お座敷小唄 by 和田弘とマヒナスターズ・松尾和子 その2
タイトル
お座敷小唄
アーティスト
和田弘とマヒナスターズ・松尾和子
ライター
作詞不詳、作曲陸奥明
リリース年
昭和39(1964)年
f0147840_23572362.jpg

ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」特集は、昨日に引きつづき「お座敷小唄」です。本日はモンスター・ヒットが巻き起こした波紋について。(席亭songsf4s敬白)

◆ ハワイから遠く離れて ◆◆
曲については、イントロがドドンパ・リズムであるということにしか触れていませんでした。基本的に、メロディをソロまたはユニゾンでうたっていて、複数名のバック・ボーカルを擁しているグループにもかかわらず、ハーモニーらしきハーモニーがみられません。ボーカルに寄り添うように弾かれるマンドリンやつま弾かれるスティールギターも全部同じメロディを演奏しています。このため、メロディの妙というより、このメロディを次に誰が歌うか、というところに焦点があたります。

1番
(メンバー全員で)富士の高嶺に 降る雪も
(松平直樹一人で)京都先斗町に
(全員で)    降る雪も
(松平一人で)  雪に変りは ないじゃなし
(全員で)    とけて流れりゃ 皆同じ
2番(松尾一人で)
3番(松平一人で)
4番(松尾一人で)
5番
(松平一人で)どうかしたかと 肩に手を
(松尾一人で)どうもしないと うつむいて
(松平一人で)目にはいっぱい 泪ため
(松尾一人で)貴方しばらく 来ないから
6番
(全員で)  唄はさのさか どどいつか
       唄の文句じゃ ないけれど
(松尾一人で)お金も着物も いらないわ
(全員で)  貴方ひとりが 欲しいのよ

このように、男、女のボーカルでなんどかやりとりがあって、最後にコーラスが出てくるトコで妙な説得力が生まれます。これがこのグループの持ち味なのでしょうね。3番までおわると、一度、スティール・ギターの間奏があるのですが、これまたメロディの演奏なのです。間奏の最後にこれ見よがしにキュイーーンと音をあげますが、それ以外は、丁寧にメロディをなぞっていて、これを聞いていると、ハワイアン・ギターと歌謡曲の相性はいいなあと思います。ドラムが日本的なリズムなのかもしれません。

マヒナのリーダー、和田弘というのは、バッキー白片とアロハハワインズのメンバーだった人ですが、少年時代に灰田勝彦と高峰秀子主演で昭和46年に日劇で行われた「ハワイの花」というショーに1週間通い詰めて、灰田晴彦のスティールギターを食い入るように見つめてたというのですから、好きな灰田サウンドからの影響がどこかしらあったのだと感じます。この歌謡曲とハワイアンの折衷感覚は、他のどのムード歌謡グループよりも灰田サウンドの影響を感じます。しかし、この「お座敷小唄」の大ヒットにともない、ハワイアンミュージシャンの組合を脱退させられたと聞きますから、こちらも「思えば遠くにきたもんだ」ですね。

f0147840_23344082.jpg

◆ 出るトコ出てみた結果やいかに ◆◆
ヒットのあるトコロ、文句のある人あり。というのも洋邦問わず同じです。「The Wreck of the Hesperus」の巻や「Stormy」の巻でsongsf4sさんが、著作権訴訟について、すでにとりあげられています。

西沢爽の『日本近代歌謡史』の第三十六章『演歌著作権始末記』2453ページ(!)によると、この唄が大ヒットとなるや、自分の作品であるとして、日本ビクターを相手取り、裁判が起こされたそうです。

f0147840_23403749.jpg
西沢爽の超大作『日本近代歌謡史』の中でも、特にこの「お座敷小唄」や二宮ゆき子「松の木小唄」の出てくる『演歌著作権始末記』は非常に面白い。

この埼玉県草加市の大藤某および広島県の某(当事者参考人)が、昭和40年分の印税300万円および金利5分を支払えと横浜地方裁判所に起こした裁判ですが、次のようなやりとりがあったということです。少し長いですが、引用します。

原告は、昭和18年5月頃、南支広東の第三航空軍に従軍中、『広東小唄』として作った以下のような歌詞を示した。

初回(会)あがりが 何となく
程の良いのが 縁となり
宵にや他人が 明け方は
忘れられない 人となり
僕がしばらく 来ないとて
飲んじやいけない やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない
末を共にと 誓ってからは
いやなお酒も目をつむり
たまのあふ瀬を 楽しみに
信じて頂戴 この私

これを、昭和39年3月に広島市のクラブ『華』で採譜して、8月に発売したと主張。

また、当事者参考人は、昭和10年11月、台湾派遣部隊蓮部隊に従軍中、(部隊内で)『茶碗酒』としてうたわれていたものをあげた。

初回あがりが なんとなく
ほどのよいのが 縁となり
宵にや他人が 明け方にや
忘れられない 人となる
好きなあなたが 出来たから
ほかの座敷が いやになる
ままにならない この身なら
あなた来ぬ夜の 茶碗酒
どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 涙ため
あなたしばらく 来ないから
僕がしばらく こないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで 身体を 悪くすな
お前一人の 身ではない

これに対し、日本ビクター側の反論は次のようであった。これらの歌詞と「お座敷小唄」には共通点があることは認めるが、原告が昭和18年5月頃、その主張するような歌詞を作ったことは否認する。当時は部隊の移動が激しく、「当事者参考人」の所属していた部隊も、転々としており、それが広く広東方面に歌われたものであろう。また「原告」主張の歌詞は一人の作詞とは考えられない。

