珊瑚礁の彼方に by 山口淑子(李香蘭)
タイトル
珊瑚礁の彼方に(Beyond the Reef)
アーティスト
山口淑子(李香蘭)
ライター
Jack Pitman, 藤浦洸訳詞
収録アルバム
夜来香
リリース年
1951年
他のヴァージョン
Elvis Presley, Marty Robbins, The Ventures, 50 Guitars
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◆ 微妙な「ハワイアン」 ◆◆
「珊瑚礁の彼方に」の原曲Beyond the Reefは、ワイキキでピアノを弾いていたジャック・ピットマンというカナダ人が1948年に書き、アルフレッド・アパカによって最初に録音され、すぐにビング・クロスビーがカヴァーしてヒットしたそうです。

われわれがハワイアン・ミュージックと思っているもののなかには、西洋人がハワイのイメージを借りて書いた曲が多数混入しているそうですが、この曲は、ハワイの人間がつくった純粋なハワイアンでもないし、まったくのまがい物でもないという、微妙な位置にあることになります。

このへんのことに関してはウェブではあまりいい記述は見つけられず、Hawaiian Music Hall of Fameという組織のAloha Week Hulaという曲に関する背景情報のページで簡単にふれているのを発見できただけです。

山口淑子盤は1951年リリースということなので、アパカまたはクロスビー盤をもとにしたのだろうと想像しますが、ハワイのシンガーなりバンドなりがいち早く日本に持ち込み、それをもとにした可能性もゼロとはいえませんし、譜面のみでという可能性もあります。いずれにしても、48年の作品を51年にやっているのですから、かなり早い段階でのカヴァーです。

◆ 設定の改変 ◆◆
Beyond the Reefは、ヴァース/コーラス/ヴァース/コーラスという構成で、セカンド・ヴァースとコーラスを繰り返すのが一般的なやり方のようです。山口淑子盤では最初のヴァースとコーラスを日本語で歌い、つぎのヴァースにあたる部分はスティール・ギターの間奏、そのつぎのコーラスから英語で歌い、英語のヴァースで終わっています。

日本語詞は戦前から活躍していた藤浦洸によるものです。代表作としては服部良一と組んだ「別れのブルース」(淡谷のり子唄)「一杯のコーヒーから」(霧島昇とミス・コロムビア唄)や、万城目正と組んだ「悲しき口笛」(美空ひばり唄)などがあります。

ファースト・ヴァースは「はるかな珊瑚の島の彼方の海遠く 去りにし人の忘られぬおもかげ」となっています。

ここから読み取れることは、いま語り手がいる場所は「珊瑚の島」ではない、ということです。珊瑚の島以外ならばどこでもかまわないのだから、日本の、たとえば東京であってもよいことになります。それに対して、原詩の語り手の位置は、ここで歌われている「珊瑚の島」そのものです。原詩とは設定が根本的に異なっているのです。

理詰めで歌詞を聴く人はあまり多くないでしょう。たいていは「なんとなく」聴くものだと思います。作詞家はそれを利用して巧妙なすり替えをおこない、歌う人間の、そして聴く人間の現在位置がどこであっても、「なんとなく」珊瑚の島にいるような気分にさせているのです。

f0147840_21562394.jpgさすがは一時代を築いた作詞家、うまい手を考えたものです。これで、「日本人がハワイアンを歌うのは変だ」という、想定される批判も封じ込めてしまった、とまでいっては、うがちすぎかもしれませんが。

いままで「なんとなく」聴いていた歌詞を改めて検討してみて、藤浦洸が漫然と書いたわけではなく、日本人(しかも、つい数年前までは中国人だと思われていた大スター)がハワイアンを歌うという木に竹をつぐような状況で、その継ぎ目が不自然に見えないように、ちゃんとエアーブラシでレタッチしていたことがわかり、ちょっと驚きました。

◆ 歩くシソーラスとしての詩人 ◆◆
もうひとつ、藤浦洸がこの詞でおこなった操作があります。原題のBeyond the Reefをそのまま訳せば「礁の彼方」です。あくまでもreef「礁」にすぎず、珊瑚を示すcoralという語は一度も出てきません。

漢字一文字で音読みする語というのは、文章でも落ち着きが悪いくらいで、歌では意味が通じない恐れすらあります。では二文字以上のものを使おうと、礁のつく熟語を広辞苑から引っぱってくると「岩―」「暗―」「環―」「珊瑚―」などがあります。このなかで、あるムードをもっていて、しかも耳から聴いても他の語とまぎれない言葉といえば、やはり「珊瑚礁」しかありません。

