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かくれんぼ by はっぴいえんど その1
タイトル
かくれんぼ
アーティスト
はっぴいえんど
ライター
松本隆, 大滝詠一
収録アルバム
はっぴいえんど
リリース年
1970年
他のヴァージョン
live version of the same artist、センチメンタル・シティ・ロマンス、すかんち
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本日から数回にわたって、年来の若き友人であるTonieさんに、「日本の雪の歌」特集を担当していただきます。

こういう方面も扱ってみたいという思いはあるものの、わたしには手に余ること、そして、たまたま、わたしよりよくご存知の人が近くにいらしたということが、この書き手交代の理由ですが、客席から舞台を見て、ついでに茶々を入れたりするのも、シャレとして面白いかもしれないとも考えました。

ということで、わたしはしばらく表から退場しますが、毎回かならず茶々を入れ、いや、コメントをつけに裏で登場させていただきます。それが楽しみで、この企画をTonieさんにお願いしたのですから。それでは、北国の厳寒の山野から帰ってきたTonieさんの記事をお楽しみください。

席亭songsf4s敬白

◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆

みなさま、はじめまして。本ブログに時々コメントを書込ませていただいているTonieといいます。今回、songsf4sさんから「日本の雪の歌」に挑戦してみないかと、お声をかけて頂きました。知識も実経験も不足しているのですが、songsf4sさんがコメントにまわったとき、どんなコメントを付けてくださるか、これだけを楽しみに、エルヴィスに教わった「Easy Come, Easy Go&Let Yourself Go」精神でトライしたいと思います。4、5回、1週間ぐらいで終わりますので、songsf4sさんの更新を楽しみにされていた方は、また来週にでも、頃合いを見計らっておいでください!!(人様のブログにきた客を追い返してどうする……)

それでは、改めまして、本日は、本ブログに来られる方にもわりあい馴染みが深い作詞家であろう、松本隆の曲を取り上げます。松本隆の自信作である、「宵待ち雪」(裕木奈江)なども考えましたが、あまり奇を衒わず、はっぴいえんどを取り上げます。はっぴいえんどは、songsf4sさんが昨年の8月に「夏なんです」を既にとりあげてらっしゃいますので、2度目の登場ということになります。

はじめる前に、決意表明代わりの告白を一つ。前回の記事「夏なんです」にあったように「君たちは、わたしが君たちを必要としていたときに、いったいどこにいたんだ?」といわれたら、ちょうどお腹の中にいた頃ということになろうかと思います!

そんな、今から20年ほど前に、はっぴいえんどの「CD」が初めて出始めたときに聞き始めた“新参”の「遅れてきた」はっぴいえんどファンが、「当時の」はっぴいえんどファンを前にして、畏れ多いのですが、ドンとドントドント、波乗り越えていきたいと思います。

◆ 都市の雪景色 ◆◆
「すると都市の残酷さというのは、その下に土を隠しているところだね」「反対だよ、例えば雪景色さ。君は消去されたと言ったけど、緑はあの下にあるんだよ。春になればきえちまう雪は、あの下に土と緑を隠しているから、やさしいんだよ。街も同じさ。街の下は決っして空虚じゃない。街は決っして土を消去はしない。だから街は見かけよりずっとやさしい感じがするんだ」(松本隆「冬の機関車に乗って」)

かくれんぼ by はっぴいえんど その1_f0147840_8592027.jpg「かくれんぼ」の詞に入る前に、少し地ならし、いや、雪ならしからはじめます。松本隆の『風のくわるてっと』(ブロンズ社)の第1章「一の弦 みえないまなざしから」には「かくれんぼ」の詩が載っています。

上の文は「かくれんぼ」の二つほど前に載っている短編小説「冬の機関車に乗って」の一文です。青森でのコンサートを終え、翌朝、東京へトンボ帰りするロック・グループのメンバーである“彼”が、マネージャーである“友人”と列車内で「雪」について、議論します。友人(もちろん、はっぴいえんどの知性砦である、石浦信三がモデルでしょう)は、三好達治の「雪」という詩を貶します。

