- タイトル
- Dire Wolf
- アーティスト
- Grateful Dead
- ライター
- Robert Hunter, Jerry Garcia
- 収録アルバム
- Workingman's Dead
- リリース年
- 1970年
- 他のヴァージョン
- various live versions of the same artist, Jerry Garcia & John Kahn
さて、やっとグレイトフル・デッドの再登場です。ほんとうは連続して「冬の死者」特集でも組みたいところなのですが、一曲やるたびに疲労困憊するし、下調べにも時間がかかるので、今後も毎週一曲ぐらいのペースで、なんとかあと三曲ぐらいは見たいと思っています。
今日は各ヴァージョンの検討まではたどり着けないと、いまからもうわかっちゃっているのだから困ったものです。不可解な歌詞の指し示すことがらの一端だけでもつかめれば幸運でしょう。
このDire Wolfという曲は、ロバート・ハンターとジェリー・ガルシアが、テレビで『バスカーヴィル家の犬』を見たのがきっかけとなったと、ハンターがいっています。そこで今日は、狼ならぬ、『バスカーヴィル家の犬』の挿絵で飾ることにしました。出典は河出書房新社刊『シャーロック・ホームズ全集』第5巻と、あかね書房刊『少年少女世界推理文学全集』第2巻(1963年刊)です。前者は、初出の「ストランド・マガジン」に掲載されたシドニー・パジェットによるもの、後者は若き横尾忠則によるものです。片やきわめて19世紀的、片やきわめて60年代的です。
以下の一文では、『バスカーヴィル家の犬』にふれているので、これから同書をお読みになる方は、本日の記事はここらで切り上げられるようにお奨めします。犯人を名指しにはしないつもりですが、この物語の興味の中心のひとつである、「魔犬」の正体にはふれることになります。
◆ フェナーリオと地獄の狼 ◆◆
それではファースト・ヴァース。1970年リリースのアルバムWorkingman's Dead収録のスタジオ録音に依拠しました。
The wolves are running round
The winter was so hard and cold
Froze ten feet 'neath the ground
「フェナーリオの森では狼が走りまわっている、冬はきびしく、地面の3メートル下まで凍りつくほどだ」
はじめはそろりとやさしく、というわけでもないでしょうが、とくにわかりにくいところはありません。ここで問題になるのはフェナーリオだけでしょう。これについては、デッド歌詞研究サイトでもずいぶん問題にされていますが、とりあえず、実在の地名であるという確証は出ていないそうです。
唯一の手がかりとして、デッドがライヴでしばしばやっていたトラッド曲、Peggy-O(スタジオ録音もあるが、当時はリリースされず、Beyond Descriptionボックスにボーナスとして収録)という曲があげられています。ここにもフェナーリオが登場するのです。Peggy-Oのコーラスを以下に引用します。
As we rode out to Fennario
Our captain fell in love with a lady like a dove
And he called her by name pretty Peggy-O
この場合も、素直に読めば、地名と受け取るしかないでしょう。たんに実在ではないというだけのことです。ロバート・ハンターはこの曲からフェナーリオという固有名詞を得た可能性が高いでしょう。もっとも、問題はなぜこの固有名詞を使ったか、ということなのですが。
ここからは話が細かくなりますが、この曲の出自と無関係ではないかもしれないので、デッド歌詞研究家デイヴィッド・ドッドの説を引き写しておきます。ドッドはFennarioの語幹、fenに着目しています。リーダーズには「沼地、沼沢地、湿原」とありますが、ドッドが引用したOxford English Dictionaryの定義では「"Low land covered wholly or partially with shallow water, or subject to frequent inundations; a tract of such land, a marsh. ...esp. the fens: certain low-lying districts in Cambridgeshire, Lincolnshire, and some adjoining counties."すなわち「すべて、あるいは一部が浅い水で覆われた、または頻繁に洪水に見舞われる低地; そうした痕跡のある土地、沼地(後略)」とされているそうです。ケンブリッジシア、リンカーンシアと州の名前が並んでいるので、とくにそのあたりにある沼地、低湿地をいうようです。
