ニック・デカロのItalian Graffitiのオリジナル4 All I Want

◆ ニック・デカーロ盤 ◆◆
ニック・デカーロのItalian Graffitiの4曲目はAll I Wantです。

Nick DeCaro - All I Want


イントロはおおいにけっこうな音のレイヤーで、偶然でしょうが、ベースから管、弦といった積み重ねがきれいな音をつくっています。譜面を書いているときに、ミックスダウン後にどんな音になるかを具体的にイメージできれば、いますぐ世界最強のアレンジャーになれるわけで、こういう音のテクスチャーというのは、いつも得られるわけではなく、貴重だと感じます。

いつものように、ヴォーカル・アレンジはうまくいっています。ヴァース、コーラス、ブリッジという区分けがはっきりしない曲ですが(ジョニ・ミッチェルのオフィシャル・サイトでも、たんなるミスだろうが、2種類の区切りを使っていて、どこまでをヴァースとみなすかの手がかりは得られない)、長いコーラスの後半とみなせる、Do you wanna take a chance of以降の、デカーロ自身によるヴォーカル・レイヤーは気持のいいサウンドです。

ヴァースが2パートに分かれているのか、それとも、コーラスが2パートに分かれているのか、よく考えると不思議な構成です。(ジョニ・ミッチェル・ヴァージョンから勘定すれば)40年前から聴いている曲なのに、いまさら気づくとは、自分の注意力に呆れてしまいました。

おおむねけっこうなトラックなのですが、ドラムは好みではありません。いや、概して悪くないと思いますが、いくつか、すごく気に入らないフィルインがあるのです。16分連打がダサいドラマーはいただけません。アクセントがよくないから、印象が悪いのでしょう。

◆ ジョニ・ミッチェル盤 ◆◆
ジョニ・ミッチェルのヴァージョン、まず、オリジナルではなく、ダブル・ライヴ・アルバム、Miles of Aislesのヴァージョンのクリップを貼り付けます。

Joni Mitchell - All I Want (from Miles of Aisles)


ライヴもスタジオも似たようなものですが、いちおうジョニ・ミッチェルのオリジナルをアップしておきます。

サンプル Joni Mitchell "All I Want"

2本のギターのうち、一本はもちろんジョニ・ミッチェル、もうひとり(右チャンネル)はジェイムズ・テイラーです。ライヴとくらべると、この程度でもやっぱりあったほうがいいと感じます。

ジョニ・ミッチェルのギターはまったくメリハリがなく、コードをチャラチャラやっているだけなので、ノッペラボーになっていますが、ジェイムズ・テイラーはアクセントをつけているので、それがささやかなアンカーになり、リズムに輪郭を与えています。

フォーク・ミュージックというものがあまり得手ではないので、ギターだけでやらなければならない理由というのを、わたしは感覚的なレベルでは理解していません。アマチュアとバンドを雇う金のない人間のスタイル、ぐらいに思っています。

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プロはバンドといっしょに歌うべきです。何十年も前、新宿厚生年金で、ギター一本もってあらわれたドノヴァンには心底がっかりしました。その意味では、場所も同じく厚生年金、これまた数十年前、ひとりで出てきてピアノ・ストゥールに坐ったローラ・ニーロにも、「金返せ!」といいたくなりました。なにが悲しくて、ギター一本で歌う奴なんかに金を払わねばならないのかと思います。やらずぶったくりです。

しかし、ライヴばかりではありません。盤だって、ギター一本でやられてはかないません。スタジオ録音だって「金返せ! 盗人!」ですよ。もちろん、わたしは極端な人間ですが、でも、音楽は音のレイヤーをいかに組み上げていくかが勝負です。そうじゃなければ、歌のうまい嫁さんでももらって、鼻歌でも聴いていればいいんですから、音を売るにはそれなりの努力をしてくれなければ困ります。

ジョニ・ミッチェルのトラックには、例外的にギターだけでも面白いと思うものがあります。Chelsea Morningなんかは昔は好きでした。Galleryもすばらしいと思いました。

