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岡本喜八監督『江分利満氏の優雅な生活』(1963年、東宝映画) その1

前回のBlue Moon その3 by Julie Londonは、ジュリー・ロンドンばかりでなく、パーシー・フェイスのものもサンプルのアクセスが多いのですが、前回も書いたように、小林桂樹追悼ということで、今日はBlue Moon棚卸しを一休みして、昨日の今日でじつに拙速ではあるものの、小林桂樹主演の映画を見ることにします。

いくつか候補はあったのですが、ちょうど途中まで見ていたということもあって、まずは岡本喜八監督の『江分利満氏の優雅な生活』を取り上げることにします。余裕があれば、あと一、二本、小林桂樹の出演した映画を見てみるつもりです。

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◆ 軽にして快、明にして朗 ◆◆
映画の冒頭、主人公の江分利満氏(小林桂樹)が、会社帰りに飲みに行きたいのだけれど、だれも目を合わせてくれないところが描かれます。絵描きの柳原(良平=天本英世)だけは、そんな江分利満氏の気持を読んで声をかけますが、今夜は都合が悪い、といいます。どうやら主人公は話がしつこく、飲むと荒れることがあって、周囲から煙たがられているようです。

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小林桂樹扮する江分利満氏は、酔うと、それからそれへといろいろなことを思いだし、微に入り細にわたり、くどくどと話すクセのあることが、映画の終盤で詳細に描かれますが、なんだかひとごとには思えませんでした。クドクドと長い当家の記事も、江分利満氏がくだを巻くのと似たようなものだと思ったのです。

おかげで昔話はひどく書きづらくなってしまいましたが、中学一年のときだったか、二年のときだったか、現代国語の課題で山口瞳の『江分利満氏の優雅な生活』を読みました。中学生向きの本ではないと思うのですが、それでも、とにかく面白く読了しました。

その記憶があったので、いつか、岡本喜八がこの映画になりにくそうな本をどのように映像化したのかたしかめたいと思っていたのですが、たまたま機会があって映画を見はじめたとたんに、小林桂樹の訃報があったというしだいです。

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これは劇中、江分利満氏の女房(新珠三千代)が指摘しますが、『江分利満氏の優雅な生活』という本は、小説ということになってはいる(だから直木賞の対象となった)ものの、エッセイ、身辺雑記に分類されるべきのようにも感じます。まあ、わが国には「私小説」というものの伝統があり、その重厚陰鬱さを完全に脱色し、軽快明朗にしたもの、と見ればいいのかもしれません。

◆ 物語はいかにしてはじまるかを物がたる物語 ◆◆
これは語り手が物語そのものの成り立ちを語るメタな構造をとった映画で、開巻まもないところで、原作である本が書かれるにいたった経緯が語られます。最前記した、だれもつきあってくれず、江分利満氏がひとりで飲みに行った夜、泥酔して意気投合した(主人公はいっさい記憶していない)ふたりの人物(中丸忠雄と横山道代)が、翌日、会社(サントリーと実名が出る)にあらわれ、昨夜の約束を確認に来た、というのです。

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どういう約束かというと、中丸忠雄と横山道代が編集している雑誌に江分利満氏は小説を書く、というのです。なぜいきなりそんな話になったかというと、以前から酒場で一緒になるたびに、酔っておだをあげている江分利満氏が面白くて、そのまま書けばいい読み物になると考えていたというのです。

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いや、現実には、山口瞳自身が編集者として出発し、出版関係にも知人は大勢いたのだから、こんな唐突な話ではなかったでしょうが、映画(そしてたぶん原作)のなかでは、そのように説明されます。

分類するならばコメディーであって、深刻な文芸映画ではないのですが、構造としては、じつはかなりアヴァンギャルドなのです。この物語がなぜ生まれることになったか、語り手自身が説明するのですから。

◆ やさしくも穏やかなサウンド ◆◆
で、鉛筆を一ダースばかり並べて、いざ書かん、と原稿用紙に向かう場面で流れる曲をサンプルにしてみました。『佐藤勝作品集』の第12巻岡本喜八篇にこの映画の曲が収録されているようですが、残念ながらこの巻はもっていないので、映画から切り出しました。もちろん、例によってタイトルはわたしが恣意的につけたものですし、モノーラル・エンコーディングです。

