真白き富士の嶺 by 坂本九
タイトル
真白き富士の嶺
アーティスト
坂本九
ライター
三角錫子, Jeremiah Ingalls
収録アルバム
九ちゃん 明治を歌う
リリース年
1967(昭和42)年
他のヴァージョン
ミス・コロムビア、TV『名曲アルバム』ほか
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本日もゲストライターTonieさんによる「日本の雪の歌特集」です。昨日までのはっぴいえんどなら、わたしもよく知っている世界でしたが、いよいよ本日は当ブログの守備範囲を超えて、「深日本」にむかって一歩を踏みだします。いや、日本の近代音楽と西洋音楽の微妙なあわいへ、というべきでしょうか。(席亭songsf4s敬白)

◆ 富士の高嶺に降る雪 ◆◆
「はいからはくち」のはっぴいえんどの次は、明治時代に歌われた「ハイカラ節」……ではなく、同じく、明治時代に歌われた「真白き富士の嶺」です。

一口に「雪」の歌といっても、切り口は色々あります。雪の儚い部分や美しい部分を中心に据えた歌(「白雪」「淡雪」「み雪」といった言葉でとりあげられるでしょう)から、冬の寒い様子や辛く厳しいさまを取り上げた歌(「吹雪」のような言葉で表現されるでしょう)まで多種多様です。

北国の厳寒の山野(by songsf4sさん)に住むものとしては、最近、毎日雪かきにあけくれていますから、まず、寒く厳しい様子を書くべきかもしれません(それでも雪結晶は素晴らしく美しい!)。でも、人口の都道府県別比率を考えると、読者の方々が多く住んでいると思われる関東では、雪は美しいものだと思いますし、一年に数度しか降らない富士山の雪が一番身近な雪だと思います。これらをふまえて、今回は、日本の「雪景色」の代表として、「富士山の雪景色」を取り上げてみたいと思います

◆ 田子の浦ゆ ◆◆
まず、「真白き富士の嶺(根)」の曲そのものは、一旦置いておいて(まだはじまってもないのに……)、一番有名な「富士山」の歌は何かといえば、やはり次の歌になると思います。

「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける(山部赤人)」万葉集318

山部赤人は、長歌「不盡山」(万葉集317)で、富士山のことを歌っています。そちらのほうが“高く貴き”姿を現していると思いますが、この短歌(反歌)の方が富士山を愛でる気持ちが明快に伝わってきます。中学時代にこの歌を習ったとき、「ゆ」の使い方にずいぶん興味を持ちました。「田子の浦“に”」」なら、スッといくのに、助詞で「ゆ」がなぜか使われているんですから、誰でもビックリしますよね。「和歌」と「歌」は違う!などと、それほど目くじら立てないでください、だいぶ脱線していますが、すいません、すぐ終わりますので(林家三平か…)。

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逗子のお隣、葉山森戸海岸より見た真冬の富士。Tonieさんからは、海のある冠雪した富士の写真を、というご注文でしたが、よそさんのを拝借するのもなんなので、ひらめきも技術も皆無の愚作で勘弁していただきました。お目汚しでどうも相済みません(songsf4s)。

こうした万葉集などの和歌に曲をつける作業は、菅原明朗、瀧廉太郎あたりがやっていたようで、この「不盡山」にも朗詠調の雅楽で「節」をつけたものがあるようです。ただ、雅楽に親しむ習慣があまりないので、これ以上、そちらをつっこんだりせず先を急ぎます。

◆ 鎮魂歌「真白き富士の根(七里ヶ浜哀歌)」の成立背景 ◆◆
突然、本題にもどって、この歌の作られた背景を簡単に記します。

明治43年1月23日に神奈川県の七里ケ浜でボートが沈み、乗っていた逗子開成中学の生徒ら12名全員が死亡しました。中学といっても今の中学とは違い、旧制中学ですから、亡くなったのは10歳から21歳の12名でした(中学5年生(16~21歳)、中学4年生(19歳、17歳)など)。1月27日には全員の遺体が発見され、2月5日逗子の久木の妙光寺で追弔会(合同葬儀)が行われました。この葬儀には学校関係者が出なかったようで、翌日の2月6日に、追悼の大法会(ボート転覆事故の慰霊祭)が逗子開成中学の校庭で開催されたということです。

その法会に出席した鎌倉女学校生徒らにより、鎮魂歌として歌われたのが「真白き富士の根(七里ヶ浜哀歌)」だそうで、この歌が初演されたのは、このときということになります。いくつかのサイトで「真白き富士の根(あるいは嶺)」について、書いているところがありますが、逗子開成中学のサイトに詳しいです。

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葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち「相州七里濱」

◆ 「When We Arrive at Home」と「夢の外」 ◆◆
また、手代木俊一氏の本などいくつか本を読むと、この曲に詞をつけたのは三角錫子(みすみ すずこ)という女学校の先生だということが分かります。さらに、この曲を収録した、唱歌集の編集をした堀内敬三が賛美歌のチューン・ネーム「Garden」という単語を作曲者名と混同して、うっかり紹介してしまったためか、ガードン(ガーデン)として広まったけれど、実際はインガルスという人が作ったようだ、ということも分かります。そう、この曲はインガルスという人が作った賛美歌「When We Arrive at Home」に詞をつけた曲だったようなのです。

