3月13日注記: サンディー・ネルソン・ファンの方々に配慮して、末尾に「追記」をおきました。よろしければご一読ください。
☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆……☆
お気づきの方もいらっしゃるでしょうが、The Best of Earl Palmer その13という記事について、コメントを寄せられた方がいらっしゃいます。しかし、個人情報が書かれているために、承認して表示するのがためらわれ、保留したままにしています。個人情報を削除したうえで、もう一度投稿をお願いしたのですが、まあ、面倒と思われるお気持ちもわかります。
しかし、逃げたわけではないので、改めてその方が提示された疑問を記事にして、当方の考えを述べさせていただきます。まず、その方のコメントのポイントだけを抜き出します。
「さて、上述の"Let There Be Drums"ですが、曲の33秒目に、注意して聴きますと、クラッシュ・シンバルとともに、私の思うに、"Yeah."と、Sandy Nelsonらしき声が聴こえますが、如何思われますでしょうか」
これを敷衍すると、サンディー・ネルソンの声がするのだから、これはアール・パーマーのプレイであると断じたわたしの意見は根拠を失うのではないか、という意味なのだろうと思います。
まず、声がするかどうかなのですが、いま、ヘッドセットを使えない状態なので、すこし音を大きくして聴きました。しかし、わたしがもっている盤のミックスでは、Let There Be Drumsの33秒前後には聞こえませんでした(タイム表示は多少ずれるが、この付近のクラッシュ・シンバルは一打だけ)。
MP3ではどうかわかりませんが、皆様もいちおうサンプルをどうぞ。それから、つぎの日曜までの限定ということで、かつてアップしたベスト・オヴ・アール・パーマーのリンクを再公開します。コメント欄をご覧あれ。こちらにもLet There Be Drumsは収録してあります。
サンプル
◆ タイムとプレイの質の問題 ◆◆
声がするかどうかよくわからないから、それでおしまい、という意味ではありません。仮に声が聞こえたとして話を進めます。ヴァージョンによっては声が聞こえることがあるかもしれないからです。
でも、わたしはサンディー・ネルソンの声を知らないのです。はっきり聞こえたとしても、それがネルソンのものだと断定する知識はわたしにはありません。そもそも、それをいうなら、アール・パーマーの声もわかりません。つい先日、アールがプレイしたことがわかっているビーチボーイズのPlease Let Me Wonderのセッション・テープを詳細に検討したのですが、カウントしているのは、アールではなく、べつの不明の人物で、いちどだけ、小さく笑った低い声がそうかもしれないと思っただけでした。
ネルソンがどういう声をしているのか、わたしはまったく知りませんが、ここにネルソンの声がはっきり記録されていて、しかも、わたしがネルソンの声を判断できたと仮定しましょう。その場合でも、わたしの考えはやはり変わりません。
ネルソンはこの曲の録音に立ち会ったとわたしは考えています。彼の盤のプロデューサーはネルソン自身とクレジットされているからです。アーティスト印税とプロデューサー印税の両方を稼げるチャンスをのがすようでは、世知辛いハリウッド音楽界では小銭も稼げません。
ハリウッドのプロはきわめて優秀で、プロデューサーがランチに行っているあいだに盤をつくってくれるから、その場にいる必要もないのですが、「じゃあ、あとはよろしく」などといってスタジオから出て行くのは、会社から給料をもらっているインハウス・プロデューサーだけで、生活がかかっている独立プロデューサーはまじめに仕事をしたようです。だからネルソンも、クレジットに値する仕事はしたのだろうと想像します。つまり、ブースにいて、指示を出したのだろう、ということです。したがって、なにかの加減でネルソンの声が入る可能性はあります。
しかし、こういうのはみな可能性をいっただけのことで、正直にいって、サンディー・ネルソンなどという、プレイが盤としてわずかにしか残っていない(彼自身の名義の盤はアールのプレイ)ひとの声を判定できる方がいらしたことに、心底ビックリ仰天しています。わたしなんか、よく知っているはずのハルの声ですら、ときどき断定できなくなるので、こんなかすかな、聞こえるかどうかもわからない程度のもので、話者を特定できるとは驚きです。ネルソンの声を判断する基準となる録音をなにかお持ちなのでしょうか。
ということで、「どう思うか」というご質問に対するわたしの応えは、「声がするかどうかもわからないのだから、声の持ち主の身元にいたっては思慮の外である。しかし、声が記録されていて、それが仮にネルソンのものであったとしても、このドラマーの正体はだれかというわたしの考えにはまったく影響しない。プレイから判断して、ネルソンではなく、やはりアール・パーマーである」です。
◆ ワン・トゥー、ワン・トゥー・スリー ◆◆
