- タイトル
- 武夫と浪子
- アーティスト
- 笠智衆およびキャスト(OST)
- ライター
- Traditonal
- 収録アルバム
- 『小津安二郎の世界』(映画『長屋紳士録』挿入曲 from an Ozu Yasujirou film "Record of a Tenement Gentleman" a.k.a. "Nagaya Shinshiroku")
- リリース年
- 1947年
またまた新ブログの話ですが、こちらの記事をあちらに写す作業をしてみました。しかし、どうも、これは手間がかかり、トラブルも多く、あまり現実的ではないようです。
で、考えたのですが、今後、新しい記事は新ブログのほうにアップするのが合理的のようです。それすれば、FC2のエクスポート機能と、エクサイトのインポート機能を使って、手間をかけずに、いまご覧になっているこのエクサイト・ブログを過去記事倉庫化できるような気がするのです。当初は、あちらを倉庫にするつもりだったのですが、そのプランはうまくいかず、あちらを母屋にし、こちらは月遅れ記事のアーカイヴにするというほうへと考えが変わってきました。
すぐにもそういう方向へと舵をきる可能性があるので、定期的にいらっしゃる方にはあらかじめお知らせしておこうと考えたしだいです。当家の記事をお読みになることを習慣になさっている方は、週明けあたりから、まず、新ブログのほうをご覧ください。しばらくは、当家にも新家更新のお知らせを書くようにしますが、ずぼらなので、そんなことを継続する自信はありません。
もっとも、ただの倉庫を維持管理するのも退屈なので、こちらには、つれづれなるよしなしごとを書いてみようかと思っています。新家では、こちらでときおり書いている、しょーもない枕は据わりが悪いのです。だから、こちらでは、ウェブログの本道に立ち戻って、日々のことを書こうかと思います。
◆ 消えない烙印 ◆◆
さて、本題。前回の最後に、つぎはタイプの異なる映画を予定している、と書いたときは、ハリウッド映画を思い描いていたのですが、ふと、気が変わり、今回も邦画を見ることにします。
小津安二郎については、すでに百万言×多数言語が費やされ、いまさらわたしがいうべきことはなにもないようです。多くのすぐれた書籍、少数の箸にも棒にもかからない本があり、小津についてなにか知りたいのなら、そういうものにじかにあたるのがよろしかろうと愚考します。
『長屋紳士録』は小津安二郎の戦後第一作です。いろいろなものを読みましたが、概してこの映画はあまり褒められない傾向にあります。小津は敗戦直後の悲惨な状況から目を背け、戦前、彼の代名詞ともなっていた「長屋もの」「喜八もの」へと退行した、といったあたりが評者の意見の最大公約数ではないかと思います。
わたしがいうべきことはなにもないといいながら、ゴチャゴチャいってしまいますが、そういう同時代の批判というのは、もう忘れていいと思います。批評の書き手自身までふくめ、多くの日本人が飢餓の恐怖におびえ、じっさいに餓死者が出ていた状況では、腹の立つことばかりで、のんびりしたノリの映画を楽しむ余裕はなかったのでしょう。
それはよく理解できますし、その後の評価が、先行する同時代の評価に目を曇らされたのも、ある程度はしかたのないことと思います。印刷媒体にレヴューや批評を書くのは、ウェブで好き勝手なオダをあげるのとは次元の異なることで、多数派を批判するのは、ちょっとしたエネルギーと覚悟を要する「事業」なのです。いや、だった、と過去形でいうべきでしょうが。
あの当時の若い世代が、黒澤明の新しい感覚に熱狂し、小津を骨董品と批判した気持もよくわかりますし、自分がその場にいても、同じように感じただろうと思います。わたしがいいたいのは、それはすんだ話ではないか、いまはもう終戦直後ではない、古い時代のパラダイムは無用である、長い歴史のパースペクティヴのなかにおいて映画を見るか、さもなくば、まったくの新作(どんな作品も、ある個人にとっては、はじめて見るものはみな「新作」である)だとみなして接するべきだ、ということです。
◆ 小津安二郎=ジム・ゴードン説 ◆◆
『長屋紳士録』は、小津の作品系列という文脈からいえば、たしかに戦後的なものではありませんが(つまり、『晩春』『麦秋』『東京物語』などとの近縁性は薄く、『彼岸花』『秋日和』『秋刀魚の味』にいたってはさらに遠い)、そういう文脈から離れさえすれば、ていねいにつくられた、楽しい映画です。