この曲は次のような成立経過をたどっているようです。

1「Piss upon the Grass」(1740)*下品な題名
「Nancy Dawson」(1760)*イギリスのダンス音楽、上とほぼ同曲
「Love Dvine」(1805)*インガルスが前半を編曲、後半部分を作曲
4 「Garden」(1835)
5「When We Arrive at Home」(1882)
6「夢の外」(1890)
7「真白き富士の根(山本正夫調和)」(1916)*アウフタクトに。
「真白き富士の根(堀内敬三編)」(1930)

その後、この曲は、演歌師によって、短調で歌われて広まったということですが、想像はつくものの、今のところ、短調で歌われた曲を聴いたことありません。

◆ 九ちゃん ◆◆
ようやくアーティスト、我らが九ちゃんの登場です。「真白き富士の嶺」といえば、ミス・コロムビアか菊池章子と相場が決まっているのでしょうが、今回は、九ちゃんでいきます。

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福田俊二編『懐かしの流行歌集 戦前戦中1』柘植書房。昭和3年から昭和10年までのSP盤の文句紙(歌詞カード)を集めたもの。

[追補] この曲は1967(昭和42)年1月25日に発売されています。前年に松竹映画「坊ちゃん」で主演、この年はフジテレビの連続ドラマ「うちの大物」に出演し、袴姿が似合う熱血九州男児を演じたそうです(メモリアルボックスの解説より)。時代というより袴から明治という発想だったようですね。

『九ちゃん 明治を歌う』の演奏は、東芝レコーディング・オーケストラとなっていて、この曲は、編曲を前田憲男が手がけています。『明治を歌う』とあるだけに「戦友」「宮さん宮さん」「大楠公」「東雲節」「鉄道唱歌」などが入っています。「宮さん宮さん」、「デカンショ節」(篠山節)、「東雲節」、「鉄道唱歌」は、我等がクレージーサウンドの雄、萩原哲晶の編曲です!

なお、この年の1月に行われた、『初笑いクレイジーだよ! ザ・ピーナッツ』という日劇のショー(指揮・多忠修)の「第六景 明治百年」でも、ザ・ピーナッツが「抜刀隊の歌」、「宮さん宮さん」、「ハイカラ節~七里ヶ浜哀歌~ラッパ節」というメドレーを取り上げているようです。

しかし、ハイカラ節~七里ヶ浜哀歌メドレーですから、「はいからはくち」のはっぴいえんどの次に「真白き富士の根」を取り上げるのは、流れとして悪いことではないようです(^_^)。また、このショーでは、クレージーが第8景で「万葉集」もやっているので、今回前半に万葉集をとりあげたのも、あながち見当はずれの方向じゃない、と妙に自信を持ちました! いずれにせよ「七里ヶ浜哀歌」は、明治の歌としてはかかせない1曲だったのでしょう。

「真白き富士の根」のイントロは、ヴァイオリンか何かの弦楽器の調べに管楽器がメロディを入れてきます。このように3分ポップスのイントロでストリングスが効果的に使われていると、これから新しいポップスの幕開けだぁという、ワクワクした感じがします。『Secret Life of Harpers Bizarre』の1曲目で「Look to the Rainbow」を聞いたときのようなそんな感じです(「真白き」は、アルバムの1曲目ではないですが)。この曲はストリングスとの親和性が高いようで、こないだも名曲アルバムというTV番組のなかで、オーケストラアレンジで取り上げられていました。

それではまず1番の歌詞です。

真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみ霊に
捧げまつる 胸と心

まず、最初にイメージが鮮明に残る出だしです。今の曲のタイトルとなっている「真白き富士の根」を最初に歌ってしまいます。これが、「真白」で始まる曲の先鞭をつけたのかもしれません。

渡辺はま子「愛国の花」福田正夫作詞、古関裕而作曲(昭和14年)
「真白き 富士の気高さを こころの強い 楯として」

霧島昇、二葉あき子「高原の月」西条八十作詞、仁木他喜雄作曲(昭和17年)
「真白に高き 雪の峰 浮き世の塵に 染まぬ花
清き世界を 照らしゆく ああ 高原の月 なに想う」


そして、遠方の富士山とボート転覆のあった近隣の岸辺を対比した、1枚の風景画を思い描かせ、事故のあった海については、その真ん中へ位置づけて、シッカリと浮かび上がらせます。「緑の江の島」は江ノ島を指す、慣用句、いや、常套語ですかね。

2行目以降は、起こったことを書いて、魂を鎮めるという作業です。ただ、「胸と心」って、意味が同じように思うのですが、違うのかなぁ? と思いました。

構成はA-A'-B-A'とでも言うんでしょうか、単純な構造ですし、覚えて一緒に歌いやすいメロディです。この曲の出自からいって、みんなで法会で歌えないと困る曲でしたけれどもね。

