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『乳母車』(石原裕次郎主演、田坂具隆監督、1956年日活映画)の美術 その5
 
ついさっき知ったのですが、今村昌平の『にっぽん昆虫記』の英語タイトルは、The Insect Womanというのだそうです。

今村昌平の映画だということを知らないで、仮にこれがAIPを通して逆輸入されたとしましょう。いや、ありえない仮定ですが、仮定だからいいじゃないですか。なにも内容に関する資料がなく、いますぐ邦題をつけろっていわれたらどうします?

AIPだから、ロジャー・コーマンかな、と思いますね。昆虫といっているのだから、ピーター・カッシングがヴァン・ヘルシンク教授、クリストファー・リーがドラキュラといういつものパターンとはちがうようです。『恐怖の蠅男』みたいに、人間と昆虫が合体したモンスターの話の可能性が高いでしょう。

ということで、『戦慄! 昆虫女軍団』なんてんでどうでしょうか。AIPはいつもこんな調子でしょ? おいおい、単数だぞ、軍団はないだろう、などという、わたしのように細かいことにこだわる人がいらっしゃるかもしれませんが、英語のことをゴチャゴチャいうようでは、輸入会社の宣伝担当はつとまりません。細かいことはこの際抜き、それらしいタイトルで、そっち方面の客の目を惹くことが大事です。

で、これが蓋を開けてみたら、今村昌平の『にっぽん昆虫記』だったらどうします? ひっくり返りますよ。

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なにいっているんだかおわかりにならないかもしれませんが、わたしはThe Insect Womanというタイトルから、AIPの恐怖映画を思い浮かべたというだけです。すごいタイトルですよ、これは。アメリカ人は、このタイトルを見てどういう映画を想像するのやら!

いえ、アメリカの輸入会社を責めているわけではありません。そんなことをいったら、日本がこれまでにつくってきた無礼千万な邦題の亡者がよみがえってきちゃいますよ。こちらはすでに百万回かそこらやったわけで、あちらが一発殴り返すぐらいのことは当然です!

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今回で『乳母車』は終わりなので、いままで使いどころがなかったものの、絵としては好きなショットを脈絡を無視して、ところどころに置かさせていただく。芦川いづみが石原裕次郎に宛てて手紙を書く場面で、夏休みになって鎌倉はにぎわっています、という言葉の絵として登場するのが、まさに芋を洗う砂浜と、由比ヶ浜通りのペイジェント。ぱっと明るくなるいいショットである。

◆ 斉藤一郎のスコア ◆◆
適当な置き場所が見つからなくなったので、ここに書きます。斉藤一郎による『乳母車』のスコアのなかには、好みのものがいくつかありました。いま確認の時間がないのですが、たしか、今日これからふれる、デパートの屋上のシーンで流れたものは、いい曲、いいアレンジ、とおもいました。

斉藤一郎は、すでに当家で取り上げた小津安二郎の『長屋紳士録』のスコアを書いていますし、『お茶漬けの味』『宗方姉妹』など、ほかにも小津作品の仕事があります。また、成瀬巳喜男の代表作のひとつ、『山の音』のスコアも書きました。

◆ ポータブル・セット ◆◆
さて、長々と見てきた『乳母車』のセットですが、何杯と勘定できる大物はもうないので、今日は小さなセットを見て手じまいにします。

九品仏の駅から新珠三千代の住む家への途中にある、という設定で、数回にわたって登場する角があります。ここで曲がると新珠三千代の家、曲がらないと九品仏へ行く、といった説明がされます。

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左側にあるものはなんなのだろう、と思っていたのですが、よく見れば昔の電電公社のマークがあって、電話ボックスとわかりました。木製の電話ボックスというのは、あの時代にはそれほどめずらしくなかったのだろうと想像します。

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しかし、いいところに電話ボックスがあったものだ、それとも、電話ボックスがあったから、この角を使ったのか、なんて思っていたのですが、新珠三千代がこの電話ボックスから電話をかけるショットが出てきたところで、なーんだ、そうか、と笑ってしまいました。

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電話ボックスなんて、つくって運んでくればいいだけで、はい、そのあたりにおいて、もうすこし左、などとやって、監督とキャメラマンが最適と考える位置に固定すればいいのです。

