- タイトル
- Summer Wind
- アーティスト
- Frank Sinatra
- ライター
- Johnny Mercer, Heinz Meier, Hans Bradtke
- 収録アルバム
- Strangers in the Night
- リリース年
- 1966年
- 他のヴァージョン
- Wayne Newton, duet version with Julio Iglesias by the same artist
熱烈なフランク・シナトラ・ファンは、ふつう、コロンビアやキャピトル時代、あるいはそれ以前を愛しているもので、リプリーズ時代には思い入れがないようです。わたしが好きなビートルズはRubber Soulまでで、Abbey Roadをロック史上の傑作などとしているものを読むたびに、あんなガラクタの寄せ集めが? まさかね! スタジオ・テクニックでボロを隠したパッチワークじゃないか、と嗤うのに似ているのでしょう。
キャピトルおよびそれ以前と、リプリーズのどちらをとるかといわれたら、わたしはリプリーズ時代、それも1960年代中期を選びます。わたしがよく知っている音の響きが聴き取れるからです。あとからいろいろ読むと、ジミー・ボーウェンが登場したことから、そういう流れ、ほんの一時のものにすぎない寄り道があっただけのようですが、そのへんは後段ですこしふれることにして、まずは音を聴きつつ、歌詞を見ていくことにします。
◆ 去りやらぬ風 ◆◆
この曲の詞はジョニー・マーサーですし、そもそもシナトラだから、録音スタッフ同様、こちらもちょっと緊張しそうになります。冷静に考えれば、マーサーもシナトラも、わたしがなにをしようと気づくはずもないのに!
It lingered there to touch your hair and walk with me
All summer long we sang a song and then we strolled that golden sand
Two sweethearts and the summer wind
海を渡って吹いてくる夏の風がたゆたい、きみの髪にまとわりつき、わたしとともに歩む、夏のあいだずっと、わたしたちは歌をうたい、あの黄金の砂浜をそぞろ歩きした、二人の恋人たちと夏の風、といったあたりでしょうか。なんだか、もう手のひらが汗ばんできて、サード・ヴァースまでいけるだろうか、と不安になります。
lingerというのは、ふつうはたとえば、記憶が去りやらぬ、とか、香りが残っている、といった場合に使うもので、吹き抜けていく風にこの言葉を使うのは、すこし引っかかります。潮風だから、ということでしょうか。strollは、目的地を目指して歩くことではなく、ぶらぶらと当てもなく歩くことなので、そういう風にイメージしてください。この曲をタイトルにした、ラウンジ系のインスト・アルバムだったら、もうジャケット写真のラフ・デザインはできたようなものです。
◆ 風にさらわれて ◆◆
つづいてセカンド・ヴァース。
The world was new, beneath a blue umbrella sky
Then softer than a piper man, one day it called to you
And I lost you, I lost you to the summer wind
「凧のように、あの日日と夜夜も、飛び去ってゆく、青い傘のような空の下、世界は生まれ変わった、それなのに、笛吹男よりもそれはやさしくきみを誘いだし、わたしは君を失った、夏の風にさらわれて……」てなぐあいでよろしいでしょうか、なんて、いちいち、だれだかわからない天の上の人にお伺いをたてちゃいますよ。
なぜ、凧にわざわざpaintedという修飾がついているのかと、しばらく悩んだのですが、当面の判断としては、大きな意味はない、口調を整えるためになにか形容詞が必要だった、カラフルなイメージがほしかった、といったあたりで片づけています。ほかの可能性としては、Like flying kitesという逃げ道をすぐに思いつきますが、凧はもともと飛ぶものなので、これは非明示的なトートロジーとなり、あまり美しくありません。paintedのほうがずっとよいと感じます。
もうひとつ突っ込むと、凧は、flyはしますが、fly byはしません。糸の届く範囲で留まるものです。それなのになぜ凧を使ったのかと、ジョニー・マーサーの胸中を忖度すると、たぶん、浜辺でよく見るものだからでしょう。ほかに、トビやカモメ、土地によってはアジサシなども飛んでいますが、やはりカラフルなイメージをとったのではないでしょうか。そもそも、日本語には「糸の切れた凧」といういいまわしがあり、この場合、まさにどこへいってしまうかわからない頼りなさがあるのですから、われわれの場合、去ってゆくものの暗喩としての凧をイメージすることが十分に可能です。
