(ヤング・)ラスカルズ全曲完全アップ計画 その04 ちびっ子ギャングとスパンキー
 
今回はちょっと本線から外れて(ほらはじまった)、前回登場したフィル・スペクターのアシスタント、ヴィニー・ポンシアのバンドについて少々書き、そのあとで、ヤング・ラスカルズおよびラスカルズという名前をめぐるあれこれにふれる。

◆ NYや厭な町だぜ、と呟いたのはどこの町でのことだったのか? ◆◆
まず、このクリップから。日本の某シンガーのカヴァーもあるし、サーフ・ミュージック方面では有名なヒット曲。

The Trade Winds - 04 New York's a Lonely Town (HQ)


ヒットした当時は知らず、73年ごろに買った2枚組サーフ・アンソロジーで知って以来、いったい何度サーフ関係の編集盤や箱で出くわしたことか、ダブりの王者。

のちにハル・ブレインのあれこれを調べていた時、どこかでこの曲のドラムはハル・ブレインだという記述を読んだ。

しかし、作者であり、この「バンド」でも歌っているピート・アンダースとヴィニー・ポンシアがフィル・スペクターのアシスタントとして、ハリウッドに何度も来ていることを知っていても、これがハル・ブレインのプレイだという確信をわたし自身は持てなかった。

サウンドとは関係ないことからも疑っていた。なかなかキュートな歌詞で、それがヒットに大きく貢献したと思うが、一カ所、ひどく奇妙で、これをハリウッドで録音したら、プレイヤーやスタッフが笑って、変更されたのではないかというラインがある。

一家でカリフォルニアからNYに引っ越した少年が、NYではサーフ仲間が見つからないどころか、誰もサーフィンのことなんか知りもしない、家の外に置いたボードに雪が積もっているのを見るたびに頭に来る、というようなお話なのだが、以下のラインが奇妙。

From Central Park to Pasadena's such a long way

サーフィンのできる故郷は遠い、と云いたいのだろうけれど、パサディーナはロサンジェルス郡の山地に寄った町で、海から直線でも、どうだろう、軽く30キロは離れているにちがいない。サーファーが懐かしがる町としては途方もない見当違いである。

ふつうなら、マリブあたりをあげるはずだ。シラブルが足りないなら、バルボアがある。パサディーナと同じ4シラブル。しかも、サーフ・ミュージック発祥の地だし(ついでに云えば、ウェスト・コースト・ジャズ誕生の地を一カ所に絞るならやはりバルボア。時を隔てて、スタン・ケントン・オーケストラと、ディック・デイル&ヒズ・デル・トーンズが同じオーディトリアムでプレイし、それが新しい音楽スタイルの引き金になった)、理想的ではないか。From Central Park to Balboa's such a long wayに直せよ!

よって、カリフォルニアの地理や音楽やサーフィン事情に不案内な人間が書いただけでなく(ここまでは考えるまでもなくクレジットを見ればわかる)、その場に、その歌詞はヘンチクリンだ、とツッコミを入れる人間が誰もいない遠隔地で録音された、というのが当方の推定。

The Trade Winds - 01 Mind Excursion (HQ)


しかし、いつまでたっても証拠は出なかった。アメリカ音楽家組合(American Federation of Musicians=AFMと略す)NY支部は、LA支部と異なって書類の保存が悪いようで、昔のクレジットが発掘されたことはない。

逆に云うと、有名な曲でクレジットが何十年も出てこなかったら、ハリウッド録音ではない可能性が極めて高い、と云えるが、しかし、これでは他人を納得させることはできない。

なにしろ、某レコード店の雑誌広告の、トレイドウィンズのアルバムのところに「あのジム・ゴードンがドラム!」なんておそろしく大胆なことが書いてあったくらいで、この曲に関しては風説ばかりがふくれあがり、誰も証拠を提出したことがなかった。

いや、わたしはアメリカ音楽に関する日本語の文章というのはまったく信用していないため、長いあいだ日本語の雑誌も書籍も読んでいないので、もしもこの四半世紀ほどのあいだに、どなたかがAFMの伝票などを提出して証明していたら、平にご容赦を。

