鈴木清順がインタヴューでいちばん多く発する語は「つまらない」「退屈」ではないでしょうか。「なぜ襖が倒れた向こうが赤いのですか?」「ただの黒い夜じゃあ当たり前すぎてつまらないからね」という調子で、映画の根本原理とは、すなわち、客を退屈させないこと、といわんばかりです。
というか、鈴木清順がつねに目指したのは、まさにそれ以外のなにものでもありません。日活時代に、意識的にアーティスティックな表現をしようと思ったことなど、一度もないでしょう。アーティスティックに見えるとしたら、「客をおどかそう」とあれこれ工夫したことが、結果的に、偶然、娯楽の向こう側に突き抜けてしまっただけです。
ふつうの表現をしていては、客は退屈してしまう、つねに意表をつかなくてはいけない、という強迫神経症の症状が明白にあらわれた最初の鈴木清順映画は『野獣の青春』でしょう。
◆ 赤と緑 ◆◆
小津映画をからかったようなタイトル文字ではじまる『野獣の青春』は、オープニング・クレジットからすでに常道、すくなくとも日活アクションの習慣を踏み外しています。
モノクロの絵に緑の文字を載せていますが、このモノクロとカラーの組み合わせ自体も例外的なうえに、緑色の文字をオープニング・クレジットに使った例というのも、ほかに記憶がありません。
日活以外でもあまり記憶がなく、ヒチコックにそういうのがあったと思ったのですが、こんなぐあいでした。
文字を緑色にしたわけではなく、MGMを緑色に塗り替えてしまい(盤でいえば、超大物用のスペシャル・レーベルというところか)、つぎのタイトルとマッチさせているのです。緑色のクレジットというにはちょっとズレるかもしれませんが、思いついたのはこの『北北西に進路を取れ』だけでした。
鈴木清順がヒチコックを意識していたかどうかはともかく、『野獣の青春』では、開巻早々、後年、ファンを圧倒することになる清順独特の、観客を驚かせる色遣いが見られます。
クレジットの背景で、すでにドラマははじまっています。連れ込み宿の男女の死体を検死する警察官の会話があり、遺書が見つかって、女のほうから仕掛けた無理心中か、という刑事の判断が示されます。この男は何者だろうと上級捜査官がいうと、部下が被害者の所持品から警察手帳を見つけ、死んだ男は警察官だとわかります。
このシークェンスでも、また清順の色へのこだわりが見られます。
椿でしょうか、モノクロの画面のなかの赤い花にわれわれはギョッとします。同様の例としては、黒澤明のモノクロ映画『天国と地獄』に登場する赤い煙があります。ともに1963年封切りですが、『天国と地獄』が3月1日、『野獣の青春』が4月21日だそうです。
◆ はじめはヘンリー・マンシーニ風に ◆◆
『野獣の青春』は、鈴木清順作品のなかでもっともテンポの速い映画でしょう。タイトル直後、一転してカラーになってからのシークェンスなど、じつに軽快で、すっと話に入れます。
野獣の青春 オープニング・シークェンス
はじめからちゃんと見たい方は、以下のエンベッド不可クリップをYouTubeでどうぞ。
クライテリオン版1/9
とりあえず意味はまだわからないのですが、宍戸錠扮する男が、街角にたむろっているチンピラをあっというまに「掃除」し、パチンコ屋でまたチンピラを片づけ、ナイトクラブでボーイを脅す、というところまでです。
ここで流れる曲が、いちおうテーマと考えられるので、サンプルをアップしておきました。
サンプル 奥村一「暴れ者のテーマ」(『野獣の青春』より)
編成、サウンドはビッグバンド・ジャズ、ドラムがライドを4分で刻んでいるせいで不明瞭になっていますが、管とベースのリックは4ビートではなく、8ビートです。なんだかどこかで聴いたようなリックだなあ、と思いました。ヘンリー・マンシーニのPeter Gunn Themeの律儀なストレート・エイスのリックから、いくつか音符を間引いて、ちょっとスピードアップした、といったところでしょう。あちらもビッグバンド・サウンドなので、その意味でもよく似ています。
どうであれ、これはなかなか盛り上がるサウンドで、速い映像の語り口とあいまって、観客をドラマに引きずり込むのにおおいに貢献しています。
◆ ドラマの多重化、視覚の多重化 ◆◆
