和風ハロウィーン怪談特集2 山本薩夫監督『牡丹燈籠』(大映、1968年) その1

前回の『雨月物語』について、すこしだけ補足します。宮川一夫は、とりわけ朽木屋敷の場面では、つねにキャメラを動かした、といっています。

ふつうに見ているとわからない場面もあるので、画面の端の、たとえば柱であるとか、襖であるとかに注目すると、微妙に動いていることがわかります。

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以上六葉、『雨月物語』の朽木屋敷の場面より。ほぼ同じ画角なのだが、上端右寄りの襖の柄に注目すると、微妙に動いていることがわかる。

それほど微妙なものでなくても、人物がすこし頭を動かしたりすると、キャッチャーがアウトサイドに外れたボールをすこし内に寄せるように、わずかにキャメラを寄せるような操作はつねにしています。

昔、ハリウッドの撮影監督アレン・ダヴィオのインタヴューを読んで驚いたのは、撮影監督のもっとも重要な仕事はライティングだ、キャメラにはさわらない、撮影中は人物の顔の照明を見ている、といっていたことです。これは、日本では「照明」の仕事です。つまり彼らはcinematographerであり、director of photographyなのであって、cameramanではないのです。

日本では「キャメラマン」という言葉が一般に通用していたように、撮影監督の仕事はキャメラ全般です。いや、少なくとも昔は。撮影中にファインダーをのぞき、グリップを握るのは、ハリウッドの場合、昔からキャメラ・オペレーターの仕事ですが、日本ではそのような明確な分離はなく、しばしば撮影監督がオペレートしたようです。『雨月物語』についていえば、宮川一夫のいうように撮影するには、彼自身が操作するしかないと考えられます。

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左端、体を傾けているのは溝口健二、そのとなり、消音カヴァーをかぶせたキャメラの横にいる、顔が半分切れた人物は宮川一夫ではないだろうか。下、こちらに顔を向けているのは森雅之、中央、背中を向けている女性は京マチ子か。

いや、そのような舞台裏はどうであれ、「つねに動かしていた」ことが招来した結果は重要です。宮川一夫は亡霊の屋敷らしい不安定な世界をつくろうとしたといっていますが、わたしは細かい「寄せ」の結果、観客は通常よりも「画面のなかに深く引き入れられる」ことになったと感じます。

ふだん、たとえばだれかと話しているときに、相手が頭を動かすと、それをわれわれの目が追いかけるような感覚を、宮川一夫のキャメラは実現しているのです。それが『雨月物語』という体験をより濃密なものにしていると感じます。

◆ オリジナルの設定 ◆◆
シリアスな映画のあとは、同じ怪談でも、ドアホな化け猫ものなんていうのもいいかと思ったのですが、『雨月物語』からの連想で、山本薩夫監督の『牡丹燈籠』にしました。

『牡丹燈籠』とはいいながら、山本薩夫版には、これはまたずいぶんと脚色したなあ、と面喰らいました。映画に入る前に、まず、三遊亭圓朝による元版『牡丹燈籠』の設定をかいつまんで書いておきます。

根津の清水谷に萩原新三郎という二十一歳になる浪人が、親から受け継いだ貸長屋のおかげで裕福に暮らしていました。学問好きで家に籠もりがちの新三郎を、ある日、医者の山本志丈が、亀戸の臥竜梅を見に行こうと連れだします。

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「根津の清水谷」は、現代では地名としては残っていないが、寛永寺の子院に護国院という寺があり(現存。芸大と上野高校に挟まれている)、そのそばの門が「清水門」という名である。いい水が出たのだろう。このあたりを昔は清水谷と呼んだのではないかと思われるが、根津の清水谷というのはぜんぜんべつの場所だ、というご意見がおありなら、コメントのほうにどうぞ。

旗本・飯島平太郎は、妾と娘のあいだがうまくいかないので、女中をつけて娘のお露を柳島あたりに住まわせていました。山本志丈はこの家にも出入りしていて、新三郎を亀戸に連れだした帰りに、お露のところに寄り、美男美女を引き合わせます。