「この詩は古くさい短歌的抒情で成立っているんだ。ぼくらはそういうものを壊していかなけりゃならない。ぼくらは都市で生まれ都市で育った。だから詩は、都市の言葉でなければかけないってことぐらい君も知ってるだろう。いいかい、都市の言葉は今では腐敗しているんだ」

これに対して、彼は「詩の言葉は確かに腐敗している」とした上で、「ロックとカントリーの接点、すなわち都市と田舎の接点を見つけたい」と返します。そして、上記の引用文章に繋がるのですが、ここでは「雪景色」を、街をやさしく彩る接合点として見立てています。

なお、ここでいう「田舎」は、農漁村ではなく、松本隆の生まれ故郷としての田舎、すなわち1949年7月、東京都港区生まれの松本隆が育った「昭和20年代の東京」が大きな構成要素を占めている田舎なのだと思います。「雪景色」は、街を覆う雪により呼起される、あこがれの「冬の風街」への近道切符なのでしょう。

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それでは、「かくれんぼ」の歌詞を、“雪景色”が登場するまで、順番にみていきます。漢字の表記、段替え等は『風のくわるてっと』によりましたので、LPと違っている場合もありますが、ご容赦ください。

◆ 都市の風景色 ◆◆

曇った空の浅い夕暮れ
雲を浮かべて烟草をふかす風はすっかり
凪いでしまった私は熱いお茶を飲んでる

この「かくれんぼ」の詞は、松本氏が冬の午後に詞を書こうと思って、渋谷のブラックホークにいったときの印象をまとめたものだということです。

かくれんぼ by はっぴいえんど その1_f0147840_15543744.jpg《松本 タバコを喫うと煙が空間にたまる。ラリー・コリエルか何かのレコードがかかっている、ぼーっとその煙をみている》(『定本はっぴいえんど』)

「かくれんぼ」の1行目が「曇った“冬”の」だったのを、大滝詠一が間違って歌ったというのは、夙に有名な話でしょうが、単に歌詞を歌い間違えたのだとすると、元の歌では「ふーゆの」で「ふ」にアクセントが来てしまいます。日本語の“ふゆ”は「ゆ」にアクセントがありますから、「ふ」にアクセントをつけて歌うと、聞いていて非常に居心地悪い“浮遊”状態につながります。このため、歌の出だしとしては、結果的に「冬」より「空」としたことで、まとまっているのではないかと思います。

その反面、このメロディは、この「空」の「そ」のアクセントにしばられてしまっています。例えば、「私は熱い」の「あ“つ”い」が「あ」にアクセントがきてしまう圧力状態(「私は圧い」)を生み出していますし、次のフレーズで登場する「あまった時」も絶滅寸前なはずなのに大量在庫を抱える不思議な状態(「余った朱鷺が」)をまねいています。

はっぴいえんどの詞ではあらゆる実験をした、というように松本隆がいってますし、メロディに合わせて、あえて詞をブツ切れにした曲もあるし、「音数だけでやりとりした」というエピソードもありますし、はっぴいえんどに日本語の音韻どおりのメロディー進行を期待し、それだけを肯定するものではありません。

《大滝 全然想像も何もしないでパッと合ったときにすごい新鮮な感じがするんですよね。詩とメロディもそうなんですよ、はっぴいえんど時代に、僕、松本(隆)に1回もメロディを聞かしたことがない。メロディの言葉、7、5、6、5……。
相倉久人 それだけを指定するわけ?
大滝 そうすると、かならず、ここは5と書いてあるが7、これは譲れないとか書いてくるわけ。その5つ、どうやって7つにして歌おうかなと思って考える。またそれが自分自身にとっておもしろい》(徳間ボックス解説)