声がわかるということでは、なんといってもハル・ブレインにまさる人はいません。CD時代になってからは、むやみに彼の声が盤に収録されるようになりました。たとえば、ハニーズのベスト盤に収録されたHe's a Dollの冒頭では、ハルはスティックをたたき合わせながらイントロのギター・リックを歌っています。
サンプル1
すんげえプレイですなあ。つねにハルの代表作のひとつと考えています。不動のベスト20の一曲。
しかし、もっと声がわかりやすいのはセッション・テープです。まずはビーチボーイズ。さすがのクルーもミスを連発した、悪戦苦闘七転八倒八甲田山死の44テイク、かのCalifornia Girlsセッションから、テイク8-12。といっても、すべてイントロでブレイクダウンしているために、ハルのカウントインを何度も聴くだけなのです。
サンプル2
途中でブライアンが、「ジェリー、もう一回練習しろよ」といった相手はジェリー・コール。そこで爆笑したのはキャロル・ケイ。ブライアンが頼りないジェリーをからかったのです。思いきり受けてしまったCKさんが、ジェリーをどのように見ていたかは、彼女のエッセイに、ハワード・ロバーツの忘れがたい皮肉(「ジェリー、いいストラップじゃないか」)として記録されています。CKさん同様、HRもジェリー・コールが嫌いだったのです。性格が悪かったうえに「もう一回練習」ですから。
もちろん、拍子や何拍目で入るかといった状況に左右されますが、ハル・ブレインはたいてい、2小節のカウントインをします。最初の小節は、スティックは4分で4回、声は2分音符で「ワン……トゥー」といいます。2小節目は、スティックはそのまま4分、ただし、3拍目まででおしまい、声は4分にして、「ワン・トゥー・スリー」と、これも3拍目までで切ります。
理由は明白です。たいていの場合、リヴァーブやディレイがかかっているので、4拍目までカウントすると、その残響が小節の頭に残ってしまうのです。じっさいに、ヘッドフォンで聴いていて、そういうミスをした曲を見つけたことがあります。ロック・バンドはそういうマヌケなことをやっても許されますが、スタジオのプロがそんなことをやったら、プロデューサーかエンジニアに怒鳴りつけられます。
◆ セッション解析 ◆◆
さて、最後は長尺物、バーズのMr. Tambourine Manのテイク1から14までのハイライト。
サンプル3
登場人物を書いておきます。トークバックで指示するプロデューサーはおそらくテリー・メルチャーです(ライナーはジム・ディクソンとしているが、たぶん勘違い。これはディクソンが指揮したワールド・パシフィックのリハーサルではなく、CBSでの本番のセッション)。プレイヤーは以下の通り。
ドラム=ハル・ブレイン
ベース=ラリー・ネクテル
フェンダー・ピアノ=リオン・ラッセル
6弦ギター=ビル・ピットマンおよびジェリー・コール
12弦ギター=ジム・マギン(ザ・バーズ)
ジム・マギンはのちにロジャー・マギンになりますが、このときはまだジムで、メルチャーももちろんジムと呼びかけています。
リズム・ギターの二人は同じリズムで、高音弦および低音弦のカッティングをしています。低音弦のほうはファイナル・ミックスでは聞こえなくなりますが、トラッキング・セッションでは聞こえています。ジョン・ローガンのバーズ伝がダメだというのはこういうところです。ちゃんと聴けば、二人のリズム・ギターがいることがわかるのに、「ビル・ピットマンもいたと記録されている」などと寝言を書いています。
また、高音弦でのカッティングはコールとするのが定説のようですが、わたしは不賛成です。このただごとでない正確さは、ミスばかりやっていて、そのくせ、なにかというと、「ソロ、ソロ」と騒ぐので、周囲の大人たちから馬鹿にされていた「ストラップだけはキマっているJC」のプレイには思えません。ビル・ピットマン説を主張します。コールはほとんど聞こえない低音弦のカッティングをやったのでしょう。
しゃべっているのはメルチャーとハルばかりで、ほかはほとんど無言。冒頭、「フェイドでリオンは弾くのか弾かないのか、どっちだ?」(You want Leon in or out on fade?)といっているのはハルです。リオンが自分でいえばいいじゃないか、と思うかもしれませんが、ハルがいったほうがいいのです。なぜなら、ハルの目の前にはマイクがありますが(エンジニアや状況に左右されるが、ハイハットとスネアの中間、またはスネアとタムタムの中間に向けて、一本当てるのが当時のスタンダードだった)、リオンのマイクはアンプの前にあるので、プロデューサーには聞こえないのです。ハルばかりしゃべっている理由はこれです。目の前にマイクがないプレイヤーがなにかいいたいことがあると、大声を出さないといけません。Pet Sounds Sessionsにはそういうシーンも記録されています。
どうでもいいようなことばかり書いているみたいですが、細部にいたるまで具体的にスタジオの様子を把握しておかないと、セッション・テープを聴いても、なにが起きているのかイメージできないのです。野球場の形も知らなければ、ルールも知らずに、ラジオで野球中継を聴いても、なんのことかわからないのと同じです。
