新雪 by 灰田勝彦
タイトル
新雪
アーティスト
灰田勝彦
ライター
佐伯孝夫、佐々木俊一
収録アルバム
南国の夜~灰田勝彦アーリー・デイズ~
リリース年
1942(昭和17)年
他のヴァージョン
live version of the same artist、the Three Suns
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集、本日はいよいよ灰田勝彦です。じつは、Tonieさんから最初に送られてきたリストには「新雪」はなく、思わず、「なぜ?」ときいてしまいました。Tonieさんが灰田勝彦ファンであることは承知していましたし、わたしもファンであることはTonieさんもご存知のところだったからです。

それが一転して、急遽、予定になかった「新雪」を取り上げる気になられたについては、いろいろ思いもおありでしょうが、そこまで忖度するのは出しゃばりすぎなので、ここらで引っ込むことにして、Tonieさんの記事をご覧ください。当方の灰田勝彦賛辞はまたコメントのほうに書かせていただきます。(席亭songsf4s敬白)

◆ ハイカツ登場 ◆◆
f0147840_12137100.jpg本日は大好きな男性歌手、灰田勝彦です。戦前ジャズ歌手のうち、元々好きだった灰田勝彦とディック・ミネのどちらを取り上げるか迷ったのですが、マヒナスターズの和田弘が、灰田勝彦のショーでスティール・ギターを食い入るように聴いた、というエピソードからの流れもあるので、灰田勝彦としました。なお、ディック・ミネの「雪の歌」候補は、彼の作品でも一番の有名どころ「人生の並木路」でした(歌詞の3番に「雪」が登場しますので、興味があれば、歌詞をお探しください)。

さて、灰田勝彦で「雪の歌」というのもいくつかあります。「いとしの黒馬よ」(1938年)、「白銀の山小屋で」(1954年)など、戦前戦後を通じ、まんべんなく「雪」の歌を歌っています。どの曲にもそれぞれ灰田勝彦独特の軽快さがあるのですが、わりと灰田勝彦らしさの顕れているヒット曲を取り上げてみます。参考にすべきであろう早津敏彦『灰田有紀彦・勝彦 鈴懸の径』(サンクリエイト刊)という本は読んだことがないので、見当はずれの推測もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

◆ タンゴでビンゴ ◆◆
まず、イントロでは、流暢なバイオリンにあわせて、ピアノがタララッタと入ってきて、アコーディオンと一緒にメロディをつくり、後ろではコントラバスがタンゴのリズムをしっかり刻んでいます。この時代のジャズソングの多くがそうであるように、この曲でもメロディの後段部分が、(歌が出てくる前の演奏をすべて「イントロ」というのであれば)このイントロで完奏されてしまい、これが終わってから歌が始まることになるので、灰田勝彦のボーカルが出てくるまで、まず、バンド演奏だけを30秒ぐらい楽しむことになります。

CD『灰田勝彦アーリーデイズ』の解説によると、この曲はコンチネンタル・タンゴの「オー・ドンナ・クララ」がモチーフだったそうです。当初、佐々木俊一(作曲)が作った旋律が、「オー・ドンナ」そのものだったのを、リハーサルを何度も繰り返すうちに格調高いものになったということで、「オー・ドンナ・クララ」(リッチー・バレンスではない)をいくつか聴いてみました。

f0147840_12135738.jpg最初、手持ちのタンゴ曲集から、このブログでジャケット紹介のあったスタンリー・ブラックによる演奏を聴いていましたが、なんとなく雰囲気が似ているし、転調後のフレーズなど、たしかにモチーフになっているなあ、という印象を受けました。スタンリー・ブラックは、イギリスのポピュラー音楽界の重鎮で、クラシックを本格的に学んだピアノの名手だそうです。1930年代末には、ジャズオーケストラの花形ピアニストとして、ブエノスアイレスに滞在し、タンゴを吸収してきたそうですから、一般的な演奏をしていると思います。

