- タイトル
- Summer Wind
- アーティスト
- Frank Sinatra
- ライター
- Johnny Mercer, Heinz Meier, Hans Bradtke
- 収録アルバム
- Strangers in the Night
- リリース年
- 1966年
- 他のヴァージョン
- duet version with Julio Iglesias by the same artist, Wayne Newton
◆ 外国語曲の「訳詞」というもの ◆◆
まずは前回の補足から。
昨日から調べていてわからないのは、この曲の出所です。ソングライター・クレジットから考えて、ドイツの曲にジョニー・マーサーが英語詞をつけたのではないかと思われます。ウェイン・ニュートン盤のほうには、二人の作者しかクレジットされていません。Hans Bradtkeという名前はないのです。つまり、この人がドイツ語詞のライターだということではないでしょうか。
原曲を聴いたことがなく、聴いたところでドイツ語ではわかりもしませんが、ジョニー・マーサーが、原曲に対してある程度は忠実であろうとしたという可能性も否定できません。となると、凧は原曲にあったのかもしれません。このへんは微妙です。
Strangers in the Nightも、(話がややこしくなりますが)ウェイン・ニュートンの代表作であるDanke Schoenの作者にしてオーケストラ・リーダー、ドイツのベルト・ケンプフェルト(固有名詞英語発音辞典では、カタカナにすると「ケンプファト」とでもすればいいような音になっている)の曲ですが、こちらは(幸いにも)もとがインストゥルメンタル曲なので、ドイツ語詞は存在せず、シナトラの録音に際して書かれた「オリジナル英語詞」です。しかし、Danke Schoenはどうなのでしょうね。あるいは、ディーン・マーティンが歌ったVolareは?
こういうことを考えはじめると、頭が痛くなってきます。ジルベール・ベコーの曲を英語にしたLet It Be Me、ジャック・ブレルの曲をもとにしたテリー・ジャックスのSeasons in the Sun、外国語の曲を英語化したものは、それなりの数があるのです。坂本九の「上を向いて歩こう」が、東芝盤をそのままリリースしたものであったのは、幸いでした!
よけいなことばかり書きましたが、外国語の曲に英語の歌詞をつけたものは、歌詞の検討などしないほうがいいのかもしれない、という気がしたのです。ただ、マーサーの歌詞というのは、たとえばMoon Riverあたりでも、ただスムーズなだけではなくて、何カ所か、これはどういう意味だろう、なぜこういうことをいっているのだろうと考えさせる、エニグマティックなところがあるのものたしかです。
◆ A&Rは「事務方」か? ◆◆
ということで、こんどはすっと前回のつづきに移りたいのですが、やっぱり、こちらの橋にも小鬼が待ちかまえています。ここでもまた、昨日は引っかかりを感じながら、残り時間僅少のフルスロットル状態だったために、とりあえず殴り倒して通りすぎたことが、あとで冷静になると、瘤のようにふくれあがってきました。
べつにシナトラだけのことではなく、昔の盤ではめずらしくなかったことなのですが、プロデューサー・クレジットがない、というのが引っかかるのです。Softly, As I Leave You、Strangers in the Night、そして昨日はふれなかったThat's Lifeといった、60年代中期のシナトラのヒット曲をプロデュースしたのがジミー・ボーウェンだとわかるのは、盤に書いてあるからではなく、Sessions with Sinatraに書いてあるからなのです。盤に書いてあるのは、アーニー・フリーマンのアレンジャー・クレジットだけです。
今回の記事のために検索して見つけたシナトラのディスコグラフィーは、作成者もいっているように、じっさいにはセッショノグラフィーなのですが、やはりプロデューサーの名前はありません。かわりにセッション・リーダーの意味と思われるldrの略字のクレジットがシナトラについています。シナトラがプロデューサーだったというのなら、それでいいのですが、Sessions with Sinatraではジミー・ボーウェンがプロデュースしたとされている曲にも、シナトラはldrとしてクレジットされています。
「これはなに? ここからなにを読み取れっていうんだ?」
と叫びますよ、ホントに。プロデューサーは重要ではない、シナトラとアレンジャーのゲームなのだ、ということでしょうか。プロデューサーはあくまでも「事務方」であると?
