日本語のアルファベット表記が実用的ではないということは何度も繰り返し書いていますが、またも困った例にぶつかりました。ある日本映画のリストに、Enjoというのがありました。「援助? 俺が知らない最近の映画か」と思って通り過ぎようとしたら、市川雷蔵だというので、数秒考え、「ああ、『炎上』か!」とわかりました。これはEnjohと書いて、誤解を回避するべきものでしょう。
もうひとつ、これは読めなかったわけではありませんが、The Demon of Mount Oeというのも、やっぱりそうなるか、と笑いました。これも市川雷蔵のもので、『大江山の酒呑童子』のことです。以前にも、「大江」というのはアルファベットでどう書くのかと疑問に思ったことを書きましたが、やはり「Oe」になってしまうようです。
「オエ」と吐いているみたいで、わたしが大江という苗字だったら、アルファベットで書きたくないなあと思うでしょう。O'e、Oh'e、Ooe、O'o'e、あれこれ工夫しても、どうにもアルファベットにしようのない音だと思います。「大井」も同様です。これが太田なら「Ohta」とあれば読めるのに(Otaでは読めない)、母音がつづくとチンプンカンプンになるのだから、不思議なものです。
◆ セットにつぐセットの連続 ◆◆
中古智美術監督は、『成瀬巳喜男の設計』のなかで、成瀬巳喜男という人は、セットにかかった金のことで文句をいったことはなく、つねに美術監督を擁護したと回想しています。といって、予算を気にしなかったわけではなく、残業はゼロで、毎日、定時に撮影を終えたそうです。
オーヴァータイムをしない監督だと、会社は助かりますが、逆にスタッフは金銭的に大変で、同じように定時に終えた小津安二郎のスタッフは苦労したと、厚田雄春撮影監督が回想していました。冗談半分かもしれませんが、「貯金をして」から撮影に入ったのだとか!
さて、『浮雲』の美術です。中古智美術監督は、これほどセットの杯数が多くて、仕事に追いまくられた映画はなかったと回想しています。全部で二十数杯にはなったはずだといっています。
仏印の邸宅の広い階下、同食堂、森雅之の家、山形勲の家、高峰秀子のバラック、新興宗教の家、病院、屋久島の家、旅館が四つ、加東大介の店、岡田茉莉子のアパート、ラーメン屋、ミルクホール、船室、屋久島の家の外、同じく室内、屋久島の営林署室内というように、たしかに相当の杯数になります。
室内のセットも多数ありますが、例によってオープン・セットもたくさんあったせいで、杯数がふくらんだようです。製作年から考えて、当然、闇市はないので、マーケットはオープン・セットだということはわかります。
いわれないとわからないのは、伊香保の旅館の外にある階段がオープン・セットだということです。監督がクレーンでいきたいというので、クレーンで撮れる階段をつくったのだそうです。いや、階段だけならまだしも、階段に沿った家の外壁をつくらねばならず、これまたちょっとしたセットです。
◆ 岡田茉莉子のアパートのデザイン ◆◆
視覚的にもっとも面白いセットは、森雅之が転がり込む(当人は「引っ張り込まれた」と主張する!)岡田茉莉子のアパートです。
なんだか妙に廊下の天井が高くて、ふつうに見られる安アパートの造りとはずいぶんちがいます。それだけでなく、アパート室内の造りも変わっていて、ここも天井が高く、ノーマルな雰囲気ではありません。
『成瀬巳喜男の設計』を読んで、はじめて、ああいうデザインになった理由がわかりました。これは倉庫の建物を転用したアパートという設定なのだそうです。倉庫のなかを小間に割っているのです。なるほど、そういうデザインになっているし、天井の高さもそれで納得がいきます。
◆ 仏印シークェンス ◆◆
東京はべつとすると、ロケをおこなったのは伊豆と鹿児島だそうです。
ヴェトナムのダラットでのシークェンスは、三島や伊豆のどこかの山中でおこなったと回想しています。吊橋はありものではなく、中古智デザインになる東宝製造のものだそうです。
大変なのはヤシの木。鹿児島ロケハンのときのことなのか、指宿に南方の植物を栽培している植物園があり、貨車一台分の葉っぱを買って東京に送ったのだそうです。そして、丸太と葉をもって伊豆の山に入り、目立つところに立てたというしだい。ヤシの樹皮は杉皮だそうです。
右手前の像が東京で作ってもっていった飾りだというのは簡単に想像がつきますが、背後に見える寺院は絵だそうです。中古智美術監督は詳しいことはいっていませんが、ガラス・マット・ペインティングではないでしょうか。モノクロ映画のいいところは、絵の合成がバレバレにならないところで、このショットも違和感なく収まっています。