Joni Mitchell - Gallery


しかし、Chelsea Morningはヴォーカルをオーヴァーダブしたところが大きな魅力になっていますし、Galleryだってギターは3本ほどですし、すばらしいダブル・トラック・ヴォーカルをフィーチャーしています。つまり、スタジオ・ギミックがつくりだした音楽、音のレイヤーなのです。

さらにいえば、ここにベースやブラシやエレクトリック・ギターが入っていても、わたしはまったくかまいません。なんならオーケストラをいれたってぜーんぜんオーライ。ギターとヴォーカルだけで録音されているから、まーしよーがねーか、と思っているだけです。ベースが入るだけで音の厚みががらりと変わることは、スティーヴ・スティルズがジョニに示しているのですが。

Joni Mitchell - Carey (studio ver. with Stephen Still on guitar and bass)


スティルズのギター(左チャンネル)と、やはりスティルズがオーヴァーダブしたベースのおかげで、スペクターかと思うような(誇張しただけ!)分厚いサウンドになっています。ティーネイジャーのときは、このトラックは大好きでした。スティルズのギターとベースが重なったサウンドが好きだったのです。スティルズはすばらしいリズミック・センスの持ち主ですから。それがJudy Blue Eyesを成功に導いたのです。

同じBlueというアルバムのなかで、ベースを入れたか、入れなかったかが勝負の分かれ目になり、Careyはいいサウンドを獲得し(そういえば、以前、Careyを細かく検討したことがあった)、All I Wantは相対的に貧弱な音になっています。こういう結果を聴いて、なにも思わなかったのでしょうか。やっぱり、思ったから、のちにバンドを入れるようになったのだろうと思います(はっきりいえば、バンドの選択は大間違いだった。よりによってあのバンドとはね!)。

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ニック・デカーロにもどります。All I Wantという曲には、こういう可能性もあったのだ、あんなペラペラしたギターの音だけでやる必要はなかったのだ、ということを、ニック・デカーロ盤は感じさせてくれます。まあ、カヴァーする以上、そういうものでなければいけないのですが、それは原則論、現実には、べつの可能性を示すなんていうのは少数派です。

ジョニ・ミッチェルのサウンドは、バンドがないときはもちろん、バンドが入ってからも、つねに不満足で、なんでこんなアホなプロデューシングしかできないんだ、シンガーはサウンドなどわからないのだから、ベンチがなんとかしろと思っていました。

しかし、いま振り返れば、そういうことというのは、つまるところ当人の責任なのです。リック・ネルソンが、パーカー大佐のくれるサラリーを不満に思っていたエルヴィスのバンドをオーディションし、こいつらは使えないと断ったのが(そして、のちにジェイムズ・バートンに一目ぼれして、ボブ・ルーマン・バンドから引き抜いたことも)彼の「責任」であるように、ジョン・グェランでいいと思ったのもシンガー自身の責任です。そういうセンスが結局、最終的なサウンドの出来を左右するのです。フランク・シナトラがつねに最高のバンドを要求したのも同じです。

それは完成した直後にも、数年たったときにもわからないことかもしれません。でも、数十年経つと、完璧なサウンドを求めた人と、サウンドに対する理解のなかった人の残したもののあいだに、大きな差がついていることが徐々にはっきりしてきます。

同じ人が、ほぼ同じときにつくったものでも、CareyとAll I Wantのように明暗を隔ててしまうのだから、サウンドというのは正直です。ニック・デカーロのAll I Wantを聴いていると、ジョニ・ミッチェルもなあ、もうすこしサウンドやグルーヴのセンスがあれば、たいしたシンガーになっていただろうに、ものを知らないというのは救いがたいなと嘆息が出ます。

ニック・デカーロのサウンドをそのままジョニに当てはめようということではなく、チンケなできそこない二流ジャズ・バンドみたいなものではなく、エースを集めたフル・バンドできっちりやってみるという方向性もあったのに、なぜ試してもみなかったのだ、というだけのことです。ジム・ゴードンで歌ってみなさい、世界観が変わりますぜ。


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by songsf4s | 2010-12-16 23:52