追悼・木村威夫 鈴木清順監督『悪太郎』その2

ときおり、アクセス・キーワード・ランキングのことにふれていますが、今月のトップは当家の名前そのまま、2位以下は「how high the moon 歌詞」「beyond the reef 歌詞」「アール・パーマー」「お座敷小唄 楽譜」(楽譜は提供できず失礼。しかし、あれはシンプルな3コードかなにかなのでコピーは容易かと)「シャドウズの紅の翼」「i put a spell on you 意味」といった感じです。

また今月も、このあと8位に「芦川いづみ」、10位に「赤木圭一郎」があるのがちょっとした驚きです。以前にも書きましたが、このキーワードで当家にたどり着くには何ページも見なければいけないでしょう。ブックマークの手間を省くのであれば、「芦川いづみ 乳母車」とか「赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる」ぐらいの狭め方をしたほうが、より短時間で当家にたどり着けるのではないかと、老婆心ながら申し上げておきます。まあ、どちらのキーワードをお使いの方も、芦川いづみ、赤木圭一郎の大ファンでいらっしゃるのでしょうから、途中でいろいろなところを見ながらいらっしゃるのかもしれず、よけいなお世話かもしれませんが。

◆ 日本間の夏 ◆◆
『悪太郎』は、今東光の自伝的小説を原作にしたもので、作者自身と主人公・紺野東吾(山内賢)をぴったり重ねてよいのなら、主人公の旧制中学時代を描く映画『悪太郎』の時代設定は大正初年とみなすことができます。



紺野東吾は恋愛問題で神戸の中学を諭旨退学になり、東京の中学にはいるつもりだったのが、母の考えで豊岡中学に編入されてしまい、この地方都市での主人公の暴れぶりと恋愛を描いたのが『悪太郎』と簡略にいうことができるでしょう。

当然、のちに大々的に前面に出てくることになる、鈴木清順の大正趣味の萌芽がここにあります。鈴木清順や木村威夫は今東光よりずっと若いのですが、ひるがえってわが身を考えれば、同世代の作り手より、一回りから二回り年上の人間がつくったものの影響を受けたわけで、鈴木清順は今東光の読者だとはいわないまでも、その描く世界を身近なものに感じられたのでしょう。木村威夫にしても大正生まれなので、その点は同じだったのだろうと推測できます。

大正趣味かどうかはしばらくおくとして、最初にいかにも木村威夫らしさを濃厚に感じるのは、主人公・山内賢が母・高峰美枝子(木村威夫は「まだ色香があって」と賞賛している)につれていかれた豊岡中学校長・芦田伸介の家の居間です(がんばってみたのだが、エアチェックしか入手できず、画質劣悪、残念ながらセットのディテールは不分明)。

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左端は芦田伸介、ひとりおいて山内賢、葭戸の影には高峰三枝子。

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同じセットをべつの角度から撮っている。背中を向けているのが高峰三枝子。

以前、『乳母車』の美術 その2という記事で、宇野重吉、山根壽子、芦川いづみの親子が暮らす鎌倉の邸宅の日本間のデザインをとりあげました。

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こういう葦簀張りの障子といった塩梅の建具は「葭戸」といい、もちろん、夏のあいだしか使わないものだそうです。細い葦の枝を並べて障子のようにしてあるのでしょう。これを使うと格式のある味が出せるので、木村威夫は『乳母車』の鎌倉の邸宅同様、この豊岡中学校長宅にも葭戸をもってきたのでしょう。

このふたつの部屋はタイプがちがうのですが、それでもやはり、同じ美術家がデザインした共通のムードがあります。木村威夫の『映画美術』のおかげで、美術を中心にして映画を見る習慣がつき(もちろん、もともとバックグラウンドが気になる人間だったからだが)、セットの味わいがいくぶんか理解できるようになったような気がします。