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おきまりの展開で、新三郎はお露に恋してしまうのですが、仲立ちになる志丈がその後すがたを見せず、悶々とするうちに六月になってしまいます。やっと志丈があらわれると、可哀想にお露が死んでしまった、女中のお米も看病疲れでいっしょにみまかったといいます。お露は新三郎に恋いこがれ、それがもとで死んだのだ、男もあんまり美しく生まれると罪だ、などといって、志丈はお露の寺も教えずに帰ってしまいます。

新三郎も恋煩いのようになり、お露の俗名を書いたものを拝んだりして日を過ごしているうちに盆の十三日がきます。精霊棚の支度などし、縁側に敷物を敷いて、蚊遣りを燻らし、冴え渡る十三日の月を眺めていました。

すると、カラン、コロン、カラン、コロン、カラン、コロンと下駄の音をさせて生け垣の外を通る者があるので、ふと目をやると、先に行くのは三十ほどの大髷を結った年増で、そのころ流行った、縮緬細工の牡丹、芍薬などの花をつけた燈籠を提げています。

そのうしろから文金の高髷に結った十七八ほどの娘が、秋草色染の振り袖を着て歩いていたのですが、これがどうもお露のように見えるので、新三郎がつと首を差しのばすと、向こうもこちらを見、たがいに見交わして、「まあ、新三郎様」と娘が目を見張ります。ほんとうにお露だったのです。

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話してみると、お露のほうこそ、新三郎が亡くなったと聞かされ、嘆き悲しんでいた、こうして無事なあなたにお会いできて、これほどうれしいことはないと歓びます。女中のお米は、お父上様にはお国という悪い妾がいて、それがあなた様たちを引き離そうとたくらんで、志丈を使ってそんな根も葉もない話をあなた様に吹き込んだのだろうといいます。

これで二人の恋に火がつき、夜な夜な、カラン、コロン、カラン、コロンと下駄の音をさせながら、牡丹燈籠を手にしたお米に導かれて、お露が新三郎の家に通うようになります。

以上、三遊亭圓朝の元本では、新三郎は浪人にしてはめずらしく裕福に暮らしている、お露はこれまた暮らし向きのよい旗本の娘という設定です。つぎに、『雨月物語』と同じ依田義賢脚色による、山本薩夫版『牡丹燈籠』の設定を見てみます。

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◆ 旗本三男坊と遊女 ◆◆
旗本・萩原家の三男坊の新三郎(本郷功次郎)は、次兄がみまかったために、老中の娘の兄嫁(宇田あつみ)を妻にするよう親兄弟親類に迫られます。老中との縁は萩原の家にとって死活問題なのです。

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と書いたはいいのですが、わたしはいきなりこの設定でつまずきました。老中の娘のような大事な人間を、次男の嫁にもらう大タワケの旗本はありません。また、やる側でも、たとえ老中ではなく、ふつうの家でも、娘を次男の嫁にやるなどというのは、よほどのっぴきならぬ事情がある場合だけです。老中の娘を願って迎えるなら、長男の嫁しかありえないのです。

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次男の新盆がはからずも親族会議となり、伯父たちが新三郎を責める。

武家では、次男以下はベンチの控えです。次男以下がゲームに出られるのは、長男が病弱か、または死んでしまったか、当人が養子となって他家に出て行った場合だけです。ゲームに出られず、生涯ベンチで過ごす(「部屋住み」という)次男以下が山ほどいたのです。

次男の嫁が老中の娘だの、それを三男に再嫁させるだのと、なぜこのようなありえない設定に無理やり変更したのか、その意味はわかりません。強いて想像すると、1960年代終わりに先鋭化しはじめた世代間の相克を、時代劇にも反映させようとしたというあたりでしょうか。

本郷功次郎は長屋住まいをしていて(浪人者や御家人ではあるまいし、たとえ三男だろうと、お目見え以上の歴とした旗本の師弟が巷に暮らすなどというのも現実にはない)、近所の貧しい町人の子どもたちに読み書きを教えています(いやはや!)。設定変更がいけないというのではありません。長い噺を短くするには設定を変える必要があるでしょう。でも、不必要に不可能なことばかりを選ぶことはないと思うのですが。

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◆ 遊女の宿下がり? ◆◆
ともあれ、こういう設定で話は動きはじめます。十六日の送り火、本郷功次郎は子どもたちを連れて近くの川に燈籠を流しに行きます。葭に引っかかってしまった子どもの燈籠を流し、ついでに、もう二つ引っかかっていた燈籠を葭から外します。すると、それは私どもの燈籠です、どうもありがとうございましたと、年増の女中(お米=大塚道子)と若い娘(お露=赤座美代子)に礼をいわれます。