わたしは天下の本末転倒男なので、細部に目がいき、全体を忘れることがしばしばあって、「木を見て森を見ず」のどこがいけないのだ、森を見て木を見ないよりはよほどマシではないか、と思ったりします。漠然と森を見たって、なにひとつわかるはずがありません。微細に木を観察することのほうがはるかに重要です。
小津映画を微細に観察して思うことは、なによりもまず、小津はグルーヴの人だ、ドラマーになっていたら、映画同様に、大きな名を残しただろうということです。ジム・ゴードン・タイプの、きわめて精密なビートを叩くドラマーになったにちがいありません。小津のカット割り、コマ数のセンス・オヴ・タイムを観察していると、どうしても「映画のグルーヴ」という観念が浮かび上がってきます。
いや、そういう小うるさい話に入る前に、現物をご覧いただきましょう。エンベッドはできないので、YouTubeにいっていただきたいのですが、これは、いままで当家でご紹介してきたもののなかでも、最上級にランクされる音楽クリップのひとつ、まちがいなく三本指に入ります。騙されたと思って、笠智衆の「元祖本朝ラップ・ミュージック」をお楽しみあれ。
宴会~武夫と浪子
いやもう、はじめてこれを見たときはひっくり返りました。音楽好きな友だちにもよく見せていましたが、つねに大ウケでした。もちろん、音だけ聴いても面白いのですが、笠智衆と飯田蝶子のフリがまた楽しいので、絵もいっしょのほうが数等いいだろうと思います。
さりながら、ただの音として聴いてみることも、検証には必要。すでに廃盤となってしまったらしい『小津安二郎の世界』という、LPの時代にリリースされ、CD化もされたアルバムから、〈武夫と浪子〉の部分だけ切り出したものを、サンプルとしてアップしておきました。
サンプル 笠智衆およびキャスト〈武夫と浪子〉
それにしても、この歌の「文句」(こういうものの場合、「歌詞」という言葉を使うのはためらう)の面白さ、笠智衆の言葉の切り方の妙は外国人にはわからないでしょうねえ。このシーンのファンの数自体は、日本より海外でのほうが多いでしょうけれど。
いま手に入る『小津安二郎ミュージック・アンソロジー』という2枚組CDは、小津映画音楽集としてはいいと思うのですが、なにも、よりによって笠智衆の絶品〈武夫と浪子〉をオミットすることはないじゃないか、と目が三角になります。
たしかに、スコアではないし、挿入曲と呼ぶことすらためらうかもしれません。でも、小津の全作品のなかで、これほど魅力的な音楽を楽しめるシークェンスはほかにありません。そういうものを入れないというのは、どんなものでしょう。新版を出すときは再考してもらいたいものです。
◆ 色気抜きのピープ・ショウ ◆◆
このシーンで川村黎吉が「のぞき」と呼んでいるものは、ブッキッシュには「覗き機関」(のぞきからくり)といいます。と講釈しているわたし自身、じつはこの実物を見たことはありません。映画のなかでも、飯田蝶子が「近ごろは見かけなくなったね」といっているわけで、その「近ごろ」(昭和22年)よりもあとに生まれたわたしが見ていなくても、不思議でもなんでもないのです。よって、以下はすべて「見てきたような」ウソかもしれません。
まずは百科事典の「覗き機関」の項の記述をどうぞ。
「大道演芸の一種。幅三尺余(ほぼ1メートル)の屋台の前面に五つ六つの、レンズがはめられたのぞき穴をあける。この穴からのぞくと箱の中の絵が拡大されて見え、その絵を一枚ごとに紐で上へ引き上げて一編の物語を見せるという仕掛けである。屋台の左右に男女が立ち、鞭を持って屋台をたたきながら「からくり節」という七五調の古風な口調の物語を語りつつ筋を展開した」
べつの百科事典は、サイズを三尺ではなく「一間」としていました。ヴァリエーションがあるのでしょう。ともあれ、これで、笠智衆が劇中で歌ったのは、ここで「からくり節」といっているものだとわかりました。
この大道芸はその後どうなったのだろうかと検索したところ、つぎのような長崎県のページが見つかりました。なんとか古い芸を残そうとしている人たちも、少数ながらいらっしゃるようで、めでたしめでたし。いや、「愛でたし」だから、チャンスがあったら賞美なされよ。
長崎県深江町のぞきからくり
この写真では、三尺ではなく、一間に見えるし、覗き孔のパネルをはずして、大人数で見られる状態にしているようです。飯田蝶子は「トラホー目」になったそうだから、目をつけるのは衛生的ではないかもしれませんが、トラホームという病気も、子どものころはよくあったのに、近ごろ、とんと聞きません。
まだぜんぜん終わりが見えないので、本日はこれまで、小津のグルーヴについては次回まわしということにします。
武夫と浪子 by 笠智衆およびキャスト(OST 『長屋紳士録』より)