でも、一方で、もっと参考にした演奏があるのでは、と思いました。というのは、スタンリー・ブラックの演奏時期が特定できなかったこともあるのですが(「新雪」の発売よりだいぶ新しいだろう)、イギリスの線はないのでは、ということです。「新雪」が発売されたのは、1942年(昭和17年)10月です。1941年12月8日に真珠湾攻撃ですから、もう太平洋戦争が始まっているワケです。灰田勝彦の「青春のタンゴ」は、1940(昭和15)年で、タンゴがずっと人気あったのは、太平洋戦争前も後も変わらないのですが、敵性国の音楽をきくのはダメというのが大きな流れになってしまいます。

「新雪」に関して、よく、当時の同盟国であるドイツで流行っていたコンチネンタル・タンゴだから、禁止もされずに、日本でもヒットしたというエピソードが紹介されています。じゃあ、たとえば、誰の演奏が近いんだろう、元々、頭に描いていたのはどんなサウンドなんだろう、という疑問がわくのが道理というものでしょうが、そこに関する指摘は今のところネット上では見かけません。

f0147840_12145317.jpgいくつか探した中で、これだ! とおもったのは、マックス・メンジング(Max Mensing)が歌うSaxophon Orchester Dobbri(ダブリン・サクソフォン楽団とでもいうのでしょうか、Otto Dobrindt Orchestraと同じ楽団だそうです)の「Oh, Donna Clara」です。出だしの1小節がもう「新雪」……というと、言い過ぎかもしれないけれど、「新雪」で経験済みの、青春が謳われた際の高揚感が溢れています。本場のものは、アコーディオン中心で、アルゼンチン・タンゴの影響もまだちらほら見られますが、日本の方は、輸入加工済という音です。ほかには、ドイツもので、Paul Godwin Tanz-Orchesteの「Oh, Donna Clara」は、ちょっとテンポが速すぎるかなという印象でした。

この曲はポーランド人のJerzy Petersburski(読みとしてはイエルシー・ペテルブルスキーあたりか)が1925年頃に作ったもののようです。マックス・メンジング版は、1930年に録音されているので、1942年の曲のモチーフとして参照するには、時期的にはちょっと早すぎるかなと思うところもあります。藤山一郎.ヘレン隅田の「おゝどんなくらら」が1935(昭和10)年頃に日本でも発売されているようですし、「どんな」クララがいるか、分かったものじゃありません。いずれにせよ「ドンナ・クララ」は人気があったタンゴ曲のひとつなのでしょう。

◆ 紫けむる、にこだわる ◆◆
さて、歌詞の最初の2行は次のとおりです。

紫けむる 新雪の
峰ふり仰ぐ この心

ここが、実力のある職業作家が作った詞だなと感心するところです。ジミヘンに先駆けることはや何年、です。しかも、難しい言葉は何もないのに、よくよく考えると、内容を理解するのが難しいです。「紫にけむっている」のは、「新雪」(や「雪の残る山の峰」)なのでしょうか、「この心」なのでしょうか。

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「新雪」のSPレーベル(森本敏克『音盤歌謡史』白河書院より)。この時期のレーベルは右から左、左から右が混在しているが、「新雪」はすでに左から右になっている。「愛唱歌」といういささか奇異なジャンルもあった。戦時中のみ使われた言葉のようで、「バタビアの夜は更けて」「マニラの街角で」なども「愛唱歌」とされている。映画のために作られたので「大映映畫『新雪』主題歌」とある。

普通、歌うときに「むーらーさ~き、けむ~る、しん~せつ~の~」と歌って、ここで切るので、雪が紫にけむっているという表現で捉えていましたが、あまり使う表現ではないように思います。けむったのが雪か、心か、については、ちょっとペンディングにして、まず「紫」にこだわります。

ムラサキといえば、式部、醤油、あるいは宇宙人ですね。あ、ついでに紫関連では、songsf4s さんには「Deep Purple」を取り上げて欲しいものです(要望終わり)。紫草を想起する人はすくないでしょうし、ここでの紫は高貴な色(冠位十二階の最高位)をイメージしているワケでも無く、色としての紫をした空を表していて、その「空」の意味するところがなんとでもとれる、奥の深い歌になっていると思います。