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その夜遅く、長屋に戻った本郷功次郎が物思いにふけっていると、最前の女中・お米と娘・お露がおとないます。先ほどの礼がいいたかったというのです。

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茶にしてしまうわけではないのだが、夜、女が長屋に訪ねてくる、というだけで、わたしは落語の「野ざらし」を連想してしまう。ひょっとして、「野ざらし」は「牡丹燈籠」のコミック版としてつくられたのか? いや、話は逆で、「牡丹燈籠」が「野ざらし」のシリアス版としてつくられた……なんて莫迦なことはないか!

お米は二人の身の上を話しはじめます。二人とも吉原の人間で、お米は仲居、お露は遊女で、盆のあいだだけ大門の外に自由に出られる(へえ、そいつは知らなかった、って、そんなことはないでしょうに)のだと説明します。

お露の父は「さる西国の大名の江戸のお留守居役」だったのですが、主君の気まぐれから浪々の身になり、病に伏せって借金をし、そのかたにお露は吉原に売られることになってしまったのだとお米は説明します。

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楼主はお露を大事にしてきたが、いよいよ盆が明けたら、さる年寄りのお大尽の枕に侍らなければならない、そのまえに、よい殿御に添わせてあげたいと思い、あなた様のところにうかがいました、といいます。そこまで聞いて、当のお露も驚きますが、お米に促され、みずからも新三郎に乞うようになります。

新三郎の隣家に伴蔵(ともぞう=西村晃)という男が住んでいて、いくばくかの金をもらって新三郎の用を足して生活しています。その伴蔵が夜中に博打場から帰ってくると、新三郎の家から出てきた二人の女を見て、顔見知りの桔梗屋の女郎と仲居だと認めます。以下、映画版『牡丹燈籠』の展開は次回ということにして、落語のほうに戻ります。

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◆ 落語版導入部 ◆◆
三遊派の大看板たちは、当然ながら、三遊亭圓朝の噺を受け継いできました。代表作のひとつである『牡丹燈籠』は多くの録音がありますが、長い長い噺なので、冒頭を端折って、最短距離でさわりに入ることが多く、わが家にあるものでは、円生のものがめずらしく、かなり浅いところからはじめています。

サンプル 六代目三遊亭円生「牡丹燈籠」冒頭

圓朝の噺は、メイン・プロットに複数のサブ・プロットがからんで進行する複雑なものが多く、『牡丹燈籠』も、お露の父が若いころに悪人を斬り殺したエピソード(圓朝のものはつねに因縁話で、これがあとでこの一家に祟る)から入るのですが、この部分を高座に載せたものは聞いたことがありません。気になる方は「青空文庫」で原文にあたってみるとよろしいでしょう。紙の本も数種の版があります。

だれのミスか、映画には読みの誤りが二つあります。「伴蔵=ともぞう」を「ばんぞう」と読んだのと、「三崎」を「みさき」と読んだ部分です。

いや、「神田三崎町」(岡本綺堂の半七親分が住んでいる)ならば「みさきちょう」ですが、谷中のほうは「さんさきちょう」なのです。円生版では「いまはさんさき村のほうで」といっています。谷中に三崎坂(さんさきざか)という名前がいまも残っていますが(奇しくも坂を上りきったところに圓朝の菩提寺の全生庵がある)、このあたりのかつての地名です。

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二羽のウグイスのうち、上のほうの頭のあたりに「谷中三崎町」とある。その上の左右に走る黄色い線が三崎坂(ただし左端は団子坂の上りっぱなになる)、左のほう、藍染川沿いに上下に走る黄色い線が根津から千駄木の通り。

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江戸末期の切絵図では「三崎町」になっているので、『牡丹燈籠』の時代設定である十八世紀中葉より拓けたのでしょう。大映時代劇は京都で撮っていたため、江戸・東京の知識のある人がいなくて、てっきり「みさきちょう」と思い、だれも疑わなかったのでしょう。


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圓生百席(46)牡丹燈籠1~お霧と新三郎/牡丹灯篭2~御札はがし(芸談付き)
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by songsf4s | 2010-10-26 23:58 | 映画