太平洋戦争開戦を是認する日本の国民的機運をつくったという見方もある)。

The Japanese Sandmanは、日本人に対するいくぶんかの軽侮の気分は感じられるにしても、強い反日感情にはほど遠い歌詞になっています。まあ、日本の話というより、お伽噺の架空の国みたいなものなので、現実の社会問題とのつながりが稀薄だったのでしょうが、それでも、この曲がヒットしたということは、やはりあの時代を考えるときに、考慮に入れておいたほうがいいことに思えます。
by songsf4s | 2008-03-24 23:54 | 春の歌