お座敷小唄 by 和田弘とマヒナスターズ・松尾和子 その1
タイトル
お座敷小唄
アーティスト
和田弘とマヒナスターズ・松尾和子
ライター
作詞不詳、作曲陸奥明
リリース年
昭和39(1964)年
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ゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌」、本日はまたまた、一見、ディープな日本音楽のようながら、西洋音楽との接点をもつ、「ムード歌謡」の代表作の登場です。音楽的に微妙な時期である1964年(個人的には「ビートルズ前夜」だった)の大ヒットなので、原稿整理をしながら、あれこれと考え、いろいろなことを思いだしました。(席亭Songsf4s敬白)

◆ 富士の高嶺に降る雪、アゲイン! ◆◆
前回に続き、もう1曲「富士山の雪の歌」関連曲を取り上げます。東海林太郎「興亜八景」(「♪富士の高嶺とさくらの花は ヨーイヨイサテ 興亜日本の立姿」)、小唄勝太郎「さくら踊り」(「♪富士のお山も薄化粧 サテさくら咲いた咲いた都も里も」)など、富士山も桜とセットで、色々と歌になっているんですが、今回は“桜”はでてきません。

それでは、さっそく最初のフレーズにいきたいと思います!

富士の高嶺に 降る雪も
京都先斗町に 降る雪も
雪に変りは ないじゃなし
とけて流れりゃ 皆同じ

語呂が良くって、ついつい1番を一気に全部紹介しちゃいました! 先日の「真白き富士の根」は、富士山の「白い雪」と「緑」の江ノ島という対比が織りなす、切り取られた風景に込められた“鎮魂の思い”の歌でした。この曲では、「富士の高嶺」という清らかで厳かな存在と「京都先斗町」という浮き世(俗世間)が比較対象とされています。

◆ pont町 ◆◆
曲の方は、まず自由奔放な印象をあたえるスティール・ギターの音色からはじまります。またテンポが遅めので、ゆったりした気持ちになります。そこへ、クラリネットとマンドリンと思われるメロディのアンサンブルのイントロが始まり、これにあわせて、スティール・ギターが色々とアクセントをつけます。

ドドンパの変形といわれるリズムですが、この繰り返し出てくるリフは非常に覚えやすく、大滝詠一『Let's Ondo Again』の「337秒間世界一周(Steel Round The World)」にも出てきたはずです(「337秒間世界一周」っていう曲は、エリアコード615『Trip In The Country』にアイディアの源泉があるとおもうのですが、その源泉に何でもかんでもぶち込んでぐつぐつ煮たような曲で、日本代表が盛り込まれていてもおかしくないのです)。

f0147840_216494.jpg先斗町(ぽんとちょう)というのは、有名な花街のひとつだそうですが、日本語にしては、非常に変わった名前の街だなと思ってました。するとこの由来が、川原に臨む片側に家が並ぶ街の形状を「先」にみたてて、ポルトガル語の"ponto"、英語の"point"といった言葉からきているということのようで、なるほどなあと思いました(東が鴨川=皮、西が高瀬川=皮、皮と皮にはさまれた鼓を叩くとポンと音がするのをもじったという説もあるようです)。

◆ メタ・フィクション ◆◆
このブログには、あまりそぐわない個人的な話を少しかかせてもらいます。僕はリアルタイムではないですが、中学時代にビートルズを中心に音楽を聴いてきました。いまでも、洋楽と邦楽で聞く比率は8:2か7:3でしょう。だからなのか、日本の歌謡曲を聞くときには、体内に異物を取り入れるように慎重に身構えて、聞いてしまうところがあります。

