- タイトル
- Disney Girls
- アーティスト
- Bruce Johnston
- ライター
- Bruce Johnston
- 収録アルバム
- Going Public
- リリース年
- 1971年
- 他のヴァージョン
- The Beach Boys, Cass Elliot, Papa Do Run Run
(「Disney Girls その1」よりつづく)
◆ 食卓の光景 ◆◆
つぎはセカンド・ヴァースの後半です。
Guess I'm slowing down
It's a turned back world
With a local girl in a smaller town
この1行目も好きなラインです。shadeとlemonadeの響きもいいのですが、この2つの単語で思いだすことがあるのもここが好きな理由です。ずっと昔の初夏、日本では見たことのないような巨木の日陰で、アメリカの田舎町のお母さんがつくったレモネードを飲んだのです。あんなにうまいレモネードは、後にも先にも知りません。田舎とレモネードが並べられている理由はわかりませんが、わたしはこのラインを聴くたびに、あの巨木の日陰で飲んだレモネードを思いだします。
そして、そこから「そろそろスロウ・ダウンしようかな、小さな町での地元の女の子との後ろ向きの世界へ」とつづくわけで、われわれもリラックスして、いい気分になってきます。
セカンド・コーラスは略して、ブリッジに。
Love...get up guess what
I'm in love with a girl I found
She's really swell
Cause she likes church bingo chances and old time dances
この1行目も好きです。言葉のリズムと音のリズムがきれいに合っているということがひとつ。もうひとつは、朝の食卓の光景が眼前に彷彿としてくることです。都会の朝の食卓ではありません。自分のことを考えてみても、70年代にはもう、朝、家族がそろって食事できるような生活ではありませんでした。アメリカだって、都会ではそうでしょう。これは田舎町の朝の光景なのです。
朝の挨拶を並べただけで、明瞭なイメージを提示しているこのラインはすばらしいと思います。ほかは簡単に「ハイ」ですませているのに、お母さんにだけは「お早う」といっているのは、たんなるシラブル合わせかもしれませんが、「あ、ここでお母さんの頬にキスしているんだな、そうしないと機嫌の悪いお母さんなんだ」なんて勝手に想像をふくらませてしまいます。説明ではなく、描写を心がけなければいけないというのは、映画や小説ばかりでなく、歌詞にもいえます。
しかし、ここまでで終わりにしておけばよかったのではないでしょうか。これ以降のサード・ヴァースとサード・コーラスは蛇足のように思えます。このブリッジで「ねえねえ、なにがあったと思う? 女の子を見つけちゃったんだよ!」といっている、その女の子との、現実だか夢想だかわからないことが、最後のヴァースとコーラスで描かれていますが、ここまでは過去のゆったりとした生活の描写だったのが、ここからは凡庸なラヴ・ソングに堕していく感じで、やや興醒めです。ただし、
というラインには、遠くOld Cape Codが木霊しています。この曲は、ブルース・ジョンストン版Old Cape Codなのだと思います。
◆ 各ヴァージョン ◆◆
アート・ガーファンクルなどのヴァージョンもあるようですが、ここではわが家にある4種のみを比較します。
最初のビーチボーイズ盤は、これしかなかったとしても、好きな曲に数え上げていたであろう出来にはなっています。
しかし、もっともよく聴いたのは、77年にリリースされたブルース・ジョンストンの久しぶりのソロ・アルバムGoing Publicに収録されたセルフ・カヴァー盤です。ビーチボーイズ盤が、ドラムとベース、マンドリン、複数のギター、ピアノ、そしてハーモニーで飾られていたのに対し、ブルース・ジョンストン盤は、大部分はピアノ2台とベースのみをバックにしています。
聴きやすいのはビーチボーイズ盤でしょうが、歌詞が心に響くのはブルース・ジョンストン盤のほうです。ヴォーカルに強いイフェクトをかけているところに違和感を覚えなければ、そして、ビーチボーイズ盤でこの曲にすでになじみになっていれば、こちらのヴァージョンがお気に召す方もいらっしゃるでしょう。
Surf's UpとGoing Publicの中間、1975年に、ブルース・ジョンストンは、パパ・ドゥ・ラン・ランというグループの名義でこの曲をやっています。アナログ起こしのCDで、音質はよくないのですが、ブルースの歌い方は、このヴァージョンがもっとも素直で、好ましい感じもします。よけいなイフェクトをかけていないところも好きです。
◆ キャス・エリオットと失われたチャンス ◆◆
純粋なカヴァー盤としては、“ママ”・キャス・エリオットのものがあります。ビーチボーイズ盤を踏襲したアレンジですが、ストリングスも加えられていて、ステージを念頭においた録音ではないかと感じます。テレビやラス・ヴェガスで活躍した人ですから。
ブルース・ジョンストンの訥々たる歌いっぷりの対極にある、ショウマンシップ、ではない、ショウウーマンシップに富んだシンガーだったので(早世しなければ、ベット・ミドラーのライヴァルになっていたでしょう)、この盤がもっとも聴きやすいと感じるリスナーもいらっしゃるでしょう。
でも、個人的には、この曲はやっぱり男の歌だと感じます。女性シンガーが歌うなら、方法はひとつしかありません。いうまでもなく、パティー・ペイジ・スタイルの完全コピーです。もちろん、ヴォーカルはダブル・トラック。
こういうことは、シンガーではなく、プロデューサーが考えなくていけないことです。ルイス・メレンスティーン。聞いたこともない名前ですが、ダメなプロデューサーの代表として記憶することにします。この人がボウッとしていたか、音楽のことに無知だったか、想像力または芝居っけに欠けていたせいで、キャスにパティー・ペイジをやらせるという、考えるだけでも楽しくなるシャレを実現するチャンスは永遠に失われました。
とはいえ、わたしはママズ&パパズのときからキャスの声が好きですし、彼女の「ゆるい」キャラクターはこの曲には合っていて、悪くないヴァージョンではあります。
どのヴァージョンもそれぞれに悪くない出来で、結局、楽曲の「素性がよい」ということなのでしょう。夏の昼下がりに「スロウ・ダウン」するには恰好の歌でしょう。