たしかに、リーバー&ストーラーやその弟子であるフィル・スペクターが、「これが俺のプロデュースした盤、そしてこの俺がプロデューサー」と言いだすまでは、プロデューサー(ではなく、当時の呼び名はA&R、すなわち、アーティスト&レパートリー・マン)が表面に出ることはなかったわけで、レコード制作の主役とは考えられていなかったのかもしれません。
ジミー・ボーウェンは、That's Lifeの録音のとき、歌い終わってブースに上がってきたシナトラに「どうだ、ヒットだろ?」といわれ、「いや……残念ながら」とこたえ、「後にも先にも、アーティストにあんな冷たい目でにらまれたことはない」という恐怖を味わいながらも、頭に血がのぼったシナトラの貴重な「もうワン・テイク」を手に入れ(自分のミスが理由でないかぎり、シナトラはリテイクをしなかった。それだけ完璧にリハーサルをしてからスタジオに入るということだが)、それがヒット・ヴァージョンとなりました。
わたしは、プロデューサーのこういう役割を重要なことだと考えますが、昔のシンガーにとっては、たいしたことではないのかもしれません。「キャッチャーのリードがいいだの悪いだのというけれど、キャッチャーがボールを投げるわけではない、ボールを投げて打者を打ち取るのはピッチャーだ」という、昔の投手と同じような立場なのかもしれません。美空ひばりも録音の場をきっちり取り仕切ったそうですが、それが昔の人の当然の常識なのかもしれない、後年の見方で捉えるのは間違いかもしれない、と思えてきました。
抽象論は書くほうも読むほうも疲れるので、今夜はこれくらいで切り上げ、「フィールド」に戻ります。この曲を皮切りに、今後、シナトラは何度も登場する予定なので、なぜ、彼がひとりのアレンジャーに固執することなく、つねに数人に仕事を依頼していたかについては、そのときに改めて考えたいと思います。
◆ 神の手になる絶妙のバランシング ◆◆
Summer Windはネルソン・リドルのアレンジですから、理屈のうえからは、ジミー・ボーウェンとアーニー・フリーマンがつくった「新しいシナトラのサウンド」ではなく、「昔なじみのシナトラ」の音になりそうです。しかし、じっさいの音は、新しいとまではいえないものの(新しいのは翌年のThat's Lifeのほう)、それほど古くさい音でもありません。イントロを聴いただけで、そう感じます。
リズムはミディアム・スロウのシャッフル・ビート、ベースはスタンダップ、ドラムは、はじめのうちはスティックを使わず、フット・シンバルの2&4だけ、薄くミックスされたピアノのシングル・ノートのオブリガート、そして控えめなオルガン、リズム・セクションはそれだけで、あとは、左右の両チャンネルに配されたゴージャスな管がシンコペートした装飾音を入れてくる、というようなアレンジですから、文字面からは、数年前の、いや、十数年前のシナトラと大きなちがいはない、とお感じになるでしょう。ちがいがあるとしたら、マイク・メルヴォインがプレイしたというオルガンのオブリガートだけなのです。
オルガンなんてものは、以前からある楽器ですし、ハモンド・ブーム(ラウンジ方面を追いかけると、そういうものがあったことがわかってくる)は数年前のことで、目新しくもなんともないのですが、こういうことというのは、文脈のなかで捉えないとわからないもので、「シナトラ文脈」においては、なんとも新鮮な音に響きます。
しかし、べつの側面もあることに気づきます。スーパー・プレイもファイン・プレイもなし、どこといってどうというわけではないのに、でも、なんだかむやみに気持ちがいい、という音に出合ったら、とりあえずエンジニアをほめておけ、という大鉄則があります(わが家の地下室で捏造した鉄則ですが)。わたしの性癖をご存知の方は、もう「またかよ」とおっしゃっているでしょう。そう、この曲もリー・ハーシュバーグの録音なのです。シナトラの盤にはエンジニア・クレジットもないので、こういうこともSessions with Sinatraを読まないとわからないのですが。
この本では、ビル・パトナムの弟子筋らしいエンジニアが何度もコメントしていて、Strangers in the Nightを録音したエディー・ブラケットを、これでもか、これでもか、と徹底的にこき下ろし、いっぽうで、リー・ハーシュバーグを大神宮様のように神棚に祭り上げて柏手を打っています。Strangers in the Nightでは、エディー・ブラケットも奥行きとスケール感のある音をつくっていて、けっして悪いエンジニアではないと思いますが(コンソールの前で立ち上がり、踊りながら録音したというエピソードが披露されているので、そういう人間的側面も嫌われたのでしょう)、リー・ハーシュバーグを神棚に祭り上げることについては、当方も異存がありません。
いつものように、Summer Windでも、ハーシュバーグは絶妙のバランシングをやっています。イントロは、ときにはその盤がヒットになるかミスになるかを左右するほど重要ですが、さすがはハーシュバーグと思うのは、薄くミックスされているだけなのに、ちゃんと存在を主張しているイントロのオルガンのバランシングです。最初の拍を構成する、スタンダップ・ベース、フット・シンバル、オルガン、この響きがじつになんとも素晴らしいのですよ、お立ち会い。これでヘボが歌えばぶち壊しですが、舞台は上々、シナトラ、上手より登場する、なのだから、ここで大向こうから拍手が起きなければ、大向こうのほうがヘボなのです。