The Ronettes - 01 Do I Love You (HQ)

(ピート・アンダース、ヴィニー・ポンシア、フィル・スペクターの共作、ハル・ブレイン・オン・ドラムズ)

さて、ラスカルズの調べ物でヴィニー・ポンシアが登場したものだから、いつもの裏取り脇固め、いちおう検索してみたら、ポンシアと長年コンビを組んだピート・アンダースのサイトの年表ページに飛び込んだ。

こりゃおもしれえ、とずずずっとスクロールさせていったら、ページの真ん中よりちょっと下あたりに、あらま、という写真があった。ピート・アンダースがギターのソフト・ケースを抱えてどこかの街角に立って談笑している。キャプションにはこうあった。

Peter Anders and legendary session keyboardist Paul Griffin outside the “New York’s A Lonely Town” recording session, New York City, Autumn, 1964

「ピーター・アンダースと伝説的セッション・キーボード・プレイヤーのポール・グリフィン。1964年秋、NYCでの“New York’s A Lonely Town”の録音の際、スタジオの外で」。

これでめでたく、ハル・ブレインもジム・ゴードンも嫌疑がはれて自由の身と相成り候。長い疑問の旅であったなあ、である。呵々。

いや、ずっと前からハリウッド録音ではないと確信していたが、証拠がないと納得しない人が多いので、当事者のこういう証言がなによりも即効性がある。

こんどまた誰かが、ジム・ゴードンが叩いたなどと与太を飛ばしたら、この写真を見たまえ、字が読めるなら、なんと書いてあるかわかるだろ、と云えるようになり、助かった。

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ポール・グリフィン(左)とピート・アンダース

しいて云うなら、キーボードはポール・グリフィンだったと云うことがわかっただけで、ハル・ブレインだのジム・ゴードンだのに仮に比定されたドラマーが、ほんとうのところ誰だったのかはまだわからないのだが、「それくらいまけておけ」と「千早振る」エンディングでよかろう、と。

◆ 縁語:リトル・ラスカルズ、ちびっこギャング、スパンキー ◆◆
ヤング・ラスカルズないしはラスカルズという名前の由来や、なぜヤングがついたりとれたりするかについては後述といったきり、係り結びにしていなかったので、この寄り道回の後半ではその責務を果たさむとぞ思ふ。

還暦を過ぎた人たちならまだはっきりと記憶していると思うのだが、大昔、テレビで「ちびっこギャング」といういたずらっ子たちの活躍を描いたアメリカ製のドラマをやっていた。

あれはややこしいことに、あの時代に製作されたものではなく、長い製作期間のうち、1930年代につくられたシリーズがアメリカでテレビ放映され、それが入ってきたものだったらしい。チャップリンの第二次大戦前の短篇も放送していたが、それとちょっと似た形だ。

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ちびっこギャング。中央がスパンキー、右端がアルファルファ

あの「ちびっこギャング」の原題がThe Little Rascalsだった。〈チュー・チュー〉の時か、そのつぎの〈バージ〉の時か、ディノ・ダネリによると、客のひとりに「リトル・ラスカルズ」って名前にしたらどうだ、と云われたのだという。

なぜそういう印象を持ったのかわからない。群像劇のようなところがあったが、中心となるのはスパンキーとアルファルファという男の子ふたり。このうちスパンキーの雰囲気が彼ら、とくにジーン・コーニッシュにはあったのかもしれない。

どういう納得の仕方であったにせよ、彼らはこの提案を是として、「ザ・ラスカルズ」と名乗ることになった。のちに、「小公子のような衣裳」をまとったことがあったが(デビュー盤のジャケットに記録されている)、それもこの背景から出てきたこと。

The Young Rascals - 09 I Ain't Gonna Eat Out My Heart Anymore (remastered mono mix, HQ Audio)


