大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その12
 
どこの土地でも聴けたわけではないらしいが、先日、ラジオ番組で細野晴臣が、大滝詠一と知り合ったころのことを回想していた。そのなかに、思わず笑いだし、ツイートしてしまったくだりがあった。

細野晴臣は、大滝詠一という「つかえる人」がいるという話をきいて、ブルース・クリエイションに客演していた彼を見に行ったところ、プレスリーの物真似をやっていて、なんだか身体を妙にくねらせていた、その後、彼が家にくることになった、そこで、さりげなくステレオの上にヤングブラッズのGet Togetherのシングルを置いておいた、と云う。

The Youngbloods - Get Together


細野家にやってきた大滝詠一は、ヤングブラッズのシングルを見ると、「おっ、ゲット・トゥゲザーだ!」と云った、と細野晴臣はうれしそうに話していた。

これは、あの時代とヤングブラッズを知らない人には、よくわからなかったのではないかと思う。

その前に「つかえる人」という言葉の問題。ここで云っているのは、時代劇で剣術使いが云う「うぬ、おぬし、なかなかつかえるな」という「つかえる」、腕が立つという意味だ。

そして、ヤングブラッズである。日本ではついに有名になることはなかった。セカンド・シングルのGet Togetherはそこそこエアプレイがあったが、ヒットというほどではなかった。つまり、知る人ぞ知る、という位置である。

だから、細野晴臣は、大滝詠一という人が、噂通り「つかえる」かどうかを試すために、ヤングブラッズのシングルを置いておいたのである。むろん、自分自身が「つかえる」ことを示すデモンストレーションでもあった。

子供のメンコ自慢(いまの子供なら、メンコではなくカードだろうけれど!)が少し進歩した程度のことだが、音楽ファン(に限らず、映画でも文学でもその他あらゆる趣味の分野のファン)の多くは、この種の経験をしたことがおありだろう。

はっぴいえんどは「つかえる人」の集まりだった。それは曲作りにも、サウンド・プロデューシングにも、ヴォーカル・アレンジにも色濃く投影された。

そして、わたしのような、中学の時にヤングブラッズに飛びついた小僧が彼らを愛したのは、その「使い手」の側面だったといっていい。

ウーアー・コーラスだけなので検討せずに飛ばしてしまった曲がある。

はっぴいえんど「空いろのくれよん」


これは昔から、バッファロー・スプリングフィールドのこの曲にインスパイアされたものと考えてきた。

Buffalo Springfield - Kind Woman


しかし、今日、聴きながらギターを弾いていて、ひょっとしたら、このシリーズですでに貼り付けた、バーズのこの曲も入り込んでいるのかもしれないと思った。同じくワルツ・タイムで、コード進行も似ている。

The Byrds - Hickory Wind (1968)


われわれだって子供の時に何曲か聴いていたのだから、ヤングブラッズをちゃんと聴いていたあの時代の「つかえる人」がバーズを聴いていないはずがない。当時は評判にならなかったアルバムだが、このSweetheart of the Rodeoだって聴いていた可能性はある。

もしそうなら、グラム・パーソンズに興味をもち、彼のつぎのバンドによる最初のアルバム、フライング・ブリトー・ブラザーズのGilded Palace of Sinを聴き、GPとクリス・ヒルマンのハーモニーのなかに、エヴァリー・ブラザーズを発見していたかもしれない……。

今日取り上げようとした曲は、すこしだけでもコピーしようと思っているうちに時間が飛び去ってしまったので、ハーモニーの検討はあきらめ、さらに「つかえる人」たちの肖像を描くことにする。

これまで、バッファロー・スプリングフィールドだの、モビー・グレイプだのと、当たり前のように名前を挙げてきたが、当時は、誰でもが聴いているというグループではなかった。

わたしの記憶と感覚に頼って書くのだが、バッファロー・スプリングフィールドは、CS&Nが脚光を浴びたあと、71年ごろに国内でアルバムがリリースされた。ポリドールがもっていたアトランティック・レコードの配給権を、パイオニアが獲得したあとのことだった。

それ以前は、シングルはいざ知らず、彼らのLPは国内ではリリースされていなかったと思う。高校生のわたしは、バッファローが出た、というので、喜び勇んで彼らの全カタログ、3枚のLPをまとめて買った。

71年だと考えるのは、はっぴいえんどのデビュー盤より「あとに」バッファローを聴いたというはっきりした記憶があるからだ。アメリカでのリリース・デイトを基準に考えると、当時の日本人の感覚はわからないのだ。

ああいうタイプが好きな人間ですら、名前を知っているだけで、アルバムを買ったことのないグループを、はっぴいえんどはそのワーキング・モデルにし、サウンドのインスピレーションを得ていた。それはわれわれには驚きであり、喜びだった。

モビー・グレイプはどうかというと、アルバムWOWについては、CBSの配給権が日本コロムビアからソニーに移ったあとだから、69年ごろのリリースだったのではないか。ジャケットは印象的だったが、あまり評判にならなかった。わたしが買ったのはずっと後年、73年のことだった。

WOWよりもデビュー盤のほうが出来がいいので、そちらから一曲。

Moby Grape - Someday


はっぴいえんどは、楽曲としてはバッファロー・スプリングフィールドの影響が強いかもしれないが、サウンドとしては、モビー・グレイプの色をより強く感じる。

むろん、英米音楽の歴史がうずたかく積み重なって、はっぴいえんどのあの音が生まれたのだが、もうひとつ、表面にもあらわれた顕著な音をあげるなら、プロコール・ハルムの影響も強かった。バッファローやグレイプとちがって、ハルムはわれわれにも馴染み深かった。

はっぴいえんど「飛べない空」


これはオルガンを使っているので、はっきりとプロコール・ハルム由来とわかるのだが、松本隆のドラミングにハルムのBJ・ウィルソンの影響が強く感じられることも見逃せない。

皮肉なことに、この曲はオルガンを使っていないのだが、69年春にリリースされた彼らの3枚目のアルバムのタイトル・カットを参考に。ドラミング設計に注意されたい。

Procol Harum - A Salty Dog


このBJのドラミングははっぴいえんどのデビュー盤のべつの曲でも引用されている。

はっぴいえんど「はっぴいえんど」


わたしは中学の時からBJ・ウィルソンの大ファンだったので、松本隆がBJに範をとったドラミングをした気分はよくわかる。ハルムのA Salty Dogの、スティーヴンソンの『宝島』のような、船乗りの物語、航海のメタファーは、歌詞においては3枚目まで尾を引くし、BJのドラミングは大滝詠一のソロに至るまで長く残響がつづくことになる。

Procol Harum - All This And More


つぎにおく大滝詠一のものは、曲調は異なるが、ドラマーの観点からは、従兄弟ぐらいの近い関係にある。

大滝詠一「乱れ髪」


プロコール・ハルムのことはさておき、コード、曲調、アレンジ、サウンド、さまざまな面で、はっぴいえんどは、「ハードロック勢」が無視した、豊穣な英米音楽のなかでも、バッファロー・スプリングフィールドやモビー・グレイプなどのように、当時の日本ではほとんど聴かれていなかったグループをワーキング・モデルとして、彼らの音をパズルのように自分たちの音のなかに填め込んでおいた。

卑俗ないい方だが、結局、メンコ自慢だったような気がする。

ハードロックなんていうメンコはめずらしくもないし、興味もなかったが、はっぴいえんどが「どうだ」と並べてみせたメンコには、わたしたちは、すげえ、と嘆声を発した。そういうことだったのではないかと、いまは理解している。


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by songsf4s | 2014-01-17 23:01 | 60年代