- タイトル
- 雪のワルツ
- アーティスト
- 楠トシエ
- ライター
- 三木鶏郎
- 収録アルバム
- トリロー娯楽版 -三木鶏郎と仲間たち-
- リリース年
- 1952年(CD化1991年)
- 他のヴァージョン
- different versions of the same artist, 湯川潮音
お約束どおり、本日から、ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集の後半をお送りします。後半の第1弾は、どうしたってこの人が登場しなければ収まりがつかない、三木鶏郎の作品です。(席亭songsf4s敬白)
◆ リリカルなトリロー・ソング ◆◆
本州では、もう「降雪」は遠い過去の出来事なのでしょうが、北の地では、いまだに毎日現在形であります。そこで、「日本の雪の歌」特集を、もう1、2曲、続けさせていただきます。灰田勝彦の「新雪」を聴いていたら、無性に彼の歌う三木鶏郎作曲の「涙はどんな色でしょか」を聴きたくなり、すっかりトリロー・モードになりましたので、三木鶏郎の曲からスター
トです。三木鶏郎の楽曲は、songsf4sさんが、既にナンシー梅木「Ice Candy」とフランキー堺「風速50米」を取り上げているので、3度目の登場になります。
なんでも、三木鶏郎は、自身の音楽作品をジャンル別に分類していたそうでして、「アイスキャンデー」と「雪のワルツ」の2曲は、いずれもリリカルソング(LILIC)と分類された楽曲です。三木鶏郎といえば、「田舎のバス」や「僕は特急の機関士で」といったコミカルな楽曲の印象が強いですが、このリリカルソング群をみると、上記の2曲以外にも「ゆらりろの歌」や「燃えろペチカ」など、名曲が揃っていることがわかります(リリカルソング一覧は、ほぼ日刊イトイ新聞より)。
◆ トリローの雪景色、あるいは「田園の憂鬱」 ◆◆
それでは、トリローの描く雪景色は「どんな色」なのでしょうか。
例えば、三木鶏郎作詞・作曲の歌で、歌い出しの1節に「雪」のでてくる歌には、こんなものがあります。
「わたしゃ雪国 薬売り~♪」宮城まり子の「毒けしぁいらんかね」
「越後のネ 雪の中~♪」岡田茉莉子の「角兵衛獅子の唄」
どちらも雪の降る地域を形容するために雪が使われている楽曲ですので、これじゃあ「日本の雪国の歌」です。薬売りの仕事の苦労は「あーの山越えて、谷越えて」と軽快に歌われますし、いずれの曲も冬の間雪に閉ざされた、暗い裏日本の心情を偲ばせるマイナー調の楽曲、というようなものにはなっていません。
ただ、三木鶏郎が日本海側のこれらの県についてどんな印象を持っていたかというと、田舎暮らしは自分にはあわない、と思っていたようです。三木鶏郎は、大学を卒業後(昭和15年3月)すぐに、化学会社の富山工場に勤務していましたが、富山の風景を見てベートーベンの「田園」を口ずさんだりはしたものの、週末は毎週のように東京に帰っていたということです。半年ばかりの勤務ののち、徴兵があり、雪国をあとにします。戦後になって、会社に復職するか迷っているときに、ブラスバンドが演奏するスーザの「星条旗よ永遠なれ」をきき、音楽の道に往くことを決心した、というのは、トリロー・ファンにとって大事なエピソードです。
◆ 「雪の歌」は何にSnow ◆◆
「雪国」ではなく「雪」の歌はないのかと、もう少し調べて出てくるのはこんな歌です。
「寒い冬には白い富士 オヤジが言うには 雪でSNOW
暑い夏には空に虹 七色ながめて かくRAINBOW~♪」
三木鶏郎の「僕は英語の習いたて」という面白い歌詞の歌でした。これは、songsf4sさんがすでに取り上げられている「サンタクロース・アイ・アム・橇」での「♪可愛い寝顔 素敵ざんスノオ(Snow)」と同じ語呂の踏み方で、いわば同工異曲といえるでしょうから、ここで詳しく取り上げるにはおよびません。まだ紹介していない、三木鶏郎の代表的な「雪の歌」があるのです。(もったいぶったところで、タイトル見れば一目瞭然なのですが)
◆ トリローの春夏秋冬 ◆◆