原詩はたんにreefといっているだけで、それ以上の属性をあたえて限定修飾はしていないのですから、coral reefである可能性も否定はできません。かくして、「珊瑚礁」という、われわれにはエキゾティックに響く語が選択され、聴くものの脳裏に明確なイメージが形づくられるタイトルと日本語詞ができあがりました。

ちなみに「ハワイ諸島はその山頂部が海面上に現れているもので、ほとんどが火山島とサンゴ礁である」(スーパー・ニッポニカ)だそうです。

山口淑子盤Beyond the Reefがリリースされた1951年というのは、どういう年だったのかとちょっと調べてみると、4月に連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーが解任されて日本を去り、5月には三木トリローの「僕は特急の機関士で」がヒット、「珊瑚礁の彼方に」が発売された6月には、ちょうど一年前に勃発した朝鮮戦争の停戦が提案されています。もちろん、日本はまだ占領下でした。

それで子どものころの記憶がよみがえりました。小学校で同じクラスに金髪で青い眼の子がいたのです。作詞家の頭のなかには、こうした子どもたちの父親のことがあったのかもしれないと、ふと思ったしだいです。

◆ 太平洋戦争前夜の「事件」 ◆◆
父が入院したときに、李香蘭のCDをもっていったら、かたわらの母が「日劇七回り半ね」といいました。わたしの両親の世代にとって、李香蘭といえば日劇、すなわち有楽町の日本劇場を思いだすのは当然のことのようです。こんな「事件」のことをいっています。

f0147840_2202532.jpg『昭和 二万日の全記録』(講談社)という本によると、1941(昭和16)年2月11日、すなわち紀元節の休日、「奉祝記念・日満親善と銘打っ」て、有楽町の日劇で「歌ふ李香蘭」というショウがあったそうで、写真はそのときの日劇前のようすです(となりの朝日新聞社から撮ったのでしょう)。

同書によると、「九時半開演を前に、早朝六時ごろから五〇〇人くらいが切符売り場に並び、八時には数千人の行列が劇場を三重に取り囲んだ。一〇時、丸の内署の警官二十数名と騎馬警官が出動し、人々の整理にあたった。しかし、切符を買えなかった人々が騒ぎだし、ついに警官が消火用のホースで放水して追い払った」と、まるで暴動鎮圧です。

この記述では三重までですが、写真を見れば、それどころの段ではないのはよくわかります。「七回り半」は新聞記者の作為かもしれませんが、写真を見ても、それくらいの状態にはなっているように思えます。これは「日劇七回り半事件」といわれるそうですが、たしかに、「騒動」のレベルを超えて「事件」かもしれないと思います。

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1930年代後半の数寄屋橋界隈。中央右の白い建物が「白亜の殿堂」日本劇場、その右は朝日新聞社。まだマツダビルは見えない。左下の泰明小学校は現存。この三つの建物の並びは日本建築史の記念碑的な一コマで、日劇と朝日新聞、そして数寄屋橋と外濠が現存しないのは残念。有楽町駅から日劇と朝日新聞のあいだを抜けて尾張町交叉点に向かった道筋は忘れがたい。左上端にお濠が見えるが、そのほとりの白い建物は帝劇か。


昼夜二回興行というのはいまでもありますが、たぶん、この日一日かぎりだったせいでしょう、この「歌ふ李香蘭」ショウは三回興行だったそうです。どうりで、朝九時半などというとんでもない時間に開演するはずです。

◆ 女性シンガーの歌 ◆◆
そんな「事件」が起こるほどの人気があったわけですが、それは、おそらくは彼女の美貌と、「日本語に堪能な中国人スター」という満映の宣伝がものをいったのでしょう。いまではそういうことがらは背景に退き、ただ彼女の歌だけがあります。ちょっとした歌です。

戦前にデビューした流行歌手は音楽学校出身の人が多く、基礎がしっかりしていますが、李香蘭は白系ロシア人教師について声楽を学んだそうで、やはり、クラシックの唱法が強く感じられるスタイルです。そういう歌い方は好きずきでしょうが、わたしには、これもまたあるムードを形成する要素のひとつとして、貴重なものに感じられます。コーラスの「つたえてよ」のところの歌い方などは、ほんとうにいいなあ、と思います。

わが家にはほかにエルヴィス・プレスリーとマーティー・ロビンズのものがありますが、海の彼方に去った恋人が、いつかまた自分のもとに帰ってくる日を待ちつづける、という内容の歌詞ですから、女性シンガーのほうがふさわしい歌に思えます。夏になれば、これからも彼女のヴァージョンを引っ張り出して聴きつづけることでしょう。

李香蘭/山口淑子の半生はさまざまな形でフィクショナイズされていますし、自伝もあるので、ここではふれませんでした。

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by songsf4s | 2007-07-23 22:49 | 夏の歌