- タイトル
- 雨に唄えば(Singin' in the Rain)
- アーティスト
- 榎本健一
- ライター
- Arthur Freed, Nacio Herb Brown(日本語詞の作者は不明)
- 収録アルバム
- 甦るエノケン・榎本健一大全集
- リリース年
- 不詳(1960年代初め?)
- 他のヴァージョン
- Gene Kelly, Frank Sinatra, Ferera's Golden Hawaiians
◆ 物騒なSingin' in the Rain ◆◆
この曲のジーン・ケリー盤というか、映画『雨に唄えば』の歌詞では、季節の設定は九月になっていますが、エノケン盤は季節が不明です。ジーン・ケリーのほうは九月にでもやることにして、季節不明のエノケン盤を、勝手に梅雨の時季にはめ込んじゃいます。このところ、真四角になって歌と格闘していたので、ちょっと息抜きがしたくなり、自分で決めたルールをやぶります。いや、季節が明確にされていないものは、勝手に好きな季節を想定して聴く自由がリスナーにはあります。
この盤はCDによる再発で買ったのですが、ライナーは「レコード発売時の解説より」と但し書きのあるもので(要するに手を抜いたわけです。それぞれの人が、それぞれの職務で、それぞれに全力を尽くせば、この世はいまよりずっと住みやすくなるだろうと思うのですが)、エノケンのキャリアが書いてあるだけで、この盤の内容にはまったくふれていませんから(そんな馬鹿な、と思うでしょ? でも、ホントになーんにも書いてないのです! ここに全文を掲載したいくらいです!)、録音データなどはまったくわかりません。エノケンについてはお詳しい方がたくさんいらっしゃるでしょうから、ちょっと突っ込みを入れていただけるとありがたいと思います。ここではデータを殴り倒して、徒手空拳、まっすぐ音に突き進みます。
なにはともあれ、歌詞を読んでいただきましょう。
旅のはたごに 雨が降る
降る雨に 御用心
ぶっそうな雨もある
だけど雨は乙なものよ
なみだ雨に やらずの雨
しっぽり濡れてみたい
浮気の雨 雨
以上。これですべてです。プレイング・タイムもわずか1:28と記録的な短さです。
「なみだ雨に やらずの雨」でひっくり返りました。「はたご」が出てきたところで、こりゃまた珍な、とは思ったのですが、「やらずの雨」にはもう恐れ入谷の鬼子母神。これがあのSingin' in the Rainのメロディーにのっているんですからね!
でも、お若い方のなかには「遣らずの雨」をご存知ない人もいらっしゃるかもしれません。広辞苑では、
やらず‐の‐あめ【遣らずの雨】人を帰さないためであるかのように降ってくる雨。
となっています。時代劇などに出てくるのがふつうで、現代人はこういう言葉はあまり口にしません。花魁が「いろ」を帰したくないときなどに適用されるものであって(「あれ、ぬしさん、雨でありんす。もうすこしいなまんせ」ちょとちがうか!)、色っぽいものです。友だちが訪ねてきて、「女房がうるさいから、そろそろ退散するよ」なんていって立ち上がったところに雨が降ってきたからといって、「遣らずの雨」とはいわないでしょう。広辞苑の定義はいつも半チクで、かゆいところに手が届かず、困ったものでありんす。
さかのぼってもう一カ所、「ぶっそうな雨」はおわかりでしょうね。「血の雨が降る」というヤツの婉曲表現です。なにかに遠慮したのか、または「血の雨」という、それこそ物騒な言葉は歌のなかでは浮くと作詞家は考えたのでしょう。あるいは、「血の雨」を使おうとしたのだけれど、シラブルが合わずに放棄したのかもしれません。
◆ 血闘! 雨の宿場 ◆◆
以上から、想像できることがあります。この日本語による「雨に唄えば」は、エノケンの舞台(エノケンの場合、「実演」といったほうが感じが出ますね)または映画の場面に当てはめて書かれたものではないでしょうか。当然、時代劇、それもエノケンが得意としたミュージカル仕立てでしょう(あ、そうか、ミュージカル仕立ての時代劇という前提が珍だから、歌詞が珍になってしまったのか)。
エノケンが渡世人の扮装をし、旅籠のまえで、長脇差を抜いてずらりと取り囲んだヤクザたちを一時的「静止状態」に追い込み(ミュージカルでは、歌のあいだは、その他の登場人物は全員フリーズする、という了解事項はよろしいですよね?)、踊りながらこの「雨に唄えば」をひとくさりやる場面を想像すると、珍だなあ、と吹き出してしまいます。アーサー・フリードが見たら、なんとコメントしたでしょうか。
エノケンの「翻案ポピュラーソング」では、「ダイナ」が傑作でしょうが(「旦那、蹴飛ばしてちょうだいな」)、この「雨に唄えば」も、隠れた佳作といえるでしょう。いや、珍作、怪作、ケッ作でしょうか。
