- タイトル
- See You in September
- アーティスト
- The Happenings
- ライター
- Sherman Edwards, Syd Wayne
- 収録アルバム
- The Best of the Happenings
- リリース年
- 1966年
- 他のヴァージョン
- The Tempos, Mike Curb Congregation
◆ 夏の歌の傾向と対策 ◆◆
統計をとったわけではありませんが、夏休みとクリスマスはレコード会社がもっとも販売に力を入れる時季でしょう。60年代のビルボード・チャートをながめていると、トップ・アーティストはかならずこの時期に新作――最低でもシングル、たいていの場合はアルバムもリリースしています。
したがって、夏をあつかった歌は汗牛充棟ですが、その無数の歌にもそれなりに傾向があるように思えます。初夏と盛夏はハッピーな歌、晩夏になるとメランコリックな歌、またはもうすこし進んで、悲しい歌が主流になるようです。人間心理のおもむくところを素直に反映しています。
それならば、というわけで、その傾向の裏をいったものを取り上げます。夏のはじめの悲しい歌です。いや、ほんとうに悲しいのか、悲しいといってのろけているのか、よくわからないのですが、ともかく、設定としては半ひねりが加えてあります。
◆ 九月というタイトルの夏の歌 ◆◆
無数のラヴ・ソングが証明していますが、恋人たちの99パーセントは、夏の到来をいまかいまかと待ち望んでいます。しかし、まれに夏の到来を望んでいないカップルもあります。そういう、一般的な夏休みのイメージとは逆の状況設定に挑戦し、成功した楽曲もまたいくつかあります。その代表的な例がこのSee You in Septemberです。
タイトルには「九月」とありますが、この曲の「現在」は、夏休みの直前か入ったばかりと考えられます。See You in Septemberには前付けの独唱部(混乱するのですが、以前にも書いたように、これもヴァースと呼びます)がありますが、それにつづくファースト・ヴァースは以下のようになっています。
See you when the summer's through
Here we are saying goodbye at the station
Summer vacation is taking you away
これで状況は明快に了解できます。この語り手の恋人は、おそらくは家族そろってのヴァケーションで遠くに行ってしまうため、二人は九月まで会えないのです。「九月に会おう」というタイトルと、このファースト・ヴァースがあれば、「流行歌」としてはもう十分、あとはリスナーが勝手にイメージをふくらませてくれます。作詞家はリスナーのイマジネーションのスウィッチを入れるだけでいいのです。
最後の行は直接的な説明に堕していますが、お芸術ではないので、低いレベルでの成功もりっぱな成功です(売れなければゼロ、売れればすべては正当化される世界だということをお忘れなく)。最初のヴァースですべてを了解させようと急ぎすぎたあまりの一行、と同情的に見ておきますが、つぎのヴァースまでサスペンドするという選択肢もあったでしょう。
◆ 会えないことの不満と不安 ◆◆
ファースト・ヴァースでこの曲の「勝負」は終わっています。しかし、ヴァースひとつだけというわけにはいきませんし、セカンド・ヴァースでなにも変化が起こらないのでは、作詞家の沽券にかかわるので、この曲もちょっとひねりを入れてきます。
There is danger in the summer moon above
Will I see you in September
Or lose you to a summer love?
楽しんできなよ、といっている口の下から、「夏の月夜は危ないからなあ」と正直に不安を口にしています。そういうあなたは大丈夫、と彼女から切り返されたことでしょう。じゃれている恋人たちなんかには、バカバカしくてつきあっていられない感じもしますが、リスナーの多くは、ここでおおいに共感したことでしょう。
恋人たちが時間が自由にならないこと、会えないことを不満に思うのはあたりまえですが、その裏側にはつねに、相手を失うのではないかという不安があります。まして、恋の季節に、自分の恋人が恋の背景としては理想的な土地にいこうとしている、という状況では、心穏やかでなくなっても当然のことです。ファースト・ヴァースでうなずいたリスナーなら、セカンド・ヴァースでは、いっそう深くうなずくでしょう。
とりわけインスピレーショナルなところがある歌詞ではありませんが、多くの人が共感できる状況と感情を提示したことで、これはこれで成功しています。夏休みの直前というのは、気分が昂揚する時季で、そういう歌もたくさんありますが、同時に、別れの季節でもあります。アメリカの場合、卒業シーズンだからです。その共通の了解を、この歌は間接的に利用しているのではないでしょうか。
◆ ハプニングス盤 ◆◆