ちょっと意外なロケは、伊香保温泉の風呂場です。てっきりスタジオだと思っていたら、これが伊豆の湯ヶ島でのロケなのだというのでびっくりしました。よほど監督の好みのたたずまいだったのでしょう。
映画のなかでは、長い階段を上ったてっぺんにあると設定されている風呂ですが、じっさいには、逆に長い階段を下ってたどり着く、川べりの風呂場だったのだとか。
屋久島の家並みも伊豆でロケされたものだそうです。ただし、家がきれいに整いすぎているので、石を載せた板葺き屋根にしたり、ずいぶん加工したと中古智美術監督は回想しています。
◆ 北はどっちだ? ◆◆
『赤いハンカチ その2』の記事で、「さすらい」の南北のことにふれ、日本の場合、「さすらう」となると、北を目指すのが暗黙の了解といえるだろうと書きました。
さすらい、漂い、流れていく『浮雲』では、森雅之と高峰秀子は、沖縄が日本ではなかった当時は最南端だった屋久島へとたどり着きます。つまり、「南にさすらった」例外である、といえるのでしょうか。そういいきるのは、ちょっと早計に思えます。
この映画でもっとも強く印象に残ったのは、ほんの一瞬映るだけの、屋久島へ向かう船での寄り添った二人のショットです。
これを見てなにを感じますか? わたしは「寒さ」です。じっさい、高峰秀子はおそらく肺炎(または肺結核)にかかっていて、鹿児島の旅館でひどく寒がります。それが反映されていることも間違いありませんが、それにしても、お互いに暖めあうように寄り添った二人の姿は、なんとも寒々としています。日本の最南端に向かうというより、最北端に向かうような絵です。
『浮雲』は数年のスパンの物語でありながら、絵として表現されるのはつねに寒い季節で、高峰秀子と森雅之はオーヴァーコートを着、いつもなにかで暖をとろうとしています。
これは撮影時期の制約もあったのでしょうが、「表現」のレベルでいえば、明らかに仏印との対比で、二人の心の寒暖を形にして見せたのです。
そこで南北の問題です。日本を中心に考えず、二人の心、主観に添って考えると、「心の地軸」は仏印にあることが見えてきます。彼らは、仏印では「夢を見ていた」のかもしれませんが、しかし、それはつまり幸福だったということです。
その(占領という他人の不幸を土台にした)幸福から切り離されて、不幸のなかを漂流するのが『浮雲』という物語です。だから、彼らは「日本という寒々とした北の地」をさすらうのです。
では、最後に彼らが向かった屋久島は、北なのか南なのか。それはなんともいえません。純粋に「解釈」の領域に入り込んでいくことになります。だから、あくまでもわたしの受け取り方にすぎません。こう思います。
屋久島に向かう二人は、もうなにも希望などもっていません。森雅之は「死ぬのは痛い」から生きているだけです。高峰秀子も「ここ(森雅之のそば)で死ねれば本望よ」といいます。二人は、かつて幸せだった南の地に「帰る」幻想を抱いたのかもしれませんが、現実には、高峰秀子は病に倒れ、猛烈な寒気に襲われ、船中で暖をとるように肩を寄せ合います。
あの寒々とした二人の姿は、意図的な演出なのだと思います。南に帰るはずが、まるで日本よりさらに北に向かうようなありさまになっていくのは、きっと、幸福に対する天罰なのでしょう。二人の体は南に向かいながら、心は北へとさすらっていったように、わたしには見えました。
◆ エンド・マークのない永遠の不幸 ◆◆
この映画を見たあとで、夢を見ました。そのなかで、死んだと思った高峰秀子が蒲団の上で起き直り、浴衣の襟元を直しながら、森雅之に微笑んでいました。
そこで目がさめて、映画がこんなエンディングだったとしたら、そのほうが怖いだろうなと思いました。そして、彼女はあそこで幸せに死んだことがはっきりと理解できました。あれ以上生きつづけたら、苦しみいや増すばかりだったでしょう。しかし、森雅之には死という逃げ場もなく、ただ冷え冷えと凍えていく罰しか残されていないわけで、なんとも残酷な映画です。
『浮雲』は、昔の映画としては稀なことに、エンド・マークが出ません。かわりにこういう文字が映されます。
成瀬巳喜男の設計―美術監督は回想する (リュミエール叢書)
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浮雲 原作
浮雲 (新潮文庫)
メイン・タイトル
by 斎藤一郎(東宝映画『浮雲』より)