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Quick Look At 御馴染ジキル&ハイド焼き直し物 ニール・バーガー監督『リミットレス』(Limitless)
 
以前、ごちゃごちゃと長ったらしく分析するのではなく、歴史的重要性のない、あるいは、わたしにとってはとくに強い意味を持たない映画を、あっさり一回で書く、というのをやりたい、ということを書きました。now listeningというのをチラッとやりましたが、その映画版という趣向です。

音楽に関しては、この30年ほどのものには興味がなく、スネアのチューニングやサウンドやミックスのバランシングには吐き気を感じるので、まったく聴いていません。しかし、映画と小説は、いくぶんかみずからを叱咤鞭撻する趣無きにしも非ずですが、それなりに接しています。

小津安二郎や成瀬巳喜男などの日本映画は特例、別格ですが、おおむね、遅い映画、長い映画が不得手で、新しいものはアメリカ製アクション映画しか見ていないような気がします。

いちおう、形式として今回も監督名をタイトルに出しましたが、この二十年ぐらいのアメリカ製アクション映画は、プロデューサー映画であり、つまるところ、監督はだれでも同じだと考えています。もともと、「作家性」という言葉はアクション映画との親和性が薄かったのですが、いまやまったく無縁といっていいでしょう。

◆ クリティカル・パス正面無理押し突破 ◆◆
さて、たんなる瞥見による雑感記事の一回目は、十月に公開予定となっている『リミットレス』です。このタイトルになるかどうかは知りませんがね。

予告編


出版契約はとったものの、まだ一文字も書けず、恋人にも三行半を突きつけられた作家のエディー・モーラ(ブラッドリー・クーパー)は、町でばったり別れた妻の弟ヴァーノンガーント(ジョニー・ウィットワース)に出くわします。

まだ一字もかけないというエディーに、ヴァーノンは「クリエイティヴ・ブロックか?」といい、透明なタブレットを一錠わたして、飲んでみろ、といいます。ヴァーノンは、人間は脳の20パーセントしか利用していない、この薬を飲めば、百パーセント活用できるようになる、と説明します。

あらゆる御伽噺には、日常世界からの跳躍の一瞬があり、このクリティカル・パスをいかに切り抜けるかに、作家はもっとも頭を悩まします。

極端な例は小松左京の『日本沈没』でしょう。日本が沈没するなどということはありえず、したがって、そうなるという物語は御伽噺であり、力強いリアリティーを与えられなければ失敗します。

その点を強く意識した小松左京は、地球物理をはじめとする最新の科学研究の成果を取り込み、それを読者に説明しているうちに、あまりにも膨大になり、日本という国土を失ったとき、日本人はいかにして生きるかを描く、という当初の目論見とは異なり、いかにして日本は沈没するか、という物語を書き上げてしまいました。

クリティカル・パスを通過するための手段であったはずの、自然科学の成果を総動員したリアリティーの付与それ自体が、物語の目的そのものとなってしまったのです。

『リミットレス』という映画のもっとも弱い鎖は、この弟に出くわし、NZTという謎の薬を渡されるシークェンスです。別れた妻の弟である必然性はとりたててなく、町でばったり出会う、なんて極端な手抜きもまったくの問題外、わたしがプロデューサーだったら、シナリオをゴミ箱に叩き込みます。

しかし、落語にも「夢金」や「天狗裁き」など、夢落ちというのがあるくらいで、「まあ、それはさておき」ということもあります。目をつむり、鼻をつまんで通り過ぎよう、というわけです。

この馬鹿馬鹿しい処理、というか、無処理はさておき、ここは無視して、いまから御伽噺に入ります、といわれて、オーケイ、といえるタイプの人は、この映画を最後まで見られるでしょう。この程度の話の運び方では、夢物語にはつきあえない、ということであれば、この映画はゴミ箱行きです。

以上、町でばったりメフィストに会った、という、驚くべき処理はなかったものにして、先に進みます。もちろん、脳みその二割とか十割とか、なんだかそば粉とうどん粉の比率みたいなあれこれも、御伽噺、御伽噺、御伽噺、と三回まじないを唱えて通過してください。