さらに、(1)明治末期(大正初である)北九州福岡の酒席で『奈良丸くづし』の曲名でうたわれたもの。

ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして 自棄酒を
弱いからだを 持ちながら
飲んで身体を こわすなよ

(2)大正元年ごろ「奈良丸くづし」または、『ナツチヨラン』(青島節)でうたわれたもの。

スウチヤン 忘れちやいけないよ
ビンのほつれを かきあげて
顔は紅葉の 茜さす
登る段階子の トントンと
ぼくがしばらく来ないから
たとえ 勤めがつらくても
短気おこしてやけ酒を
飲んで身体をこわすなよ

(3)昭和10年頃、東京神楽坂はじめの方々の花街で『ストトン節』でうたわれていたもの。

嶺の高嶺に降る雪も
坂(神楽坂)の真中に降る雪も
芸者する身も 素人も
とけて流れりや みな同じ
どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 泪ため
貴方しばらく 来ないから
ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない

(4)昭和15年頃、全国の花街で『ストトン節』でうたわれていたもの。

あれ見やしやんせ 朝顔は
垣根にもたれて 思案する
丁度 私が あの様に
主さん 思うて 思案する
あれ見やしやんせ ローソクは
芯から燃えて 身がやせる
丁度私が あの様に
あの人 思うて 身がやせる
ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして 焼け酒を
飲んで身体を 悪くこわすなよ
お前一人の 身ではない
一目見てから 好きになり
ほどの良いのに ほだされて
よんでよばれて いる内に
忘れられない 人となる
(第5および第6連は略)

(7)昭和16年7月、東京神楽坂の料亭「島田」でうたわれたもの。

富士の高嶺に降る雪も
坂(神楽坂)の真中に 降る雪も
雪に変わりは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ
初めて逢うたが 宴会で
二度目に逢うたが 四畳半
そこで お腹も 七,八月
出来た この子を どうなさる
心配するな これお前
男の子なら 軍人に
女の子なら 看護婦に
どちら 生んでも 国のため
義理で 貰った女房より
かげのお前が 可愛くて
罪じゃ よそうと 思えども
あきらめ られぬが 恋の情
どうかしたかと 背に手を……
僕がしばらく こないとて……
(第5および第6連は略)

以上の例を挙げ、原告の創作ではないと反論した。

「お座敷小唄」訴訟の記事が新聞週刊誌にとりあげられると、大正初年から末年にかけて、どこの花街でうたっていたなどと証言する投書がビクターへ頻々と舞こんだそうです。

この曲が、広島市のナイトクラブで、「京都先斗町に降る雪も」とうたわれていた事実からみて、京都でもとも思うが、その事実を証明するものはなかったので、結局、「原告が作詞したと称する以前に、それと同文又は酷似した内容を持つ歌詞が古くからうたわれていた」という裁判所の認定で、昭和42年5月「原告および参加人の請求はいずれも棄却する」と判決がありました。

なお、作曲については、その後、テイチクレコード専属作曲家であった陸奥明より、昭和29年6月(『お座敷小唄』よりおよそ10年前)、清水みのる作詞、陸奥明作曲、鈴木三重子唄で発売された「籠の鳥エレジー」であるという申立があり、作品審査委員会(ジャスラック)は、現行のものと原曲なるものとに若干のちがいはあるが、反証資料がないのでその疑問は留保し、一応原曲として扱うという判断を下した、ということですから、一勝一敗といったところでしょうか。

昭和10年の「嶺の高嶺に降る雪も」が昭和16年に「富士の高嶺に降る雪も」に変わったり、「芸者する身も 素人も」が「雪に変わりは ないじゃなし」と変わったりして、ますます「日本の雪の歌」らしくなった、という「前日談」でした。

◆ お座敷クレージー ◆◆
最後に、songsf4sさんのところでは恒例ながら、今回まだ登場していないカヴァーソングについて取り上げます。映画『日本一のゴマスリ男』で、植木等がアカペラというかソロで歌うのですが、歌詞が全く違います。

一に六足しゃ 七になり
四から一引きゃ 三になる~と
三に四足しゃ 七になり
一から一引きゃ パーになる、と。

計算上まったく間違いは無いのですが、言語明瞭、意味不明。非常に面白いナンセンスにあふれた歌詞です。一般人なら最初の一行が出てこないでしょうが、仮に出てきたとしてもせっかく「7」にしたんだから、次の出だしは「7」から始めると思います。「七から四引きゃ三になる~」とか関連性を持たせようと思ってしまう。それを全てぶち破ってしまっているところが、驚異的です。メロディは確かに「お座敷小唄」ですが、植木等が歌うと、これも「ドント節」に聞こえます。最後は、その当時のものを含め、なんでも諧謔の対象とした、クレージーキャッツ・パワーに圧倒されてしまいましたが、これで「お座敷小唄」のマヒナスターズを終わります。こりゃ逆だった……。

f0147840_23482133.jpg

○主な参考文献
西沢爽「日本近代歌謡史」桜楓社
北中正和「にほんのうた」平凡社
北中正和「ギターは日本の歌をどう変えたか」平凡社新書
[PR]
by songsf4s | 2008-02-18 23:53 | 日本の雪の歌