大滝詠一もここまで徹底して、日本語のアクセント壊す手法をとりながら、最初の歌い出しではちょっと壊しきれずに、無意識にメロディにあったアクセントを持つ「空」を選んでしまったのでしょう。

はっぴいえんどは「日本語のロック」論争と無関係ではいられません。日本語でロックを歌うことを聴く者に問い、日本語でロックを歌う意味を音楽界から問われ続けたバンドです。スタッフ的発想では、むしろ渦中にいて、ムーブメントを作り出す側にいたのかもしれませんが、メンバー全員が好む好まざるに関係なく巻き込まれた部分もあり、常に日本語の歌詞とメロディの関係を意識せざるを得ない状況下にあったことが、歌い手としての細野晴臣、大滝詠一が日本の古い歌に興味をもって、それぞれの方法でアプローチしていくきっかけになっているように思います。

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はっぴいえんどの母体となったバンド、エイプリル・フール。左から松本隆、細野晴臣。このアルバムでは日本語の歌詞がつけられたのは2曲だけだった。

歌詞に戻ります。「空」から「雲」へ描写がうつり、そして、その雲が「煙草」の煙につながるという遠景から近景にずーっと迫ってくる様子は、たった2行でも臨場感にあふれていて、お茶を飲む現場に立ち会っている感覚にとらわれます。「曇った」と「雲」と、頭韻を踏んでいるのですが、歌い方が全く違っていて、これ見よがしではないのも大いに結構です。

そして、3行目に“凪いでしまった風”が登場します。この「風」の登場の仕方は、この曲のハイライトのひとつでしょう。遅れてきたはっぴいえんどファンの多くは、たぶん、「風」にはこだわりを持っています。僕は、坂口安吾好きでしたので、もともと“風博士”好きでしたが(^_^)、はっぴいえんどの曲を好きになり、「風のくわるてっと」、「風都市」、「風待ろまん」などはっぴいえんどの周囲に満ち溢れている「風」に強く感応し、都市に吹く風に憧れました。

「颱風」という曲は、宮沢賢治の「風の又三郎」にデディケートされていますが、宮沢賢治の描く「田舎」の風も包有しているところが、はっぴいえんどの奥深さにつながるとおもいます(“日活”で映画化されているということを知って、曲への愛着が増しました。菅原都々子によってレコード化もされています)。

僕がはっぴいえんどファンになった、20年ほど前はちょうど再結成ライブ後、再評価前夜のスポット的な暗黒期ともいうべき、メディアに取り上げられる機会は少ない時期でした。残されているのは活字情報ですから、『風待ろまん』を「かぜまちろまん」と読むのか、「かざまちろまん」と読むのか、はたまた、「ふうがいろまん」なのか正解が分からず、困っていました。「君の好きなアルバムは?」と同級生に聞かれても、声に出して告げられませんから、一人でこっそり、風を感じて聞くだけなのです!

それだけに、はっぴいえんどの曲で、風がふかない状態というのは、それだけで、ちょっと気になる状態、なのです。特に、この曲は、はっぴいえんどのファーストのA面2曲目です。1曲目の「春よ来い」には「風」という単語は出てきませんから、最初に登場する「はっぴいえんどの風」ということになります。逆説を弄するような書き方になりますが、「風」に満ち溢れた、はっぴいえんどの「風」デビューは、“凪いでいた”のですね。

かくれんぼ by はっぴいえんど その1_f0147840_20185325.jpgなお、蛇足になりますが、やはり松本氏の作詞で、風を感じるアルバム、大滝詠一『A LONG V・A・C・A・T・I・O・N』(帯文句「BREEZEが心の中を通り抜ける」。A面4曲目を除き、作詞は松本隆)では、最初に風が登場するのは、やはりA面2曲目で「“風”景画みたい」という登場の仕方でした。続いて3曲目でも「風も動かない」という、フレーズが登場し、いずれも“静止した”かたちなのが意外です(ディンギーは風がないと滑らないでしょうから、1曲目から風が吹いている、ともいえますが!)。