ドッドのサイトに寄せられた読者の意見のなかに、Fennarioのfenは、fenrirからの連想ではないか、というものがあります。わたしも、この人と同じことを考えました。北欧神話の地獄の門番(狼の姿だそうですが)フェンリルです。連想の糸というのはしばしば一本ではなく、複雑な縒り糸になっているものなので、どちらが正しいとはいえませんが、リスナーにヒントをあたえる意味からも、ハンターはわかりやすい連想の糸を示したように、わたしには思えます。日本的にいえば縁語です。
ドッドの「沼地」説は、わたしにはうがちすぎに思えますが、念のために示しておいたのは、それが『バスカーヴィル家の犬』につながるからです。あの「魔犬」は底なし沼に囲まれた中の島で飼われていました。
◆ 赤いウィスキーだけの最後の晩餐 ◆◆
以下はコーラス。
I beg of you don't murder me
Please don't murder me
「俺を殺さないでくれ、頼むから俺を殺さないでくれ」
これだけでは、まだ意味がわかりません。なんていうと、このあとで意味がわかるかのようですが、コーラスがこうなっている理由は、詰まるところ、よくわかりません。ただ一点、Don't kill meではなく、Don't murder meとしている理由だけは、『バスカーヴィル家の犬』との関連で腑に落ちました。いや、もちろん、killよりmurderのほうが強い語感ですし、シラブルの問題もあるでしょうが。
セカンド・ヴァース。
T'was a bottle of red whiskey
I said my prayers and went to bed
That's the last they saw of me
「俺は夕食の席についた、といっても、それは一本のレッド・ウィスキーだった、そしてお祈りを唱え、ベッドに入った。以後、俺の姿を見たものはいない」
夕食がウィスキーだけとはまたすさまじい。稲垣足穂が神楽坂に住んでいたころのことを回想した『東京遁走曲』で、同じようなことを書いていたのを思いだします。日本酒は栄養価が高いのだ、と言い張っていましたが、それだけで生きられるはずがなく、足穂もまた死線を彷徨うことになります。と、これは寄り道。
このヴァースのことにかぎったコメントではありませんが、ハンターはこういっています。「Dire Wolfの基本的な設定は、真冬でだれもがひもじい思いをしているが、この男はささやかなねぐらをもっていて、そこに突然、モンスターがあらわれ……」云々。ここから先は、結末に関係があるので、最後のヴァースのところでふれます。
ここで引っかかるのは「レッド・ウィスキー」です。「琥珀色の酒」というぐらいで、ウィスキーはみな赤っぽい色をしているから、ということで通りすぎそうになったのですが、ことはそう簡単ではないようです。
デッド歌詞研究サイトの読者投稿によると、どうやらこれはバーボンのことを指しているようです。くわしいことは煩瑣なので略しますが、「ストレート・バーボン・ウイスキーは、内面を焦がした新樽に熟成されるため色調が濃く、香味も世界のウイスキーのなかでもっとも強烈である」という、この「焦がした」にポイントがあるようで、これが独特の赤みがかった色合いを生むのだとか。
ひとつ思いだしたことがあります。デッドの音響を担当している会社、アレンビックは「蒸留器」という意味です。まあ、関係ないでしょうけれど。
◆ 600ポンドの罪のかたまり ◆◆
コーラスをはさんで、サード・ヴァースへ。
Was grinning at my window, all I said was "Come on in"
「目が覚めると、600ポンドの罪のかたまり、ダイア・ウォルフが歯をむいて窓から覗きこんでいた、俺は『入ってこいよ』といっただけだった」
さて、いよいよ不可解領域に入りこみます。しかし、そのまえに、まず、ダイア・ウォルフとはなにかという問題から片づけましょう。