サンプル 佐藤勝「なにをか書かんや」

冒頭のノイズは鉛筆を束にしてつかんだ音です。音楽と重なっているのでカットできませんでした。後半のダイアローグは新珠三千代と小林桂樹によるものです。

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佐藤勝は、映画音楽の作曲家のなかでもきわだってヴァーサタイルな能力をもった人で、あらゆるタイプの音楽を書きましたが、わたしがもっとも好ましく感じる佐藤勝の作品は、叙情的なオーケストラ音楽です。そういうタイプでイの一番にあげるのは『陽のあたる坂道』のテーマですが、この『江分利満氏の優雅な生活』になんどか形を変えて登場する曲(メイン・テーマと呼んでかまわないと思う)も、じつに穏やかな、やさしくも好ましいサウンドで、healerといっていいほどです。

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わたしのようなオールドタイマーは、こういう音楽が当然だった時代に育ったので、なんの抵抗もなくすっと聴いてしまいますが、考えてみると、このようなタイプのサウンドが映画やテレビのテーマになりえた時代は、ずっと昔に終わってしまったのかもしれません。日本ではいざ知らず、現代のハリウッド映画では、もうこういうタイプの音楽は聴けません。ハンス・ジマーがこんな音楽をつくるはずがないじゃないですか!

◆ 金星人の逆襲 ◆◆
江分利満氏の子どもは昭和二五年生まれとされています。兄とわたしの中間の年回りですが、江分利満氏自身も、わが亡父よりわずかに年下です。つまり、劇中の生活は、むやみに「覚えのある」ものなのです。

いよいよ執筆をはじめ、それがそのまま映像として表現されるようになってからの最初のシークェンスは、江分利満氏の息子が十円玉を握りしめて貸本屋に行くところです。

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原作を読んだとき、中学生のわたしがもっとも強く反応したのは、この貸本屋のくだりでした。そこに描かれていた少年の生活は、まさしくわたしがかつて経験したものだったのです。

貸本屋。そんな「メカニズム」をじっさいに経験した最後の世代がわたしらなのではないかなんて思います。まあ、二十歳をすぎても、鎌倉の小町通りには貸本屋があって、そこで本を買った(多くの貸本屋は回転の悪くなったものを古書として販売した)ことがあるので、もうすこし下の世代の方でもご存知かもしれません。

「少年」は十円玉一個をもって貸本屋に行き、漫画(武藤勝之介著『長編宇宙漫画 金星人の逆襲』と紹介されるが、実在のものではないのでは?)を借りてきます。三〇分もすると、彼はまた十円玉一個をもって貸本屋に行き、べつの漫画を借りてきます。それを日に十回も繰り返すというのです。一度に複数の本を借りずに、何度も往復するのはどういうことなのだ、という江分利満氏の疑問でこの「章」は終わります。

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なぜなんでしょうかねえ。理由はよくわかりませんが、わたしもまとめて借りたりはせず、二ブロック向こうにある貸本屋まで一日に何回か足を運びました。たぶん、借りるものを選ぶ時間も楽しみのうちだったからではないでしょうか(貸本屋でよく借りたものとしては杉浦茂のものを覚えている。後年、つげ義春も貸本漫画をたくさん書いたことを知ったが、残念ながら記憶はない)。

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こんな場面を、映画で見るならともかく、音だけで聴きたいと思う方はいらっしゃらないかもしれませんが、原作でもっとも身近に感じられた章なので、小林桂樹の「朗読」として、その部分を切り出してみました。もちろん、佐藤勝の音楽付きです。

サンプル 「江分利満氏の息子」

身辺雑記的な話で、首尾のあるストーリーではないので、なんとも書きづらく、逆にいえば、どこで終わってもかまわないのですが、とくにどうという理由もなく、もう一回だけ『江分利満氏の優雅な生活』をつづけようと思います。


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映画
江分利満氏の優雅な生活 [DVD]
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原作
江分利満氏の優雅な生活 (ちくま文庫)
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by songsf4s | 2010-09-19 23:51 | 映画