- タイトル
- Summer Means Fun
- アーティスト
- Bruce & Terry
- ライター
- Phil Sloan, Steve Barri
- 収録アルバム
- The Best of Bruce & Terry
- リリース年
- 1964年
- 他のヴァージョン
- The Fantastic Baggys, Jan & Dean
(「Summer Means Funその1」よりつづく)
◆ 「国歌」の本歌取り ◆◆
つぎはファースト・コーラスの一部です。
And the girls are two to one now
Lots of fun for everyone now
Summer means fun
コール&レスポンス風に歌われる箇所なので、やや錯綜しますが、以上のような単語だけ書き写しておけば十分でしょう。基本的に、わーい、夏だ、うれしいな、といっているだけですが、以前、NK24MDWSTさんに私信でご指摘を受けた「本歌取り」がここで登場します。いや、まあ、そんな大げさなものでもないのですが、これはいわばサーファー国の「国歌」からの引用なので、聞き逃されると、作者はがっかりするでしょう。
では、その「本歌」のほうのファースト・ラインのみを以下に。
サーフ・ミュージック・ファンは、これだけで、ああ、あれか、と思いだしたでしょう。ジャン&ディーンの秀作、Surf City(1963)です(ジャン・ベリーとブライアン・ウィルソンの共作で、リード・ヴォーカルはブライアン。よそで歌うとはなにごとだ、と、あとでお父さんが怒ったとか)。Summer Means Funのthe girls are two to oneという表現より、こちらのほうが、boyのある分だけ明瞭です。「男ひとりに女の子二人」、つまり本邦で下世話にいうところの「両手に花」です。
もちろん、南カリフォルニアの浜辺のみ、男女比が極端な偏差を示すことは統計学的にありえません。これは女の子の「お月様と六月の花嫁」(June NightおよびBoth Sides Nowの記事を参照)に対応する、男の子の非現実的夢想にすぎません。わたしが子どものころに見た、AIPのビーチ・ムーヴィーというのは、まさしくこのファンタシーにのっとったもので、男はたいてい、二人以上の女の子に取り巻かれ、うれしいような、困ったようなトラブルに巻き込まれたものです。これは本邦の加山雄三映画などにも反映されました。
セカンド・ヴァース以下も、その他のアイコンが並べられているだけで、いわば並列型、羅列型というべき歌詞で、展開したり、変化したり、サゲたりはしていません。毎晩、ドライヴイン映画にいって、夜中の一時半まで(「半」は気にしなくてよいでしょう。口調合わせです)夜更かしだ、とか、さあみんな、バギー(サーファーが愛用するトランクス・タイプの水着ですな)とビキニをつかんで飛び出そう(男の子と女の子の双方に呼びかけているのであって、両方いっしょに身につけろといっているわけではありません。為念)とか、まだ夏ははじまったばかり、秋までずっとビーチ・ボールだ、という調子で、カリフォルニアのティーネイジャーが夏から連想するものを列挙しています。南カリフォルニア夏の風物詩。
もちろん、ここから、世界で最初のユース・カルチャーについての考察をすることも可能ですし、なんなら、ハリウッドの60年代について大長編論文を書くことだって不可能ではありませんが、それはよそでやっているので、急いでサウンドの検討へとジャンプします。
◆ ハリウッドという音楽都市環境 ◆◆
この三つのヴァージョンは、ほぼ同じ時期に、ほぼ同じメンバーで、ハリウッドのごく狭い範囲、それこそ石を投げれば届くぐらいの範囲で録音されました。でも、ギターの間奏を聴くと、じつは2つのヴァージョンしかないことがわかります。ひとつはブルース&テリー、もうひとつはバギーズ/ジャン&ディーンです。後者は同じトラックを使いまわしているのです。
だから、その1の冒頭に掲げた物語は、インチキだったことになります。あそこでわたしがでっち上げたボーンズのセリフどおりになったわけではなく、ジャン&ディーンのSummer Means Funセッションなど存在しなかったのでしょう。はじめから、トラックを使いまわすことに決めていたのだと想像します。