でも、紫にけむるというのはあまり使われない表現だと思います。和歌などで使われた表現があったら、是非コメントいただけたらとおもいます。ここで、なぜ、紫にけむるを取り上げたかという鍵を、僕は、作詞をした佐伯孝夫が西條八十門下生であるところにみました。

f0147840_12162625.jpg(songsf4s注釈 ちょいと脇からしゃしゃり出ます。「紫雲たなびく」という言いまわしが昔はよく使われていて、記憶に染みこんでいます。辞書にはこうあります。「紫の雲 赤くくすんだ紫色の雲。めでたいしるしとしてたなびく雲。また、天人が乗ったり、念仏者の臨終のとき、仏が乗って来迎するという雲」。そのような意味からでしょう、昭和14年に開発された海軍の水上偵察機に「紫雲」という名前がつけられました。育毛剤ではなく、海軍の戦闘機「紫電改」のデザインを愛していた小学生のわたしは、似たような名前をつけられたこの水上偵察機も好きでした。唄にはまったく関係ありませんが、昔は「紫雲」「紫の雲」「紫の空」は、めでたいものという了解があったことを示しています。北斎の「凱風快晴」いわゆる「赤富士」も、たんなる富士の夕景ではなく、「紫雲たなびく」めでたさを前提に描かれたものだろうと想像します。ということで、わたしはこの「紫けむる」を「紫雲」のことと考えています。)

ご存じ「東京行進曲」の「♪昔なつかし銀座の柳」で有名な西條八十には、何人か門下生がいます。そのひとり、門田ゆたかは、「東京ラプソディー」(藤山一郎歌、古賀政男作曲)で「♪花咲き花散る宵も 銀座の柳の下で」と書きましたし、サトウハチローは、「夢淡き東京」(藤山一郎歌、古関裕而作曲)で「♪柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日」としました。

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この「銀座」攻撃に、佐伯孝夫も戦後、「銀座カンカン娘」「僕の銀座」で応戦しています(灰田勝彦にも「東京パラダイス」という曲を作って、東京にも応戦しているようです)。ただし、灰田勝彦の「ハロー銀座」は、村雨まさを(服部良一の変名)なので、お間違えなく(^_^)。

さて、その佐伯孝夫は、西條八十が早稲田第二高等学院で初めてフランス語の講義をした年の教え子で、佐伯が早大仏文科に進学してからも師弟関係が続き、卒業後は西條門下生となったそうですから、生粋の一番弟子といえるのではないでしょうか。

その西條八十が、本格的に流行歌の歌詞を手がける前に出した詩集『砂金』のなかに、「パステル」という一篇があります。この詩篇の後段部を以下に引用します。

君よ、莨(たばこ)を棄てゝ
すっぽりと露西亜更紗(ろしあさらさ)に、これら総て
薄紫のパステルを包もうぢゃないか
遠くけむる山脈(やまなみ)も、あきらかな鳥のかげも。

朝餐(あさげ)の間、
透蠶(すきご)とともに
香膏(あぶら)のやうに眠らせるため。

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これまた難解な詞なのですが、佐伯孝夫が西條八十師匠の影響を受け、紫にけむる山なみを想起していても、おかしい話ではないのではないでしょうか。ここに「雪」というモチーフを入れ込んだことで、いっそう山脈が引き立っていると思います。なお、灰田勝彦は、戦後「紫のタンゴ」というマイナー調のタンゴもやっていて、こちらも流行ったようです。また、この「紫のタンゴ」という曲は「お座敷小唄」でもとりあげた松尾和子歌、寺岡真三編曲(1963)でリバイバルしています。

◆ 青の前にコダワル ◆◆
ここまでいろいろ詰め込みすぎました。後半は、曲について、駆け足で見ていきます。

麓の丘の 小草を敷けば
草の青さが 身に沁みる

前半部の「紫」との対比で「青」が出てきます。ここで、灰田勝彦の歌い方についても少しだけ、触れたいと思います。彼の歌い方は、クルーン唱法というか、気張らず、捏ねず、地道にサラっと歌いきるのです。なんだか物足りない、と思われる歌謡曲ファンも多いかと思いますが、ソコが彼の歌のすきなところなのです。「くさのあおさが」を「くーー・さの・あ・お・さーー・がー」と「く」を伸ばし、「さ」と「の」を一気に歌う緩急の差がまた、たまらなく好きです。灰田勝彦がウクレレ抱えて、ポロポロと鼻歌でも歌ったら、参りましたの一言しかありません。