ダイア・ウォルフには2種類あります。ひとつは、更新世に実在した小型の狼、もうひとつは北米の伝説上の大型の狼です。かつては実在のものも大型と考えられていたそうですが、研究の結果、小型の狼とわかったそうで、これについてはロバート・ハンターもふれています。この詩を書いたときは、ダイア・ウォルフはとてつもなく大きな獣だと思っていたそうで、その後、じつは小型で群になって行動することがわかったが、「ダイア」という名前のとてつもなく大きな獣というアイディアがあれば、詩を書く引き金として十分だった、そうです。
six hundred pounds of sinについて。1パウンド(ポンド)は453.6グラムなので、600パウンドは272.16キロです。のしかかってほしくはない重量です。犬科でもっとも大きいアイリッシュ・ウルフハウンドやセント・バーナードでも100キロ台のようなので、272キロというのは、もはや犬の親戚とはいえないサイズ、重量です。バスカーヴィルの魔犬もしのぐのではないでしょうか。
どんなに意味不明の歌詞でも、思わずいっしょに歌ってしまうラインというのはあるもので、Dire Wolfの場合、わたしはこのヴァースの前半、When I woke up, the dire wolf, six hundred pounds of sin、それもとくに後半が好きで、かならずシングアロングします。メロディーおよびリズムと、言葉の音韻がうまくマッチしているからでしょう。
◆ スペードの女王 ◆◆
コーラスをはさんで、フォース・ヴァースへ。
I got my cards, we sat down for a game
I cut my deck to the queen of spades
But the cards were all the same
「狼は入ってきた、カードをもっていたので、俺たちはゲームをはじめた、俺が山から一枚とると、それはスペードの女王だった、だがカードはみな同じものだった」
まず、「スペードの女王」がなにを意味するかという問題。デッド歌詞研究サイトの読者投稿で、プーシキンの短編「スペードの女王」と関連があるのではないかという説が持ち出されています。青空文庫でこの小説を読めるのではないかと思ったのですが、残念、目下作業中となっていて、公開にはまだ時間がかかりそうです。かわりに、ニッポニカ百科事典からこの短編の梗概を以下に引用します。
「ロシアに帰化したドイツ人の子で、ドイツ的堅実さのうちに情熱と空想を秘める若い工兵士官ゲルマンは、賭けカルタをかならず勝利に導く奇跡的方法を知る87歳の老伯爵夫人の噂を耳にして野心に燃え立ち、夫人の養女リザベータに恋するとみせて接近し、その手引きで一夜夫人の家に忍び込み、夫人を脅迫する。夫人はショックのあまり死ぬが、葬式の夜その亡霊が現れて、3、7、1の順で一晩ずつ張るというその秘伝をゲルマンに伝える。ゲルマンはあるクラブでの命がけの大勝負で二晩続けて勝って大金を握るが、三晩目の「1」がスペードのクイーンと出たために失敗し、すべてを失って発狂する。(略)なお、この小説に基づいたチャイコフスキー作曲のオペラ(1890、ペテルブルグ初演)は、ロシア歌劇の代表的レパートリーとなっている」
また、ハンター自身、「スペードの女王は死のカードである」とコメントしているそうです。カードがすべてスペードの女王だった、というのは、夢のなかの出来事を連想させますが、歌詞の解釈としては、まったく「逃げ道のない死の確定」と考えればいいのではないでしょうか。デイヴィッド・ドッドは、ゲーム用カードではなく、占いに用いるタロー・カードとの関連にふれていますが、これはわたしの手に余ります。
狼を相手にゲームをする、というのも考えてみるべき点に思われます。狼が死神の使いであるなら、命を賭けたゲームということでしょうか。ハンターの歌詞には、カードやギャンブルがけっこう登場するので(たとえば、先日取り上げたStella Blueや、デッドの非公式テーマ・ソングともいうべきTruckin')、ハンターは賭け事を人生のたとえとすることを好む詩人と考えています。また、デッドはしばしばトランプ・カードやタロー・カードを、盤や書籍やライヴでの、グラフィックな飾りとして利用していることも付け加えておくべきでしょう。
まだ最後のヴァースが残っているのですが、時間切れなので、本日はここまでとさせていただきます。歌詞の残りと、各ヴァージョンの検討は明日以降に。