科学は忘れて、そういう話なのだ、と決めつけないと、こういう映画は馬鹿馬鹿しくて投げ出します。ゴジラなんかいないの、などと、かつて東宝に足しげく通うわたしにいいつづけたわが母のような精神の持ち主には、こういう映画は向いていません。

かくして、ヒーローはNZTなる薬を服用し、一気にIQ四桁人間(ワッハッハ)に変身します。当然、執筆はものすごい勢いではかどり、翌日には冒頭の数十ページをエイジェントに届けることができます。

なんだか、どこかで読んだような話だなあ、とだれだって思います。ひとつはスティーヴンソンの『ジキル博士とハイド氏』、もうひとつはダニエル・キーズの『アルジャーノンに花束を』(ラルフ・ネルソン監督、クリフ・ロバートソン主演で『まごころを君に』Charlyというタイトルで映画化された。大昔にテレビで見たきりなので、記憶曖昧哉)です。いや、つまりウルトラマンね、という解釈もあるでしょうなあ!

さらにいうと、どなたもご存知ないでしょうが、幼児のころに見たタイトル失念メキシコ映画も思いだします。記憶おぼろですが、プロレスラーが筋肉増強剤のようなものを服用し、最強のレスラーに変身するという話でした。子どものときは、最後に薬の副作用が出るところが怖くて、怖くて、震え上がりました。

そういえば、ヘンリー・ライダー・ハガードの『洞窟の女王』のエンディングも、広い意味でこの種のパターンといえるような気もします。『レイダース』を見たときは、ハガードのアラン・クォーターメイン(映画『リーグ・オブ・レジェンド』ではショーン・コネリーがクォーターメインに扮した)・シリーズのいただきだと思ったものです。

むろん、作家が本を書いただけでは話はつづきません。ウルトラマンだから、当然、この薬の効き目は当日限り。さらに薬を手に入れようと義弟に会いに行きますが、彼は殺され、部屋は家捜しされていました。

これで、それなりに方向性が見えてきたように思いましたが、左にあらず、つまり、麻薬組織とウルトラマンの戦いなどという方向にはいきませんでした。

エディーは、犯人はあの薬を捜したが発見できなかったのだと推測し、必死で家捜しをし、ついに現金と数十錠のNZTを見つけます(オーヴンに隠してあったという処理もド下手。まったく意外性がなく、人殺しまでする人間がそんな当たり前のところを見逃したとは信じがたい)。

エディーは、毎日薬を服用し、可能性を模索します。本を書くなどというのは迂遠であるという結論に達し、あっさり作家は廃業し、投資をはじめます。ここから話は『虚栄の篝火』『ウォール・ストリート』的世界に突入します。つまり、野心に燃えた、若き天才ウォール・ストリート・ギャングの物語です。

だれかが、アメリカ人は金銭以外に、この世に価値体系があるとは信じていないといっていました。「ほう、おまえがそんなに頭がいいのなら、なぜまだ成功していないのだ?」というラインの「成功」とは財産を築くことです。

そうしなければプロットが組めないとはいいながら、突然、頭がよくなったときに、この主人公が、あっさり本の執筆を放擲し、投資にその才能を使うようになるということは、つまり作家たろうとしたのは「成功」のための手段だったということをあらわしています。

ものを書くことと金持ちになることが直結するとは思えず、ここで強い違和を感じましたが、アメリカの物書きはそのように考えるのだろうと受け取り、ここも鼻をつまんで通過しました。

一歩退いて考えるなら、この映画は、「あなたならどうする」タイプの物語とみなすこともできます。ここまででいうなら、

1)得体の知れない薬を飲むか?
2)突然、頭がよくなったら、なにをするか?

