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東京流れ者 by 渡哲也 (OST 『東京流れ者』より その1)
2010年4月追記

枕として置いてあった石原裕次郎の「狂った果実」のクリップと、この曲をめぐる話題を削除しました。記述に間違いがあったためです。どうかあしからず。

◆ まごうかたなき主題歌 ◆◆
さて、今日の本題は裕次郎ではなく、渡哲也です。いや、1972年3月にはじめて『東京流れ者』を見たときは、「渡哲也の映画」としてではありませんでした。鈴木清順シネマテークのなかの一本として見たのです。

そのときは十八歳ですから、演歌などまったく無縁でした。いや、いまでもそういうものを買うことはないのですが、若いころというのはテイストがとがっていて、好きなもの以外は峻拒するのがつね、この曲に対してもあまり寛容ではありませんでした。



とはいえ、映画の文脈のなかでは、ふつうに音楽を聴くときよりはバーをはるかに下にさげていたので、好きではないものの、とくに腹を立てることはありませんでした。プログラム・ピクチャーは、うるさいことをいっていると、とうてい見ていられなくなるので、「これはこういうもの」と(歌舞伎のほうでいう)「世界」を受け容れてしまわないといけないのです。

その「世界」のかぎりにおいては、渡哲也歌う「東京流れ者」は悪い曲ではなく、1972年の時点でも「昔の日本」(というのはあの時点では六年前のことだが、わたしの年齢では、六年前は遠く過ぎ去った幼年時代に属していた)ではこういうのがふつうだったからな、と思って聴いていました。

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YouTubeには、これならオーケイというクリップは見あたらなかったので、映画から切り出したサンプルもアップしておきました。映画からなので、フル・ヴァースではありません。

サンプル

さて、あれから、エーと、三十七年たって、いまどう思うか? 結局、わたしが見た鈴木清順の30本あまりの映画に使われた曲のなかで、これが唯一、主題歌としての体裁と格、そしてヒット・ポテンシャルをもった曲であり、こういうのも撮っておいてくれて、ほんとうによかった、と思います。

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◆ 歌謡曲のパトス ◆◆
日本映画の主題歌、とりわけ日活のものは、『赤いハンカチ』に代表されるように、きわめてパセティックなもので、映画というベッドへと観客を誘い込む媚態です。鈴木清順は媚態を見せないタイプの映画監督であり、『東京流れ者』も例外ではないのですが、主題歌はべつです。

歌謡曲というのは、映画主題歌にすると、どうしてこれほど蠱惑的になるのか、そのあたりはいまだによくわかりません。ひと言に「魅力的な主題歌」といっても、たとえば、『夜の大捜査線』『真夜中のカウボーイ』『グッバイ・ガール』のテーマから受ける印象、あるいは映画のなかにおけるその曲の役割と、この『東京流れ者』のテーマから受ける印象、映画のなかでの役割は、まったく異質なものと感じます。



これはなんなのか? いや、わたしにはこれといった意見はありません。歌謡曲というのは、アメリカン・ポップ・チューンなどにくらべて、はるかに強く情緒に訴えかける性質を持っているのだろう、といった、馬鹿馬鹿しいほど当たり前のことしか思いつかないのです。

音楽だけでそういう気分が生まれるのかどうか、これまたよくわかりません。映画の冒頭やエンディングで、ヒーローがひとり、ひと気のない町、埠頭、荒れ地などを歩くシーンが、日本のアクション映画にはよく出てくるような気がするのですが、そういうパトスそれ自体、あるいはパトスの余波である放心をあらわすシークェンスに、歌謡曲はよくマッチするようです。

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◆ 清順唯一の“オーセンティック日活アクション” ◆◆
鈴木清順ファンならどなたものご存知のことですが、日活時代、彼がつくっていたのは、みずから称するところの「ついで映画」でした。