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『アルス音楽大講座9 ジャズ音楽』(昭11)には灰田兄弟によるスティールギター、ウクレレ講座がある

しかし、灰田勝彦は自分の歌を鼻にかけることなく、ずっと軽やかに歌い続けたものと思います。

◆ 最後は雪らしく白 ◆◆

2番
汚れを知らぬ 新雪の
素肌へ匂う 朝の陽よ
若い人生に 幸あれかしと
祈るまぶたに 湧く涙

3番
大地を踏んで がっちりと
未来に続く 尾根伝い
新雪光る あの峰越えて
行こよ元気で 若人よ

僕がこの曲をつい口ずさむときには、2番を歌います。「新雪」という語のイントネーションにあわせてあるので、このメロディでいいと思います。これが、「親切」だとこまりますが、「真説」に近いものであれば、受け入れます。2番を歌うのは、「新雪」のイメージとしては、「汚れっちまってない白さ」への評価が高いのです。ただ「幸あれ」と祈るというところは、(センチになりながら)戦地に誰かを送り出すということなのだと思いますから、あまり手放しで喜べる歌詞でもないように思います。

3番は、きちんと「がっちり」作り上げられた詞だと言うことが、「未来」と「元気」に溢れていて、あまり口ずさみません。「行こうよ元気で」じゃなくて「行こよ」と早口でまとめるのは1番と同じで好きなところですが、全体的にはビシビシと峰を越えていく事への要求があるように思うのです。非体育会系軟弱学生でしたので、「涙がまぶたに湧く」ぐらいの方が、青春の過ごし方として好ましいです。

◆ あの時代の歌い手として ◆◆
最後に、彼が66歳だったときのショーの様子を昨日(平成20年2月18日)のテレビでやっていました。謙遜ではないのでしょうが、「新雪」をうたったあと、こんなコメントを話していました。

f0147840_12345811.jpg「こうして長い間歌い続けることが出来た。大変ありがたいと思っています。しかし、このごろ、ふと、僕はいったい何のために人間をやっているのかなと、そんなことを考えることがあるんです。歌にいたしましても、まだ会心の作というのがひとつもないんです。どうやら世間の甘え(ママ、「世間の甘やかし」の意か)に支えられて、歌ってきてるんではないか、そんな感じがするんです。もし、そうだとすれば、ずいぶん僕もいい加減な歌うたいだなと。これじゃいけないんだ、ということをよく知っているんですけれど、ただひとつ良いコトしたなといえるものが、ひとつ自分の胸に残っています。それは、あの夢のない時代に、「森の小径」を歌うことが出来た、ということなんです。いつ死ぬかもしれない、あの暗い世相のなかで、ある人はこの歌によって希望を見いだし、また、ある人は喜びを、そして、夢を見いだしたことができたとすれば、ぼくはやっぱりこのまま歌い手でよかったな、とつくづく思うんです。今日は本当にありがとうございました(会場拍手)」

ここでの「会心作がない」発言は自分の手がけた(作曲した)という意味だと思います。「東京の屋根の下」があるじゃないですか、「お玉杓子は蛙の子」があるじゃないですか、と教えてあげたいぐらいです。

◆ Fresh Snow ◆◆
f0147840_12353063.jpgカヴァーとしては、スリーサンズもこの曲をやっています。オルガンにギター、アコーディオンのインストソングは、すこしエキゾチックな要素が込められていて、これはこれで好きです。ドラムがしっかり入ってるのが、戦前と違うところでしょう。

な、わけで、今宵も灰田勝彦の曲に酔いしれたいと思います。
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by songsf4s | 2008-02-21 23:42 | 日本の雪の歌