という設問が提示されています。わたしは内服薬に対してはいたって臆病なので、第一の関門を突破できず、脳みその変身を経験することはできないでしょう。シナリオは、エディーが物書きとしてのキャリアにおいても、生活においても追い詰められていることを描き、最初の一歩を後押ししています。

もう少し先に進みます。エディーはディーラーとして、たちまちウォール・ストリートの評判になり、大物たちから数々のオファーがあり、そのひとり、投資家のカール・ヴァン=ルーン(ロバート・デニーロ)に会います。

カールから渡された資料をざっと読み、エディーは、カールがひそかに大型合併を画策しているのを見抜き、カールの右腕として雇われることになります。

というように、ビジネスマン(というか投資ギャング)成功物語へと変化する一方、エディーを付け狙う謎の男やら、エディーが資金を借りた粗暴な高利貸しやら、恋人やら、元妻やらがからんで、話はにぎやかに進みます。

◆ もう一度、あなたならどうする ◆◆
公開を待っている映画のプロットをあまり事細かに書くものではないし、そろそろ時間切れも迫っているので、プロットを追うのはこのへんまでとします。

副作用の問題と、薬切れの問題は、こういう設定では必然的にプロットを決める要素になります。ほんの数日で外国語をマスターできるほどの頭脳になったのだから、わたしだったら化学と薬学の勉強をして、手持ちの薬をリヴァース・エンジニアリングし、製造に乗り出しますが、この映画の主人公はべつの道をとります。

副作用の問題も、当然ながら、同じように解決できるはずですが、この映画のシナリオ・ライターはみごとなご都合主義者ぶりを発揮し、他の人間はみな副作用の問題を解決できずに病んだり死んだりするのに、主人公だけは「デバッグ」を試みます。

この薬を飲めば、だれでも頭脳明晰になるはずではなかったんでしたっけ? 薬を飲んでいない頭脳非明晰のあたくしだって、それくらいの方法をたちどころに思いついたのですが、シナリオ・ライターは「使用前」の凡人未満アルジャーノン頭なのかもしれません。

しいていえば、「デバッグ」を持ち出すのは、デニーロと対決するクライマクスまでとっておきたかったのでしょう。いや、それをしもご都合主義というのですが。

ぜったいに見ないほうがいいような気もするし、見たところで、意味がよくわからないから大丈夫のような気もするエンディングの、そのまた別ヴァージョン。



近年のアメリカ製アクション映画は、プロデューサー映画だということを書きましたが、同時に、編集者映画であるともいえます。

たとえば、いま思いつく映画を適当に指折ると、『マトリクス』シリーズであるとか、リー・タマホリ監督、ニコラス・ケイジ主演の『ネクスト』であるとか、トニー・スコット監督、デンゼル・ワシントン主演の『アンストッパブル』であるとか、ああいうものは、ディジタル編集を前提にして、逆算で撮影方法が導き出されています。

まず編集ありき、であって、演出と撮影はそれに追随するのだからして、この面でも、もはや監督がだれでも映画の出来には影響しない、といいたくなります。いや、むろん、文芸映画ではなく、アクション映画の話をしているので、誤解なきよう。

ふたたび、自分だったらどうするか、と考えました。こういう薬を飲むことはないでしょうが、仮に飲んで、頭がよくなったとしたら?

金儲けに向かう心理はわかりますし、もう十年若ければ、自分もそうしたかもしれないと思います。ただし、この映画の主人公のように、ウォール・ストリートの新進ディーラーとして名声を博すなどというのはぜったいに避けます。デイ・トレイダーになり、ひとりひそかに、小さく、楽に稼ぐ道を取るでしょう。

しかし、金を稼ぐのは片手間にするのではないでしょうか。残った時間でなにをするかというと、万巻の書を読破するだろうと思います。以前から、仏教書に興味があったのですが、粗雑な頭をしていて、ああいうのを読むのはえらく骨を折るので、避けていました。頭がよくなれば、仏教書など週刊誌のように楽に読めるでしょう。『正法眼蔵』を30分で読破し、要点を記憶する、なんていうのをやってみたいものです。まあ、これでは映画にはならないから、『リミットレス』が金儲け話になったのもやむをえないのですが。

最後に音楽のことを。

近年のアクション映画を支配している、ハンス・ジマー流の大太鼓かなにかのドスンバタンというアクセントばかりのスコアにはうんざりですが、この映画は非常に控えめなスコアで、音楽をがあるのをほとんど意識しないほどでした。これでは映画スコアをほめたことにならないかもしれませんが、ハンス・ジマー流ドスンバタンドカン音楽撲滅の一歩になってくれればと祈りたくなります。


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by songsf4s | 2011-08-27 23:45 | 映画