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ラリー・“プリンス・ヴァリアント”・ネクテル死す

ドゥエイン・エディーのレベル・ラウザーズのツアー・メンバーとしてスタートし、60年代にはハリウッドのスタジオ・エースとして、フェンダー・ベースやキーボードで活躍し、70年代以降はブレッドに加わったラリー・ネクテルが没したそうです。

はじめて、ハリウッドのスタジオには「ハウス・バンド」のようなものが存在し、八面六臂の大活躍をしているのだということを明かした、(たしか1969年の)地元紙の記事は、ハル・ブレイン、ジョー・オズボーン、ラリー・ネクテルというトリオを写真付きで紹介していました。

だから、「狭義のレッキング・クルー」はこのトリオによるリズム・セクションを指した、と言っていいように思います。もっとも、ハルの定義ではもっとはるかに大所帯で、ホーン・セクションまでふくめたフルスケールのビッグ・バンドなのですがね。

ラリーが没したために、いってみれば、これでオリジナル・レッキング・クルーのリユニオンは物理的にありえなくなったことになります。60年代音楽は現実ではなく、幻想の領域に入りこんだような気すらします。

考えても、書くべき言葉は思いつかないので、このへんにしておきます。

ラリー・ネクテルについては、当家では何度も触れているので、気になる方は右の検索ボックスに「ネクテル」なんていうキーワードを入れてみてください。おそらく、もっともくわしく書いたのは、ニルソンのNobody Cares about the Railroads Anymoreの記事でしょう。

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“プリンス・ヴァリアント”ことラリー・ネクテル。背後のドラマーはハル・ブレイン、楽器はオクトプラス・セット。なぜプリンス・ヴァリアントと呼ばれたかは下の絵をご覧あれ。

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プリンス・ヴァリアントというのは大昔のコミックの主人公。直訳すれば「勇猛王子」あたりだが、小津の突貫小僧に倣って「突貫王子」なんてのもいいかもしれない。いや、よけいな話はともかく、おかっぱの髪がラリーにそっくりで、あだ名の由来は一目瞭然。

◆ 関係ない四方山話 ◆◆
ところで、この記事を書いていた2009年8月26日23時30分ごろ、わたし宛にメールを送った方がいらしたら、恐れ入りますが、再送してください。ちょっとしたミスで、読む前に削除してしまいました。平伏陳謝。

当家のお客さんであるOさんに教えていただいた海外ブログを隔日ぐらいでチェックしているのですが、これがすごく面白いというか、ときおりビックリしています。URLを書けなくて申し訳ないのですが、ほんとうにすごいのですよ。

最近、「へえ」といってしまったのは、どこの国の人か知りませんが、日本人ではなさそうな人が、加山雄三が聴きたいなどといっていらしたことです。そうか、伊福部昭がスコアを書いた映画の同時上映は若大将ものだったな、なんて妙な納得のしかたをしてしまいましたよ。

わたしは『若大将トラックス』という映画から切り出したトラックを集めた盤はもっているものの、ふつうのものはもっていなくて、脇からベスト盤を聴かせて貰ったのですが、ちょっとした感懐がありました。

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子どものころ、いいなあ、と思ったのは、インストではもちろん「ブラック・サンド・ビーチ」、歌ものは「夕日赤く」と「旅人」でした(ビリー・ストレンジがリードをとったのではないかと思われるヴェンチャーズの「夕日赤く」はすばらしい)。

ベスト盤を聴いて「へえ」と思ったのは、タイトルは忘れても、音が流れれば、ほとんどの曲を知っていたことです。ついでにいえば、加山雄三かあ、と思って口をついて出たのは「夜空を仰いで」の「君のいない砂浜はさみしいぜ」のラインでした。嗚呼意外哉!

弾厚作=加山は、コードの使い方のうまい、もっと具体的いえば、アメリカのポップ・ソング的なコード進行を好んだ作曲家であり、それがわれわれ子どもにとってはおおいなる魅力だったのだということを確認しました。小林信彦が加山雄三をボロクソにこき下ろしたのはいいとして、弾厚作の才能は甘く見るべきではなかったと思います。

しかし、記憶のない曲もあります。その代表は「二人だけの海」。これは「わっはっは」でした。Be My Babyなのです。だれでもみんな、一度はフィル・スペクターをやってみたくなるのでしょう。気持はよくわかります。

それから、たいていの曲で、ドラム、ベースがうまいので、安心して聴けます。ブルージーンズの人がプレイした曲があるのでしょうか。ワイルドワンズが映画では共演していましたが、録音ではそれはないんじゃないでしょうかねえ。あのドラマー、安定していましたっけ?

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だんだん、前後のつながりのない箇条書きに落ち込みつつありますが、わたしが『若大将トラックス』を買った目的は明快でした。どの映画だったか、テープに録音したものに合わせて、加山がひとりでハモるというシーン、つまり、ダブル・トラック・レコーディングを映画のなかでやってみせるのを後年見て、ドッヒャーとのけぞったのです。若大将シリーズのごく初期の一本です(どなたか、タイトルがおわかりになるなら、ぜひご教示ください)。ところが、これは盤にはなっていなかったのです。

『若大将トラックス』は映画からのものなので、この前代未聞のダブルトラック実演場面の音楽が入っているだろうと思ったのです、ところが、これが大はずれ、入っていなかったのです。

いまは年をとったから冷静に書いていますが、なんという不見識、若大将シリーズからなにか音楽を切り出すとしたら、あの曲がいの一番ではないか、どこに耳をつけているのだ、ドアホと怒りまくりました。なにしろ安くない盤でしたからねえ。3000円ですよ。金返せ>ファンハウス。いえ、このあいだ、仇をとってやったから(まあ、江戸の仇を長崎でとるのたぐいだが)、もういいのですがね。

最後の箇条書き項目。かつて「夕日赤く」がなにかのいただきではないかと非難されましたが(Red Sails in the Sunsetか?)、いまになると、この曲の魅力が奈辺にあるかは明らかで、くだらねえこというな>芸能誌と、出し遅れ怒りをしています。このトラックのポイントは、リヴァーブの深さ、加山のヴォーカルのダブル・トラック、リードギターのサウンド(モズライトか)という組み合わせにあるわけですよ。

サウンドを無視して、楽曲だけでどうこうというのは、もの知らずというものです。楽曲だけでいいなら、わたしが自分で弾くギターだけをバックに歌ったものでもいいことになってしまいます。スタジオの音楽というのはそういうものではないのです。総合力の勝負なのです。

いつもの話の繰り返しになったところで、本日はおしまいです。小津の続きはどうなったかって? しばしお待ちあれ。週末にはなんとかしようと思っています。
by songsf4s | 2009-08-27 00:38 | 追悼