そういった違和感を持たないで聴ける曲は、三橋美智也、灰田勝彦、服部良一やトリローの楽曲など、ごくわずかで、特にムード歌謡やグループサウンズは、どちらかというと苦手な分野で、一緒に口ずさもうという感覚より、どんなサウンドだろう? と分析しながら聴いてしまうことが多いのです。例えば、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「ああ北海道には“雪”がふる」の「♪鐘が鳴る」の後になる鐘の音のギミックや「カネガナル」のコーラスがおもしろいとか、メタ・フィクションの小説を面白がるような感覚で聞くことが多いです。

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北海道選出の議員でもあるまいし、料亭や割烹に行きたいなど思ったこともなく、そこで小唄を聴くことを趣味ともしていないので、お座敷という文化を歌謡曲という観点から楽しがっているのだとおもいます(江差の居酒屋[小料理屋]で女将が即興で歌った「江差追分」は素晴らしかったので、聞けば感動すると思いますが)。「お座敷ソング」が、朝鮮戦争の時代に、「金へん景気」にのって宴会などで爆発的にはやった、という時代背景もふまえて聞くというのは、なかなか難しいです。それは、つまみ食い的な聴き方だと問題視され、批判されるときは甘んじて受けなければいけないですが、その音楽の出来た変遷もつまみ食いしながら、愛着もって楽しんでいけばいいのではないでしょうか。

いっそのこと、スタンダード曲や日本の曲を聴かずに、同世代の音楽や、一番好みの60年代アメリカンポップスだけを聴いていられれば、どんなにか幸せか(あるいは、日本の曲だけ聴いていられれば、もっとどんなに幸せか)と思いますが、残念ながら、メタも元もふくめて音楽を楽しむ、これが日本に生まれた洋楽ファンの生きる道……というものなのでしょう。「日本語のロック」の始祖として取りざたされて、イライラ苛立ち、「さよならアメリカ、さよならニッポン」に行き着いたはっぴいえんどのファンである以上、仕方ないのかなと思います。

ということで、ムード歌謡の大御所、和田弘とマヒナスターズのサウンドについて、全幅の愛を持って語るのは難しいのですが、マヒナのサウンドというのは、わりと好きな部類なのです。

f0147840_2335063.jpg例えば、「寒い朝」などは吉田メロディとしても最高峰だと思いますし、サユリストではないですが、メロディが少し明るくなるところで、グッと来てしまいます。じっくり聴けば、ストリングが北風を表しているわりにショボイなあ、などと思う部分もありますが(そこがまた寒さを引き立てている、というような意地悪なことは、あまり思わない)、コーラス、リズム、歌唱いずれもバランスがとれているので、たいていの場合、あまり気にせずに聞いています。

渡久地政信の彼独特のリリシズム溢れる「お百度こいさん」も、三橋美智也の「お富さん」と同じぐらい好きなメロディですし、寂しげなスティールギターの音色も含めて大好きなマヒナ曲です。

◆ 再び出合ったビートルズ ◆◆
一番好きなのは、やっぱりこの「お座敷小唄」です。この曲のアレンジは、寺岡真三がやっています。寺岡真三という人を知らない方も多いと思うので、いくつか紹介すると、前回とりあげた坂本九と競作となる「涙くんさよなら」の編曲もそうですし、雪村いずみ「はるかなる山の呼び声」、浜村美智子「カリプソ娘」、青江三奈「眠られぬ夜のブルース」、コレット・テンピア楽団などがあります。

そして、東京ビートルズの一連のシングル(「抱きしめたい」「プリーズ・プリーズ・ミー」「キャント・バイ・ミー・ラブ」)は、漣健児作詞という認識しかありませんでしたが、寺岡真三の編曲でした。この曲を、下手、とか、日本語が乗ってない、とか、どう捉えるかは、人によりけりでしょうが、面白可笑しく嘲笑するほどひどい出来ではなく、リヴァプールサウンドではなしえない解釈がされているとおもいます。つまり、この曲も「日本語のロック」なのだとおもいます。

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朝日新聞1994年8月24日「50年の物語 第3話 東京ビートルズ」より

