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和風ハロウィーン怪談特集1 溝口健二監督『雨月物語』(大映、1953年)その1

タイトルを書いた瞬間に、あ、順番がちがった、とほぞを噛みました。真打ちを先に出してしまったのです。でも、ハロウィーンまでにどれだけ書けるかわからないし、ほかの映画はまだ準備ができていないので、これは荷が勝ちすぎるなあ、と思いつつ、ずるずると入ることにします。

◆ ヴィンティジ・イヤー ◆◆
溝口健二、小津安二郎、黒澤明の三人の映画はじつに書きにくく、当家のこれまでのスコアは、溝口=ゼロ、小津=1(『長屋紳士録』。ほかに、「日活ギャングと小津安二郎」という裏口から入った変なものがある)、黒澤=1(『椿三十郎』)のみです。

鈴木清順と成瀬巳喜男を合わせると、十本ほどは取り上げたはずで、それにくらべて三巨匠をいかに敬して遠ざけてきたかがおわかりでしょう。好みでいえば、小津安二郎がもっとも性に合います。あのエース・ドラマーのビートを聴いているような、小津の精密なタイムが好きなのです。いや、そういうことは『長屋紳士録』のときに事細かに書きました。

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溝口健二や黒澤明になると、そもそも見た本数ががたんと落ちます。小津安二郎、鈴木清順、成瀬巳喜男はシネマテークでドンとまとめて見たことがあるのに対し、溝口と黒澤はそういう経験がないのだから、当然です。いや、嫌いだというのではありません。映画館で見たことがあまりないだけであって、見れば、毎度、すごいものだなあ、と感心します。

『雨月物語』は溝口健二の代表作なので、わたしのように「角が暗い」溝口健二不束者でも、当然、大昔に見ました。ひっくり返りました。小津安二郎ひとりでも、日本映画黄金時代を背負えそうなのに、もうひとり、小津並みの人がいたのだから、いやまったく驚きました。

そして、小津安二郎の『東京物語』と溝口健二の『雨月物語』は、ともに昭和28(1953)年に製作されたのだから、二度驚きます。もうひとついえば、溝口はこの年にもう一本、秀作『祇園囃子』を撮っているのだから、言葉を失います。

ついでにいうと、同じ年、成瀬巳喜男は『あにいもうと』を撮っています。四半世紀前に見たきりですが、いい映画だったという記憶があります。黒澤明は、惜しいかな、『生きる』と『七人の侍』の中間で、一回休みです。例の『ある侍の一日』が頓挫して、『七人の侍』として再生するまでの苦しい時期に当たるのかもしれません。

ほかに、豊田四郎『雁』、木下恵介『日本の悲劇』、アメリカでは、ヴィンセント・ミネリ『バンド・ワゴン』、ハワード・ホークス『紳士は金髪がお好き』、ウィリアム・ワイラー『ローマの休日』、バイロン・ハスキン(というより、ジョージ・パルの、といいたくなるが)『宇宙戦争』、ラズロ・ベネディク『乱暴者〔あばれもの〕』(スコアに4ビートを取り入れた初期の映画として、ハリウッド音楽史では書き落とせない)などが公開されていて、ハリウッドも1953年はvery good yearだったようです。さらにいうと、だれも名作の、秀作のと、うっとうしい持ち上げ方をする心配はないけれど、わたしは大好きな『百万長者と結婚する方法』も1953年だそうです。

◆ 乱世の欲 ◆◆
映画『雨月物語』は、タイトルが示すとおり、上田秋成の小説を土台にしていますが、大幅に換骨奪胎したというか、「ヒントにした」程度の印象です。

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「品川心中」と川島雄三の『幕末太陽傳』の関係より、もっとずっと距離がありますが、『幕末太陽傳』が「品川心中」と「居残り佐平次」をつなげたように、映画『雨月物語』も、上田秋成の「浅茅の宿」と「蛇性の婬」の二つを(いちおう)もとにしています。そもそも、直接の原作は上田秋成の『雨月物語』ではなく、そこから川口松太郎(依田義賢とともにこの映画の脚本も書いている)がつくりあげた小説のほうなのだそうです。

