(仮)最後の弾丸 by 伊部晴美(日活映画『赤いハンカチ』より その6)
タイトル
最後の弾丸(仮題)
アーティスト
伊部晴美
ライター
伊部晴美
収録アルバム
N/A(『赤いハンカチ』OST)
リリース年
1964年
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今日こそは『赤いハンカチ』のクライマクスを事細かに書くので、結末は自分で見たいという方は、以下の記事をお読みにならないようにお願いします。

『赤いハンカチ』はストレートな謎解き物語ではありませんが、過去の事件の真相を突き止めることをエンジンにして、話を前進させている物語ではあるので、やはりそこを先に知ってしまうと、いくぶんか興味をそがれるでしょう。もちろん、わたしは映画館で三回、ヴィデオでは数えきれぬほど見ているので、結末を知っていても面白い映画ではありますが。

◆ 金子信雄讃 ◆◆
プロットの続きを書きはじめたら置き場所がなくなりそうなので、先に書いておきます。『仁義なき戦い』シリーズを見た百人中九十九人が、「このオヤジ、早く死なんかいな」とうんざりする山守義雄組長役こそが、金子信雄の生涯の仕事の集大成なのだろうと思います。

たしかに、あれほど無茶苦茶な人格にまとまりを与えられる俳優はめったにいるものではなく、金子信雄が長年演じてきた「卑怯な悪人」の映画的記憶まで動員されて、はじめてリアリティーを獲得できるのだと感じます。まるでヒトラー暗殺計画の映画(というのを昔見た)のように、『仁義なき戦い』とは、「山守義雄=金子信雄の命を狙った連中が、みな目的を果たせずに虚しく斃れていく物語」といえるのではないかと思うほどです!

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『仁義なき戦い 頂上作戦』左から小林旭、金子信雄、室田日出男

日活から東映にかけて金子信雄は悪役ばかり演じたので、そのなかで『赤いハンカチ』の〈土屋警部〉は稀な善人役だから、ということももちろんあります。しかし、稀少性だけで、この映画での金子信雄がいいといっているわけではありません。

いや、正確にいえば、稀少性とも無関係ではないのですが、金子信雄自身が「こんなにいい役は二度とめぐってこない」と感じていたのではないかと思うほど、気持よく、楽しんで演じているのが感じられるのです。もっとピンポイントでいうと、『カサブランカ』のクロード・レインズがやった役を自分がやるとしたらどうするか、ぐらいの気持があったのではないでしょうか。

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金子信雄ではなく、だれかべつの人間が『赤いハンカチ』の土屋警部を演じていたら、この映画はずいぶんと異なる味わいになったことでしょう。いまになって『夜霧よ今夜も有難う』を見ると、佐野淺夫演じる刑事は、金子信雄のほうがよかったのではないかと思えてきます。

◆ いまじゃない、いまだと…… ◆◆
二谷英明を叩き伏せた石原裕次郎は、襲撃をかわすと、山下橋ホテルにもどります。通りには警官があふれていて、裕次郎は裏口からホテルに入ります。刑事のひとりがそれに気づきますが、金子信雄警部は、ほうっておけ、と目配せします。

ホテルの部屋には浅丘ルリ子が待っています。このときの浅丘ルリ子も印象的です。(性差別主義者ではないのだが、昔風の言い方をすると)「この男のものになる」と心に決めたことが表情にあらわれています。さらにいえば、「いま、このときをおいて、ほかにふさわしい時はない」という強い決意すら読み取れます。

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サンプル 「ラヴ・テーマ」

金子信雄警部がやってきて、裕次郎が隠れているクローゼットの前まで行き、浅丘ルリ子に話しかける形で「もしそのへんの窓から三上君がひょっこり顔を出すようなことがあったら、命を狙われているから危ない、わたしんところへ自首するよう、友だちに手柄を立てさせるよう、まあ、そういってください」なんていうところも、じつに間合いがよくて楽しめます。

