大滝詠一、フィル・エヴァリー、そして2パート・ハーモニー その8
 
(承前)
そもそもわたしは、ビーチボーイズなんかでも、ヴォーカル・ハーモニーにはあまり反応せず、トラックのアレンジばかり聴いてしまうような人間で、もともとコーラス指向はあまりない。

そういう人間がなんだってハーモニーの話などしているのかと思うが、人生、意外事の連続、予想通りになることなどめったにないので、やむをえない。

4パートになるとよくわからなくなるのだが、しかし、子供のころから2パート・ハーモニーは好んで聴いてきた(じゃあ、なぜハーモニー・パートを歌わなかったのだ、と中学の時のバンドメイトの声が幻聴したw)。

なぜそういう好みの偏りが起こるのか。3パート以上になると、制約がきびしく、3度や5度のラインを辿らざるを得なくなることが多いからではないかと思う。

むろん、フォー・フレッシュメンは、そのような退屈な和声構造を打破したから面白かったのだ、とブライアン・ウィルソンも云っていて、そうなのだろうな、と思うのだが、でも、詰まるところ、4パートのハーモニーは予定調和でしかない、意外性をもたせるのは困難だと、内なるわたしはやはり主張をまげない。

つらつら考えてみたが、3パートのハーモニーなのに、3度、5度なんか知ったことか、三人とも勝手にやる、なんて方針だったのはPP&Mだけだと思う。彼らは、途中でラインが交錯して、上のパートと下のパートが入れ替わることさえ厭わなかった。パイド・パイパーズ以上に革命的なコーラス・グループだったのだ(フォー・フレッシュメンよりパイド・パイパーズのほうがはるかに面白い。保証する!)。

Peter, Paul & Mary - In the Early Morning Rain


どう考えても、これはアレンジされたハーモニーではない、インプロヴだろう。

いままでフォークを視野に入れずにきたが、大滝詠一はフォーキーであったこともあり、「朝」のようなフォーク風の曲もある。いちおう、こちらの方面からハーモニーを引っ張ってきた可能性は排除しない方がいいかもしれない。

だが、はじめて「12月の雨の日」を聴いた時に感じた、「昔なじみに再会したような気分」は、やはりブリティッシュ・ビート・グループ、絞り込むと、ビートルズ、ピーター&ゴードン、デイヴ・クラーク5からきたものだと思う。

前回、とってみたメロディーとハーモニーの動きをもう一度以下におく。


雨 上 が り の 街   に
メロディー
シ シ シ ラ シ ラ シ ソ
ハーモニー
シ シ シ ラ シ レ ミ シ


風   が ふ い に お こ る
メロディー
ソ ミ ソ ミ ソ ミ ミ ソ ラ
ハーモニー
ド ド ド ド ミ ド ラ ド ド


はっぴいえんど「はっぴいえんど」(1970年)フルアルバム。「12月の雨の日」は21:06からスタートする。手元のファイルよりこちらのほうがヴォーカルの分離がよく、こっちでコピーすればよかったと思うが、見つけたのは記事をアップしたあとだった。

流       れ る 人   波    を
メロディー
ファ# ファ# ソ ラ シ シ レ♭ レ レ
ハーモニー
レ レ レ レ♭ シ シ シ シ ラ


ぼ く は 見   て る う う う
メロディー
シ シ ラ ファ♯ ラ ラ (ソ) ファ♯
ハーモニー
シ シ ラ レ♭ レ レ シ ラ



特長はふたつ。

1 時折、メロディーとハーモニーが重なってユニゾンになることがあり、その直後に、両者の音が離れた時の味わいを鮮烈にしている。

2 たとえば「流れる人波を」のところのように、ワン・ノートに近く、動きの小さい、お経のようなハーモニー・ラインがある。

ビートルズやDC5に、ハーモニーとメロディーが瞬間的にくっついてしまうものがあったように思うのだが。

The Dave Clark 5 - Hurtin' Inside


キーがA♭なので、半音が入ってちょっと面倒になってしまうのだが、I'll never knowという歌い出しは、メロディーが「ラ♭、ラ♭、ド、ミ♭」と上っていくのに対し、下のハーモニーは「ラ♭、ラ♭、ラ♭、ソ」と下がっていく。

そして、最初の音「ラ♭」は両者共通である。同じ音なのだ。くっついているのである。ハーモニーラインはこの音を繰り返したあげく、半音だけ下がるという、お経のような動きをしている(コードから見ると、A♭のルートからCマイナーの5度へと動いている)。やはり、「12月の雨の日」に通じるところがあると感じる。

むろん、1970年にはじめてはっぴいえんどを聴いた時、そんなふうに分析したりはしなかった。懐かしさに満ちたLPだと「感じた」だけだ。

それは林静一描くジャケット絵や、つげ義春や永島慎二や水木しげるらに代表される「ガロ」的な風景を文字にしたような歌詞からくるのかと思った。

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だが、じつは、音そのものに、かつてよく聴いたのに、同時代の音楽シーンからは失われてしまったハーモニー・スタイルが組み込まれていたことも、ノスタルジーの源泉だったことが、いまならはっきり見える。

はっぴいえんどの音楽、とくにデビュー盤には、暗く、湿った感触があり、曲調もサウンドの色合いも、初期ブリティッシュ・ビートの明るさと軽快さの対極にあったが、大滝詠一は自分が十代の時に親しんだ音楽の構造を、そこにそっと移植していた。意図的にしたことだろうと想像している。

先ほど、ボックスに収録された「12月の雨の日」の別テイクを聴いていたら、セカンド・ヴァースでは二系統のヴォーカルは、ユニゾンではなく、ハーモニーになっていて、あらら、だった。

別テイクや8トラックでのリメイク(シングル・テイク)では、微妙に異なるヴォーカル・アレンジになっているのだが、いずれにしても、わたしが聞き取ったより、もうすこし細かく動いているような気がする。

そのへんを修正したいような気もするが、それは、お読みになったみなさんがそれぞれ、お前のは大間違い、こうじゃないか、とやってくださればいい。

次回は、「しんしんしん」やセカンド・アルバム『風街ろまん』の曲を聴きたいと思う。


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by songsf4s | 2014-01-12 22:23 | 60年代