オールドタイマーはご記憶でしょうが、昔、「五社」はどこも二本立てだった時期がありました。二本とも大きな予算を組むわけではなく、片方は「添え物」だから、低予算、ノースターで、場合によっては上映時間も短め(60~80分程度)だったりしました。鈴木清順はそういう「添え物」ばかりを会社から割り当てられる監督であり、それを彼は「ついで映画」と呼んだのです。客の目当ては「表」の裕次郎映画であったり、小百合映画であったりするわけで、清順が撮っていた「添え物」「同時上映作品」は、「ついでに」見るものだったのです。

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鈴木清順の映画には欠かせない「見た目」ショットというのがある。登場人物の視線の先にあるものを写したショットだ。『東京流れ者』では、渡哲也が赤坂の事務所から外を見る(上)たびに、葉を落とした立木とその向こうの東京タワー(下)が見える。ということで、「見る目」のショットと「見た目」のショットを組み合わせてみた。木村威夫によると、最初の版のエンディングは、この木にくくられて渡が死んでいるというものだったらしいが、またしても上層部ともめ、撮り直したものが、現在われわれが目にしている版なのだとか。

「ついで」ではない、お目当てのほうの映画がどうなっていたかは、じつによく記憶していますが、その記憶のなかでは、石原裕次郎や小林旭が歌う主題歌が大きな位置を占めています。アキラはシリーズものが多かったし、そもそもわたしはリアルタイムではそれほどたくさん見ていないので、記憶のなかの日活「Aムーヴィー」のほとんどは裕次郎のものです。「嵐を呼ぶ男」「風速40米」「錆びたナイフ」「俺は待ってるぜ」(これは後年テレビで見た)「銀座の恋の物語」「赤いハンカチ」「二人の世界」「夜霧のブルース」というぐあいに、タイトルを並べるだけでもため息が出るほどゴージャスです。

つまり、こういうのが日活映画の檜舞台なのです。でも、鈴木清順は「ついで映画」の監督なので、たとえ主題歌があっても、なんだかパッとしないものばかりだし、スコアのみで、主題歌のない映画もたくさん撮っています。後年のエッセイで、映画監督をしているあいだは、三船敏郎はおろか、自社のスターだった石原裕次郎の映画だって撮ったことはなかったのに、CMの仕事をするようになったら、こういう大スターとしばしば仕事をしているのだから、じつにおかしな話だ、と書いています。ホントだよねえ、一生に一度ぐらいは、スターに全面的にもたれかかった、テキトーでイイカゲンな映画を撮ってみたかっただろうに、とファンとしてもしみじみ思います。

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で、結局、このあたりに、わたしは『東京流れ者』のきわめて強いレゾン・デートルを見いだしてしまうのです。なんていうと、おおかたの清順ファンから怒られちゃうでしょうけれど、この映画で鈴木清順が木村威夫美術監督の強力なアジテートのもとにおこなった、映画史上稀な視覚的、色彩的冒険については、すでにさまざまな言語(といったって、わたしは英語と日本語しか読まないが)で書き尽くされているので、いまさら、わたしが、「あの赤いホリゾントが、さっと白くなって」とか「あのドーナツが真っ赤になるとき」だなんていってみたってしようがないのです。

だから、鈴木清順にも、いかにも日活映画らしい、キャッチーな主題歌つきの映画が一本だけある、それが『東京流れ者』である、仮にこの映画がノーマルかつコンサーヴァティヴな色彩プランで撮影されたものだとしても、「清順には縁のなかった主題歌つきオーセンティック日活アクション」であるという一点で、『東京流れ者』は彼の代表作に繰り入れられる資格を有している、と暴論を書いておくことにします。

◆ イエロー・マジック・シネマ ◆◆
とはいいながらも、あのクラブのデザイン、色彩、そして、そこを舞台にしたクライマクスの、四谷怪談戸板返し的シークェンスをはじめて見たとき、十八歳のわたしは仰天しました。「こういうのって、ありなの?」です。