piper manと表現されていますが、これはもちろん、pied piperすなわちハーメルンの笛吹き男のことをいっているにちがいありません。シラブルまたは音韻のせいで、pied piperを使わず、piper manとしたのでしょう。ここでいちばんわからないのは、it called to youのitが指すものです。ふつうなら、the worldですが、それでいいのかどうか。the summer windのような気もするのですが……。
あれこれ文句をつけましたが、この曲のなかで、わたしはこのヴァースがいちばん好きです。カラフルな凧、真っ青な夏の空、幸せな気分で蒼穹を見上げていたら、夏の風といっしょに笛吹男が忍び寄って、だいじな人をさらっていっちゃったんですね。でも、笛吹男はなにを暗喩しているのでしょうか? いや、答は風のなかに。
◆ じつは「過ぎ去った夏を想う歌」 ◆◆
この曲にはコーラスやブリッジはなく、このままサード・ヴァースに進んで、繰り返しがあって、フェイド・アウトします。ここで、さすがはシナトラ、ちゃんとやるべきことをやっている、と思うのですが、そのあたりのことはあとで書くことにして、歌詞を片づけます。これが終わらないと、汗も止まらないものですから。
And still the days, those lonely days, they go on and on
And guess who sighs his lullabies through nights that never end
My fickle friend, the summer wind
「秋の風、冬の風は、ただやってきて、そのまま去ってゆくだけ、そして、あの日々、あの孤独な日々は、過ぎ去らずに、いつまでもつづく、終わらぬ夜をため息とともに子守唄をうたいつづけてすごすのはだれだと思う? わたしの気まぐれな友、夏の風よ」
このヴァースは解釈しにくいところがなく、読んで字のごとくです。ひとつだけ、ふーむ、と思うのは、マーサーのべつの曲を連想させることです。my fickle friendというフレーズを見て、なにか思いださないでしょうか。そう、彼がヘンリー・マンシーニの注文で書いたMoon Riverのもっとも有名なフレーズ、多くのリスナーの心に強く響くあの「My Huckleberry friend」です。
ジョニー・マーサーは、Moon Riverのために(いや、歌詞ができていないのだから、そういうタイトルが付いていたわけではないのですが)2種類の詞を書き、ヘンリー・マンシーニにわたしたそうです。マンシーニは一読し、my Huckleberry friendという強い一節があるという理由で、即座に、こちらの歌詞を使うことに決めたと自伝でいっています。Summer Windのmy fickle friendを聴くと、どうしてもMoon Riverを連想してしまいます。たんなる空想ですが、わたしはマーサーが自作の「引用」に近いことをしたのだと考えています。
むやみにカテゴリーを増やすのもなんなので、この曲は「去りゆく夏を惜しむ歌」に分類するつもりですが、このヴァースで、正確には「過ぎ去った夏を回想する歌」だということがわかります。したがって、「現在時」はいつでもかまわないことになります。
このタイプの歌もけっこうあって、シナトラ自身、ほかにも似たようなシテュエーションの曲を歌っています。やっぱり、このカテゴリーを登録するべきような気がしてきました。シナトラだから、奮発して、カテゴリーをつくりましょう!
念のために、フェイド・アウトでの「去りぎわのつぶやき」も書いておきます。相手がシナトラとマーサーだと、ゲーリー・アメリカ国債が相手のときなどとは、手のひらを返すように態度がコロッと変わっちゃうのです。
Warm summer wind
Mmm the summer wind
◆ スタッフのパッチワーク ◆◆
この曲は、わたしのような60年代育ちがあれこれ考察をはじめると、永遠にとまらなくなってしまうような、じつになんとも微妙な時期の、絶妙な「谷間」で録音されています。1966年4月11日録音のStrangers in the Nightの直後、5月16日の録音なのです。この2曲のあいだにある35日間のなんと微妙なことよ!