その証拠が、上の新珠三千代のシーンです。たぶん、キャメラが置かれた側の壁は、このときはずされています。そうしないと撮りにくいショットです。

ということで、この四角い木箱も、やはり木村威夫美術監督の指示で、日活の大道具がつくった「セット」にちがいないと見ます。

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これまた本文とは関係ないのだが、九品仏のロケはじつにいいシークェンスになっている。山門は移動で捉えているが、この寄りがすばらしいテンポで、えもいわれぬ快感がある。移動車を押すのは撮影助手の仕事だろう。この撮影で移動車を押した助手は、いい撮影監督になれただろうか。

◆ 不思議なロケとセット ◆◆
映画にはつくる側のさまざまな都合というのがあるようです。ときおり、なんでここでスタジオに移動するの、そのままロケで撮ればいいじゃないの、と思うことがあります。

ジェイムズ・ボンドのどれか、ドクター・ノオだったか、ショーン・コネリーとアースラ・アンドレスの場面で、キャメラを切り返すたびにロケとスタジオのショットが交互に入れ替わり、ひどくイライラしました。どちらかの衣裳(といっても水着だけだったが!)に正面から見ると綻びがあったとか、なにか不都合なものが写っていて、あとからスタジオで追加撮影したのだろうと想像します。

『乳母車』も、そういうものがあります。すでに見た鎌倉駅プラットフォームのセットも不思議といえば不思議ですが、列車と人の両方をいっしょに撮影する場合は、煩瑣なことがたくさんあるようなので、そうした事情だったのだろうと推測します。

そういうシーンはまだあります。状況を説明します。学生の石原裕次郎はいろいろアルバイトをやっていて、そのひとつはデパートのアドバルーンの上げ下ろしのようです。そのアルバイト先のデパート(日本橋高島屋でロケ)に、芦川いづみを呼び出して、談判をするという場面があります。

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というように、ロケに行ってそれなりのショットを撮っているのに、途中からセットにつないでいます。木村威夫は鎌倉駅のセットについて、「こまかい芝居が必要なところでは」といっているので、ここもそういうことなのかもしれません。でも、とりあえず、素人には事情を推測しかねるつなぎ方です。木村美術監督も例によって「ピックアップは退屈だ」とボヤいたことでしょう。

◆ 「自分だけの寸法」 ◆◆
木村威夫美術監督の話を読んでいると、へえー、はあー、そうなんだー、の連発です。とりわけ、わたしのような門外漢が感銘を受けるのは、人それぞれに寸法がある、という見識です。

以前、ちょっとふれましたが、木村威夫は、小津安二郎映画に登場する日本間について、通常の日本間の寸法ではない、小津さんと浜田(辰雄、美術監督)さんが、試行錯誤を重ねてたどり着いた寸法だ、あのセットはただごとではない、と喝破しています。

こういうことをいう人は、自分もただごとではない寸法でセットをつくっていたのです。ご覧あれ。

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この家には暖炉がふたつある。ひとつは以前にも写真をお見せした宇野重吉の書斎のもの(上)、もうひとつは、玄関脇のサロンのようになった場所にあるもの(下)である。奥行きは多少異なるかもしれないが、縦横は同じサイズだろうと感じる。こういうことをしていると、映画のなかから暖炉だけ拾い出してみたくなってくる!

この暖炉は、わたしには大きすぎるように見えます。しかし、美術監督は、これより小さくすると貧相になる、まるで立川あたりの米軍ハウスの暖炉だ、富裕な人種の邸宅らしさを出すのは、この寸法なのだ、といっています。見直してませんが、このあとの、田坂具隆監督、木村威夫美術監督、石坂洋次郎原作、石原裕次郎主演の映画、『陽のあたる坂道』でも、やはり、このサイズの暖炉が出てきたようです。

バーカウンターの高さも自分の寸法がある、とか、木村威夫の不思議な世界の話は尽きませんが、『乳母車』はこれにてエンド・マークとします。しかし、木村威夫美術監督には、すぐに再登場していただくつもりです。

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石原裕次郎が住む下宿の場所は、たんに「下町」というだけで、とくに想定されていなかったと木村威夫はいっている。この川縁は下宿のすぐ近くと想定されているようだが、どうも佃島のように思われる。

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田坂具隆の「クセ」なのかもしれないが、人物に寄って会話を捉える段になると、突然、スタジオへと切り替わってしまう。小津安二郎はスクリーン・プロセスを徹底的に嫌ったが、わたしも、こういうつなぎ方は居心地悪く感じる。キャメラが引くと、またロケに切り替わるのだから、なおさらだ。

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by songsf4s | 2009-11-05 23:41 | 映画