AメロとA'メロで、この曲の「ふじーのね↓―↓」と2段階で下がるメロディが次の「みるも↓」と半分だけ下げるところが、ちょっと歌って気持ちの良い部分です。

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葛飾北斎『富嶽三十六景』のうち「相州江の嶋」

2番は次のとおりです。

ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も浪も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母
恨みは深し 七里が浜

ここは事故をそのまま歌にしたという歌詞です。

次の3番で「雪」が登場します。

み雪は咽びぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影をひそめ
みたまよいずこに 迷いておわすか
帰れ早く 母の胸に

この3番が、一般化されていて、非常にいい歌詞だと思います。もともとこの曲は、大和田“鉄道唱歌”建樹氏の作詞した明治唱歌「夢の外」を参考に一晩で作り上げたようですが。3番の詞への影響が著しいと思います。

「夢の外(3番)」作詩大和田建樹

雲路にながめし 昨日の我宿
月も風も なれてそでを
うれしさあまりて ねられぬ枕に
ひびくみずの 声もむかし

「月も風も」が「月も星も」となっていて、風が前に出てきています。

話が飛びますが、昭和の初めまで、賛美歌には詩形のインデックスがついてたそうです。あちらでは、通常1音符に1シラブル(音節)を載せるので、おなじミーター(詩形)なら歌詞を交換して歌えるそうです。代表的な詩形としては、CM(Common Meter、八六八六の詩形)、SM(Short Meter、六六八六の詩形)、LM(八八八八の詩形)というのがあり、この八語基本で成り立っている。日本の七・五調の曲なら、七つの後に一つ間をおいたり、五の方は五番目の音を四つのばすとか、五個出てから三つやすむとか、八つでまとめるとうまく乗りやすいということになります。しかし、日本語には高低のアクセントがあるため、ミーターが同じでも歌うことが出来ないとされていて、たしかに、この曲でも「夢の外」と「真白き」では全部の単語のアクセントが同じではないので、歌ってみるとそれぞれ印象は異なります。

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賛美歌「When We Arrive at Home」が明治23年に邦語唱歌「夢の外」となった。

帰らぬ浪路に友よぶ千鳥の
我も恋し失せし人よ
つきせぬ恨に泣くねは共々
今日もあすもかくて永久に

歌詞は6番までありますが、九ちゃんの曲は4、5を省略して、ここでおわりです。

◆ ヨナ抜き ◆◆
この曲は、賛美歌には珍しくヨナ抜きだそうです。ドレミファソラシドの7音階のうち、4番目の「ファ」と7番目の「シ」のところにある半音を抜いて、5音階だけで構成した曲をヨナ抜きというのだそうですが、日本に古くから歌われていた「都節」(陰音階)によくにた音の組み合わせで、この音階は、日本人の好みにあった哀感を、とくに強く感じさせる響きがあるのです。

昭和3年から終戦の年の20年までの曲についてみると、「ヨナ抜き短音階」が約50パーセント、「ヨナ抜き長音階」が25パーセントと、実にヨナ抜きだけで75パーセントを占めるという五音階のオンパレードだったそうです。

ヨナ抜きの代表選手は、中山晋平です。彼は「ヨナ抜き短音階」を主調に作曲をして「船頭小唄」で“晋平節”を定着させたのですが、彼の手がけた「シャボン玉」が、もとは賛美歌「主われを愛す」だといわれていて、この曲も(一部、異なるが)ヨナ抜きが基本です。

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『アルス音楽大講座9 ジャズ音楽』(昭11)所載、中山晋平「歌謡曲の作曲について」より。自分の使用した音階をパターン分けして紹介している。

坂本九は、短調で歌っていないにもかかわらず、哀愁を帯びていた歌声で、非常に印象深いです。エルヴィスの物まねで人気を博したそうですが、歌にアジがありますよね。

最後に、この九ちゃんの代表曲「Sukiyaki」がなぜ、アメリカで一位になれたのかずっと考えてきました。でも、今もまだよく分からないのです。解決してくれるサイトも見つかりません。ケニー・ボール楽団のカヴァーがイギリスで事前にはやった、とかペチュラ・クラークが題名の選択を手伝った、などいろいろエピソードは紹介されてきつつありますが、じゃあ、なぜ、イギリスで流行ったのかという疑問にまでは答えてくれません。

それで、今日、ふと思った仮説が1つあります。それは、この「Sukiyaki」もヨナ抜き!ですし、この曲がちょうどアメリカの人にとって、「When We Arrive at Home」のような賛美歌の改変された一曲として捉えられたので浸透しやすかったのでは、という仮説です。

北の地に降る、み雪に包まれ、航空機墜落事故で亡くなってしまった九ちゃんの歌を聴きながら、こんなことをおもっていると、「Sukiyaki」とセットで、この「真白き富士の根」が九ちゃん自身への鎮魂曲でもあるかのように感じてしまいます。

参考文献
安田寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語―讃美歌と近代化の間で』文春新書
手代木俊一『讃美歌・聖歌と日本の近代』音楽之友社
塩澤実信「昭和のすたるじい流行歌」第三文明社
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by songsf4s | 2008-02-15 22:25 | 日本の雪の歌