大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その18
 
昨年九月のラジオ出演で、大瀧詠一は、本格的に音楽を聴きはじめたのは1962年だと語っていた。むろん、きっかけはエルヴィス・プレスリーに接したことだろう。

それは映画を通じてのことかもしれないし、誰かがもっていたちょっと古い盤かもしれないが、とりあえず、1962年なら、ふつうに日本のラジオでも流れていたかもしれないエルヴィスを。前年のビルボード・チャートトッパー。

Elvis Presley - Surrender


マイナーのヴァースから、コーラスでメイジャーに転調し、ちょっと歌い上げるようにするところが印象的で、こういうミディアムからミディアム・アップの、コーラスにメロディックなところのある、非ロック系の曲が、兵役を終えて復帰してからのエルヴィスのメイン・ラインだった。

いつか読んだ大瀧詠一の回想によると、エルヴィスに夢中になっているうちに、1964年にビートルズが出現し、ビックリして、それまで買い集めた盤を売って、ビートルズを買ったということだった。

ビートルズの盤はアメリカではなかなかうまくいかず、はじめてヒットしたのはI Want to Hold Your Handで、これは64年1月、ちょうど半世紀前のいまごろ、ビルボード・チャートのトップに立った。

いまさらで恐縮だが、二人ともギブソンJ-160Eを弾いているという、パチもん風のクリップはいかが?

The Beatles - I Want to Hold Your Hand


問題は日本だ。わたしは小学生で、明瞭な記憶がないのだが、日本でも、イギリスから直接ではなく、アメリカでの爆発的ヒットを受けて、64年からビートルズが売れるようになったのだと思う。わたしのビートルズの記憶は、近所のバーから毎夜流れてくる、She Loves Youからはじまっている。むろん1964年のことだ。

64年の5月だったか、権利をもつ米キャピトル・レコードの前年までの無関心(「イギリスのものは売れない」)が祟って、あるいは、考えようによってはそれが「幸いして」、ビートルズの初期楽曲の限定的リリース権を得ていた複数の会社(ヴィージェイ、スワンなど)が、いましかないと、よってたかってシングルをリリースした結果、ビルボード・チャートの1位から5位まで、すべてビートルズのシングルという、奇々怪々空前絶後の現象まで起きる。

なんて説明しても、あの熱狂を知らない人にはあまり意味がないだろうと、ここでしらふになった。ロバート・ゼメキス監督の処女作、ビートルズのエド・サリヴァン・ショウ初出演の日の騒動を描いた『抱きしめたい』でもご覧になった方がいいだろう。

大滝詠一がその熱狂に巻き込まれたのはよくわかる。しかし、のちにミュージシャンになる人間なのだから、単純な一直線の熱狂ではなかったに違いない。

The Beatles - From Me to You


大瀧詠一は、このころに2パート・ハーモニーの面白さを知ったのだろうか。だとすると、エヴァリー・ブラザーズはどうなるのか。62年から64年までのどこかですでに聴いていたのか、それとも、もう少し時間がたってから、さかのぼっていったのか。

考えてもわかることではないのだが、あのころにエヴァリーズを聴いていたとしたら、なんだろう。50年代の大ヒットか、それとも新しいシングルか。

ツイッターで知った、わたしにはありがたい年上の友人(と呼ばさせていただく)であるカズさんは、わたしが幼くてなにも知らなかったころのことをよくご存知で、エヴァリーズはこの曲が懐かしいとおっしゃっていた。

The Everly Brothers - Walk Right Back


WB移籍後のもので、これがちょうど61年のヒット、大瀧詠一もこれを耳にしていた可能性がある。しかし、山勘だが、本格的にエヴァリーズを聴いたのは、もう少し後年のことではないだろうか。

60年代中盤の大瀧詠一の頭にあったハーモニーは、ビートルズであり、ピーター&ゴードンであり、デイヴ・クラーク5であり、サーチャーズだったのだろうと、やはり思う。

このシリーズではそういう想定に添って曲を並べてきたのだが、一歩引いて、アメリカのグループの2パート・ハーモニーを見落としている可能性はないかと考え、思い浮かんだものもないわけではない。

The Cyrkle - Red Rubber Ball


サークルはブリティッシュ・ビートの影響が濃厚だったグループで(ほかならぬブライアン・エプスタインのネムズがマネージしていた)、イギリス勢を強く意識すると、ハーモニーも当然、このようなスタイルになるわけだ。

アメリカのフォーク・ロックは、基本的には「ビートルズの息子」だった。バーズのロジャー(当時はジムだが)・マギンは、アコースティック12弦をもって歌うフォーキーだったが、ビートルズのA Hard Day's Nightを見て、こんなことをやっている場合ではないと、エレクトリック12弦を買った。

ついでに云えば、バーズはサーチャーズにおおいなる借りがあると、クリス・ヒルマンは証言している。

曲はアメリカ産、ジャッキー・デシャノンが書き、自分で歌ってヒットさせたものだが、サーチャーズのカヴァーもヒットした。

The Searchers - When You Walk in the Room


もちろんボブ・ディランも同じで、彼がアコースティックからエレクトリックにシフトしたのも、ビートルズを見て、かつてのエルヴィス・ファンの血がよみがえったからだ。

バンジョーをもってジャグ・バンド・ミュージックをやっていたグレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアやボブ・ウィアも、A Hard Day's Nightのせいで、エレクトリックなバンドへとシフトした。

いっぽうで、バーズの出現とフォーク・ロックの誕生を見たビートルズは、その動きに同調して、アコースティックな音へとシフトしたRubber Soulをつくる。

アメリカ音楽の直接の子供として生まれたブリティッシュ・ビートが、こんどはアメリカのミュージシャンに強い影響を与え、アメリカ音楽が変化していき、それがまたイギリスに跳ね返るという、大きな振幅のトランス・アトランティックな波動を、この時、われわれ日本人も目撃した。

この経験が、新しい受取手を生むのは即時のことだったけれど、新しい作り手を生むには、いや、少なくとも、目撃したことを深いところにまで落とし込み、そのうえで、浮かんできたものを掬い取ってみせられる作り手を生むには、時間がかかった。

終われるというのは、とんでもなく甘い見通しだったようで、さらに「続はっぴいえんど」という事態になってしまった。

はっぴいえんどは、昔懐かしい音楽をやろうとしたのではなく、時代の最先端をいく音をつくろうとしたのだ、という大事なことを強調するのも忘れてしまったし。

「来るよ、また来るよ」(大瀧詠一「台風」)


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by songsf4s | 2014-01-23 23:12 | 60年代