源十郎(森雅之)は、妻の宮木(田中絹代)とひとり息子とともに、琵琶湖の北岸で暮らしています(当家のお客さん、mstsswtrさんのご近所)。森雅之は農事のかたわら、焼き物をつくっていて、それを隣家で暮らす弟の藤兵衛(小沢栄太郎、クレジットでは小沢栄)と、長浜(秀吉が城を築いた直後という設定か)の市に売りさばきに行きます。

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織田勢と浅井方の戦いなのか(お市の方は三人の娘とともに救出される)、その後の羽柴秀吉対柴田勝家の戦い(お市の方が死んでしまう)か、どちらかを背景にしているようで、長浜城下は繁栄し、品物さえあれば飛ぶように売れる(太平洋戦争後の闇市と重ねられている)いっぽう、あちこちで戦いがあり、また野伏りのたぐいも跳梁して、市までの道中は危険をともないます。

兄の森雅之はこの戦乱のなかの繁栄で大儲けしたいという欲をだし、いっぽう、弟の小沢栄太郎は、品物を売るのではなく、武士になって身を立てたいと思いますが、女房の阿浜(=おはま、水戸光子)はもちろん、兄や兄嫁も、愚かな考えと反対します。

市でおおいに稼いだ森雅之は、女房子どもに新しい服を買い、銀をもって帰ります(このあたりで、古太鼓を売って得た五百両をもって帰った「火焔太鼓」の甚兵衛さんを連想するのはわたしだけ?)。小沢栄太郎は市で会った侍に家来にしてくれと頼みますが、具足もないようなものはダメだと追い払われます。

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市で儲けた森雅之は欲に取り憑かれ、片や小沢栄太郎は具足を買う金が欲しくて、二人は必死になって働き、再び市に焼き物を売りに行こうとします。しかし、戦の火の手がそこまで迫り、かろうじて焼き物を守った二人は、長浜に出るのは無理だと考え、「船で湖水を渡ろう」ということになります。

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◆ 「監督」は「監督」するのが仕事 ◆◆
水戸光子は船頭の娘で、彼女が艪を操り、夫婦二組と幼児の五人は船に乗って湖水に滑り出します。

と、ここで立ち止まらないといけないのです。なぜならば、溝口健二の『雨月物語』を語る場合でも、この映画の撮影監督・宮川一夫のキャリアを語る場合でも、このシーンは避けて通れないからです。

宮川一夫が回想記に書いていたのだったか、ここは墨絵を狙ったのだそうです。

スクリーン・ショットでも、なんとも微妙な絵作りであることがそれなりに伝わるのではないでしょうか。

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面白いのは、「墨絵でいこう」という方針は、溝口健二の言葉として読んだわけではなく、宮川一夫がそう書いているのを読んだだけだということです。これが溝口映画の最大の特徴といえるのではないでしょうか。

溝口健二というのはほんとうに「監督」で、監督以外のことはしないのです。つまり、スタッフに指示を出すだけであり、キャメラをのぞいたり、脚本をいじったり、フィルムをつないだりといったことはぜったいにしないのです。

俳優にアドヴァイスすることもなかったそうです。「ダメですね」というだけで、どう修正するかは俳優の仕事であり、監督の仕事ではなかったのです。文字どおり現場の作業を「監督する」親方なのです。

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だから、なにをどうするかを考えるのはスタッフの仕事であり、その溝口流がもっとも性に合ったのは、撮影監督の宮川一夫だったのではないかと感じます。宮川一夫は、だれかに指示されるより、自分で撮りたい撮影監督で(撮影監督より長い時間ファインダーをのぞいていたという小津安二郎ですら、『浮草』のときは宮川一夫に遠慮したらしいと、厚田雄春が証言している)、各人が持ち場で死力を尽くせ、と要求するだけで、具体的な指示は一切しなかった溝口健二との仕事のときに、もっとも独創的な撮影をしたと感じます。

したがって、「ここは墨絵でいこう」というのは、溝口健二ではなく、宮川一夫であり、その方針をどう具体化するかを考えるのも宮川一夫だったのでしょう。溝口健二は、そういうスタッフの考えを是認したり、否認したりすることを仕事にしていたわけです。いや、この「否認」たるや、漢字二文字で片づけしまっては申し訳ないくらい、とんでもないものだったことは、多くの人が証言しているのですが!

中途半端なところですが、時間がなくなってしまったので、次回もこの湖水のシーンの話をつづけます。


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by songsf4s | 2010-10-22 23:58 | 映画