80年代の松本隆の詩集『風のバルコニー』には、プロフィールが1ページだけ載っています。そこに「専売特許」という項目があります。そこにはこんな言葉がありました。

「風、街、摩天楼、空色、望遠レンズ、9月、12月、ハイヒール、透明、絵の具、ガス燈、都市、ガラス越し、はいから、椰子、路面電車 etc.etc...」

松本ファンであれば、どれもうなづくラインナップでしょう。どのキーワードが琴線にふれるかは各個人の触れてきた松本体験によるのでしょうが、松本隆の世界が70年代からブレずに同じテーマを何度も何度も繰り返し繰り返し、扱ってきたことが窺い知れます。

そして、やはり「風」がトップバッターでした。

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松本隆詩集『風のバルコニー』シンコーミュージック、1981年12月25日刊

また、詞の中の「凪いだ風」に話を戻します。これは、烟草の煙がすーっとあがっていく様子をうまく伝えて、空虚感を彩る印象的な単語に思います。そして、ようやく3行目の終わり「私は熱いお茶を飲んでる」です。大事なフレーズ「お茶を飲んでいる」にようやくたどり着きましたが、「お茶」はこれから何度も飲むので、後回しにして次のフレーズを続けます。

◆ 「You & Me」 ◆◆

「きみが欲しい」なんて言ってみて
うらでそおっと滑り落とす
吐息のような嘘が一片
私は熱いお茶を飲んでる

ここではじめて「きみ」が登場します。烟草をふかして、お茶を飲んでいたのは、一人でじゃなくて、誰かと向き合っていたのだとようやくわかります。松本隆の世界の本質は、「おまえ」でも、「あんた」でも、「彼女」でもなく、「きみ」と「ぼく」(ここでは私)の世界なのだと思います。

この歌詞は、単刀直入な“I Love You”の歌詞は展開しないんだという、はっぴいえんどのラブソングに対するスタンスをしっかり表明したような歌詞です。この曲には少し異なる原詞があり、そのタイトルを「ちっちゃな田舎のコーヒー店」といいます。そちらでは、“「君きれいだよ」なんて言ってみて”となっています。この2つの歌詞を比較すると、少し単刀直入な歌詞に改変したといえるのかもしれません。

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僕が虚勢で嘘をついているのが悪いのか、君がかわしているから悪いのか、なんとも言葉にならない冷たい空間が二人の間に広がってます。この「吐息のような嘘」は面白い表現です。「~のような吐息」という表現は吐息の小ささや大きさを比喩するのに使われうるでしょうが、「嘘」を喩えるのに「吐息」ですから、詩人じゃないと使わないでしょう。

この嘘は、「五万節」にあげられる、「打ったホームラン五万本」といったホラの類いとは毛色が異なる嘘のようだとわかります。ひとひらというのは、「雪」を修飾する言葉としてよく使われる表現だと思いますが、強がる嘘と本音がちらちらと見え隠れする「かくれんぼ」の本質を表しているくだりだと思います。

そして、「お茶」を飲んでいます。お茶はまだ飲むので、また後回しにして次のフレーズを続けますが、少し重いサウンドにお茶を飲みたくなる気分が段々と分かってきます。最初に買ったCDの歌詞カードには、「裡でそおっと滑り落とす」、「吐息のような嘘が一枚」となっています。LPでも多分そうでしょう。難しすぎる漢字に「狸」かと思い、最初に歌詞カード見たときには、思わず読み返しました。なお、『風のくわるてっと』では、「『きみが欲しい』なんん言ってみて」となっていましたが、誤植と判断し、「なんて」としました。

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BOXに同包復刊された楽譜集ではむずかしい漢字はまったく使っていない。


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(Exciteブログの文字数制限のため、1回では収録しきれず、残りは明日以降に掲載させていただきます。席亭敬白)
by songsf4s | 2008-02-13 14:54 | 日本の雪の歌