三木鶏郎は、ナショナルの歌のように「明るい」、春の歌ばかりをつくっているイメージがありますが、多種多様な四季折々の楽曲を作っています。題名にそのものズバリの季節名が入っているものもあります。ダークダックス「つい春風に誘われて」、旭輝子「夏が来たら」、ナンシー梅木「秋はセンチメンタル」、そして冬の曲の代表格(?)である、トニー谷「冬が来たよ」まで、春夏秋冬なんでもござれ、なのです。
「雪」に進む前に、トリロー楽曲には、季節に関係した歌が多いワケについて、少々考えてみます。
まず、三木鶏郎は、感受性が豊かで、季節感を強く感じていたアーティストだった、ということが考えられるでしょう。三木鶏郎自伝には、学生時代に読んだ本や見た映画の内容などが記されています。執筆時(八十歳!)まで、その書き出しを覚えていたという、小説『神州天馬侠』の藤の花の“春”の光景からアナベラ主演の映画『“春”の驟雨』まで、洋邦問わず、題名や内容などが事細かに記されていて、四季のエキスを吸収した様子が、ここからも十分窺い知れます。もちろん、佐藤「春」夫や北原白「秋」の名前もあります(^_-)。
もうひとつ考えられるのは、季節という切り口が時代の先端をうまく表現するための、いいツールだったということです。三木鶏郎は、CMソングの始祖にして大家ですから、新商品を売り出す際に、季節を先取りした単語を用いたり、単刀直入に四季そのものを題名にしたりすることが、効果的な楽曲の見せ方だということを一番熟知していたのかもしれません。佐藤春夫の「秋刀魚の歌」に触発されて「サンマ・サンバ」を作ったかは定かではありませんが、「サンマ・サンバ」「サンマったら、サンマったら、サンマったら、サンマ」を聴くと、七輪かなにかで焼いた秋の秋刀魚を無性に食べたくなります。
これらに加え、僕が一番大きい要素だろうと考えているのは、鶏郎楽曲の多くが「ラジオ放送」で誕生した、という点です。つまり、時節を折り込んで、その時の視聴者に合わせた放送をするというのはラジオの特性です。発信者と受け手の密接な関係のために時候ネタは時事ネタとともに欠かせないものだったとおもいます。それでは、冬はラジオでどんなネタをやっていたのでしょうか。
以下、『冗談十年・続々』の『ユーモア劇場 第七十三回』《冗談歳時記》-冬の巻-という放送台本より抜粋します。(なお、MはMusic、BGはBack Gound、fpはフォルテピアノ、A~Eは人物と思われます。)
M ハモンド
声 今晩は皆さん、いよいよ明後日から十二月、しかも今年は二週間も早く冬がやってきたそうです。
三木 そこで今晩は“冗談歳時記”冬の部、冬が来たら……
M(琴)BG
☆
A 冬が来るといつも思うんだ。
B 何をサ-
A 去年の中に冬支度をしておけばよかったとネ。
M (♪冬が来たよ)
(略)
M 雪のワルツのG音を元のトレモロでBG
A 貴女と初めて逢ったのは、やっぱり、こんな雪の日でしたね。
B エエ……こわいほど。
A ア、君、泣いてるの?
B ウウン、雪がとけたのよ。
M 「雪のワルツ」 ♪雪がつもる静かな町に(略)
M Gのトレモロつづく
A(妻)パパは雪が降るのに、おそいわねェ。
B(婆)昔はこんな晩に雪女郎が出てきたもんだよ。
C(子)雪女郎ってなーに?
B 雪のお化けのことだよ。
C ウァー、こわい。
SE 戸を叩く音 M CO
M ディミニッシュ・コード(fp)BG
C こわいッ!
A (おそるゝ)どなた?
D(夫)俺だよ (M CO)
A マァ、こんなおそくなってほんとうにしようがないわねェ。ちょっと待ってて、今戸を開けてあげますから……
SE 戸を開ける音
A まァゝ、こんなに雪だらけになって……家では、男手がないんだから、早く帰って………キャアッ
D どうしたんだ?(M ディミニッシュfp BG)
C (ふるえて)貴男の後に雪女郎が立って………アアア、貴女はど、誰方です?
E(女)飲みやのつけ馬です。
M エンデイング
(NHK、昭二八・一一・二九)
ようやく、今回取り上げる「雪のワルツ」が登場しました。
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文字数制限のため、後半は明日掲載させていただきます。(席亭songsf4s敬白)