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主要な舞台のひとつ、クラブ〈アルル〉のファサード。この黄色に木村威夫の大胆不敵さがあらわれているような気がする。おそらく、調布撮影所のパーマネントなオープン・セット、世にいう「日活銀座」の一廓につくられたのだろう。

いや、清順がたくさんつくった「戸板返し」のなかで、もっともオーセンティックなのは、いまや世界の映画ファンの知るところとなった『関東無宿』の小林旭の大見得、襖がバンと倒れたら、世界は赤かった、というあのシークェンスでしょうが、あれは、ほら、歌舞伎に直結しているわけですよ。だから戸板返しなんですが、でもって、「なある、そういう美学ね」なんてんで、日本人は大きな抵抗なく、すんなり了解できてしまうのです。

でも、『東京流れ者』は現代劇、舞台は隠亡堀じゃなくて、赤坂のナイトクラブ(隠亡堀とどこがちがうんだ、というそこのあなた、しばらくお静かに)、木村威夫の尖鋭的なデザインのインテリアですからねえ、大人はいざ知らず、子どもは、ドヒャーとのけぞりました。

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わたしより年上の人たち、主として大学生は、池袋文芸座のグラウンド・ルールにしたがって、バンと色が変わるたびに、「音羽屋!」みたいな気分で、大拍手で「ヨシッ!」などと声をかけていましたが、わたしはただただ口をあんぐり。拍手するような人たちは、もう何回も見て、どこで色が変わるか知っているんですよ。こっちははじめてですからね。カルチャー・ショックとはあのことです(いまそこで芝居が演じられているかのように、映画のポイント、ポイントでいちいち反応し、拍手し、スクリーンに声をかける人たちばかりだったのにも呆然とした。あのときは違和感があったが、いまになると懐かしい。あのシネマテークは大入満員で客があふれ、場内はムンムン、映画はホットなメディアなのかと思った)。

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そりゃもちろん、子どもだから、『殺しの烙印』には大笑い、大喝采でしたし、『けんかえれじい』では、北一輝のシーンで、ふーん、これが噂に聞いた「ただ北一輝が坐っている」シーンか、てなもんでしたし、あまり評判のよろしくない『俺たちの血が許さない』では、あの荒野の一軒家みたいなレストランのシーン、あの視覚的表現のセンスに圧倒されもしました。あれ一作で、趣旨替えして、松原智恵子のファンになったほどです。なんであの映画は受けがよくないんでしょうねえ。不思議です。子どもだったからなのか、わたしは、巻頭からエンディングまで夢中で見てしまいました。

『花と怒濤』にも魅了されました。川地民夫がはじめて登場するシークェンスなんて、これが映画だ、ですよ。あの十二階下の銘酒屋の場面も、角店の構造を利用したサスペンスにハラハラ、ワクワク、ゾクゾクしました。新潟だったか、ささやかなロケのショットも楽しく、舞台劇的な味わいもあるクライマクスの雪のかくれんぼがまた、文字では表現不能、映画だけがもっている魅惑のエッセンスでした。そんな名作、秀作ばかりでなく、和田浩二と清水まゆみの『峠を渡る若い風』のような、昔の邦画に特有の軽い明朗青春映画も、舌なめずりするように見ました。

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でも、この監督はほかの人とはまったく違う特別な人だ、と心に刻みつけたのは、主として、『東京流れ者』のクライマクスの色彩感覚のせいです。『殺しの烙印』は当時も「堀久作が激怒して清順を首にした映画」として有名で、「映画にルールなんかあるものか」という大胆さをおおいに楽しみましたが、感傷に訴える要素がゼロだったせいもあって、最初に見た20本のなかでは、わたしには『東京流れ者』『野獣の青春』『花と怒濤』『俺たちの血が許さない』などのほうが代表作に思えました。

『狂った果実』のときのように、あちこちにいったわけではないのですが、一カ所だけ、ロケ地の現況を撮影してきたので、『東京流れ者』をもう一回延長して、次回はミニ・ロケ地散歩をやります。

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by songsf4s | 2009-06-24 23:52 | 映画・TV音楽