鈴木清順監督『野獣の青春』(1963年、日活)その1

前回の「細野晴臣、松本隆、鈴木茂の『夏なんです』」では、久しぶりにtonieさん、キムラセンセという友人たちの揃い踏みになり、やっぱり、このへんになると、みなさん一言も二言もあるのだなあ、とニヤニヤしました。

ご両所、やはり世代がちがうので、距離の取り方が明確に異なっています。tonieさんにとっては、大滝詠一と細野晴臣は、どっちがどうだというような存在ではない、というのは、なるほど、そうなんだろうなあ、です。切り離して、どっちが好ましいのと、そういう見方はしないのだと納得しました。

キムラセンセとわたしは同年代なので、センセのおっしゃりたいことは、わたしがいいたいことに近似しています。この数日、人の悪口を言うのはやめよう、気に入らないものには口をつぐむにかぎる、いつまでも喧嘩腰でものを書いていると、後生が悪い、と考えるようになったので(「後生鰻」という噺を思いだしたりして! あのサゲはすごい!)、当時、細野晴臣のヴォーカルについてどう感じていたかは、できるだけ婉曲に書いたにすぎず、じつのところ、おおむねセンセと同じように感じていました。ライヴで歌わなかったのは、ご本人も、われわれと同じように感じていたからだろうと想像します!

センセも同じように変化されたようですが、ここからが時間経過の玄妙さ、シンガーとしての資質に恵まれた大滝詠一に対する関心はやがて薄れ、当時は「素人の余技」のように思っていた細野晴臣の歌のほうが、ずっと近しいものに感じられるようになるのだから、長く生きてみるもの、というか、長生きなどするとろくなことはないというべきか、言葉に詰まるわが感覚の妙なる変化であります。

さっき、散歩していて、細野晴臣の歌のことを考えていたら、だれかべつの人の顔がボンヤリと脳裡に浮かんできました。なんだなんだ、なにがいいたいんだ、と自分をせっついたら、バンと映画タイトルが出ました。『戸田家の兄妹』。小津安二郎の太平洋戦争直前の映画です。

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その映画のなにが問題かというと、佐分利信の台詞まわしです。これがとんでもない棒読みなのです。そういえば高倉健も、若いころは赤面するような台詞まわしでした。たぶん、それがかえってよかったのです。スターには、脇役のような技術はいりません。佐分利信や高倉健が大成したのは、技術ごとき瑣事に煩わされない大きさがあったおかげでしょう。小津安二郎が、大根といわれていた原節子のことを、けっしてそんなことはない、と擁護したのも、つまりはそういうことでしょう。技術は杉村春子にまかせておけばいいのです。

細野晴臣のぶっきらぼうな「棒読みスタイル歌唱」は、些末な技術とはもっとも遠いところにある、なんらかの価値を秘めていたのだと思います。秘められちゃっているのだからして、われわれが(そしてご当人も!)その魅力の「発見」に手間取ったのも、まあ、無理もないことだったのではないでしょうか。

◆ 「青春」とはなんだ! ◆◆
さて、本日からまたしばらくのあいだ、恒例の鈴木清順映画です。

『野獣の青春』の英訳題はYouth of the Beastというのだそうです。なんだか落ち着きの悪いタイトルだなあ、と思ってから、それをいうなら、そもそも日本語の原題からして、イメージ喚起力のない、不出来なタイトルなのだということに思いいたりました。

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では、内容がそういうものだから、やむをえずそういうタイトルが選ばれたのかというと、これがそうでもないというか、ぜんぜん無関係じゃないのかなあ、という話なのです。まあ、主人公を「野獣」と呼ぶのは、べつにけっこうだと思います。でも、青春のせの字もないでしょう、この映画には。

やっぱり、宣伝部が「タイトルに愛、青春、哀しみ、このどれかが欲しい」とかなんとかくだらないことをいったのじゃないでしょうか。で、たぶん、企画段階では、この映画の原作者・大藪晴彦の大ベストセラー・ハードボイルド小説(というより、ヴァイオレンス小説と呼ぶべきだろうが)『野獣死すべし』にならって、たとえば『野獣の復讐』などといっていたものに、突然、どこからともなく「青春」があらわれ、取り憑いてしまったのではないでしょうか。かくして、意味不明タイトル一丁あがり。

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日活時代、鈴木清順監督がタイトルを決めた映画というのはあるのでしょうか。まあ、撮影所のメカニズムからいって、その可能性はほとんどないだろうと思います。だって、企画は上から下りてくるものであって、せいぜい、複数の企画のなかからどれを選ぶかの自由しかなかったのだから、タイトルを選ぶどころではないでしょう。

ここからは、あとで書き加えているのですが、タイトルについて、鈴木清順監督と主演の宍戸錠のご両人が、インタヴューでふれていました。やっぱり、だれもが「どうして『青春』なんだろう」と思うのでしょう。

まずエースのジョーはいきなり、つぎのようなスクリプトを示しました。

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これがオリジナル・タイトルだったそうです。たしかに、このほうがまだしも内容に即しています。清順監督はどうかというと、なぜこのようなタイトルになったのだ、ときかれて、わたしが想像したとおり、「さあ……」とおっしゃっていました。会社が決めることだから、監督は興味がないのです! プログラム・ピクチャーですからね。最後に「まあ、日活は若者のための映画をつくっていたから」と笑っておしまい!

◆ 「清順ぶり」の発現 ◆◆
学齢前から小学校にかけて、そうとは知らずに見た映画はべつとして、鈴木清順という監督の名前を覚えてから最初に見たのは、『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』です。この映画がおおいに気に入ったので、1972年2月終わりから3月にかけての、池袋文芸座地下での、鈴木清順シネマテークに行くことにしました。

『探偵事務所23 くたばれ悪党ども』に興奮したティーネイジャーにとって、あのシネマテークで見た20本のうち、期待したものにもっとも近かったのは『野獣の青春』でした。『くたばれ悪党ども』と同じ年につくられ、同じく宍戸錠が主演するアクション映画でした。

野獣の青春 trailer(英語字幕)


日活時代、鈴木清順が注目されることはほとんどなかったようですが、あとから読んだものによると、一部の評論家が、この監督はなにかをやろうとしている、とはじめて感じたのは、この『野獣の青春』のときだったそうです。同じ年に製作された、同系統の『くたばれ悪党ども』ではないのです。

たしかに、自分の好みを棚上げにして、演出という側面で見ると、『野獣の青春』のほうが、ハッとさせられる瞬間が多くあります。『くたばれ悪党ども』にも魅了されるショット、シークェンスはあるのですが、一歩ひいて、作品史として見るならば、太字で書くべきはやはり『野獣の青春』でしょう。

今日はまったく時間が足りず、まだなにも書いていないに等しいのですが、例によって「予告篇」というこことで、次回から本格的に『野獣の青春』で噴出しはじめた「清順ぶり」のディテールを見ていこうと思います。


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by songsf4s | 2010-08-30 23:58 | 映画