ファー・モア・ザン・ノー・ヒット――ワン・ヒットで悪かったな!
 
例年、クリスマス直前ぐらいからお客さんが少なくなり、三が日で底を打ち、その後、通常に戻る、という傾向が当家にはあります。

今年も年末年始は明治神宮や鶴ヶ岡八幡宮にお客さんをとられ(ちがうだろ!)、閑古鳥が鳴いていますが、そういうときは休もう、とは思わず、逆に、少ないからこそ更新しようと思ってしまいます。いや、増やしたいのではなく、気ままに、ぞろっぺえにやりたい、というだけなのですが。

つぎからはレギュラー・プログラムで、などといってはみたものの、今日も外出していて時間がなく、明日も外出の予定なので、軽く思いつくままに曲を並べます。

ご存知の方も多いでしょうが、ポップ・ミュージックの世界にはOne hit wonderという言葉があります。英語のニュアンスはいくぶんか肯定的ですが、これに相当する日本語は最悪です。その名も「一発屋」!

しかしですね、ヒットなんかなんにもないまま、音楽をやめる人のほうが圧倒的に多いのです。そもそも、ビルボード・チャート・トッパーが一曲あれば、一生、食えるってくらいで、ワン・ヒッターというのは、どん底か、エリートか、どっちに近いかといえば、当然、トップに近いところにいるのです。

昔はウェブなどというものはないので、ヒットがないと、そのまま忘れてしまい、だいぶたってから、そういえばあのバンドはどうなったのかな、と思うことがよくありました。

まずは典型的なワン・ヒュージ・ヒット・ワンダー、「一発屋」のキング、一気にトップまで上り詰めた曲を。1968年のビルボード・チャート・トッパー、ジュディーは変装している。

John Fred & His Playboys - Judy in Disguise


ジョン・フレッド&ヒズ・プレイボーイズは「純粋な」または「究極の」ワン・ヒット・ワンダーです。後にも先にもヒットといえるものはこのJudy in Disguiseしかなく、そのたった一曲のヒットはチャート・トッパーになっているのだから、文句なしのホンモノです。

ジョン・フレッドは、ビートルズのLucy in the Sky with Diamondsを聴いて、「Lucy in disguise with diamonds」=「ルーシーはダイアモンドで変装している」って、すげえ歌詞だなあ、と思ったのだそうです。

でも、よく聴いたら、Lucy in the sky with diamondsだとわかり、なんだ、つまんねえ、と思ってから、じゃあ、俺がそういう曲を書けばいいじゃん、と思い直し、このワン・ヒッターが誕生したのだそうな。ウソかホントか、あたしにきかないでください。ジョン・フレッドがそういっていたというだけです。

つぎの曲も同様に純金のワン・ヒッター、1968年のビルボード・チャート・トッパー。

Lemon Pipers - Green Tambourine


クリップにはライヴと書いてありますが、バックトラックはリリース・ヴァージョンと同じもの、ヴォーカルとタンバリンだけ、ライヴまたはプレスコで、盤とは異なるものになっています。

レモン・パイパーズのメンバーは、会社に押しつけられたからやっただけで、この曲を好まなかったようです。あまり素人ロック・バンドの音には聞こえないので、バックトラックができあがってからスタジオに呼ばれて、歌え、といわれた、といった、よくあるパターンだったのかもしれません。

そのへんのスタートでの考え方の相違から、結局、ブッダとはうまくいかなくなり、当然、ヒットにもさようなら、というあたりでしょう。ブッダだから、本質においてはスタジオ・プロジェクトなのだが、たまたま契約してしまったバンドがあったので、その名義にしてみた、というあたりではないかとみなしています。

いま振り返って1965年から68年ぐらいまでが、自分が生きた時代のなかで、もっとも音楽の世界が煮え立った時期だったと思います。

自分自身の年齢でいえば、小学校六年から中学いっぱい、世界に目を開く時期とちょうど重なって、興奮につぐ興奮、音楽潮流がめまぐるしく変化する、途方もない時代でした。ビートルズのアルバム・ジャケットを追いかけるだけでも、その変化の速度はわかるでしょう。

ワン・ヒッターについても、この時期のものがやはり強く印象に残っています。これまでの曲はサイケデリック直後でしたが、こんどは直前の時代を。もうちょっとでシングルを買いそうになった曲。

