- タイトル
- I Could Have Danced All Night
- アーティスト
- OST
- ライター
- Alan Jay Lerner, Frederick Loewe
- 収録アルバム
- My Fair Lady (OST)
- リリース年
- 1964年
- 他のヴァージョン
- Robin Ward, Frank Sinatra, Nat King Cole, Petula Clark, Sylvia Syms, Les Baxter, Shelly Manne, Enoch Light, Edmundo Ros, Perez Prado, the Four Tops
前回、つぎもビートルズのサントラを、と書いたのですが、例によって予定変更で、ちょうど見終わった『マイ・フェア・レディ』の曲を取り上げます。
なんだか気色の悪いカタカナで、自分で書くなら『マイ・フェア・レイディー』です。語尾の音引きをなんでもかんでもむやみに切り捨てるのは正書法の観点からはきわめて好ましくないし、「レディー」ではreadyを想起します。ladyは「レイ」ディーです。そもそも、この映画はこの単語の発音の仕方がテーマなのだといっていいくらいで、配給会社のボンヤリ担当者だって、現物を見ればそれがわかり、あえて「レイ」としたはずなのですが、たぶん、配給会社の人は映画を見ないのでしょう。
それはともかく、My Fair Ladyというと、With a Little Bit of Luck(「運がよけりゃ」)、On the Street Where You Live、Get Me to the Church on Timeといった曲も有名ですし、The Rain in Spainが楽しいとか、Wouldn't It Be Loverly?できまりだろうとか、なんといってもI've Grown Accustomed to Her Faceの面白うてやがて悲しき味がすばらしいとか、いろいろございましょう。そういうところがミュージカルの大きな魅力なのだから、当たり前です。
そうはいっても、あれもこれもとはいかないので、カヴァー・ヴァージョンをあれこれ並べてみた結果、I Could Have Danced All Nightに面白いものがあったので、この曲に決めました。Rain in Spainのようなタイプの曲も好きなのですがね。
◆ 「メイフェア」レイディー ◆◆
多くの方がこのミュージカルのストーリーをご存知でしょうが、念のためにプロットをざっと書きます。舞台のほうは知らないので、映画のほうです。
ロンドンの花売り娘イライザ・ドゥーリトルは、あることがきっかけとなり、自分のコクニー訛りを恥じ、たまたま町で見知った音声学者ヒギンズ教授のところに行き、正しい、つまり、社会階層が上の人々が使う英語を教授してほしいと頼みます。「いい英語」を話すことは、すなわち社会階層を上がることを意味する、というのがポイントであって、言葉そのものの善し悪しは二の次です。身なりがそうであったように、言葉遣いも階級を表していたわけで、日本でも昔はそうでした。現代の政治家の言葉遣いをきいていると、日本にもそういう時代があったことなど、とうてい信じられませんが。
このへんのやりとりは、物語だからいろいろもってまわったことになりますが、ヒギンズは結局、職業上のチャレンジとして、イライザの頼みを聞き入れます。イライザは自分の人生を根本から変えたいと願い、ヒギンズは挑戦、すなわちゲームとして興味を覚える、というところに、両者の思惑がみごとにすれ違っていることが表現されていますが、これは単純明快すぎる伏線で、エンディングまで一本道できれいに見通せてしまいます。あとは、演出家と演技者が「その場かぎり」のチャームで物語を引っ張っていくしかありません。まあ、複雑なミュージカルというのはないので(『オール・ザット・ジャズ』は例外かもしれない)、これでいいのでしょう。歌があるのですから。
コクニー(ロンドンなまり)の特徴は、オーストラリアと同じく、「エイ」といえず「アイ」で置き換えてしまうことです。高校のとき、オーストラリアから来た交換留学生が、「シー・ユー・マンダイ」などというので面食らいましたが、あれです。「じゃあ、月曜に」というそのMondayが「マンデイ」ではなく「マンダイ」になってしまうのです。イライザはMayfair(高級住宅地、また、社交界も意味する)をコクニーで「マイフェア」と発音してしまいます。これがタイトルの意味です。イライザが「マイフェア」から「メイフェア」へと変身する物語ということ。
ここから有名なRain in Spainという歌が生まれます。Rain in Spain mainly stays in the plainといいなさいとヒギンズがいうと、イライザは「ライン・イン・スパイン・マインリー・スタイズ・イン・ザ・プライン」と発音してしまい、ミュージカルのきまりごとにしたがって、Rain in Spainという歌に突入しちゃいます。
コクニーのもうひとつの特徴は、フランス人のように「H」を発音せず、サイレントにしてしまうことです。I hate you!が「わたしはあなたを食べた」といっているように聞こえるのだから、うっかりロンドンなんかに行くもんじゃありません。なにをどう誤解するか想像の外です。
日本にも似たような訛りがあります。東京下町訛りです。わが老父など、昔は「広い敷地」なんていうのがすごく発音しにくそうでした。落語ではこういうのをどう発音するかは決まっています。「しろいひきち」です。これじゃあ、江戸っ子以外にはなんのことかわかりません。老父はそこまで極端ではなく「しろいしきち」と発音していました。「ひ」はみな「し」になってしまいますが、「し」は「ひ」にならなかったのです。