寺岡真三は、ジャズの人ですから、万人に愛されるサウンドは、東京ビートルズではなさそうです。ムード歌謡の極めつけ、1961(昭和36)年に第3回日本レコード大賞を獲得した、フランク永井「君恋し」は寺岡真三らしさの出た曲だと思います。テンポの遅い、ムードたっぷりのこの曲と昭和初期にヒットした二村定一の軽快なバージョンとどちらがいいかといわれると、後者を取りますが、ここでは、フランク永井の魅力を最大限に引き出した、最高の歌を残したと思います。

◆ 定型詩の構成と彫琢 ◆◆
f0147840_2393190.jpg上に挙げた「君恋し」が出来たのは、昭和3年のことで、これは4音プラス4音の組み合わせ、つまり「ヨイヤミ(4)セマレバ(4)ナヤミハ(4)ハテナシ(4)」という構成となっていますが、これは非常に珍しい例で、歌謡曲ではほとんどが七五調だったようです。昭和30年に三橋美智也「あの娘が泣いてる波止場」(作詞高野公男、作曲船村徹)は、「思い出したんだとさ 逢いたくなったんだとさ」というように、3、7、4、7の破調のため、評論家に「相当礼儀知らずの無鉄砲」と評されたそうで、歌謡曲の世界で従来の詩型から脱皮したものをつくることへの同意が得られていなかった、といえそうです。

前々回のはっぴいえんどの「かくれんぼ」で、七五調はやっぱり(日本の詩型の)基本である、という松本隆の意見にふれました。西條八十は、七五調の定型詩にあこがれて「定型詩の構成や文語の彫琢に努力専念」してきたのに、世に出る頃には自由詩運動が起こり、詩の形が散文とまったく変わらぬものになってしまい、「苦心した武器を持て余し」、それを「童謡の中で駆使した」そうですが、松本隆の詞からにじみでている努力は、西條の七五調に対する愛情と出てくる作品の質の高さとダブります。

この「お座敷小唄」は、「七五調に寄りかかった文化」の「いわゆる七五調」で、松本隆の戦うべき敵ここにあり、「思えば遠くにきたもんだ」です。

ここで、いささか乱暴ではありますが、一気に2番以降の全文を御披露しますので、音読されて、ちょっとやそっとじゃ打ち破れない日本文化の重み(?)をご堪能ください。

好きで好きで 大好きで
死ぬ程好きな お方でも
妻と言う字にゃ 勝てやせぬ
泣いて別れた 河原町

ぼくがしばらく 来ないとて
短気おこして やけ酒を
飲んで身体を こわすなよ
お前一人の 身ではない

一目見てから 好きになり
ほどの良いのに ほだされて
よんでよばれて いる内に
忘れられない 人となり

どうかしたかと 肩に手を
どうもしないと うつむいて
目にはいっぱい 泪ため
貴方しばらく 来ないから

唄はさのさか どどいつか
唄の文句じゃ ないけれど
お金も着物も いらないわ
貴方ひとりが 欲しいのよ

この曲は、当時200万枚から300万枚のヒットを記録したようです。1万枚を超えるヒットは、もう想像の限界を超えていて、たくさんとしか認識できませんが、とにかく売れに売れたことだけは間違いないようです。第6回日本レコード大賞では編曲賞をもらっていますが、ウェブ検索すると、作曲者不詳だったため、大賞の選考外となった、でもその年一番の売りあげだったので、編曲賞に滑り込んだ、という裏話もあるようです。賞獲りレースというものはレコード会社の将来への思惑や、過去の業績に対する功労賞的意味合いなどが入り乱れていて、内容の良し悪しは二の次なのでしょうが、それだけこの曲がヒットし、愛され、歌いやすいものだったという証拠なのかもしれません。

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◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
文字数制限のため、一回では収録しきれず、後半は明日以降に掲載させていただきます。(席亭敬白)
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by songsf4s | 2008-02-17 19:49 | 日本の雪の歌