金子信雄が出て行くと、浅丘ルリ子は部屋に鍵をかけ、ホッとため息をつきます。終幕に向かって密度が高まっているので、いや、その結果ではなく、原因かもしれませんが、こうした息づかいや表情のひとつひとつに、われわれの目と耳は惹きつけられていきます。

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二人がベッドに倒れ込み、浅丘ルリ子の足からパンプスが脱げ落ち……昔のふつうの映画なら、あとは暗示するにとどめ、ここで画面溶暗といったところですが、このへんが日活アクションらしいところで、裕次郎はここで引き返します。

「いまじゃない。いまだと……」

というのです。「いまだと」なんなのか、あとの言葉は想像にまかせたのはうまい処理です。言葉にすると、どういう語彙を選択しても、むくつけで品がなくなってしまい、言葉を飲み込む処理にしたのだろうと想像します。できるだけ婉曲にいえば、いまだとたんなる不倫になってしまう、といったようなことをいおうとしたと解しておきます。

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どうであれ、日活アクションのヒーローはストイックでなければいけないので、ここはどういう理由をつけてでも、裕次郎をベッドから起きあがらせなければならない場面です。いや、そうはいっても、浅丘ルリ子の表情がすばらしく蠱惑的で、そのぶんだけ、ヒーローのストイシズムが強調され、この映画のもっとも魅力的な場面のひとつになっています。

◆ 「わたしは赦されたくなんかありません」 ◆◆
石原裕次郎は、金子信雄に示唆されたとおり、浅丘ルリ子に銃をあずかってもらい(あまり有効ではないが、伏線である)、二人揃ってロビーへとおりていきます。

ここで二人に気づいた瞬間の二谷英明の表情が二度インサートされますが、このへんが「ムード・アクション」なのだと感じます。いや、つまり、アクション・シークェンスは、きびきびと演出されてはいるものの、いうなれば「最低限必要なことは押さえる」といった調子です。

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それに対し、男と女の表情は(成瀬巳喜男ほどではないにしても!)じつに丹念に捉え、また、お互いの一挙手一投足に反応させています。二谷英明は、この二人の姿を見た瞬間に、いわば「発狂」したのであって、それが物語を結末へと向かって強く後押しします。

金子信雄警部は、君がドスで刺した犯人ではないという目撃証言もあるから、取り調べは簡単に終わる、といって、二谷英明に保証人になるよううながし、裕次郎を連行していきます。

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ロビーに残された二谷英明と浅丘ルリ子のすがたが、必要以上に長く映されるところも、この映画が、アクション映画である以上に、ラヴ・ストーリーであることがあらわれています。

そして、つぎのシーンは、家に帰ってからの浅丘ルリ子と二谷英明のやり取りになり、浅丘ルリ子はひざまずきかねない二谷英明を、「一度の過ちを赦されなかった人がいます。わたしは赦されたくなんかありません」と、拳銃までむけて冷たく拒否します。

ベンツを駆って湘南から横浜へ引き返すあたりからの浅丘ルリ子は、ただただ凄艶で、たしかにこの女を失うのは、男にとって死にもまさる苦痛だろうという、ソリッドなリアリティーを感じさせます。

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◆ 偶然性の犯罪 ◆◆
二谷英明と浅丘ルリ子が争っているところへ、電話がかかってきます。それと明示はされませんが、金子信雄警部から、取り調べが終わって釈放になるから、身元引受人として石原裕次郎を引き取りにきてほしい、という電話だということが前後からわかります。

折りがあれば裕次郎を殺そうと思ったのか、あるいは、身の危険を感じたのか、二谷英明は出かけるまえに引き出しから銃を出します。伏線といえば伏線なのですが、ここはやや強引な処理に感じます。映画だからこういう荒っぽい処理が見過ごされるともいえますし、映画だから小説のように細かく心理描写をすることができない、ともいえます。