さて、このトラッキング・セッションを聴いて思うのは、まずなんといっても、ハルのうまさです。テイクとテイクの合間に、マーチング・ドラムを何度か叩いていますが、こういうときに地が出るわけで、いいタイムだなあ、きれいなロールだなあ、と思います。ドラマーは美しいロールを叩けなければ半人前です。いるんですよ、そういうのがうようよ。
このマーチング・ドラムは、つねにMr. Tambourine Manのテンポでやっていることも、むむう、です。じつは、ワールド・パシフィックでのリハーサルと称するMr. Tambourine Manの初期テイクは、マーチング・ドラムでやっているのです。いや、これはハルではなく、クラークのプレイだろうと思います。ジョン・ローガンがインチキ伝記で、なんでマーチング・ドラムなんだ、なんて、およそくだらないことを書いていますが、わたしは、ハルがデモのときにやったアレンジをそのままクラークがコピーしたのだと考えています。ちゃんとテープを聴き、頭を適切に使えば、いろいろなことが解決できるんだぜ>ジョン・“御用作家”・ローガン。
なーるほど、と思ったのは、イントロのドラムの「ピックアップ」フレーズ、すなわち入口のシンコペートした16分2打プラス8分2打は、最初はフロアタムでやっていて、途中でメルチャーが「Hal, do that pickup on the snare, an' do it heavy」と指示した結果、最終的な形になったことがわかります。
また、わたしが編集でミスして削除してしまったようですが、ラリー・ネクテルに対しても、イントロを変えるように指示しています。最初はD-E-lowAだったのを、D-D-highAに変更し、しかもDからhighAへの移行はスライド・アップでやるように変えています。
この二つの決定的な変更で、イントロの最終的な形ができあがりました。こういうことが、プロデューサーの大きな仕事のひとつだと思います。リオン・ラッセルが、メルチャーは予算を気にせず(お坊ちゃんだから!)、完璧に仕上げるタイプのプロデューサーだといっていましたが、このトラッキング・セッションを聴くと、きちんとやるべきことをやっていることがわかります。
えーと、なんの話だったかというと、わたしに聞き取れる声は、ハル・ブレインとキャロル・ケイぐらいだということです。いや、ブライアンもたいていの場合はわかりますが、あとはさっぱりで、大好きなアール・パーマーやジム・ゴードンの声ですらわかりません。だから、サンディー・ネルソンの声は判断できません。どうかあしからず。でも、だれかの声がしているんじゃないか、なんて思いながら聴くのは、なかなか楽しいことだと思います。バーズのHickory Windの小さなノイズは、コード・チャートが譜面台から落ちたのだ、なんて思っています。いやはや、トリヴィアな世界でした。
◎追記
ものごとを遠まわしに、やわらかくいうのが苦手なので、ダメと感じたものは、「それほどよくない」などとはいえず、「ひどい」と書いてしまう傾向があります。その点をすこし反省して、補足します。
わたしがいわんとしたことは、ハリウッドでは、スターとプレイヤーは完全に分離していた、ということです。サンディー・ネルソンにもっとも近い例は、二つあります。ひとつはもちろんヴェンチャーズです。彼らも初期は名前だけで、プレイはすべてプロフェッショナルが代行しました。
もう一例はハーブ・アルパートです。こちらのほうがネルソンとの類似性が明白かもしれません。なぜなら、彼もプレイヤーとして自分の名前を出し、自分でプロデュースもしていますが、スタジオではプレイしなかったといわれているからです。AFMのコントラクト・シートは見たことがなく、キャロル・ケイにきいた話なのですが、アルパートの盤でトランペットをプレイしたのは、オリー・ミッチェルだそうです。
ジャズじゃないから、だれがプレイしたかなんてことは、会社にとってはどうでもいいのです。それがいい音楽で、売れそうなら、それで十分なのです(そういってはなんですが、オリー・ミッチェルより、ハーブ・アルパートのほうがハンサムだということも重要だったかもしれません)。
アルパートのトランペットがどの程度のものかは知りません。しかし、極論するなら、それは関係ないのです。ポール・マッカートニーが、自分の盤を自分でプロデュースするのは、ブースとフロアを行ったり来たりしなければならず、ものすごく疲れる、きわめて不合理なやり方だ、といっていました。主演俳優が監督も兼任すると大変なのと同じです。だから、アルパートはプロデュースするほうをとり、プレイは大エースのミッチェル以下、ハリウッドの信頼できる面々にまかせたのでしょう。
サンディー・ネルソンの盤には彼自身がプロデューサーとしてクレジットされています。わたしがネルソンだったら、ドラムを叩いてはブースに上がり、プレイバックを聴き、ダメだ、リテイクだ、などといってまたフロアにおり、またプレイし、またブースに上がり、なんて愚劣なことはしません。3時間35ドル払えば、アメリカ一のドラマーが来て、影武者をやってくれるのです。これが正しい仕事のやり方です。
だから、企画者、制作者としては、立派な仕事をしたわけで、とくに恥じることではないだろうと思います。ハーブ・アルパートも自分の盤の出来を、いまも誇りに思っているだろうと想像します。いい出来ですからね。