The Outsiders - Time Won't Let Me


再録音があるのか、妙なクリップがたくさんあって、面食らいました。わたしが知っているTime Won't Let Meは、上掲クリップのものです。

すごいプレイをしているわけではないのですが、この時期にこれだけ安定したプレイをできるバンドがあるとも思えず、ちょっと考え込みます。

この時期のキャピトルですからねえ。影武者の都、てなものです。ハル・ブレインやアール・パーマーではないことまではわかりますが、では、だれだとなると、長考に入ってしまいます。ルーキー時代のジム・ゴードン、なんて可能性もゼロではないような……。

またしても68年のヒット、こんどはR&Bを。これまたLA産ですが。

Brenton Wood - Gimme Little Sign


ブレントン・ウッドはLAベースのシンガーですが、ハリウッドっぽいサウンドではなく、どうなってんだ、と思います。メイジャーが使っていたプレイヤーではなく、クラブを仕事場にしているプレイヤーで録音したのか、ちょっと悩ましい音です。

ヒットしていた当時は、チープなオルガンの音に惹かれました。間奏はそこそこ素直な音ですが、オブリガートのときはなにかイフェクターをかけているのではないでしょうか。あるいは、ミュージトロンなどの、オルガン類似楽器かもしれません。

ジョン・フレッドが典型ですが、サイケデリックのころから、R&Bフィールの強い白人バンドというのがたくさんあらわれて、子どものわたしはそういうのを好みました。ブレントン・ウッドなども、黒人のわりには黒さが薄く、ロウ・ティーンのわたしはそういうものを好んだようです。

The O'Kaysions - I'm a Girl Watcher


微妙な黒さのあるヴォーカルで、このタイプはいまも好みです。こういう、一回、湯通しして、脂を抜き、あっさりした味に仕上げたようなものは、あの時代の特徴だったといまにして思います。

この人はジャメイカンなんでしょうか。イギリスのスカ・ブームの文脈から出てきたのでしょう。デズモンド・デッカーとザ・リズム・エイシーズ。

Desmond Dekker - Israelites


子ども(あたくしは中三だった)の観点からは、ギターの使い方に魅力を感じる曲でした。カッティングではなく、ミュート・ギターの使い方です。

南アフリカからやってきて、ひとつだけヒットを残した人もいました。

Miriam Makeba - Pata Pata


ミリアム・マケバは、ダウン・イン・ジョハネスバーグでは大スターで、山ほどヒット曲があるとなにかに書かれていましたが、それをいったら、わが坂本九もワン・ヒッターではなくなってしまうので、ここではあくまでもビルボード・チャート的世界観で押し通します。

これは66年のヒットでしたか、大好きでした。いま聴いても、シンプルなのに、飽きないつくりになっているところに感心します。やはり、グルーヴのよさのおかげでしょうか。このドラマーは好みです。

1968年というのは、印象深いワン・ヒッターの宝庫のようです。いや、こちらの年齢の問題かもしれませんが。つぎの曲なんかも、やはりドラム、ベース、ギターがつくるグルーヴが新鮮でした。

Archie Bell & The Drells - Tighten Up


つぎは、そういえば、色物もあったなあ、としみじみしてしまった曲。いや、曲調はしみじみとは正反対ですが。

The Crazy World of Arthur Brown - Fire


ふーむ、けっこういいグルーヴだなあ、といまさらのように感心しました。それにしても、この人はなんだったのでしょうか。わけのわからない時代の、わけのわからない人の、わけのわからない曲でした。

そろそろ時間切れ、この曲でおしまいにします。『キル・ビル』のサウンドトラックなんていわれるとすごく抵抗があるのですが、まあ、よろしい。アイズリー・ブラザーズの曲のロック・グループによるカヴァー。

Human Beinz - Nobody But Me


あ、もう一曲、すでに検索してクリップを貼りつけてあったのを忘れていました。

The Equals - Baby Come Back


その下には、この原稿を書きはじめたときに、あの曲と、この曲と、なんて、思いつくままにリストアップした曲が並んでいたのですが、結局、どれも使いませんでした。

こういうのは、まったくの楽勝、さっと書けちゃうし、いつまでもつづけられるなあ、と思ったのでしたwww


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by songsf4s | 2012-01-02 21:44 | 60年代