そんなことは、はじめから気がつけばよさそうなものですが、生兵法はケガのもと、つまらない知識のために足をとられてしまったのです。なぜそうなるかを知るために、ブルース&テリーの片割れ、のちにビーチボーイズのメンバーになる、ブルース・ジョンストンの談話をご覧ください。
1957年にシカゴからやってきた「近代サウンド・レコーディングの父」ビル・パトナムは、ハリウッドのサンセット通り6000番地にユナイティッド・リコーダーを開き、つづいて、1ブロックとなりの6050番地のウェスタン・スタジオを買い取って改造し、ユナイティッド・ウェスタン・リコーダーとしました。
ハリウッドには、レコード会社の直営スタジオと、独立系のスタジオがひしめいていましたが、60年代を通じて、もっともめだった録音を生み出したのは、パトナムの2つのスタジオといってよいでしょう。ハリウッドの独立系スタジオとしては、フィル・スペクターの本拠地ゴールド・スターが有名ですが、それは4本のEMI製プレート・エコーを使える独特の環境と、スペクターというカリズマのおかげであって、じっさいには小さなスタジオでした。規模と録音の数からいって、パトナムの2つのスタジオが、60年代のハリウッドを代表する独立系スタジオといえるでしょう。ビーチボーイズの、というか、ブライアン・ウィルソンの畢生の名作、Pet Soundsは主としてユナイティッド・ウェスタンで録音されています。
ただし、繰り返しておきますが、ハリウッドには無数のスタジオがあり、パトナムの2つのスタジオとゴールド・スターだけで、60年代ハリウッド音楽史を語ることはできません。早とちりの人が多いので念を押しておきます。上のブルースの談話でも、ブルース&テリーはコロンビア(CBS)スタジオで録音していたことがわかります。他にもスタジオはいくらでもありますが、それは本筋ではないので省略。
◆ レッキング・クルーという「バンド」 ◆◆
わたしがもっているファンタスティック・バギーズの盤にはスタジオのクレジットがありませんが、エンジニアの名前から、ユナイティッド・ウェスタンで録音されたとわかります。チャック・ブリッツはPet Soundsを録音したエンジニア、ビーチボーイズのエンジニアです。もう一度、ブルースの談話を見てください。この3つ(じっさいにはトラックは2つ)のヴァージョンは、同じ場所またはすぐ近くで録音されたのです。
赤いアンダーラインを引いたところには、「だから、ぼくたちはみんなおんなじプレイヤーを使った」とあります。「レッキング・クルーの連中」といっています。当時、このような名称があったわけではなく、これはハル・ブレインが後年、自分の回想記で勝手に名づけたものですが、この時代のハリウッド・スタジオ・プレイヤーのコア・グループを指すのに便利な名称で、当のプレイヤーたち自身まで含めて、多くの人たちが使うようになったので、わたしも踏襲します。
このレッキング・クルーといわれる人たちが、それこそなんでもかんでも、片端から録音していたのです。フランク・シナトラのバックをやったかと思えば、フランク・ザッパの録音に参加し、モンキーズ、エルヴィス、カーペンターズ、ビーチボーイズ、ペトゥラ・クラーク、ヴェンチャーズ、スプリームズ、スティーヴィー・ワンダーというように、ジャンルもなにもあったものではなく、なんでもやったのです。
彼らの録音数は、ハル・ブレインの生涯記録4万1千曲(8年まえの記録。現在も増加中)に代表されるように、じつにとほうもない量で(4万曲プレイヤーはもうひとり、アール・パーマーしかいないようですが、勘定には興味がなかったトミー・テデスコはそれに迫るか、または上まわる数の録音を残しているはずですし、70年代に入って極度に仕事を減らしたキャロル・ケイでも1万曲を超える録音を残しています)、ここでその点に深入りすることはできません。ハル・ブレイン回想記、アール・パーマー伝、トミー・テデスコ自伝といった書籍、キャロル・ケイやビリー・ストレンジやハル・ブレインのオフィシャル・ウェブ・サイトなどが参考になるでしょう。
このように、当時のハリウッドには一握りの図抜けて優秀なプロフェッショナルがいて、ありとあらゆるポップ系スタジオ・ワークをほとんど一手に引き受けていました。ブルースが、ぼくたちはみんな同じプレイヤーを使ったといっているのは、そのことを指しています。
だから、似ていて当然です。そのことをわたしはよく知っているので、たんにそっくりなだけだと思い、同一のトラックとまでは考えなかったのです。
(以下、Summer Means Fun その3につづく)