◆ 「偉大にして華麗なる英語という言語」 ◆◆
さて、イライザのレッスンはというと、この種の物語の常道で、困難をきわめます。そしてある夜、いや、もう未明近く、ヒギンズはイライザにこういってきかせます。
「頭が痛いのはわかっている。疲れているし、神経はささくれ立っているだろう。でも、自分が成し遂げようとしていることを考えてみたまえ。きみが立ち向かっている相手はなんだ? 偉大にして華麗なる英語という言語だ。これはわれわれの最大の財産だ。人類の魂からかつて生まれたもっとも崇高な思想は、非凡にして想像力に富んだ英語の音韻が織りなす音楽的な布をまとっているのだよ。これこそが、きみが征服しようと決意した相手なのだ、イライザ。そして、きみはみごとに征服するだろう。さあ、もう一度やってごらん」
いやはや。毎度ながら、イギリス人の事大主義と愛国心の織りなす偉大なる妄想には恐れ入ってしまいます。これくらいじゃないと、命を張って地球を半周し、よその民族から利を貪り、汗血を絞るとるような偉大な事業は成し遂げられないのでしょう。典型的な誇大妄想狂です。井の中の蛙で、どんな言語にも崇高さが織り込まれていることを知らないだけだから、情状酌量の余地があるでしょうが。それにしても、音韻学だからこれですんでいますが、言語学の教授だったら、これほど他言語に無知では商売にならないでしょう。
ともあれ、イライザは、ヒギンズのこの説得でなにか悟るところがあったらしく(この瞬間にヒギンズを愛してしまったのでしょうな)、つぎに口を開いたときは、ちゃんと「レイン・イン・スペイン・メインリー・ステイズ・イン・ザ・プレイン」と発音できていた、という、まあ、単純な人たちが感動するかもしれない(たぶんしない)シーンとなります。よかったよかったと、イライザ、ヒギンズ、そして相棒のピカリングは大喜びし、ミュージカルなので、これだけのことで一曲歌い、それが終わるとヒギンズとピカリングは寝室に行ってしまいますが、イライザはうれしくて眠気など吹き飛んでしまった、といって、今日の歌に入ります。
◆ アナザー影武者物語 ◆◆
声の質がまったくちがうので、すぐにおわかりでしょうが、オードリー・ヘップバーンのかわりに、主としてマーニー・ニクソンというソプラノ歌手がうたっているそうです。アンディー・ウィリアムズが十代のとき、女優の(男優のではない)吹き替えをたくさんやって、それを足がかりに歌手になったということは知っていましたが、このニクソンというひとのことは知らなかったので、キャリアを読んでみました。へえー、そうだったのー、でした。
もっとも有名なのは、ハワード・ホークス監督の『紳士は金髪がお好き』の挿入歌、Diamonds Are Girls Best Friendのマリリン・モンローの「高音部」だそうです。久しぶりにこのシークェンスを見直してみました。
なるほどなるほど、アップテンポになってからしか記憶にありませんでしたが、前付けヴァースがあり、高音のトリルを歌わなければならないので、ここはソプラノ歌手じゃなければ無理というわけですね。と、のんきなことを書いてから思い直しました。ほんの部分的に、たとえば、だれかが「ソ」まで歌った後を受けて、ラ、シだけを歌うという「木に竹を接ぐ」方式も、スタジオ・シンガーの日常的な仕事の一部だと、トム・ベイラーがいっていたことを思い出しました。彼はその一例として、ゲーリー・パケットの曲で、ゲーリーには無理な高音を途中から歌ったといっていました。
同じ映画でジェイン・ラッセルもこの曲をうたっていましたが、あちらはどうなのか。けっこうな監督がけっこうな女優二人をうまく配したけっこうな映画でした。そして、Diamonds Are Girl's Best Friendという歌も、はじめて聴いたときはひっくり返りました。以来、オールタイム・ファイヴァリットのひとつです。
マーニー・ニクソンはほかにどんな仕事をしているか見ると、二度にわたってデボラ・カーのスタンドインをやっています。『王様と私』と『めぐり逢い』です。『めぐり逢い』で歌うシーンがあったっけ、なんてんで、ラヴ・ストーリーになると、てんで無知のてんで記憶喪失。
そして、お立ち会い、この種のスタンドインの例として昔からきわめて有名で、子どものわたしでもEPのライナーで読んで知っていたことが出てきました。『ウェスト・サイド物語』でナタリー・ウッドのスタンドインをしたのもニクソンだったのです。いやあ、調べてよかった。これでちゃんと仕事につながってくれました。つい先日、そのあたりを書いたところで、その段落をこれで補うことができます。
そして、『サウンド・オヴ・ミュージック』ではついに、他の女優の声ではなく、画面に登場し、歌ったそうです。シスター・ソフィアという役。えーと、あの映画には尼さんが山ほど登場したので、だれがだれやら思い出せません。いま、出てくるなら冒頭だろうと思い、ちょっと見てみました。やはり、尼さんが総出で歌うMariaのシーンに、ニクソンは出ていました。
なんの目算もなく、やみくもに書きはじめたら、シルクハットから思わぬウサギが跳びだして、時間がなくなってしまいました。久しぶりに二回に分け、カヴァー・ヴァージョンの検討などは次回にさせていただきます。時間をあけず、明日すぐにつづきを、と思っていますが、その場になってみないことにはなんともいえないので、ダメだった場合はご容赦のほどを。