ライナーのエノケン伝が昭和35年で終わっているので、この盤の録音はそのあたりだろうと考えられますが、サウンドのほうも、ほほう、と思うほどの出来です。「編曲・指揮」のクレジットだけはあって、栗原重一、三木鶏郎、小野崎孝輔の三氏の名前があげられていますが、どの曲がだれとは書かれていません。だれであれ、りっぱなオーケストレーションで、なんなら、このままハリウッドにもっていっても使えたのではないかと思います。ま、それはほめすぎとしても、当時の編曲者とオーケストラのレベルの高さは十分にうかがえます。
それにしても不可解なことがあります。このケッ作な日本語詞を書いた人が、どこにもクレジットされていないのです。調べがつかなかったのでしょうが、ソングライターの扱いはいつもこれだよ、と憮然とします。
◆ フェレーラズ・ゴールデン・ハワイアンズ盤 ◆◆
わが家にはもうひとつ、フェレーラズ・ゴールデン・ハワイアンズというバンドのSingin' in the Rainがあります。これが収録された『Good Old Days Call ポピュラー音楽時代の夜明け』という編集盤には、「昭和初頭から昭和7、8年にかけてSP盤として発売され」たものをはじめてCD化したと書かれています。「初頭」という言葉の指す範囲はじつにあいまいだし、これは「大きな言葉」で、たとえば「21世紀初頭」などの用法のほうが言語感覚として好ましい、昭和7、8年も「昭和初頭」に繰り入れる見方もあるのではないか、こういう場合は「昭和初年から7、8年」と書いたほうがまだしもよいのではないか、という日本語表現の細部にかかわる疑問は、本筋には無関係なので、うつむいて、見ないようにして通り過ぎます。
とにかく、1930年前後に録音されたものなのでしょう。しかし、トラックの解説でも、アーサー・フリードとネイシオ・ハーブ・ブラウンが、映画『ホリウッド・レヴュー1929年版』のために書いた曲で、ウクレレ・アイク(クリフ・エドワーズ)という人のヴァージョンがヒットした、といった、この曲の出自由来が書かれているだけで、このバンドについてはひと言もふれられていません。いやはや、ひと言もふれずに無視する人ばかりで、とことん困惑。ライナーをお書きになっている有名な評論家ですら、記憶もなければ、調べるにも調べようがないオブスキュアなヴァージョンなのでしょう。こういう古い時代になると、わたしには調べる能力もなければ、知識もないので、データがわからない以上、ここでも素手で音そのものに突進することにします。
◆ D・ラインハルトか、はたまたライ・クーダーか ◆◆
このヴァージョンはインストゥルメンタルで、主としてアコースティック・ギターがリードをとり、中間部ではミューティッド・トランペットがリードをとっています。アコースティック・ギターと書きましたが、どういうタイプのギターでしょうか。昔の言い方の「ピック・ギター」、すなわち、フルアコースティックのジャズギターからピックアップをとったようなものかもしれません(逆ですね。フルアコースティックのスティール弦ギターにピックアップを取り付けたものが、エレクトリック・ギターになったわけです。チャーリー・クリスチャンあたりの写真を思い浮かべてください)。
そういうものですから、出だしはジャンゴ・ラインハルトを連想したのですが、いきなりスライド連発で、おっとっと、となりました。アーティスト名には「ハワイアンズ」とあるわけで、ペダル・スティールがなかった時代(それとも、すでにあったのでしょうか)のハワイアン・バンドは、アコースティック・ギターをボトルネックで弾いていたのかな、と考え込まされてしまいました。そういえば、ギャビー・パヒヌイ・バンドを買ったときも、わたしの頭のなかにある常磐ハワイアン・センター的ハワイアンとは似ても似つかない音で、ひどく面喰らいましたっけ。
なかなか興味深いヴァージョンですし、ギタリストの力量も、時代を考慮するなら、かなりのものなので(無茶苦茶に太い弦の時代ですからねえ。いまどきの細くてヤワな弦に慣れた青少年ギタリストにあれを弾かせたら、10秒で悲鳴を上げ、3分で失血死するでしょう。そういうわたしも、レギュラー・ゲージなど、二度と弾きたくありません!)、インストゥルメンタルですが、あえてとりあげてました。ジャンゴ・ラインハルトのファン、いや、ライ・クーダーのファンなら、ちょっと興味のわくヴァージョンかもしれません。チューバに低音部を担当させる管の扱いまで含めて、ライ・クーダーのアルバム「Jazz」を彷彿させるサウンドです。
しかし、最後にまた、チャシャ猫の笑いのように、大きなクエスチョン・マークが宙に残っています。
管見によれば、この当時の日本のバンドには、いかにもアメリカ風の名前をつけて、知らん顔をしていた例がいくつかありました。リアルタイムでは正体が明かされず、後年になって、日本人だったと判明したという例もあったようです。このフェレーラズ・ゴールデン・ハワイアンズというバンドは、いったいどこから出現したのでしょうか。ご存知の方がいらしたら、ぜひともご教示を願いたいものです。これだけの技量をもったギタリストが、万一、当時の日本にいたとしたら、わたしの認識はおおいに変わります。