鈴木清順の本領が発揮されるのは、この直後からです。宍戸錠がおおぜいの女をはべらせて飲みはじめます。最初は音がしているのですが、同じ状況をべつのアングルから捉えたショットでは、音声が消えます。
観客は一瞬戸惑いますが、やがて、マジック・ミラーをはさんだ事務室の内部にキャメラが移動したこと、そして、事務室では音が遮断されていることを理解します。
マジック・ミラーの向こうでは宍戸錠を中心にした無言劇がつづき、こちら側では、金子信雄、香月美奈子、上野山功一といった悪党と悪女が、この客の派手な金の使いっぷりを噂しています。「ただ撮ったのではつまらない」という鈴木清順の映画作りの根本理念(というとアーティスティックになってしまうから、「根本衝動」あたりのほうが適切かもしれない)が、じつに端的にあらわれたシークェンスです。
そこへ、宍戸錠にのされたチンピラが報告にあらわれ、金子信雄は、やったのはあいつか、とマジック・ミラーの向こうにいるジョーを示し、チンピラは、「あ、あ、あの野郎です」と肯定します。
最前から、チップを突き返したり、なにか悪態をついたりしていた女が、ふん、と向こうを向いたのが気に入らなくて、ジョーが女のドレスの背中にアイスバケットのなかの氷をあけてしまう、という無言劇が見え、そこへ上野山功一たちが店内にあらわれ、声は聞こえないものの、ジョーに「お客様、こちらにおいでください」といったのがわかります。
ジョーが、わかった、と立ち上がって歩きはじめたとたん、照明がすっと落ち、おや、ここで暗転か、と思うと左にあらず、フロア・ショウがはじまります。
いやもう、街角の乱闘からここまで約5分、みごとな展開で、アクション映画はこうでなくちゃ、とただただ感嘆します。
この「画面の多重化」は、たとえば、またしても黒澤明『悪い奴ほどよく眠る』の、車のなかから葬儀の容子を見るショットの「奥行きを使ったドラマの多重化」を連想しますが、あちらは困難な状況でパンフォーカスを実現したという、ひどく玄人っぽいレベルの力業であるのに対して、『野獣の青春』はケレン味たっぷりで、思わず手を叩きたくなります。
「縦方向への画面の多重化」については、また改めて検討することになるでしょう。
◆ オフビートなボス ◆◆
事務室に引っ立てられたジョーは、いきなり三下をのして、その銃を奪い、一瞬にして優位に立つや、俺を雇わないか、と金子信雄に持ちかけます。これで、やっとここまでのシークェンスの意味がわかります。
金子信雄は、ボスに会わせてやると、ジョーを川のほとりの邸宅に連れて行きます。食堂に集まった悪党どもの描写も工夫の必要なところで、「野本興行」のボス(小林昭二)は、ドクター・ノオのようにペルシャ猫を抱いています。しかも、ジョーが部屋に入ってきた瞬間、いきなりナイフを投げつけたりしますし、話しぶりもやや女性的で、ギャングのボスというより、サイコパスという雰囲気です。
ボスを演じる役者に、小林昭二という小柄な俳優を選んだのは監督自身かもしれないと感じます。タイプ・キャスティングなら、金子信雄でもいいし、日活には二本柳寛のように押し出しのいい悪役俳優もいたわけで、それをあえて小林昭二にしたのは、いかにも鈴木清順映画にふさわしいと感じます。
悪党のなかでほかに目立つのは三波(江角英明)で、「ちゃんとネクタイを締めろといっているだろうが」と小林昭二に怒られるところが愉快です。このボス、対立する旧弊なやくざとはちがう、われわれはビジネスマンである、という考えの持ち主なのです!
ジョーと江角英明は、ガンマンどうし、素早く銃で相手を狙い、やめておこう、同時に銃を置こう、といいつつ、隠していたべつの銃を取り出し、結局、ジョーのほうが優位に立つ、というシークェンスを演じます。つぎの瞬間、ジョーが、こいつ、銃を隠しているな、という思い入れで、柳瀬志郎に跳びかかると、隠していると思ったはひが目、たんに片腕だというだけだった、などという仕掛けもつくってあります。
いや、ホントに忙しい映画で、まさしくnever a dull momentです。書いていて、鈴木清順の全作品のなかで、『野獣の青春』はもっとも高密度につくられていると改めて認識しました。焦ってもしかたないので、気長に、ゆっくり、ディテールを見ていくことにします。
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