警察署裏の駐車場、かつて石原裕次郎が逃走する森川信を射殺した場所が、クライマクスの舞台になります。なぜ二谷英明が銃を持っていることを知ったかはわかりませんが、石原裕次郎は二谷に導かれて車のステップに足をかけた瞬間、振り向きざま二谷を殴り倒し、内ポケットから銃を奪い、二谷の周囲に威嚇発砲をします。

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そして裕次郎は、彼がたどりついた四年前の事件の解釈を語りはじめます。二谷英明が、きびしい尋問で正常な判断力を失った森川信に、俺の銃を奪って逃げろ、とそそのかしたのであり、その銃には空包しか入っていなかったのだ、というのです(これ以前の場面で、金子信雄が、現場からは一発も銃弾がみつからなかった、といっている)。

火を噴く銃口にむかって飛び込んでいけたのは、空砲しか入っていないことを知っていたからで、背後から裕次郎が容疑者を狙っていても、オリンピック候補の射撃の腕を信じて、イチかバチかでタックルし、裕次郎の狙いが同僚を避けてすこし上がり、致命傷になることを狙った、と指摘され、二谷英明はそのとおりだ、だが、証拠はなにもない、とうそぶきます。

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この謎解きは、舛田利雄監督ら脚本家陣が苦心したところなのでしょうが、映画的ではあっても、まったく論理的ではなく、あまりにも偶然に依存しすぎています。石原裕次郎が二谷英明を誤射することを怖れてためらえば成立せず、そもそも、数秒の誤差も許されない状況で、裕次郎が間合いを計ったようにタイミングよくあとからあらわれ、タイミングよく射撃できる可能性はきわめて薄く、まったく現実性のない犯罪です。被疑者の口を封じたいなら、もっと確実で、露見しにくい方法がいくらでもあるでしょう。しいていうなら、裕次郎に殺人の嫌疑をかける方法にはなっているので、映画シナリオとしては、こういうものにしたくなる気持はわからなくもない、というところです。

ということで、犯罪の蓋然性を追求しない人たちには、このシーンはそれなりに面白いかもしれませんが、子どものころはともかくとして、大人になってからは、「無理だよ、成功の可能性はゼロ近辺だもの」とあっさり投げ捨てました。「まあ、映画だからな」という場面です。

◆ 致命傷 ◆◆
わたしがいまでもこの映画が好きなのは、半分はこのあとのシーンのせいです。いや、これも犯罪としてみるなら、成立の可能性はゼロ付近なのですが、「映画のなかの出来事」としては納得できるのです。

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二谷英明は、おまえのいうとおりだ、あれはイチかバチかの賭けだった、俺はそれに勝って成功したのだ、こうして警察署でこれだけのことをいっても、だれも俺に指一本ふれられない、証拠はなにもないのだ、と高笑いします。

しかし、裕次郎は、ゆっくりと右手の銃を上に向け、撃鉄を押し下げながらいいます。

「法で裁けないなら、俺がやる」

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いや、早まってくれるな、でありまして、ここがいちばんいいところだろいっているわけではありません。もちろん、子どものころ、いや若いころも、これは好きな台詞でしたけれどね(ミッキー・スピレインみたいではあるが)。でも、重要なのはここから先です。

サンプル 「最後の弾丸」

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裕次郎が銃をかまえて狙いを定め、本気だと覚った二谷英明が恐怖に顔を歪ませ、銃口がクロース・アップでとらえられます。

そして、長い周期のディレイをかけた銃声。しかし、クロース・アップになった銃口からは火は噴きません。にもかかわらず、二谷英明はくるっと廻って転倒します。

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キャメラが引くと、呆然と見返った裕次郎と金子信雄の視線の先に、銃を持った浅丘ルリ子が署内からあらわれます。胸を押さえて起きあがった二谷英明は、石原裕次郎ではなく、妻である浅丘ルリ子が自分を撃ったことを知ります。そして、よろめきながら彼女に向かって歩み、とどめを刺せ、といい、彼女の銃を奪って、自分で二発腹を撃って倒れます。