この曲のオリジナルはテンポズというヴォーカル・グループのようですが、手元にはなく、また、ウェブで試聴することもできなかったので、カヴァー・ヒットであるハプニングス盤を先に立てました。めだった特徴のあるグループでもないし、インスピレーショナルなヴォーカル・アレンジをしているわけでもありませんが、楽曲のよさを聴かせることに徹したヴァージョンで、66年にビルボード3位の大ヒットになりました。当時は買おうとは思いませんでしたが、ちゃんと記憶していたのは、キャッチーなメロディー・ラインのおかげでしょう。
管のアレンジも気に入らないし、ドラムは微妙にタイムの早い人で、グッド・グルーヴとはいえませんが(とくにタムタムのフィルインの突っ込み方は気に入りません)、大人のリスナーには、当時の基準からいってもちょっと古くさい楽曲(オリジナルは1959年だから、当然ですが)、ちょっと古くさいサウンドだからこそ好まれたのでしょう。古くさいとは、言い換えれば、懐かしいということですから。
フォー・シーズンズと比較されたり、間違われたりしたということですが、シーズンズがコンテンポラリーなサウンドだったのに対し、ハプニングスのサウンドにはそういう響きはありません(まあ、当時としては、これでもアップデイトしたつもりだったのだろうと想像しますが、子どものわたしも、年老いたわたしも、カビの生えた鈍くさい音だと、意見の一致をみています)。間違えるほうがどうかしています。ただ、ボブ・クルーとのつながりで、無名時代にシーズンズやミッチ・ライダー&ザ・デトロイト・ウィールズ(!)のセッションに参加したことがあるそうです。ミッチ・ライダーの盤のどこにいるのか、こんど、時間のあるときに確かめてみたいと思っています。
ヴォーカル・グループというものをあまり好まないので、わたしは関心がないのですが、ハプニングス盤はトーケンズ(トークンズ)がプロデュースしているということで注目する人もいるでしょう。個人的には、すぐれた手腕のあるプロデューサー・チームとはどうしても思えませんが(しいていうと、時代の先端を避け、意図的に鈍くさい音を選択したのだとしたら、それもまた「手腕」のうちといえるかもしれません)、ヒットすれば勝ちです。
ハプニングス盤は、66年7月9日にチャートインし(適切な時季です)、8月27日に最高位に到達しています。ラヴィン・スプーンフルのSummer in the Cityとボビー・ヘブのSunnyに押さえ込まれ、3位どまりでしたが、相手のほうが強力すぎたのだから、大健闘です。やはり、季節の歌は適切な時季にリリースしないといけません。
◆ マイク・"コストダウン"・カーブ盤 ◆◆
もうひとつのヴァージョンとしてあげたマイク・カーブ・コングリゲーションのマイク・カーブも、すぐれた手腕は持ち合わせていませんでした。それどころか、ピンからキリまでいるプロデューサーのなかでも、この人はキリの下です。カーブは「リスナーの最大公約数」を、とてつもなく低いレベルに設定していたにちがいありません。
マイク・カーブ盤See You in Septemberのドラマーはハル・ブレインです。こういうサウンドにするのなら、ハル・ブレインでなくてもいっこうにかまわないほど、ダレたヴァージョンです。つねに全力を心がけたハル・ブレインですら、そこそこのプレイしかしていないのだから、あとのスタッフはダレきっています。
でもまあ、オクトプラス・セットのハイ・ピッチのタムを使ったイントロのドラム・リックなどは、やはりうれしくなるのですが、きちんと録音できていませんし、オフにミックスされ、ほとんど聞こえないので、腹立たしくも感じます。もっとアレンジと録音に手間をかければ、ちゃんとしたヴァージョンになったでしょうが、手抜きが身上で、そのおかげでそれなりの成功をしたマイク・カーブだから(彼の会社Curb Recordsの手抜きリイシューCDには怒りました)、短時間で録音することしか考えていなかったのでしょう。コストダウンの犠牲となったヴァージョンです。
ハル・ブレインが叩いている可能性が高かったからマイク・カーブの盤を買いましたが、人柱としてリポートするなら、ハル・ブレイン・ファンにとっても、この盤は無意味です。しいて肯定的にいうと、ピンとキリの両方を知れば、ピンの人たちの才能と気構えがよりいっそう明瞭になるわけで、最低とはこういうものかという洞察をもたらしてくれるという意味で、マイク・カーブにも存在価値はあります。ハプニングスのプロデューサーであるトーケンズが、それなりに仕事をしたことが、そして、トーケンズはすくなくともリスナーを見下してはいなかったことがよくわかります。
付記:
友人から、この記事について私信をもらいました。ファースト・ヴァースの最終行、
Summer vacation is taking you away
についてです。この行は、ヴァケーションで遠くに行くのではなく、たとえば、この二人が遠い土地から同じ大学にきていて、夏休み(summer vacation)で帰省するために、九月まで会えなくなるといっているのではないか、という趣旨です。
いやまったく、ごもっとも。明解な解釈です。そういう設定のほうがはるかに自然だし、リスナーも共感しやすいというものです。チョンボ、早とちり、陳謝。こういうことはよくあるでしょうから、どんどん突っ込みを入れください>皆様。