デニス・ホッパー監督『イージー・ライダー』(1969年) その5

枕のつもりでハワード・ホークスの映画のことを書いたのですが、枕にしては長大すぎるし、そもそも、書いているうちにポイントがハッキリしてきて、これは独立した記事にしようと考えが変わったので、その映画に関する部分はすべてオミットしました。というわけで、本日は枕なしで『イージー・ライダー』に入ります。

◆ 自由と恐怖 ◆◆
『イージー・ライダー』もそろそろファイナル・ストレッチなので、未見の方は今日はお読みにならないほうがいいでしょう。毎度ながら、伏せておいたほうがいいことも遠慮せずに書きます。

『イージー・ライダー』はロード・ムーヴィーなので、基本構成はじつにシンプル、昼間のライド、夜の野宿における対話の繰り返しであり、ときおり、昼間に出会った人びとのエピソードが挿入されるだけです。

カフェテリアでイヤな目にあった夜の、例によって焚き火端でのハンソンとビリーの対話は、ほとんどこの映画が目指すところの「解説」になってしまっています。ハンソンは、みな、きみたちのことを「怖れている」(scared)のだと云います。

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ハンソン「彼らの目には、きみたちは自由を象徴しているように見えるんだ」

ビリー「自由のどこがいけない。いちばん大事なことじゃないか」

ハ「そうさ。でも、自由について語ることと、自由であることは、まったくちがう。人間が市場で売り買いされる時代には、自由であることはほんとうにむずかしいのさ。もちろん、だれかに向かって、おまえは自由ではない、などといってはいけない。そんなことをいったら、相手は、自分が自由であることを証明しようと躍起になって、きみを切り刻むことになる。いやはや、だれもが自由について百万言を費やしている。でも、ひとたび自由な人間を目の前にすると……彼らは震え上がってしまうのだ」

ビ「震え上がって逃げ出すようには見えないけどな」

ハ「ああ、逃げ出しはしない。そうじゃなくて、恐怖のせいで凶暴になるのさ」


そして、おそらくはグラスのせいなのでしょうが、二人はつまらないことにクスクス笑って、つぎのショットでは寝ついています。そして、暗闇のなか、数人の人間がバットか棍棒かなにかで眠っている彼らを殴打します。ビリーは無傷、キャプテン・アメリカは呻いているけれど、あとで軽傷だったらしいとわかります。しかし、ハンソンは死んでしまいます。

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◆ エクスキューズ? ◆◆
さて、これをどう受け取りますかね? いえ、襲撃とハンソンの死という展開自体に異論はありません(ワイアットやビリーではなく、ハンソンが死んだことには大きな意味はないだろう)。問題は、この直前に、ハンソンがそれを予告するようなことを云い、襲撃の向こう側にある意味を明快に「解説」していることをどう考えるかです。

公開当時は、ハンソンの「解説」をはさんでおくほうが親切だったのかもしれません。あるいは、あの「政治の季節」にあっては、このようなソーシャル・コメンタリーがあるほうが、映画の格を高めると考えたのかもしれません。

なにしろ、『イージー・ライダー』の話がもちこまれたとき、撮影監督のラズロ・コヴァックスは「バイカー映画はもうやりたくない」といったくらいで、そう受け取られる恐れが大いにあったのはまちがいありません。日本でいえば日活アクションみたいなもので、バイカー・ムーヴィーはその姉弟であるビキニ・ムーヴィー同様、批評の対象にはなりませんでした。

f0147840_2342848.jpgデニス・ホッパーはラズロ・コヴァックスに、こんどのはふつうのバイカー・ムーヴィーではないと云ったそうですが、その意気込みがそのままハンソンの「解説」になったように感じられます。「これはよくある売らんかなのバイカー・ムーヴィーではない、シリアスな映画なのだ」ということをハッキリといっておきたかったのではないでしょうか。

しかし、いまになると、これはいわずもがなだったようにも感じます。いや、仮にハンソンの「解説」がなく、なにかべつの話をして、その後に撲殺のショットがつなげられているとしたら、やはり唐突な印象になったかもしれません。デニス・ホッパーはいろいろな編集を試したうえで、結局、ハンソンの解説を残すことにしたにちがいないので、軽々に「ないほうがいい」とは断じられないのですが、ここまで明快に意味を解説してしまうのも、それはそれで行きすぎのように思うのです。

初見のときはとくになんとも思わず、なるほどと思って見ましたが、今回の再見では、ここは引っかかりました。とはいうものの、「断じてないほうがいい」ともいえず、答えは風の中に放り出します。

ハンソンの「解説」のほうに気をとられてしまいましたが、この撲殺シーンは、初見のときはやはりギョッとしました。かつてのハリウッド映画なら、あのような「ならず者」との接触は、このような結果をもたらすことはなく、もっと「決闘」に近いファイトを招来するというあたりが常識的な展開でした。