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もちろん、十メートル以上の距離があるところから、はじめて銃を撃って、みごと胸に命中などというのは、まったくリアリティーがありません。ふつうなら、弾丸は上にそれるでしょう。浅丘ルリ子ですよ。反動を抑えられるはずがありません。

でも、この弾丸はじつは浅丘ルリ子の心の弾丸であり、命中したのは二谷英明の心そのものだから、これでいいのです。愛する女が他の男への愛と、自分への殺意をあらわにしたことだけで十分に、二谷英明にとっては致命傷、fatal shotだったのです。

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◆ 死と愛は兄弟 ◆◆
『赤いハンカチ』という映画には、さまざまな美点と忘れがたいショットがあり、同時に論理的な破綻があちこちに見られます。でも、結局、子どもがはじめてこの映画を見たとき、どこに惹かれたかといえば、愛する女が自分を殺そうとしたのなら、もはやこれまで、死以外の道はないと覚悟する男の心情です。もちろん、子どもには分析力などありません。ただ、ああして死んでいった男のすがたが美しく感じられただけです。

同じ映画、同じシーンでも、年齢とともに受け取り方が徐々に変わっていきます。感覚的なレベルから離れるように努力してみるならば、ここは、ひょっとしたら「甘美なる自殺」の場面なのかもしれません。

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近々取り上げるつもりの映画のなかで、白木マリが男に向かって、あなたになら殺されてもいい、という場面がありますが、愛するものに殺されたいというこうした衝動は、思いのほか普遍的なことなのかもしれません。だとするなら、『赤いハンカチ』はそうした「変則自殺衝動」ないしは「エロス=タナトス重合性衝動」がもっとも甘美なものとして描かれた作品といえるでしょう。

さまざまな論理的破綻にもかかわらず(最後にして最大の破綻は、司法解剖がおこなわれれば他殺だとわかってしまうのに、二谷英明は金子信雄警部に、「撃ったのは玲子じゃない、最初から俺の自殺だ」といい、金子信雄がうなずくことである。ほんとうにそんなことをしたら、この警部はたいへんなスキャンダルに巻き込まれる)、このクライマクスが忘れがたいのは、二谷英明が、敗北が明白になったギリギリの土壇場において、命を捨てることで大逆転に成功し、勝者として死ぬという、思わぬ転換に心撃たれるからだと、年をとったわたしは分析します。

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テープを仕掛け、二谷英明の「告白」を録音しようという金子信雄警部のトリックは、思わぬ展開のために抹消しなければならないはめになる。人間の細工なんていうのは虚しいな、という金子信雄の表情がいい。

二谷英明が死んだことによって、石原裕次郎と浅丘ルリ子は未来を絶たれます。二人のあいだには永遠に二谷の死が横たわっているから、もはやどうにもできないのです(言い方を替えると、二谷英明は一命を賭して、愛する女が憎い男と結ばれるのを阻止した)。いや、子どものときは、なぜラスト・シーンで、二人が他人のように別れていくのか、理解できませんでした。大人になってやっと、二人が結ばれることなどありえないと納得がいったのです。

サンプル 「墓地の別れ」

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映画と小説というのは、まったく逆方向を向いたメディアなのかもしれません。『赤いハンカチ』が小説だとしたら、ガタガタのプロットに呆れて、途中で投げ出したでしょう。でも、映画だから、浅丘ルリ子の変身を見ているだけでも楽しいし、そのうえ、山下橋ホテルのセット・デザインのような余録まであり、キャメラが捉えたものを目で追っていると、論理の破綻など、なにほどのものとも思えなくなっていきます。

子どものころから好きだった映画を分析的に見てみようと思ったのですが、それでどうなったかといえば、分析など、所詮、無意味だということがわかっただけでした。映画においては、論理はアクセサリー程度のものでしかないのでした。

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by songsf4s | 2010-01-16 23:57 | 映画・TV音楽