◆ 衣裳による時代の表現 ◆◆
山内賢は、芦田伸介の子どもをつれて川遊びに行こうとした途次、二人の女学生、和泉雅子と田代みどりに出会います。

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こちらはスティル。じっさいにはこのように四人がみなレンズに顔を向けているショットはない。

われわれ観客の目には、いかにも大正時代の女学生という容子に見え、日傘というのはけっこうなものだと思うだけですが、このシーンについて、木村威夫美術監督はつぎのようにコメントしています。

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当然ながら、日傘だって、着物だって、そこらにあるものを適当に選ぶなどということはありえず、ある意図のもとに選択されているわけで、だからこそ、ある時代のムードとか、ある人物のキャラクターといったことが視覚的に観客に伝わってくるのでしょう。

「ガス銘仙」というのは、「ガス糸」で織った銘仙という意味です。糸をガスの炎の上を素早く通過させ、毛羽を焼き落として滑らかにする加工法を用いたものは、素材のいかんにかかわらず、みな「ガス糸」というようです。

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また、銘仙とは、

「絹織物の一種。江戸時代、天保の改革(1841)ころから玉紬を軸に秩父(埼玉県)や伊勢崎(群馬県)の太織(ふとおり)からつくられたもので、明治以降第2次世界大戦までの日本人の衣料に欠かすことのできない織物であった」

と百科事典にあります。念のため。

このシーンでは、鈴木清順は和泉雅子の顔をほとんど見せません。ファースト・ショットは背後から日傘の動きを見せ、子どもと出会って挨拶するのも背後からのショット、角の向こうから山内賢が姿をあらわすと、切り返して和泉雅子と田代みどりを正面から捉えるのですが、和泉雅子のほうは恥ずかしがって、顔を見せそうになったとたん、向こうを向いてしまいます。

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このショットで、背中を向けてとっとと歩く和泉雅子の歩行のリズムがいい。

なんだか、『エイリアン』でモンスターのすがたがなかなか見えないようなぐあいで、和泉雅子はこのシークェンスではついにはっきりと顔を見せることはありません。現代的感覚では、町で同年代の少年と出会ったからといって、少女が恥ずかしがって元来た道を引き返してしまうなどというのは奇異ですが、鈴木清順の世代にとっては、昔だったらおおいにありうる自然なふるまいだったのかもしれません。

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川のシーンのあと、自宅の外で山内賢と子どもの話声が聞こえ、和泉雅子はオルガンのまえから立ち上がって窓際にいく。ここでやっとヒロインの顔が見えるのだが、格子が影を落として、これまた「はっきりと見える」とはいえない。どう考えても意図的な演出。

◆ 「現実音」としての歌声 ◆◆
映画評論というのは音楽に冷たいもので、一流作曲家のスコアでも、よほど違和感があったりしないと言及すらしなかったりします。まして、劇中で俳優が歌う小唄の切れっ端など、なかったものにされるのがつねです。

上記の和泉雅子と田代みどりの歌もなかなかいい味で、こういう演出と、いかにも昔の女学生らしい二人の自然な歌いぶりはおおいにけっこうです。

さらにいいのは、子どもをつれて川に出た山内賢が艪をこぎながら口ずさむ歌です。よくあるオーケストラの伴奏が流れて、「どこにそんなバンドがいるんだ」とむくれながらも、「まあ、映画の決めごとだから」と我慢するようなものではなく、ごく自然にア・カペラで歌っていることもけっこうですし、ピッチをはずさずに歌っていることも、かといって、妙にうますぎることもなく、ちょっと歌える子どもが自然に歌っている雰囲気になっていて、非常にいい歌の使い方です。こういう「小さな演出」をし、それを成功させているからこそ、全体としてグッド・フィーリンのある映画が生まれるのだと思います。

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あといくつか面白いデザインがあるので、もう一回『悪太郎』をつづけさせていただきます。

たんなるオマケにすぎず、『悪太郎』に直接の関係はないのですが、この映画のヒーローとヒロインのデュエットはいかが?

二人の銀座

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by songsf4s | 2010-03-28 15:12 | 追悼