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ニック・デカロのItalian Graffitiのオリジナル2 Happier Than the Morning Sun

毎年、この時期はお客さんが多く、クリスマス・ソング恐るべしを痛感します。2007年のクリスマス・ソング特集からこぼれた曲はたくさんあるのですが、根が飽きっぽいので、もう一回、クリスマス・ソング特集をやろうとは思わないのです。

昨年は、ちょっとひねりを入れて、クリスマス映画に使われたクリスマス・ソングという切り口に変え、なんとか飽きのこないようにやってみましたが、これまた疲労困憊の特集で、今年もあれをやるのかと考えるだけでぞっとするので、やめておきます。

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♪Chestnuts roasting on an open fireはけっこうだが、天津甘栗とはだいぶ様子がちがう。

ずっと以前のThe Christmas Songの記事(The Christmas Song その1その2その3)で、ナット・コールがどこをどう間違えて再録音することになったかは忘れてしまったと書きました。今日、古いOSのパーティションを削除するために、マイドキュメントからファイルを回収していて、Wall of HoundのO旦那にいただいたjpegを発見しました。The Christmas Songの作者の一人、メル・トーメの回想です。その最後に、こんな風に書いてあります(滑稽な訳文だが、我慢我慢)。

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「同じサイズのオーケストラが用立てられた」にはめげましたぜ。想像でいえば、「用立てられた」はprepareまたはuseなのでしょう。こんな状況が想定されます。つぎのレコーディング(つまり、わざわざ再録音のためにセッションをしたわけではなく、つぎの盤のためのセッション)のときも、同じような編成のオーケストラを使ったので、これ幸いと、最初のアレンジ譜を使って再録音した、といったあたりでしょう。

知識を総動員して原文の行間に想像力を働かせ、描かれている状況を脳裏で具体的に再現してからお書きなさいな。アレンジ譜というのは、バンドの編成を想定しているので、そこが異なると、再利用しにくいのです。それで「サイズ」という言葉が出てきたのだと理解してから、適切な日本語を選ぶ作業に取りかかれば、もっと自然な文章が流れ出すはずです。自然に書けば、用立てるなどという場違いな言葉を思いつくこともなくなります。「我輩、近頃、ちと手元不如意でな、少々金子を用立ててくれぬか、のう越後屋」なんて文脈で使うものでしょうに。

とにかく、reindeerは単複同型なのに、sをつけてしまったためにやり直したとわかりました。

ナット・コール The Christmas Song


ん? わたしにはレインディアーズと発音しているように聞こえるのですが、これはストリングスが入っているので、再録音盤のはずです。レインディアーズと歌ってしまったヴァージョンは、トリオによるもの、すなわちリズム・セクションだけで録音したものだと資料にはあるので、ストリングスの入っているものでは直っているはずなのです。はて?

◆ ニック・デカロのカヴァー ◆◆
ニック・デカーロのItalian Graffitiのオリジナル、2曲目はI'm Happier Than the Morning Sunです。

ニック・デカーロ I'm Happier Than the Morning Sun


スターでもなんでもないから客観的な自己分析ができるのだろうな、と思います。自分にできることとできないことが見えるので、適切な曲を選べた、というのがItalian Graffitiというアルバムの最大の美点ではないでしょうか。自己愛がひどく、エゴが肥大化したスターは自分が見えず、しばしばそれで失敗するのと好対照を成しています。とくに際立ったところのある曲ではありませんが、ニック・デカーロは自分に見合ったものを見つけたと感じます。

◆ 生麦生米スティーヴィー・ワンダー ◆◆
I'm Happier Than the Morning Sunのオリジナルはスティーヴィー・ワンダー盤です。

サンプル Stevie Wonder "I'm Happier Than the Morning Sun"

うーむ。自分の嗜好だけでものを云いますが、クラヴィネットをペラペラやるようになってからのスティーヴィー・ワンダー(つまり、Superstition以降)というのはおおいに違和感があって、これじゃあエディー・マーフィーのネタになる以外に価値などない、と思います。

あの時代にはこれが「イン」だと思っていたのでしょうかねえ。わたしははじめて聴いたときから、クラヴィネットを弾くスティーヴィー・ワンダーは気持悪いと思っていました。

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1968年にモータウン・パッケージ・ショウで来日したときのスティーヴィーは、まさしくワンダー・ボーイでした。あのときのような、自然に湧き出すステップを踏むのをやめたスティーヴィー・ワンダーは、堕落した商売人にしか思えません。クラヴィネットのせいで坐って不精になったんだろう>スティーヴィー。

スティーヴィー・ワンダー I Was Made to Love Her

(ベースはキャロル・ケイ、すなわちトラックはハリウッド録音である)

そういう強いバイアスがかかった自分の嗜好は抜きにし、冷たく突き放して眺めても、この曲は根本のところでおかしいと感じます。こんな速いテンポで、生麦生米生卵かShe sells seashells by the seashoreみたいに歌う必要性がどこにあるのでしょうか。グルーヴが寸詰まりで、気分が悪くなります。

調子に乗ってペラペラ弾いているうちにテンポが速くなっていき、それに馴れてしまったものだから、遅くできなくなった、なんてあたりじゃないでしょうか。エコーをかけていると、だんだん感覚が麻痺して、深さが客観的に測れなくなり、気づくと、深すぎてなにがなんだかわからない音になっていた、なんていうのはしばしば経験しますが、それと同じ理屈でしょう。

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もうすこし同情的に考えると、クラヴィネット・インストとして適切なテンポを選んだ、というあたりかもしれません。これより遅いと、クラヴィネットのプレイとしては精彩がなくなるのではないでしょうか。それで歌のほうが犠牲になり、happier than theが生麦生米生卵になってしまったのだろうと想像します。そうだとしても明らかに判断ミスです。クラヴィネットのアルペジオなんかをえんえんと聴いていたい人間なんかいるはずがありません。気持いいのは当人だけというやつです。

カヴァーのレッスン1は、だれでも知っているように「美点があるのに失敗しているオリジナルを見つけろ」です。あるいは「いい曲なのにまったくヒットしなかった曲を見つけろ」でもいいのですが、とにかく、磨けば光る珠なのに、光りそこなっているのを見つければ、それだけで半分勝ったといえます。

ニック・デカーロは、スティーヴィー・ワンダーが大コケにコケた曲を耳にして、よし、これをやろうと思ったのでしょう。それだけのことで、アレンジ、サウンドにはたいした手間はかけていませんが(ここでもヴォーカルのダブル・トラッキングの使い方はうまい)、テンポを落とせばそれで十分だし、彼が歌うのは無理と感じるような、親知らず子知らず命がけの難所が山ほどあるという曲ではなく、比較的ストレートに歌えることも、カヴァーしようと思ったときから見通していたのだろうと想像します。作戦勝ち。

しかし、くどいようですが、どうしてあんなテンポで歌おうと思ったのでしょうねえ。人間、魔が差すことはあるからな、としかいいようがない、摩訶不思議な大チョンボでした。


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イタリアン・グラフィティ
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スティーヴィー・ワンダー
Music of My Mind (通常プラケース仕様)
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Christmas Song
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by songsf4s | 2010-12-13 23:56