アーサー・ペンの『逃亡地帯』からはじまった(とわたし自身は感じた)アメリカ映画の変化の結果、このような不気味なリアリズムがさまざまな映画で散見するようになり、『イージー・ライダー』でそういう方向性が確立したという印象をもっています。いや、後年、少年たちがホームレスを殺す事件が起きたとき、さかのぼって、はじめてほんとうの「リアリズム」だったことを認識したのですが。

◆ デイヴィッド・アクスルロッドとエレクトリック・プルーンズ ◆◆
二人がハンソンの死をどう処理したかは描かれません。もちろん、警察に届けるような愚かなことはしなかったでしょう。そんなことをしたら、彼ら自身が犯人にされてしまったにちがいありません。

家族に知らせなければ、といってビリーがハンソンの所持品を調べていて、出発のときに彼が自慢したニューオーリンズの(南部一と称する)娼家のカードを見つけるところが描かれ、つぎのショットでは、エレクトリック・プルーンズのKyrie Eleisonが流れ、二人がこれまでとはちがってまともなレストランでまともな食事をしているショットになり、すぐにキンキラキンの娼家に入るショットへと切り替わります。

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エレクトリック・プルーンズというバンドは実在しましたが、Kyrie Eleisonが収録されたアルバム、Mass in F Minorをつくったのはデイヴィッド・アクスルロッドとスタジオ・プレイヤーたちです。プルーンズは、初期にはそこそこスタジオでプレイしたのかもしれませんが、途中から(いや、はじめからそうだった可能性もあるのだが)、アクスルロッドが主体となったスタジオ・プロジェクトに変貌します。

デイヴィッド・アクスルロッドのオフィシャル・サイト

公平を期すために、プルーンズの後年の弁明もあげておきます。こういうことはだれでも云うものなので、わたしは眉唾で読みました。まあ、二枚目でプロデューサーのデイヴ・ハーシンガー(ストーンズのハリウッド録音でエンジニアをつとめた)が「投げた」というのはありうると思いますが。ハーシンガーというのは、生意気な若造にすぐカッとなるらしく、グレイトフル・デッドの二枚目Anthem of the Sunのときにも、「勝手にしろ」といってスタジオから出て行ったという前科があります。そういう人間が、デッド、エアプレイン、プルーンズと、初期のサイケデリック・バンドのハリウッドでのデビューにことごとくからんでいるのは、じつにもって不思議です。

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アール・パーマー(左)とデイヴィッド・アクスルロッド

プルーンズはハリウッド録音なので、参加プレイヤーは例によってレッキング・クルーの人びとです。キャロル・ケイの「顧客リスト」にもちゃんと名前があります。スタジオ・プレイヤーには、ワイルドな、あるいはサイケデリックなサウンドはつくれないようにいう人がいますが、子どもにもできることが、名うてのプロにできないはずがありません。なんといっても、彼らはワイルドなサーフ・インストの舞台裏で大活躍することによって業界での地位を築いたのだから、ワイルドな音ぐらい、その気になればいつだってつくれます。プルーンズ程度のバンドのフリをすることなど、朝飯前です。

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なお、Kyrie Eleisonというのはラテン語で、意味はlord, have mercyだそうです(英語式発音では「キリー・エレイソン」あたり)。画面にマリア像のショットがインサートされるのも当然ですし、サウンドも祈祷のように聞こえます。そもそも、この曲が収録されたアルバムのタイトル自体が『Mass in F Minor』で、その名の通り、全体がきわめて宗教色の強いサイケデリック・サウンドで貫かれています。

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調子に乗ってデイヴィッド・アクスルロッドのことをあちこちで読んでいたために、あっという間に時間がなくなってしまいました。いずれにしても、一気にエンディングまでというのは無理なので、ここらで切り上げ、残りは次回へと。

最後に、アクスルロッドがらみで、アール・パーマーのファン・サイトを見つけたので、URLを書いておきます。

http://www.earlpalmermemorial.com/av.html

まだ内容充実とはいきませんが、Audio & Videoページで、「"Holy Thursday," David Axelrod featuring Earl & Carol Kaye, 1968」というトラックを聴くことができます。アール、CKさん、どちらもいいプレイですが、とりわけアールのプレイが楽しめます。それほど近似しているわけではありませんが、なんとなく、アール&キャロルがプレイしたブレンダ・ハロウェイのYou've Made Me So Very Happyを思いだしました。ということで、サンプルにします。

サンプル ブレンダ・ハロウェイ You've Made Me So Very Happy

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テンポも曲調も全然ちがうのに、アクスルロッドのHoly Thursdayと同じ感触があるわけで、サウンドとはつまりドラムとベースのコンビネーションによるグルーヴのことなのだ、と云いたくなります。同じドラムとベースのコンビならば、上ものとは無関係に、同じ音に感じるのです。



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by songsf4s | 2010-07-30 23:55 | 映画・TV音楽