◆ シナトラの骨法、ただし、ほんのさわりのみ ◆◆
シナトラの盤を相手に、シナトラを聴かずに、リー・ハーシュバーグを聴くなんていう外道は、広い世間にもそう多くはいないわけで、言い訳程度の粗品で恐縮ですが、シナトラの歌についても少々書きます。歌を云々するのは柄ではないので、かるーく読み流してください。
前回、「やるべきことをちゃんとやっている」といいながら、どこでそう感じるのかということを説明しなかったので、その点について。この曲は三つのヴァースがあるだけで、コーラスもブリッジもありません。こういうときこそ出番なのに、チェンジアップとしての間奏もないのです。つまり、単調になってしまう恐れが強く、カラオケで素人が歌ってはいけないタイプの曲です。
プロ、というか、フランク・シナトラはそういうときにどうするかというと、もちろん、アレンジで味つけを変えもするのですが、シナトラ自身も、ヴァースごとに、ちゃんとニュアンスを変えて歌っているのです。
そよ風のようにそっと忍び入るファースト・ヴァース、Like painted kitesという音韻に合わせ、スタカート気味にすこしアクセントを強めに入るセカンド・ヴァース、E♭からFへと全音転調するサード・ヴァースでは、ピッチが上がるのに合わせて、もっとも強くヴァースに入り、最後はソフトに、ソフトに、歌い終えています。
こういう歌をどううたえばいいか、その方法を熟知しているから、そして、それをみごとにやってのけるだけの力があるから、彼はフランク・シナトラになったのです。これがあるから、繰り返し彼の歌を聴いていると、コーヒーを入れに台所に立ったときに、ついその気になって、「マイ……フィクル・フレン……サマウィン」などと、シナトラになったつもりで、シンコペーションを使いながら(あんなんじゃシンコペーションを使えたことにはならないんだってば>俺)口ずさんでしまうわけですね。困ったものです。
シナトラの独特のシンコペーションのことを書くべきのように思うのですが、まだチャンスはあるので、そのときに、ということにします。
◆ 他のヴァージョン ◆◆
他のヴァージョンに簡単にふれておきます。フリオ・イグレシャスとのデュエットは、最初の小節からいきなりシナトラの声と歌いっぷりの衰えを強く感じるもので、聴かずにおくにしくはなし、です。シナトラだって、やっぱり年をとってしまうのです。
「ミスター・ラス・ヴェガス」ウェイン・ニュートンは、いつだったか、ラス・ヴェガス署の鑑識の連中に思い切り馬鹿にされていましたが(『CSI』のエピソードでのことですがね)、ドラマのなかで揶揄のネタにされるほど、彼が有名であり、ラス・ヴェガスの主みたいなものだということです。
シナトラの録音は1966年5月ですが、ウェイン・ニュートン盤Summer Windは、ボビー・ダーリンのプロデュース、ジミー・ハスケルのアレンジで、65年7月に録音され、シングル・カットされています。悪くもありませんが、べつに面白くもないサウンドで、78位止まりというビルボード・ピーク・ポジションは盤のポテンシャルどおりの結果に思えます。
ウェイン・ニュートンという人は、気体のように薄くて軽い声をしていて(いやまあ、声に実体はないので、あらゆる人間の声が気体のように薄くて軽いぞ、といわれちゃいそうですが)、けっこう好きです。ただ、薄くて軽ければそれでいいのか、ということも感じます。やはり芸に幅がなく、飽きがきてしまうのですね。
ときおり編集盤に採られる、Comin' on Too Strong(ハル・ブレインがニュートンのケツをイヤッというほど思いきり蹴り上げている!)で、これは面白そうだと思った人も、ほかにはああいう曲がなくて、あれっと思ったのではないでしょうか。ラス・ヴェガスが悪いとはいいませんが、あそこに腰を落ち着けて稼ぐようになるのは、キャリアのごく初期から定められていた運命だったと感じます。まあ、Danke Schoenがあるんだから、食うには困らないでしょう!
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◆ 重要な訂正(2007年9月5日) ◆◆
Wall of Houndの大嶽さんに教えていただいたのですが、ペリー・コモ・ディスコグラフィーに、Summer Windの原曲の作詞家である、Hans Bradtkeに関する記述がありました。
それによると、Summer Windのオリジナルである、Sommervindはデンマーク語で書かれたもので、最初に録音したのは、デンマークのGrethe Ingermannという人だそうです。
ただし、原曲の作者二人はともにドイツ人で、ハインツ・マイヤーのほうは第2次大戦中にデンマークに移住し、その後、さらにアメリカに渡ったとあります。
コメントのなかに、ウェイン・ニュートン盤がアメリカで最初にリリースされたものではないかと書きましたが、ペリー・コモのディスコグラフィーも、そのように「伝えられている」としています。
ペリー・コモ盤は、ウェイン・ニュートン盤と同じ65年に、チェット・アトキンズのプロデュースで、ナッシュヴィルで録音されたとあります。ただし、リリースはされなかったそうです。
ライター・クレジットから、てっきり原曲はドイツ語だろうと思ったのですが、以上のような経緯だそうですので、謹んで訂正いたします。