「ザ・ラスカルズ」としてデビューするはずだったが、よそに同じ名前のグループがあることがわかり、シド・バーンスティーンがヤングをつけて、「ザ・ヤング・ラスカルズ」と変えることを提案したのだという。

やがてヤング・ラスカルズは2曲のビルボード・チャート・トッパーを得て、他にどんなラスカルズがいようと、もはや混同の可能性はゼロになったからか、あるいは、当初は障碍になったそのラスカルズが消滅してしまったのか、彼らはヤングを削り、ただのラスカルズに戻った。

当方の書きっぷりがいい加減で、ヤングを付けたり付けなかったりするのは、このあたりの曖昧な事情、つまり「本来はラスカルズ」、でも混同を避けるために「とりあえずヤング・ラスカルズ」というどっちつかずに由来する。

いや、改まって云う時はヤング・ラスカルズとしてリリースした曲のアーティストは、やはりヤング・ラスカルズと書く方がいいと考えているので、なにかの拍子にヤングが飛び出すわけだが。

The Little Rascalsは、Our Gangというシリーズ名で上映された時期もあったそうで、邦題の「ちびっこギャング」はそちらを元にしている。

中心的な子供はアルファルファとスパンキー。後者を演じた子供がジョージ・マクファーランドという名前で、役名と合体して「ジョージ・“スパンキー”・マクファーランド」とクレジットされる。

ここで、60年代の音楽を知っている人は、頭の中で鐘が鳴り、大きな電球が点滅したはず。そう、スパンキー・マクファーレンをリード・ヴォーカルとしたこのグループ、じつはラスカルズの従兄弟だった! いや、すくなくとも名前のうえでは。

Spanky & Our Gang - Sunday Will Never Be The Same (04/12)


エレイン・“スパンキー”・マクファーレンをリーダーとしたギャングたちの代表作は、やはりこの曲だろう。ほかのヒット曲は記憶が飛んでしまったが、「あの日曜はもう戻らない」(自前邦題!)だけはラジオで聴いたのを憶えている。

などという程度の付き合いだったものだから、手元には音質のいいファイルはなく、長年の友人が全部盤を持っているというので、クリップをつくってアップしてもらったのを貼りつけた。

セカンド・アルバムはLPしかもっていないということで、ノイズと格闘中と云われ、心配したが、さすがにLPリップのヴェテラン、ほとんどノイズがわからないほどにクリーン・アップしてきた。そのセカンド・アルバムから一曲。これもヒット。

Sunday Mornin' (05/12) / Like To Get To Know You (Spanky & Our Gang)


一枚のアルバムの中で録音場所があちこちする落ち着きのないバンドで、「あの日曜はもう戻らない」はNY録音と思われるのに対して、こちらはハリウッドと思われる。アルバム丸ごとクレジットのため、確定できないが、ドラムはハル・ブレインだろう。

声の配置のせいで、シーカーズがグレたような雰囲気も感じるが、やはり人脈的に近い、カウシルズがいちばん似ているかもしれない。コーラス・グループにしては、サウンドがサイケデリック側に寄っていってしまうところが面白い。グッド・タイム・ミュージック要素を利用するのも、あの時代の気分ではごく自然なことだった。

つぎはセカンドのアルバム・タイトル曲。素直にはじまらず、寸劇じみた台詞のやりとりやSEが入るところも、まさにサイケデリック・エラ。

Like To Get To Know You (09/12) / Like To Get To Know You (Spanky & Our Gang)


いずれ、ラスカルズもそういうSE大量投入のアルバムをつくることになるが、それまでにまだ数枚のLPが横たわっている。次回もまたデビュー盤。しかし、これで一枚は完結できるだろう。



The Young Rascals (Original Album Series)
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グッド・ラヴィン(紙ジャケット仕様)
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Young Rascals [12 inch Analog]
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The Big Beat: Conversations With Rock's Great Drummers
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The Trade Winds - Excursions
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The Very Best of Ronnie Spector
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Spanky & Our Gang - The Complete Mercury Singles
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by songsf4s | 2016-09-19 22:51 | 60年代