Strangers in the Nightの直後だし、同じアルバムに収録するための曲なので、ふつうなら、両者はほぼ同じスタッフで録音されるものです。ところが、ここが微妙な狭間の微妙たる所以でして、左にあらず、なのですよ、お立ち会い衆。Strangers in the Nightのアレンジャーはアーニー・フリーマン(2年前のSoftly, As I Leave Youで初起用された、シナトラのスタッフとしては新顔)、Summer Windは、1953年以来、シナトラのために多くのアレンジをしてきたネルソン・リドルなのです。
さらにいうと、Strangers in the Nightのビルボード初登場は5月7日付。えーと、じっさいの日にちと、ビルボードの日付には、たしかいくぶんのズレがあったと思うのですが、早いのか遅いのか忘れてしまいました。そのせいでさらに微妙になってしまいますが、プロデューサーのジミー・ボーウェンはこの曲に勝負を賭けていたので、すでに大ヒットの手応えは、5月の第2週には感じていたはずです(いや、リリース前からわかっていたはずで、じっさい、ボーウェンは事前プロモーションに金と手間をおおいにかけている)。
では、アルバムの録音のほうは、Strangers in the Nightのヒットに合わせてはじまったかというと、そうではないらしいのです。Sessions with Sinatraによると、アルバムのほうはシングルとは別個に企画が立てられ、すでに進行していたときに、Strangers in the Nightがヒットして、この曲を中心にしたアルバムへと計画が変更されたというのです。
アレンジャーが異なっても、ふつうのアーティストの場合は、それほど大きな影響はないかもしれません。しかし、シナトラはちがいます。とくに、この時期のシナトラは。ボーウェンがプロデュースし、彼の手駒だったアーニー・フリーマンがアレンジとコンダクトを担当した場合、重要なプレイヤー、つまりリズム・セクションのプレイヤーもボーウェンの手駒だったのに対し、ネルソン・リドルの場合は、正確なパーソネルはわからないのですが、従来からシナトラのセッションで活躍してきた、つまり、リドルがよく知っているメンバーで録音されたようなのです。
ボーウェンのスタッフでは、アーニー・フリーマンのつぎに重要なのはハル・ブレインです。ボーウェンは「時代遅れになりつつあるシンガー」(ハッキリそういっています)をチャートに戻すために、「リズム・セクションを入れ替えた」といっています。プロデューサーとしては当然の方針で、これはのちのちまで、さまざまなアーティストに適用されていますし、いまもあるだろうと思います。
彼がはじめてシナトラと仕事をしたSoftly, As I Leave Youでは、ハル・ブレインがはじめてシナトラのセッションに呼ばれました。ボーウェンがシナトラ(および自分自身)のために描いた絵図の中心にはハルがいたのです。つぎにハルがプレイしたことがハッキリしているのはStrangers in the Nightです。ハルはこの曲について「Be My Babyのビートを変形して適用した」と回想しています(これを読んでわたしは、そうだったのか、とひっくり返りました。たしかに、Be My Babyビートのソフト・ヴァージョンです)。
では、同時期に、Strangers in the Nightのフォロウ・アップとして、おそらくあらかじめシングル・カットも視野に入れて録音されたであろう、Summer Windのドラマーもハルかというと、うーん、ものすごく微妙ですが、たぶんちがうと思います。ハルらしい、微妙なところでの強いアクセントが見られないからです(ほとんど猫をかぶったようなプレイをしているStrangers in the Nightですら、フェイド・アウトではちゃんと「俺だ、わかるだろ?」というリックを叩いている)。ネルソン・リドルは、やはり、彼が信頼してきたドラマーを使ったのではないでしょうか。
◆ 複雑な時、複雑なオール・ブルー・アイズ ◆◆
この時期のシナトラの気持ちは揺れていたと想像します。エルヴィスとロックンロール攻勢にはかろうじて耐えたかに思われる(いや、じっさいには、エルヴィスはボディー・ブロウとなったと思いますが)この大歌手は、60年代に入って急速に影が薄くなっていきました(皮肉なことに、シナトラと同じころに、エルヴィスも「底」を経験するのですが)。
そこへあのビートルズとブリティッシュ・インヴェイジョンですから、だれだって、先行きを考えます。なんとか、いまの時代に合った歌とサウンドでチャートに返り咲きたい、と思ったからこそ、若いジミー・ボーウェンにA&Rをやらせたみてたにちがいありません。そして、Softly, As I Leave Youは、大ヒットではないにせよ、とにかく、ビートルズ旋風のさなかに、この「時代遅れになりつつある」歌手がチャート・ヒットを生み出すという、中くらいの満足を生みます。
ふつうなら、ここでジミー・ボーウェンとアーニー・フリーマン、そしてハル・ブレインの連続起用で、この路線を突っ走るはずです。でも、シナトラはそうしませんでした。ネルソン・リドルやゴードン・ジェンキンズという昔なじみに戻ったり、またべつの若いアレンジャー/プロデューサー、クウィンシー・ジョーンズを起用したり、傍目には迷走に見える行動をします。そして、なにがあったのか、再びボーウェンとアーニー・フリーマンを起用して、じつに久しぶりにチャートのトップに返り咲くのです。
でも、ここでもまたシナトラは、当たり前の行動はせず、アルバムはネルソン・リドルに任せたわけで、一見するところ、不可解というしかありません。
時計を見れば、もう写真の準備をはじめないと間に合いそうもない時刻になったので、そんな予定ではなかったのですが、この稿の決着は明日以降へ持ち越しとさせていただきます。土台、シナトラを、それもほかならぬ1966年のシナトラを、一回で片づけられると思ったのが大間違いでした。